或る海賊の計画3
ルイーゼがローランの元へ帰ってきたのは、夕刻だった。
「殿下、大変よろしゅうございました!」
憂さ晴らしにたっぷりと執事の顔を引っ掻いたり、ものを投げつけたりしたが、なかなかいい時間つぶしになった。ジャンもローランからものを投げられて、とても喜んでいたようなので、まあいいだろう。
しかし、この執事。足を引っかけてテーブルの角に顔面をぶつけたはずなのに、鼻血一つ噴かなかった。痣もなく、驚きの無傷である。どうなっているのだろう。
「ありがとうございます、ジャン」
ルイーゼが涼しげに笑いながら、ローランを受けとった。ローランはいつものように、「いやぁぁあ!」と叫びながら、ルイーゼを一生懸命蹴ってやる。
「いやぁぁああ!」
「はいはい、第一次反抗期ですわね」
そう言いながら、ルイーゼは足元にかしずいた執事の頭を踏みつけた。
ただの成長過程の反抗期だと思われているのが癪だ。ブスッと睨んでやるが、ルイーゼはノーダメージのようだった。
「やはり、お嬢さまのお仕置きが一番です。よろしゅうございます、お嬢さま!」
「さあ、早く行きましょう。エミール様も待っておりますわ」
恍惚の表情を浮かべる執事など無視して、ルイーゼはローランに笑いかけた。
誰に対してでもない。ローランにだけ微笑んだのだ。
つい、ぼんやりと見つめてしまった。
「い……いやぁぁああ!」
涎を垂らして放心のようになってしまったが、ローランは忘れずルイーゼの顔を叩きながら叫んでやった。ぺちぺちという音がする。もっと手が大きければ、突き飛ばせるのに。
「そんな顔をしていると、みなさまに笑われますわよ」
みなさま?
ローランは思わず顔をしかめてしまった。なにを言っているのだろう。
そんなローランの顔に気づかず、ルイーゼは部屋を出ていく。執事もついてきた。
大理石の柱が何本も建ち並び、大きなガラス窓から射し込む光がまぶしい。そういえば……商人だったころ、純度の高いガラスを精製して売ったっけか。あれは、いい金になった。
その技術が巡り巡っていると思うと、不思議なものだ。
あー……前世を思い出すと、不思議な感覚になりつつ、嫌な記憶も思い出す。やはり、転生は嫌だ。不老不死がいい。
くっそ。邪魔しやがって。
「ローラン、緊張しなくても大丈夫ですわ」
「いやぁぁぁああ!」
緊張? はあ?
「今日は、あなたのためにみなさん、集まってくださったのですから」
集まった?
「ルイーゼ!」
大きな扉の前で、エミールが待っていた。アホみたいな表情で、嬉しそうにルイーゼとローランに駆け寄ってくる。うしろから、大きなライオンが歩いていた。肩には、白い蛇ものっている。あいかわらず、斬新なペットだ。
「ハナコに乗らなくて、大丈夫?」
「エミール様、ハナコはゾウですよ。大きすぎますと、いつも言っていますよね?」
「だって、いつも庭で留守番は可哀想だよ……ハナコも、僕の友達だし。きっと、寂しいと思うんだよね……」
「では、エミール様。ぜひ、ご立派になってハナコも一緒に入れるホールを建設してくださいませ。公共事業は雇用を生みますからね。まずは、本日のごあいさつをよろしくおねがいします」
「ご、ご、ごごごあいさつ!?」
これまで、情けなかったエミールの表情が、更に情けなく崩れる。声が上擦り、動きがガチガチと緊張したのがわかった。
「はい。カンパイの音頭は、やはりエミール様が最適かと」
「ぼ、ぼぼぼ僕が……!?」
「ずいぶんと、人前に慣れましたもの。それくらい、できますわよね? お任せいたしますわ。王・子・様」
ルイーゼは、「王子様」の部分を強調しながら、エミールを見あげて笑った。
同時に、ベシィンという音がする。片手で鞭を振ったのだ。執事が地面に転がりながら「よろしゅうございます!」とポーズを決めている。いつの間に、ベストポジションへ移動したのだろう。この執事、よくわからない。
それよりも。
せっかく、ここに夫婦がそろっているのだ。
早速思いついた計画を実行するのも、いいかもしれない。
こいつらは、どんな顔をするだろう。
今、言ってみるか。
「……ふふ……」
つい、笑いが漏れてしまった。
なにを勘違いしたのか、ローランの笑顔を見て、ルイーゼとエミールが微笑んだ。くっそ。二歳児だからって、可愛く見えてるかもしれねぇが……今から、お前らを地獄に突き落とすんだからな!
「ローラン」
「ふあ?」
呼ばれて、つい間抜けな返事をしてしまう。二歳児だから仕方がない。せめて、三歳なら……いや、四歳……。
「わたくし、ハッピーエンドのためなら、なんでもしますの」
そう、ルイーゼは言いながらローランをかかげる。高い高いである。
隣に立つエミールが、なぜか息を呑んでいるように見えた。
「絶対に幸せになりますわ。そして、今、とても幸せなのです」
「…………」
ルイーゼは、笑っている。笑っているが、目が真剣であった。殺気のようなものを放ち、カッと碧い両目を見開いている。心なしか、血走って充血しているような……それ、幸せな奴がする顔か!? ゲス顔じゃねぇか!
ローランは背筋に凄まじい寒気を感じた。
「エミール様の幸せは、わたくしの幸せ。もちろん、あなたの幸せも、わたくしの幸せです。この国の幸せも、わたくしの幸せ」
ジャイアニズムぅ!
ルイーゼは、わざとなのか、手が滑ったのか。片手でつまみあげるように、ローランの襟首をつかんだ。ロラーンの身体が宙にブラーンとさがる。
「だから、邪魔などさせませんわ。誰にも、です」
ゴクリ。息を呑む音がした。
誰からでもない。他ならぬローランが自分で息を呑んだのだ。
なんだ、この……圧。気迫がすごすぎる。
まるで、「すべて見通している」と言われているようであった。
ローランは思わず黙り、発言の機会を見失ってしまう。
「いい子ですわね。さあ、みなさま待っていますよ」
大人しくなったローランを抱えなおして、ルイーゼは満面の笑みだった。さきほどのゲス顔ではない。
今のは、なんだったのだろう。
「おめでとう、ローラン」
ローランの顔をのぞき込んで、エミールも笑った。頼りないが、温かくて優しかった。
背筋が凍ったあとだからか……なんだか、心がほんわりとした。こんな気分になるのは、前世をふり返っても、あまり経験がない。
エミールが目の前の扉を開けた。
すると、中から大きな拍手が聞こえる。いくつも。だが、大勢ではない。
「あう……?」
目を見開いて確認した。
部屋は絢爛豪華というよりは、こじんまりとした広さだ。だが、壁が垂れ幕や金ぴかのモールで綺麗に飾られている。テーブルにはたくさんの料理が並んでいた。どれも、ローランの好物であった。
特に大きなケーキが目を引く。
「おめでとうございますっ!」
最初に近づいてきたのは、艶やかな黒髪の女。たしか、国王の後妻におさまった玉の輿女である。名前はミーディアだったか。こいつも、前世の計画を邪魔した一人だ。
隣で、国王アンリも笑っている。ああ、こいつも邪魔者だった! どいつもこいつも!
「おめでとう、坊っちゃん」
坊っちゃんとか呼ぶな、オネェ野郎! こいつユーグとか言ったよな……成長したら泣かす。
他にも、部屋にはセザール、カゾーラン、ヴァネッサと――見覚えのある面々がそろっていた。全員、憎い。今すぐ泣かす。
「ローラン、お誕生日おめでとう」
エミールが笑いながら、ケーキを示す。
そこには、たしかにローランの名前が刻まれていた。そこで、ローランは初めて「今日が自分の誕生日だった」と思い出したのだ。
三歳である。
「あとで、国で祝うんだけど……先にお祝いしたくて」
そう言いながら、エミールがローランを椅子に座らせてくれた。もちろん、ローランのために作られた特別仕様のベビー椅子である。
「さんちゃい……」
「うん、三歳だよ。みんな、ローランのために集まってくれたんだ」
いや、集まらなくていいんだけど。別に誕生日とか嬉しくねぇわ。
そう言いたいローランとは裏腹に、周囲の人々はみんな笑顔だった。とても幸せそうで、満ち足りている。
腹が立つ。
無性に腹が立った。
「さあ、エミール様。スピーチをおねがいします!」
「え、ええ!?」
「大丈夫ですわ」
「だ、だいじょうぶ……だ、だだだだ、だいじょ……ふじさん……そう、ふじさん!」
ルイーゼに無茶振りされたエミールが緊張して下手なスピーチを披露しはじめる。いや、こっちの世界に富士山ないけど、こいつ意味わかってんの?
それをブスッとした表情で聞きながら、ローランは考えた。
やはり、こいつらはイラつく。ムカつく。
ブッ殺してやる。こんな日常、全部全部……めでたく三歳になったことだ。もっと成長してから、すべてを台無しにしたほうがいいかもしれない。そのほうが効果的だ。
そうだ。三歳だ。
せめて、五歳になれば頭も回るし、足も速くなる。もう少し成長すれば、剣も余裕だな。才覚を見せつけてやれば、十代から政治に口が出せる。
まだだ。
まだ、待ってやる。
今は屈辱に耐えるが……覚悟しておけよ。
「ふへへ……ふふん……」
はーははは! ケーキがうめぇなぁ!
早く大きくならねぇとなぁ! そう考えると、誕生日も嬉しいもんだわ!
「ローランも気に入ったようですわね」
ローランの真意など知らず……。
俺の復讐劇は、ここからだ――覚悟しろよ。
† † † † † † †
ローランは、知らない。
これは、三年前のこと。
「ルイーゼ……どうしよう……」
唐突に放たれたエミールの言葉に、ルイーゼは何事かと顔をしかめた。
膨れたお腹をさすると、エミールが泣きそうな顔になっている。いや、涙だけではない。サファイア色の瞳が、海のような波打つ光を宿していた。
宝珠の力を使ったのだと理解する。
「こ、この子……」
その告白に、ルイーゼも耳を疑った。
これから、産まれてくる子供は――。
「そうですか」
だが、ルイーゼの返した言葉は穏やかだった。
そして、それまでと寸分も違わぬ優しげな笑みで、大きくふくらんだお腹をなでる。
「そうですか……そうですか……ふふ……」
けれども、エミールは見逃さなかった。慈愛に満ちた母親の笑みが、少しずつつりあがり、禍々しく、そして、凶悪な悪魔のソレへと変化していることに。久々に見た。ルイーゼはこれを「ゲス顔」と呼んでいた。周囲の室温も三度は下がったと思う。
「ふふ……あはは……ふふふふ……」
「ル、ルイーゼ……?」
ルイーゼがカッと目を見開いた。
「おーほっほっほっほっ! あはははは! あーはっはっはっ!」
いつの間にか持っていた鞭を振ると、「よろしゅうございます!」というジャンの声も響く。いったい、いつからそこにいたのだろう。神出鬼没であった。
「いいのですわ……そろそろ、クズ男の調教いいえ教育にも、慣れてきたところです。まあ、男とも限りませんが」
その「クズ男」の一人に自分もカウントされていると思うと、エミールは肩身が狭かった。
だが、ルイーゼの高笑いを聞いていると、なんだか……。
「ルイーゼ……楽しそうだね」
エミールは、ついそう言って笑った。
ルイーゼは「はあん?」と、血走った視線をエミールに向ける。だが、すぐに咳払いをして表情を改めた。
「楽しくなど……わたくし、ハッピーエンドを目指しておりますので。誰にも邪魔はさせません。それだけです」
「うん……そうだね」
「ただの決意表明です」
「うん。僕も……手伝うね」
「もちろんにございます。わたくしたちの戦いは、まだまだ続くのです」
ハッピーエンドへの道は続くよ、どこまでも。
前世悪役だった令嬢が、引き籠りの調教を任されました 田井ノエル @tainoel
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