剥がれ落ちた言葉のかけらから
生まれてから十数年で生きるのには慣れて数十年でいつしか飽きて、僕を彩るはずの言葉は衒学趣味のいやらしさにまみれてしまった砂に埋もれた花の腐るのを可愛いと泣く君だけが僕の青いあおい淡い未熟さを愛想尽かさず許してくれるのかもって期待して泣いた夜に空気と同じ温度で「馬鹿みたい」って言ったあの夜を忘れられないのは君がここにいないからだろうかって問うても誰も答えてくれない。
神聖に輝く好奇心の種や芽を育てようと必死な大人たちの声は甲高く脳内に響いて思考停止を生み出す矛盾を君は嘲り侮り蔑んで見下したのに容易く屈して死を選ぶなんて卑怯だなんて僕の非難も届かないほど遠くで高みの見物とは大した身分だなって僕の歪んだ笑いだって君はどこかで見ているのだと信じなければ僕は二度と笑えないから鼻で木をくくるような記憶を呼び起こさないでよ。
永遠に続けと望む休日は二日で終わってしまう悲しさを君は知らないままで去ったのは幸福だったと誰かが宣う夏の日の夜の花火は幻影だったから苦しんだよいつまでも僕は。
罪悪感がこだまして鳴る夏の蝉の声の重なりを避けるように四階から飛んだって死ねなかった滑稽な誰かと同値の位置でもがいて泳いでプールの水は濁っているのに苦い水を肺一杯に飲み込んだってだけど死ねない愚かさを恨んで君を妬んだ。
暑い熱い終わらない夏の太陽の容赦ない叱責を耳の奥で鳴り響く君の声を懐かしんで死んで消えた蝉の声を忘れて忘れられないのはいつだってあの夜に見た花火だけで小さなちいさな田舎町の花火大会のあの花火だけが重力からなにもかもを解き放ったそれだけが真実だった。
永遠より僅かに短い命が物足りずに色を加えた失策は甘くあわく快楽に溶けて空に浮かんだ空みたいにソフトクリームみたいに甘く舌の上で嘘を広げていくのだ。
ほらこれは夏だあの日見たはずの夏だ。
忘れてしまっただろうか。僕らは忘れてしまっただろうか。道は広く、夏の太陽は高く、空は青く、ただそれだけの夏を。蝉がかまびすしく、鬱陶しいほどシャツが肌にはりつき、アイスは食べ終わる前にアスファルトを濡らした夏を。別々に生きたどこかの誰かが泣いていたから僕も君も全力で同情したことを。僕たちはもう忘れてしまっただろうか。
そうだ、ニュースで見る悲劇に同情して非日常に感情を重ねることでしか自分が自分以外の何かになれると信じられなくて、卑小な自分を大きく見せるためだけに同情や共感を使った惨めな青春の、あの輝かしい汚辱を、もう忘れてしまっただろうか。
途方もない嘘と虚栄と欺瞞に満ちた社会などたったの一言で壊せると信じていた無謀さに酔った君と僕の夏。無邪気に愛を喰らう貪欲な性奴隷と化した熱い夏を過ごした君と僕、夏、なつ、忘れたから聖書に書いてあったはずのすばらしい言葉を思い出そうとしたのに思い出せないそんな言葉は、はじめからないのと同じと君の笑う声が遠くから聞こえた気がした。
はて、君の夢はなんですか?
頬を濡らす真珠みたいな透明な輝きだけが美しかったのはただ君が若かったからだ。
経験が君を汚すはずだったのに、不純な沼底に沈めて社会は君を嘲笑うはずだったのに、どうして逃げおおせてしまったのだろうか、陰鬱な森の樹冠をふさぐ葉の濃い緑が落とす陰だけが、鼻にしっとりとかおる湿った優しい孤独を教えてくれた、そこに君はいないのに。土に君のにおいを探した。
絵を描くたびに筆を折ってはまた握りしめてキャンバスの前に立たざるを得ない君の衝動こそが生と死を端的に示していたなんてつまらない説明を自らにして萎える夏の夜にひとり花火を探してみるが見つからないから、キャンバスの彩りに浮かぶ焦燥を掬い取って透明な水槽に沈めて魚のように動き出すのを待った。こんなことが嬉しかったり悲しかったりしても、世界の色は混じりながら緑色の海に自らを沈めて求める静かな夜。
終わりはいつか訪れるから安心してよといった君が追いかけていたのは常に終わりだったのはどうしてだろう。
平凡な僕が好きといった君は雲を眺めて行く末を案じながらもおぼろな光景に過去を託して未来は捨ててスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスとおまじないをいたずらに唱えてみたのだ。世界は君のことだけを忘れて咲いた美しい花をからめとる雨を降らすのだ、何度も何度も、君が死んで空が泣くのも、誰かが死んで空が泣くのも同じことだと言い募るかのように。
雨が降り、傘を差す人々が街を歩く。駅前のふみきりはゆっくりと閉じ、目の前の赤い傘だけが視界を埋めていた。遠くの学校の吹奏楽の音が耳に届いた気がした。すぐ横に背の高い男が立って、傘の端から垂れるしずくが僕を濡らした。黒の闇を劈くように電車が駆け抜けると、深海で花火が弾けるみたいに閃光が目の前で煌めいた。光を見せたその瞬間から過去が消えていった。君はどこにもいなかった。
愚かな期待を覆せぬまま空に流れる雲のように子供の頃の憂鬱を捨てられないまま無粋な十代を過ぎて憂鬱な二十代を過ぎて退屈な三十代を生きているの横に君はいない。
僕の目の前で、花は夏も鮮やかに咲いていた。
無骨で粗野で荒々しくてその奥に響く声だけが震えてくやしいんだ泣きたいだって失望を静かに歌うのを聞き逃さなかったから忘れないのだ。
君のこころはかぜに吹かれて地球をぐるり周り言葉もわからない人々の耳にながく止まるのだろう。僕は君が羨ましかった。消えてしまっても消えることのない声が絵が君が生み出したすべてが無意味ではなかったと知ってしまった日からずっと僕は君が羨ましかったのだ。夜の星の輝きよりも海の波の鳴らすささめきよりも長く続くであろう川底に沈んだみたいな君の声は、どうせ、僕が死んだって誰かの耳の奥で鳴るのだ。
朝な夕なの乱痴気騒ぎに海が荒れて雨が踊って祭りの最中にあがった花火は虹を散らして夜を彩る夏が終わるさみしいなって終わる前から君は言っていた。
希望が照らす未来を信じずアスファルトの上に浮かぶ蜉蝣が現実だって大言壮語で息巻いたらば何もかもを吹き飛ばせるなんてナイーブなのは本当は君だけだった。
君は透明で。
夏の太陽は透けて。
陰すら落ちなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます