第3話
こちらは日系会。日系アメリカ人、在米日本人だけの婦人会と老人会、そして青年会……すべての総会だ。主だった日本にルーツのある人々のほぼ全員が出席した。いつもは広く感じる部屋も今日は狭い。コロナ感染を警戒して少しずつ距離をあけてはいるものの、人いきれで部屋は暑い。正面の日本国旗が小さく揺れている。イスやソファが不足して立ったままの人もいる。全員が暗い顔で押し黙っている。
「……我々は、この国で根を下ろして生活しているが、反日組織の被害者になっている。昔から中国政府と韓国政府は日本に対して敵意があからさまな面があった。その影響は大きく、日本そのものに敵意を持つ民間人も確かに増えている。このたびの女児への暴言並びに性的被害の報告は誠に悲しむべき事態だ。しかもこれは一件ではすまず、男児に対しても似たような報告があった。
仮に被害にあわなくても昨今の反日活動に対して、何ら罪のない子供たちへの心理的被害も甚大なものだ。加害者は国籍問わず中国と韓国が主張する歪曲した歴史を信じている。それに乗じて面白半分に我が子たちを痛めつけて喜ぶ愉快犯の存在も報告されている。彼らは総じて日本人は過去の歴史的行動によって現在その子孫から報復されて当然だと信じている。この思考は広まるにつれ、我々がやっていた事業にも差支えがでる。世界中で反日思想を広め、その効果が波及して子供たちを痛めつけている。もはや修復が効かない」
議長が重々しく今までの報告をまとめると、さっそく不満の声があがった。
「修復が効かないで終わるのか。どうするつもりなのか」
「反日活動が全世界に及ぶと、いずれどこの国にも住むこともできなくなる。そうなれば、日本へ帰国せざるをえないがその安全保障は誰が責任を持つのか」
「そもそも強制連行像や慰安婦像が設立されはじめる以前から日本政府もおかしくなっていた。この現地でも私たちが必至で議会に訴えても議員は私たちの言い分を誰も聞いてくれなかった」
「中韓の小学校の子供向けの教科書を見る機会があったが、虚偽とねつ造の歴史だった。特に憎しみを駆り立てるような惨い画像を拡大して載せている。小さな娘を無理やり親から引き離している絵なども副読本にある。中韓の子供たちは昔からそうやって学んでいる。嘘の歴史を信じ込ませて、日本への憎しみを駆り立てる」
部屋の中では中韓の子供向けの教科書やプリントのコピーがまわされている。みな一様に暗い顔で眺めては先にまわしていた。誰かがうめいた。
「日本政府はこういう教育はしない。在留邦人も学んでいない。我が祖先は鎖国の時代が長く、性善説に基づいて生きてきたからだろうか」
「中国人も韓国人もよい人はいる。だがこういう歪曲した歴史を学んでいる人に育てられていた。精神教育の根っこからして違う」
「精神教育の根っこ……小学生からこんなことになるなんて」
「在米韓国人と結婚した日本人女性が日本のニュースが流れるたびに罵倒されるという。先祖からの報復だと怪我をさせられた人もいる。耐え切れず離婚もあった」
「日本の国会議員にも日本の国益に反した行動を堂々とする人物がいる。しかも一人や二人ではない」
万理は両手をぎゅっと握って体を小刻みに震わせている。クラスメートの信子ちゃんや明美ちゃんもいる。もう学校には通えないのだ。特に明美ちゃんの親は会社をたたんで国籍も日本に戻す方向でいるらしい。この日系アメリカ人の会もばらばらになるかも。それも彼らの狙いかも。
前途は暗い。彼らはとにかく根本的に日本を恨んでいる。
……日本政府自体もばらばらで同じ方向に舵を切ってない。獅子身中の虫がいて国際社会における日本の立ち位置を悪くとるように仕向ける人々がいる……
歪曲した歴史、日本を貶めて嬉々と凱歌をあげる国会議員。煮え切らない態度を取り続ける保守系の議員たち……一体わが愛する祖国、日本では何が起こっているのか。日本という根っこそのものが揺れている。海を越えて日系アメリカ人として暮らしている和子や万理たちはこれからどうなるのだろう。
これから未来ある子供たちに過去を、しかも歪曲された虚偽の歴史に翻弄させてはならぬ。それは決して次世代に譲れない問題だ。
和子の隣にうなだれていたはずの万里がいきなり立った。皆の視線が集まった。和子は万里の腕を引っ張る。
「どうしたの、座って」
万里はかぶりをふった。体も声も震えながら話した。
「間違った歴史ってなに? 私はどうなるの? 日本に帰るの? 日本に帰っても間違った歴史を信じている人が多いのはなぜ? だれがそうしたの? だれがそれをしてうれしいの? 中国人が悪いの? 韓国人が悪いの? それとも日本人の偉い人が悪いの? その人が謝ったから悪いの? もう日本は半分占領されているって、本当なの? それで子供の私はどうすればいいの? 子供は黙ってみていたらいいの? 殴られたりけられたり体をさわられても黙るしかないの? 私はどうしたらいいの?」
それは全員の思いでもあるが誰も何もできない。
間違った歴史……慰安婦報道、南京大虐殺。竹島に尖閣。課題はあまりにも多い。
特に慰安婦は性的なことに疎い子供たちに性教育から始めないといけない。こちらの英語では慰安婦は、comfort women と書くことが多い。comfort とは快適という意味合いだ。快適とはなにか、それは男性側から見ての「快適」 を当然いう。が、子供にその意味をわかるように教えるのは慎重さが必要だ。comfort women を使用しない場合は、もっとひどい意味合いのsex slaves となる。性的な奴隷ということだ。するとSEXとは何かを教えることからはじめないといけない。
日本は強制的に慰安婦をさせたことはないという態度をとっているが、その根拠を子供たちは教えられていない。逆に中韓系アメリカ人は家庭でもコミュニテイでも学んでいる。例えば日韓併合の項目は教科書三百ページあればそのうち百ページを費やして説明している。日本人の教科書にはわずか一ページにも満たない項目だ。つまり、歴史への認識自体がまったく違う。
先年、竹島を日本と韓国がそれぞれ領地だと主張しているが、証拠があるにも関わらず、竹島ではなく、独島だとして韓国の中学生が授業の一環として領土を変換しろと手紙を大量に送付している。このニュースは遠くカルフォルニア州にいる和子たちも知っている。韓国政府は幼い子供たちをそうやって好戦的に教育し、その成果が実りつつある。
和子たちはその教育法に恐怖する。架空の歴史と架空の出来事のために賠償を求められそれを後援する政治家も後をたたない。かくして日本国外で生まれ育った子供たちが迫害されていく。
中韓は、学生たちを日本に送り込む。謝罪も賠償もまだまだだといいつつ、留学させ就職させ、居住権を得ようとする。保険も年金も同様だ。世界中の人々はこの話を知らぬ。白紙の状態を中韓が率先して日本の悪いイメージを植え付けよう、宣伝しようと腐心しているか。和子と太朗も、万里をはさんで立ち上がった。
「確かにやられるがままだ。子供にも申し訳ない。あちらは、幼少時から日本は侵略国家だと叩き込まれている。一方私たちはそういうことすら、知らされていない」
誰かが応じた。
「私は日本で小学生時代を過ごした。しかし当時から学校の国旗掲揚もなく、国歌すら習っていない。国旗に頭を下げる文化を伝承していない」
先頭にいた人も発言した。
「私もそう。国旗に敬礼なんかとんでもない。オリンピックで国歌を聞くことすら不快で中韓に申し訳ないと思えと教師に言われた」
「しかり。母国日本ですら、教育機関がそうなっている。その思想が祖国の少年少女の精神状況を変えている。その結果が今の我々だ」
万里は泣いている。しかし、まだ話そうとしている。
「ちがう。お父さん、お母さん、おじちゃん、おばちゃん、私はそんなこといってない。私はみんなと仲良くしたいだけ。考えが間違っているならそれをいって変えたらいいじゃないの」
前の席にいた人が咳払いした。
「努力はした。議会でも演説する機会はあったが、慰安婦像設立法案が可決してしまった。あちらを応援している議員が……」
万里は激しく首を振ってとうとう声をあげて泣き出した。大人たちもできることなら泣き出したかった。しかし泣いても解決はしない。しかし問題を放置してもいけない。どうすればよいのか。
「日本は良い国、清い国。世界に一つの神の国」
突然白髪のおじいさんが杖を両手で持ち立ち上がりました。目には光るものがある。あまりに唐突で皆はあっけにとられる。
「日本は良い国、強い国。世界に輝く……輝く……かが……うっうっ、うぅ」
おじいさんは声をあげて泣き出しました。隣にいたおばあさんも立ち上がりました。
「いいわ。あなた、私が代わりに唱和しますね」
そういうと大きく深呼吸して声を出しました。
「日本は良い国、強い国。世界に輝く偉い国」
別のおじいさんたちが拍手をした。隅っこの車いすのおじいちゃんたちも声援をあげる。和子夫婦も万里も意味がわからない。どういう反応をしたらよいかわからない。誰かが説明した。
「これは大昔の教科書にあった国語の文だ。懐かしいなあ。最初から思い出して言える。覚えている人は一緒に唱和してくれ」
よぼよぼのおじいさんが一生懸命、声を張り上げる。その声に一人、また一人と追加で増えてきます。唱和が始まりました。和子も万理も硬く手を繋ぎ、じっと聞き入る。
……日本は、春、夏、秋、冬の眺めの美しい国です。
……山や川や海のきれいな国です。
……この良い国に、私たちは生まれました。
……お父さんも、お母さんも、この国に、お生まれになりました。
……おじいさんも、おばあさんも、この国に、お生まれになりました。
……日本は良い国、清い国。世界に一つの神の国。
……日本は良い国、強い国。世界に輝く偉い国。
最後には部屋にいた老人たちの大きな唱和になりました。部屋の中に響いてきます。若い人たちはじっと聞き入りました。
「日本は良い国、清い国。世界に一つの神の国」
「日本は良い国、強い国。世界に輝く偉い国」
そんな大昔の日本は強いと洗脳されていた時代の教科書なんて、と数人が声をあげた。が、その言葉は吹き飛ばされる。議長も誰も唱和を止めず、老人たちの声に聞き入る。立つことができる人は全員が立ち上がり、ホワイトボードのあるかべに集まった。
二度、三度と唱和が繰り返された。最後の方には和子も万里も、覚えて一緒に唱和した。従兄弟の武雄の家族たちもみんな。
……日本は良い国、清い国。世界に一つの神の国。
日本は良い国、強い国。世界に輝く偉い国……
そのあと、和子たちは一番大事な子供たちに歴史を教えるべきであること。未来ある子供たちの間に禍根を残すべきではないが、防御を教えるべきであること。日本人の品格はなんであるかということを、大人も当事者としてきちんと考えるべきであることを決議した。当たり前のことをわざわざ決議して記録に残す。未来への向けての過去の認識は譲れない。和子たちは日本人の子孫として最低限の礼儀として正しい歴史を学ぶべきだ。
中国が全世界に主張する日本軍による南京大虐殺はなかった。
韓国が全世界に主張する日本軍による強制連行も慰安婦にするための民間女性拉致もなかった。
これら二つの事項を軸にまず自国の子供たちに正しい歴史と誇りを持たせ、次に居住するこの国の人たちに説明する。慰安婦像は立っていても、韓国では慰安婦にまつわる寄付金や賠償金の実態が最近になって判明した。これもあり、今後は日本人の子弟が軽蔑、性搾取を受けるようなことがあってはならぬ。しかしそれには何から始めるべきか。和子たちは会館を後に重い足取りで各々の家に戻る。
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