第4話

 帰宅直後に万理にサランちゃんとリンユちゃんから電話がかかってきた。退学を知り、数カ月ぶりの電話だ。一緒に遊ぼうという。和子が万里に取り次ぐが怯えている。受話器を抑えて和子を仰ぎ見る。


「……またいじめられないかな……お母さん一緒にいてくれる?」


 今までになかった表情だ。でも何かを期待している。もしかしたらまた仲良くしようとしているのかも。期待のこもった顔をしている。和子は大きく頷く。万理はかすかな笑顔を見せて頷き、受話器から片方の手をはずした。そして「どうぞ来てください」 と応じた。


 やがて、サランちゃんは手作りのクッキーを持ってきた。それからまじめな顔で和子と万里に告げる。


「私の親戚が慰安婦を知っていて日本軍にひどいことをされたと常々言っていた。だから日本人は嫌いだけど、万里は私によくしてくれたから今まで通りに仲良くしましょう」


 次いでリンユちゃんもリンゴを持って訪問してきた。


「私の祖先が南京大虐殺の被害者で日本軍にひどいことをされてきた。強制連行もされて、不当な扱いを受けた。だから本当は日本人が大嫌いだったけど、万里は私によくしてくれたから今まで通りに仲良くしましょう」


 万里たちは三人でハグをしあっている。和子は思わず「待って」 といった。まず日本人いじめの件で謝罪すべきだろう。そしてこの子たちは過去の歴史を間違えて教えられそのままの状態で日本人の私たちを許してあげるといい、さらに仲良くしようとしている。それはおかしい。そのボタンの掛け違えが恐ろしい。


 和子は過去の新聞の記録を持ってきて子供たちに見せようとした。記録で見せて納得したうえで私たち日本人とつきあってほしい。少なくともわが子の友人であれば。


 しかし太朗が和子を抑えた。


「ダメだ。子供の前できみがそれをやると、大問題になる。下手するとこの国には住めなくなるぞ」


「でも……」


「わかっている。あちらの国の英才教育のたまものだ。そして、それを信じている人々が大勢いる。前にも言っただろう? 日本人と中国人、韓国人の区別を知っている人がどのくらいいるかを? それを今、あえてやるのか? 国をあげて英才教育をやっているところに、一回の民間人のきみがそれをしては最悪、殺されるぞ」


「まさか」


「ここはアメリカだ。銃規制がない国にいるということを忘れるな。日本よりもずっと犯罪の発生率の高い。かつ犯人確保率が低い。それを忘れるな。実際俺たち大人だってこの国で深夜は出歩けないだろうが! このコロナ禍で殺気立った人間が多くいることを忘れるな」


「ねえ、ママ。何を見せてくれるの」


 和子はとっさに万里の小さいころの写真集を取りだした。日本に帰国した時のものだ。七五三の写真がある。


「日本の着物はすてきね」 と歓声があがった。


 和子はたんすをあけて日本の着物を見せた。


「ちょうど浴衣が三着あるの、着てみる?」


 少女たちは再度歓声をあげた。和子は少女たちのかみを整えてやり、着物を着せた。日本の着物を着た三人は仲良く肩を組んで笑っている。万里の笑顔がまぶしいぐらいだ。先ほどの集会での万理とは違う。和子も太郎も苦い感情を隠し「よく似合うね」 と笑顔で話しかけている。


 結局サランもリンユも謝罪しなかった。日本人いじめの謝罪は不要だと考えているならば、確かにボタンは掛け違えている。この小さな亀裂は大人になったら、政治的な不和につながる。


 今は子供でも大人になったらその環境で人も変わるだろう。サランやリンユが政治家になるかもしれぬ。三人の友情は一体どうなるのか。和子は暗い感情を覚えたが、それでも笑顔でジュースとお菓子を配った。持参されたクッキーも形よく並べリンゴもウサギの形にして食べやすいようにした。三人はジブリのアニメを一緒に見て、笑いあっている。


 確かに今はまだ仲が良い。今は。まだ。




 果たして日本への誤解がある人間と仲良くして、本物の友情といえるのか。それを思うと心が沈む。


 思考を変えることは誰にもできない。しかしこのままでは見過ごせない。世界的に日本は卑怯な国、恥知らずな国だと思われるなんて、先祖たちが聞いたらなんと思うだろうか。


 和子は日中韓の子供たちが戦争ではなく、このように身を寄せ合って楽しそうに暮らす世の中になるようにと願う。道のりは遠いが終点はある。それがまた新たな出発点になる。結局この世の人生は数珠つなぎなのだ。私たちの人生には限りがある。命には各々の限界がある。ならば憎しみでつなぐのではなく、笑顔でつなぎたい。その一端を和子たち大人は担うべきだ。


 元々人間同志で相互理解しあうのは夫婦ですら難しい。ましては習慣も言葉も根本的には違う国々で、個々で学んだ歴史も当然違う。それでも同じ空気を吸っている以上、戦争になるよりは笑顔でこうして集って楽しく過ごす方がいい。


 必ずや、理解しあえるはずだ。その根っこを和子そして万里がこれから作らねばならぬ。未来への橋渡しの責任はそれぞれに重い。




                                 了

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日本よ 鷹鷺鴛鴦 @wrathbird

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