第10話 初陣

「――っ!?」


「ひ、ひっ……!」


 目の前で唐突に、命が奪われた。

 その事実に目を背けたくなりながら――しかし、そこにある恐怖から目を逸らすことができない。


「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎――」


 そこにいたのは、漆黒の巨人。

 頭の先から足の先まで、全身が真っ黒の体毛で覆われている巨人だ。その頭に相当する部分には穴が三つ開いており、恐らく眼球であろう赤い光がその奥に見える。もう一つの穴からちろりと覗いているのは舌だろう。

 大きさは、恐らく勇次の倍ほどだろうか。先程シェルターで見た者とは別で、あちらより一回り小さいと思われる。だが同じであるのは、その巨大な二つの腕だろう。

 体のバランスは奇妙で、大きさに比べて足はひどく短く、腕が異様に長い。鉤爪が先端についた太い腕は、直立しているというのに地面に届こうかとさえ思える長さだ。その腕も根元は細く、先へ進むごとに太くなっている。


 初めて、その全貌を見た。

 初めて、その恐怖を見た。

 初めて、その絶望を見た。

 これが――凶蟲バグ


「よ、くも……!」


 わなわなと、体中に震えが走る。

 目の前で親友の命が奪われ、そして絶望的なまでの存在がそこにいるのだ。そこに、恐怖を覚えないはずがない。

 けひっ、けひひっ、とまるで笑い声のようなそれが、凶蟲バグの口から聞こえてきた。

 まるで今から、勇次と沙織の二人を殺すこと――それを、楽しむかのように。


「よくもっ……!」


 されど、そんな絶望と恐怖は、それを超える憤怒で塗り潰される。

 先程まで、廉太郎は生きていた。こんな状況だというのに楽しそうに、まるでゲームを楽しんでいるかのように。

 生きていたのだ。

 勇次の親友の命は――まるで楽しんでいるかのような、こいつに奪われた。

 それがただ悔しく、そして憎い。


 殺してやる――。


「よくも、レンをっ!」


 凶蟲バグから目を逸らすことなくポケットに手を伸ばし、そこから薬を取り出す。

 今、勇次が頼れるのはただ一つ――この、薬だけなのだ。

 拉致され、無理やりに力を与えられ、死地へ送ったくそったれの『戦乙女の庭ヴァルキュリア・ガーデン』――奴らが作った薬だけが、勇次に力を与えてくれるのだから。


「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎――――!!」


 凶蟲バグが咆哮と共に、その右腕を振り上げ。

 その瞬間――勇次は、己の右手甲へ向けて、薬を突き刺した。

 視界が暗転し、それと共に数多の情報が脳髄へと流れてくる。そんな勇次の腰元に現れるのは小太刀だ。


 分かる。

 全てが、理解できる。


 凶蟲バグの振り上げた腕が、どこへ来るのか。まるで時間がゆっくりと流れているかのように、頭だけはクリアなのにあらゆる情報を理解することができる。空気の流れと殺気、そして何よりその音が。

 命が――どこにあるのか教えてくれる。


「お兄ちゃんっ!!」


 ゆえに。

 そんな勇次を襲う、その右腕――そこへ向けて、勇次は思い切り小太刀を振り上げた。

 それは、冨田勢源という剣豪が、それまでに会得した最適な体の動き。剣の達人としての無駄のない動きと身体能力――それが、勇次に乗り移ってその体を動かしている。

 まるで自分が、超人になったかのような感覚――廉太郎の言っていたことが、理解できた。

 英雄の力を用いれば、凶蟲バグは倒せるのだ。

 何故なら、勇次も思った。


 斬れる。


「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎――!!!」


 冨田勢源の小太刀が、凶蟲バグの右腕を斬り裂く。

 それはまさに、小太刀の達人であるがゆえの動き。一瞬で状況を把握し、的確な一閃を行うことができる剣豪としての能力。

 周囲の状況把握能力――そんなものではない。

 これは、冨田勢源という歴史に残る剣豪そのものと化しているのだ――。


 凶蟲バグが怯み、やや後ろに退がるのが分かる。

 だが、その程度では終わらない。勇次はさらに踏み込み、その命を屠る――そのために小太刀を振るう。


「はぁっ!」


 見えない。だが、暗転した視界以上に、全てを知ることができる。

 凶蟲バグがこれから、いかにして動こうとしているのか。

 どのような手段を用いて、勇次を攻撃してくるのか。

 それが、その骨格の動き――それを把握するだけで、分かる。

 僅かに動く左腕は、次の攻撃への備え。ならば、まずはそこを――斬る。


「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎――!!!」


 凶蟲バグの叫び声が聞こえる。

 それも当然だ。勇次は跳躍し、そのまま左腕を肩から斬り裂いたのだから。

 何かの液体が顔にかかってくる。普通ならば視界を眩ませるそれであれど、今の勇次には目など不要。

 ただ返り血を浴びている――その感覚は、どこか懐かしいような。


 そのまま勇次は凶蟲バグの背後に回り、さらに跳躍をする。

 倍ほどもある凶蟲バグ――その命を屠るために、最適なこと。

 それは――その首を斬ることだ。


「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎――!!」


 凶蟲バグが振り返ってくるが、既に遅い。

 勇次の小太刀は、そのまま凶蟲バグの首――それを、思い切り斬り裂く。


 ごろりと。

 凶蟲バグの、首が落ちるのが分かった。


「……は、ぁっ」


 視界は、未だ暗転したままだ。

 だが、分かる。勇次が――いや、冨田勢源が。

 その首を落とし、その命を奪ったと――。


「お兄ちゃん!」


「……沙織」


 終わった。

 凶蟲バグを倒した――その事実に、終わってから震えが走る。

 そんな勇次に抱きつく、沙織の体温――それだけが、この暗闇の中での、唯一の救いだった。





キャラクター紹介

長門勇次

英雄:冨田勢源 Aランク

能力『心眼・絶対領域』

【自動発動】視力を失う代償として一定範囲内のあらゆる情報を把握し、領域内の全ての動きに対して簡易な未来予知を付与する。

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