第11話 叛逆の意志

「あ……あ……」


 目の前で、薬を右手甲に押し当てると共に変貌した、実の兄――勇次を見ながら、長門沙織は震えることしかできなかった。

 つい先程まで、共に笑いあっていた友人――廉太郎を、あっさりと目の前で殺してみせた凶蟲バグ。あまりの恐怖に失禁しそうなほどに、それは絶望の顕現だった。

 だというのに、勇次はそんな凶蟲バグに、立ち向かっているのだ。


 英雄の外殻をその身に纏い、まるで人が変わってしまったかのような動きで。


 どちらかといえば、勇次は運動が苦手だった。それは、妹である沙織が一番知っていることだ。勉強をさせても運動をさせても、大抵中の下くらいにいるあまり誇れない兄である。

 だというのに、まるで達人であるかのように、視力を失ったと思えないほどの動きで凶蟲バグと戦っているのだ。

 その小太刀で、勇次が凶蟲バグの腕を斬り裂く。


「お、兄、ちゃん……?」


 その表情は、鬼気迫るものだった。

 怒りと憎しみに支配されているかのような、しかし虚ろな眼差し。自他共に認める親友である廉太郎を失ったことは、勇次にしてみれば己の半身を失ったことに等しい。

 頼れる相棒であり、誰よりも仲の良い友であり、勇次を導いてくれる人物――それが、廉太郎だったのだから。


 勇次はそれからも、まるで風になったかのような鋭い動きで凶蟲バグを追い詰める。

 未来が分かっているかのように、凶蟲バグが攻撃しようと動かした左腕――それを、肩から斬り落としたのだ。

 それでも、勇次は止まらない。

 人間に出せるものとは思えないほどの跳躍――それと共に、遥か頭上に存在していたはずの凶蟲バグ、その頭を。

 首を――斬った。


――あの時、思ったんだ。俺なら斬れる、ってな。


 廉太郎の言葉が、脳裏に再生される。

 それは、同じ剣豪という英雄を得た二人だからこそ分かることなのだろうか。

 勇次が地面に降り立ち、そのまま小太刀を鞘へと仕舞う。それでも決して油断することなく、三百六十度に注意を払いながら。


 怖かった。

 恐ろしかった。

 目の前にいるこの男が――まるで、勇次に取り憑いているみたいに、思えたから。


「お兄ちゃん!」


 思わず、勇次に抱きつく。

 返り血で染まった顔に、周囲へ注意を払いながらも、しかし昏く濁った瞳。顔立ちは勇次のそれであるというのに、そこにいるのが勇次でない誰かのような――そんな、得体の知れない恐怖があった。


「……沙織」


 そして、その口から流れる声音も、勇次のそれだ。

 意識や人格までも、勇次は支配されていない。それは、たったの一度だけとはいえ、同じ状況となった沙織にも分かっている。

 だけれど――それでも、怖い。

 ここに、元の勇次が戻ってこないような、気がして――。


「レンが……レンが、死んだ……」


「う、うん……」


「俺の、せいだ……俺が……」


「なんでよ! お兄ちゃんは何も悪くない!」


「俺が……」


 勇次に抱きつく沙織の腕に、ぽつぽつと水滴が落ちる。

 それは――勇次の目から流れる、涙だった。


「俺が、あのとき、薬を使っていれば……!」


「それは、それは違うよ! お兄ちゃん!」


「俺のせいなんだっ!!」


 どのくらいの範囲の情報が分かるか――その検証を行うために、薬を使うかどうかを迷った。

 だが、あのとき、勇次に薬を使わせなかったのは誰でもない廉太郎なのだ。

 それを、勇次が悔やんだところで意味などない。


「で、でも……!」


「くそっ……! くそっ! 畜生っ!」


「お兄ちゃん! 落ち着いて!」


「これが落ち着いていられるかよ! こんなクソッタレなゲームに強制的に参加させられて、レンが殺されたんだ!」


 くそっ、くそっ、と何度も勇次が吐き捨てる。

 その気持ちは、分かるのだ。それだけ、勇次と廉太郎は仲が良かった。いつでも一緒にいるくらいに。

 そんな廉太郎を失った勇次の悲しみは、どれほど深いだろう。


「お兄ちゃん……」


 だけれど。

 そんなに、悲しみに暮れているわけにはいかない。沙織だって、何度となく家に遊びに来ていた廉太郎が死んだこと――それは、ひどく悲しく思う。

 でも、だからといってずっとここで泣いているわけにはいかないのだ。

 そんなことは、勇次にだって分かっているだろう。


 それなのに、何と声をかけていいか分からない。

 落ち着けと言われたところで、落ち着けるわけがない。悲しむなと言って、悲しむことをやめられるわけがない。

 ならば、何と声をかければいいのか――。


「……」


 何も言えず、ただそこにいる勇次の体温を感じることしかできない。それでも、せめて近くに沙織がいるという、それだけでも勇次に感じてほしい。

 たった二人の兄妹なのだから。

 誰にも代え難い、己の半身なのだから。


 そこで、ようやく三分間が経たのだろう。

 勇次の和装、そして腰の小太刀が消えて、学生服に戻っていた。同時に視力も戻ったのだろう。勇次が、廉太郎の亡骸へと目をやる。

 そして、再び悲しそうに目を伏せた。視力が戻ったがゆえに、もう一度親友の屍を見て、その死を確信したのだろう。

 首から先が無くなれば、誰だって死ぬ――そんなことは、勇次にだって分かっているのだ。


「沙織」


「う、うん」


「仲間を、探そう」


「仲間……?」


「ああ。逃げれば、俺とお前だけは生き残ることができるかもしれない。でも、レンは言ってた。『ゲームクリアを目指そう』って」


「で、でも、それこそ、あいつらの思う壺……!」


「でも、そうしないと、このゲームから逃げられない……だったら、せめて仲間を集めて、このゲームをクリアするべきなんだ」


「……」


 勇次にとっては、信頼できるのは妹である沙織と親友である廉太郎の二人だけだ。そんなことは、沙織にも分かっている。

 だからといって、二人きりではいずれ限界が来るだろう。勇次が戦えるとはいっても、もしもより強い凶蟲バグが来たら。凶蟲バグが複数来たら。凶蟲バグが不意打ちをしてきたら。

 いつか、二人揃って死ぬことになる。

 そうならないためにも――。


「仲間を集めて、みんなでこのゲームをクリアして」


「う、うん……」


「仲間全員で、『戦乙女の庭ヴァルキュリア・ガーデン』を倒そう。俺たちなら、それができる」


「『戦乙女の庭ヴァルキュリア・ガーデン』を、倒す……?」


 勇次のそんな言葉に。

 沙織は、その天――広がる青空を見て。


「そう、だね……」


「ああ」


 そして、勇次は決意した眼差しで。

 立ち上がった。


「俺たちで、『戦乙女の庭ヴァルキュリア・ガーデン』を倒す! レンの仇を、絶対に取ってやる!」


「うん!」


 ここに小さく。

 しかし、いずれは巨大な大火となるであろう。


 叛逆の意志が――生まれた。

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