第13話
雅子が悔しそうに言った。 「さぁ、もう帰るよ!」 「あら、もう帰っちゃうの?」 「当たり前じゃないの?!誰がこんな所にいつまでもいるのよ?又なにかされたらかなわないからね。もうさっさと帰るんだよ!」 「智子、ありがとうな。」 康男は一応形だけの礼を言った。だが内心、警察を呼ばれたり、私が警察署に行き、書類に署名をした事に怒りを感じていた様だった。雅子もそうだ。 裕は、警察署に連れて行かれず、犯罪者に ならなかった事に歓喜していた。丸で反省はしていなかった!! 「何よ、雅子姉さん!あんたはお礼言わないの?」 「…ありがとうね。」 悔しそうに一言呟いた。 帰り際に裕は得意そうに母に言った。丸で 恥ずかしくもなく、平気でだ。 「叔母さん、叔母さんには借りがあるからね!だから、僕はこれからは一生叔母さんの味方だからね。だから何かあれば僕は必ず叔母さんを守るし、助けるからね?」 「うん、そうしてくれなきゃ困るよ?」 「うん!大丈夫だよ。約束するから。」 そうしてこの糞の三人は、康男が転勤になってからは完全に移住してしまった山梨県へと帰って行った。 そうそう、一旦玄関を出たが裕はトイレへ 行くだとか言って戻って来て、私に近寄ると小声で言った。 「ふん、お前なんかの思い通りにはならないんだからな。」 顔は嬉しそうに輝いていた。そして振り返り、行こうとした。 だから私は裕の後ろ姿にしれっと言い返した。 「もう、泥棒しないでね?」 裕はカーッとして振り向いて私を睨んだ。だがそのまま出て行った。 もし手を挙げる様なら大声を出そうとしたが、何もしなかった。勿論そんな事をしたら、母や自分の両親に止められたし、母も又警察を呼ぶと思ったのかもしれない。 この時、母は1階の真ん中の部屋の畳の上に座って、がっかりしていた。だから私の近くにいなかったのだ。 この糞家族が帰ってからはしばらく重い空気が流れた。私も母も落ち込んでいた。 だが母は、自分が悪い。自業自得だから仕方が無いのだ。 その後、裕はもう残った蝶額を盗まなかったが、母が集めていたミニチュアの瓶に入った、20個はあった様々なお酒を勝手に蓋を空けて殆ど全てを飲み干したが。 うちへ来る度に、そのウヰスキーやコニャックやブランデーやらを、勝手に飲んでいたのだ。 母が気付いた時にはもう数本位しかお酒が入っている小瓶は無くて、蓋が空いたやつには水が入っていた。 母は又怒り狂い、その日来ていた裕に聞いた。裕は絶対に知らないと言い張り、最後まで認めなかった。 祖母は酒を飲まない。 それで私に聞いた。私は違うと言ったが母は裕が認めないから、私に何度も聞いた。 私は神かけてやっていないと言った。当時 また高校生だったし、私は20代半ば迄はお酒は飲まなかった。 成人しても自分はお酒が飲めないと思い込んでいた。20歳の時に一度アメリカで、何かのパーティーの時にワインを何杯も、味が気に入って飲んでいたら気持が悪くなり、吐いたからだ。それが、初めて飲んだお酒だった。 後は小学生の時に、康男に、皆で食事中に ビールを舐めてみろとしつこく言われた事が一度だけあり、母は止めてと言ったが自分の子達にも経験させたからと言って舐めさせられた。 苦くて嫌な顔をすると、これでもう子供が酒に、変に興味を持たないからと康男は母に言った。本当にそれ位だった。 結局母は興奮して怒りながら、裕を責めて、裕ももううちで晩御飯を食べていたから、直ぐに帰った。 母は又もやられたのだ。 その前にも、子供の時には私の玩具を知らない間に壊したり悪戯をして、いつもこの家族が帰ってから分かった。 人形なら髪の毛がバラバラに切られていたり、マジックで顔が濡られていたり、ぬい ぐるみなら耳や足が片方切られていたり、 ゲームならその駒が1つか2つなかったり、トランプなら何枚か無かったり又は半分に しっかりと折られていたりだ。 流石に毎回酷いから、母や祖母がどんなに裕当人やその親に注意しても絶対に直らなかった。 一番酷かったのは、私は小学生の時には沢山のミニチュアアニマルを集めていたのだが。母や祖母に買ってもらったり、自分の 小遣いで買ったりしていた。 だから何十個とあり、中には割と大きな物もあった。その大きめな中にはアフリカ象があり、象が大好きな私はそれが一番のお気に入りだった。その像の両耳と鼻を切り落としたのだ!! 私はこの時、確か14歳位だったが、悲しいし悔しいしで大泣きをした。母も祖母も これには激怒して、新しいのを買うからと 言った。だがもう何年も前に買った物だし、同じ物があるかは分からなかった。違うのでも良いから買ってもらえば良かったが…。 まだこの動物達は、この哀れな姿になった象も、皆私は取ってある。 それで、母と祖母は裕を責めて、親にも注意した。裕に謝れと詰め寄ったが、私に聞いて良いと言うからやったと言った。 プラモデルを作るのに、グレーの部分が足りないから像の体の部分を使って良いかと聞いたからと。 確かに、私と母と恭子とで、何かのゲームをして遊んでいる時にしつこく私を呼び、小さな声で聞いてきた。私が断ると又しばらくすると来て、又断れば何度でも繰り返す…。 余りにしつこいし、トランプをしていたか何かで、丁度熱中していたし、良い所だった。だからもう余りのしつこさに、分かったと言ってしまったみたいなのだ。 裕も又私の物を、特に一番大切にしている その像を壊したいし、変にしたい一心で、 分からない程度に本の少しだけだとかをしつこく言ったかと思う。 その時は早くゲームに戻りたいから深く考えずに、良いよと言ってしまったらしい!! 母と祖母は、裕の両親の雅子と康男に弁償しろとも言った。だが幾らミニチュアアニマルでも、本当に小さな、手に乗る程のサイズでは無い。かなり大きいサイズだし、ああした物は、小さな物てもそんなに安くはない。 だから康男は困って黙り込み、雅子は最後まで拒んだ。そしてこう言った。 「冗談じゃない?!そんな物、買わないよ!!」 実は雅子はやりくりが下手な上に金遣いが荒いので、この夫婦にはお金が無かった。だからたまに来ては山の様に食べて帰って行き、必ず昼食時に来た。大概は家族全員でだ。 これに付いても又その内話したい。 だから結局、彼等は直ぐに引き上げた。 母と祖母はもう二度と裕を家に連れて来ない様にと強く言った。 頼むからもう息子を連れて来るなと。何年も何年もうちの子の物を壊したり変にするのだからと。だからもし来ても、家には絶対にあげないからと。 そうして裕はその後何年も来なくなった。 成人するまでは。 だがこの日、裕は最後まで謝らずに、自分は何も悪い事はしていないと言い張った。 雅子も康男も嫌な顔をしていた。まだ小学生の恭子だけが、悪そうにして、私に同情していた。 この裕の態度は、このクズが最初に私の物を破壊しだしてからは母と祖母は直ぐに親に言った。 だから康男も雅子も一応は叱ったり注意をしたが、駄目だった。裕はやり続けた。 恐らくはきつく叱らないし、幼児の時から ずっとそうだったから、本人は何とも思っていなかったのだろう。 裕は成人するまでは家に来なくなったが、 来た時には、今度はターゲットが母になり、母の持ち物に代わったのだ!! そう言えば私が子供時代の当時は、よくお菓子におまけの小さなおもちゃが付いていて、その箱を開けないと中身が分からない。だから買わないと駄目で、だから同じ物ばかりが集まる場合もよくあった。 だが私がやっと当てた、金色の、確かチョコボールの箱に描いてある鳥のキャラクターのヤツを、裕は母にねだって、母はあげたのだ。(母は頼まれたらまずノーと言えないし、良い人のふりをしたいしそう思われたい人間だった。) 私がいない時だ。当ててからまだ数日だった。せっかくやっと当てたのに!! 私は悲しすぎて泣いてしまった。まだ小学校の低学年だったから。 この時、母は困ってしまい、逆に叱られた。そんな物いいじゃないか、と言って。だが雅子に電話をかけて返す様に言った。 雅子はその場で裕に聞いたが、裕は無くしたと言って、それで終わった。 又、お菓子で子供の忍者の形をしたお菓子があり、私と裕を連れて母が買い物に行き、私達を外で待たせて店に入って行った。 すぐ近くにあったお菓子屋の主人が私を手招きでしつこく呼ぶと、その忍者のお菓子をくれた。裕も急いで着いて来たから、裕にも一つ与えた。 裕は私の、そのアルミホイルの銀色の包み紙の忍者の絵のほうが良いからと、無理矢理にひったくり、私に自分のを無理矢理に渡した。 私が返す様に騒いでいるとお菓子屋の若い男は又私を呼び、金色の忍者をそれと交換した。裕はそれを見ると又無理矢理に奪い取り、私から最初取り上げた物を渡した。 お菓子屋の男はそれを見て呆れ返ったが、 その時に母が戻って来た。 母は返す様に言ったがお菓子屋はかまわないと言い、ではお金を払うと言うと受け取らないから、私達はそのまま帰った。 私は子供の時に、薬屋のマスコット人形は何処の薬屋に祖母と行っても、必ずと言って良い程、薬屋は私にくれた。新しいのが出れば、ウサギのやつだと、その季節だとかで 新しいポーズだとか、違う服を着ているだとかのがあり、その度にそれをくれた。 だから家には薬屋のマスコット人形がゴロゴロあった。 デパートでも一度、母が買い物をしているので、同じ階で一人で待っていると、(これはよくさせられていた。)サッちゃんと言う、ちびっこチーちゃんシリーズの人形を店員にもらった。あなたに凄く似ているからと言われて。 玩具売り場ではなく、婦人服売り場だったが、その若い女性店員は、きっとあれは自分用だったのかもしれない。リカちゃんよりももっと小さな人形だから、大人が持っていてもおかしくはなかったから。 何かのバザーでは、世界の猫、と言う猫の絵の切手が十枚位、透けたビニール袋に入った物を店主のお爺さんに手招きして呼ばれて、渡された。 その時にはエミという1歳年上の友達とその従姉妹二人がいたから、彼女達が飛んで 行き、私達にもくれなければ不公平だと 騒ぎまくり、お爺さんは仕方無く彼女達にも、似た様な切手を仕方無く渡していた。 凄く嫌な顔をしながら。 だが、裕は何故私をそこまで忌み嫌ったのか??理由は幾つかあった。 祖母が私の事を怒ると、従兄弟達が来てる時にはわざと廻りに呼び付けて叱ったり、又は従兄弟達が側にいる時に私の悪口を沢山言ったからだ。 そして必ずこう付け加えた。私の事は馬鹿にして良いんだとか、私は物凄く馬鹿な子だ、頭がうんと悪いだとか、最低だとかを言って。 祖母はまだ5歳前後の時には、他人が家に来て、私を知らない人間だとか、又はその相手に寄っては、2階に隠れていてその客が帰るまでは絶対に出て来るなと言った。トイレも我慢する様にと。 知っている人間が来ても、絶対に自分から口を聞くなときつく言った。 一度だけ、余りにトイレに行きたくて我慢 できずに、トイレに行く為に下に下りると、その客は私を見て仰天した。私が誰なのかと祖母にうるさく聞いて、祖母は嫌そうに、娘の子供だと答えた。 トイレから出て来ると、私に興味を持って色々と話しかけようとした。すると祖母が すかさず言った。 「この子、口がきけないんですよ。おしなんです。」 「まぁ〜っ?!」 その老婦人は私を同情的な目で見た。嫌だが、黙っていた。だが後から、トイレに行った事を凄く叱られた。 結果、毎回隠れていてトイレにも行けないのは困るから母に相談すると、母が怒り狂い 祖母に注意した。そんな事をさせるな、幾ら混血でもそこまで恥ずかしいのかと。 祖母は色々と聞かれると面倒だからと弁明 した。だがそれからは私は普通に下の部屋にいて良くなり、私をおしだと思い込んだ客が又来た。 その日、私が祖母に何かを聞いた。庭に出て遊んで良いかだとか何かだ。すると老婦人は仰天した。 「あら、この子、口がきけるんですか〜?!」 「ええ、まあ。」 だから今の話の様に、裕は私の事を合の子、外人だと事あるごとに言いまくり、馬鹿にした。これは裕が小学生の2年生位の時に山梨県に移ってからは、もっと酷くなった。 その癖、毎回新しく出ていて1巻から持っていたサザエさんの漫画本を親とうちに来ては、毎回帰る時に無理矢理に持って行かれ、68冊位あった物は一冊以外全て取られた。 いつも祖母が私に買い与えていた物をだ。 帰りの車の中で読むからと言って、毎回強引に持ち去った。借りるだけだと嘘を言っては騒いで!!だが絶対に次回持参せずに、返さなかった。 だが母も呆れる程の馬鹿だから私を説得しては、無理に渡させた。祖母も裕の毎回しつこく騒ぎまくる姿に、うるさいからと仕方無く貸す様にと言っていた。そしてどちらの親もその姿を見ても、子供なのだからとろくに注意もしなかった。 後には私がもう少し大きくなり、裕の家で、それらが沢山しまってあるのを裕の妹が自慢げに見せた。私は驚き、それらは全て私のだと言うと、雅子が返してくれるといった。 だが裕の妹の恭子は泣き叫んで嫌がり、超馬鹿な私の母は私を気狂いの様に叱りつけて、返させなかった。 康男はニコニコしながら、私に言った。 「悪いねー、フーちゃん。」 康男はこの娘を凄く甘やかしていたからだ。 ちなみに親戚は殆ど皆が私をフーちゃんと呼ぶ。私はこのあだ名が嫌いだから、中には わざとしつこく呼ぶ者もいた。 私の馬鹿母は、私の父親が、私が生まれたらフランシスと名付ける様にと妊婦中だった母に言い、母はそれを忠実に守った。だが1歳の時に、正式に日本名に改名した。 とにかく裕は私の事が、祖母から私の悪口を聞いたり、馬鹿にして良いと小さな時から言われていた。又、アメリカ人との混血で、純潔な白人として通る顔に軽蔑や憎しみを覚えたのだ。 又、これは今から何十年か前の話だから、 移った場所の山梨県も当時は外国人なんてまずいないし、非常に珍しい存在だったからだ。 例えば私と母が行くと、皆が、横浜にいる時以上に珍しがり、歩くと後ろから着いて来たり、とにかく凄かった!! 後から裕の両親の欄でそのエピソードを話 そう。康夫は一度、その知り合いの男と口喧嘩をした程だ。 そして裕のもう一つの理由として、この男は優しい性格ではなかったからだ。非常に我が儘な男だと、他人が母に言った事がある。 子供の頃に年中娘の持ち物を壊したり変にしたり取ったりと、色々とした事に付いて話したからだ。 裕はその後、仕事を転々としていたが、アルコール依存症になり、何度も入退院を繰り返す。又、サラ金からお金を借りて蒸発して、それが何十万円にも膨れ上がり、両親が必死で返した。 しばらくは行方不明だったが、一年もすると戻って来て又親と生活していた。交通事故も起こして、顔に手を加える手術もした。(交通事故は、もしかしたら2回起こしたのじゃなかったかな?) そして中学生の時に付き合っていた同級生と結婚して、子供を三人設けた。(交通事故の一回目かその次かは分からないが、結婚している時ではなかったかな?) 嫁さんは裕とその両親と同居した。この間に、康男は癌で死亡した。だが裕は相変わらず酒を飲み、仕事を転々として、そのうちに嫁さんがパートに出た。 そしてその後、嫁さんは裕と離婚して子供3人を連れて実家に戻った。 雅子は、嫁さんは外に働きに行ってからは浮気をしていたのではないかと母に話した。 そうであっても無くてもどちらにしろ、多分愛想をつかしたのだろう。 私達親子は、私が40代後半の時にアメリカの永住権を取得した。 母が米軍を定年退職してから軍のお偉方何人かが推薦状を書いてくれたので、グリーン カード取得の申請をして、だから母が最初に取り、娘の私が母に寄り申し込まれ、私も取得した。 そして渡米してからはたまに日本の銀行から、あちらの銀行に送金したりだとかの用事でたまに帰国していたのだが、ある時雅子と私達は会った。(まだ日本には家があったから口座はそのままて、今も家は買い替えて、マンションの部屋がある。) その時、雅子はとても老け込んでいて元気が無かった。 一体どうしたのだろうと思い、私達は聞いた。母は認知症の初期だった。だからまだ当初は何か少し変だし忘れっぽい感じだったが、私は、又周りの人間も分からなかった。だからまだ普通に口が聞けたし、話は理解できた。 すると雅子が言った。裕が死んだと。私達は驚いた。 「エッ?!いつ?!」 「去年だよ。」 確か、去年の今頃と言ったかもしれない? だから、享年50歳だそうだ。死因は何かと聞いたが、ハッキリとは分からないのだと、雅子は返事した。 この男はアルチュウになり、入退院を繰り返していて、離婚してからは働かず、ずっと親の家の自分の部屋に閉じこもり、コソコソと見つからない様にしては台所で何かを冷蔵庫から出して食事をしては、又部屋にこもっていたそうだ。 そしてせがまれるから仕方無く小遣いは渡していて、だからそれで酒を買っては飲んでいたらしい。 そして死ぬ1年前に、丁度私達親子が飼い犬達を連れて渡米した時だ。どうしてもアパートに住みたいからアパートを借りてくれと言われたそうだ。 断っても何度も執拗に頼むので、それで仕方が無いから借りたそうだ。自宅からそんなに遠く無い所に。そして雅子は炊飯器や冷蔵庫等を買い与えた。 そうしてそこに住まわせながら、時たま様子を見に行っていた。 そして、ある冬の日に又いつもの様に行くと、床にひれ伏していた。驚き慌てながら体を揺すったが、その時にはもう息をしていなかったそうだ。 そうして死んでいた。親が借りたアパートに、50歳で、孤独死だった。 恐らくは酒と、不規則な生活で、体が色々とおかしくなっていたのかもしれない。だから、最後はそんな風だったそうだ。 オジサン(○○○○さん)、赤いハンカチの巡査の○○○○さん、やったよ?!あの究極の悪党、(刑事ドラマでそんなセリフをつい最近聞いたばかりだから使っちゃえ!)、は死んだよ!!バチ、当たったよ?!逮捕出来なかったけど!でも、バチ当たったよ?! (注.○○○○は、ひらがなで4文字) 雅子は最愛の(馬鹿)息子を無くした。 親は子供が先に逝くのが最高に悲しいと聞く。だから雅子にもバチが当たったのだろうね? もしかしたら、裕に壊されたり変にされた私の人形やぬいぐるみの玩具達、あの本物ソックリのアフリカ象の怨念かな?人形や物には魂が籠もると言うから。 だから、特にあのゾウさんの復讐かな?! そうならみんな、特にゾウさん、ありがとう!!!!
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