或る海賊の計画2

 

 

 

 あーあ、頭が重い……。

 幼児の身体のアンバランスさに、ローランはつい舌打ちした。どうやっても、速く走れないのだ。すぐ疲れて眠くなるのも考えものである。

 難儀しているうちに、いつもルイーゼに見つかって部屋へ連れ戻されてしまう。


「ローラン。また部屋から抜け出して……いったい、誰に似たのでしょうか。おかしいですわ」


 エミール様の子なら、引き籠りの軟弱者のはずなのに。そうブツブツと続けながら、ルイーゼはローランを寝台に戻した。ローランはブスッと唇を尖らせて、頬をふくらませる。


「くそったれ」

「まあ! またそのような言葉を……いったい、誰のせいなのかしら。おかしいですわ。わたくし、そのような悪態をついた覚えは……まさか、滲み出ていたのかしら。そんなはずは……」

「いやぁぁああ!」


 ルイーゼは勝手に思考を巡らせながら、視線を泳がせていた。その顔に、ローランは「べー」と舌を出して唾を飛ばす。


「そのような可愛らしい顔をしても無駄ですわよ。きっちり教育しなくては」

「かあいくないー!」


 くっ……叫ぶと舌足らずが助長される。ローランは「ちゅぱっ」と音を立てて舌打ちした。


「わたくしに似て顔と頭がいいのはよいことですが、やはり口が悪いですわね……」

「にてないー! にてないー!」


 顔と頭がいいって、自分で言うことかよ。自意識過剰にもほどがある。俺くらい頭がよくなってから言え、断崖絶壁!

 と、叫びたいが、あいにく、そこまで口が回りそうにない。舌足らずは難儀であった。

 これでは暴言を吐いてストレスも発散できやしない。早く大人になりたい。

 そうやってローランが手こずっている間も、ルイーゼは鞭で執事を打っている。自分だけ効果的にストレス発散をするなど、腹立たしいにもほどがあるという話だ。そう思っていると、なんだか悲しくもないのに涙が出てきた。なんでだよ。子供じゃあるまいし……って、子供だからか。


「あら……大丈夫ですわよ。健全ですから、怖くなくてよー? ほらぁ? キャピッ☆」

「きもぉぉぉおおおおい!!」


 女だった前世で「キャピッ☆」としていた記憶はあるが……おいおい、マジか。めっちゃ怖いぞコレ。これは、あれだ。俺は悪くない。ルイーゼの素材が駄目なのだ。そうに決まってる。


「き、きも……!? な、なんですって……?」


 ルイーゼの顔がピクリと引きつった。彼女は足元に蹲る執事をガッガッと蹴りはじめる。


「よろしゅうございますっ! よろしゅうございますよ、お嬢さま!」


 執事を蹴りつけながら、ルイーゼはローランの服を脱がせようと試みる。おそらく、着替えをさせたいのだろう。「おめかし」と言っていた。

 二歳児は本当に難儀だ。自分で着替えもほとんどできない。

 転生するたびに、これである。記憶はきちんと前世から引き継いでいるのに、身体の発達が追いつかないのだ。

 よくあるテンプレ小説で、「乳児から喋って、天才ぶりに大人から驚かれる!」なんてことは、あまりない。せいぜい、自由に動いたり、頭の回転がよくなる四、五歳程度からジワジワと「この子は、実は神童では?」と評価されるのが現実だ。つまり、そのくらいまで自由は利かない。


 どうやって復讐してくれよう。

 本当は、今すぐに殺してやりたい。


「いやぁぁぁあああ!」


 せめてもの抵抗で、泣きわめきながら着替えを妨害するが……ルイーゼは慣れた様子だ。たぶん、幾度も抵抗したためである。

 後ろの布と前の布をボタンで留めることで、暴れていても、楽に服が着せられてしまう。ベビー服の類だろう。いつもローランが嫌がるので、ルイーゼが考案したらしい。小賢しい。


 着替えはたいていの場合、ルイーゼの役目だった。

 それだけではない。食事を食べさせるのも、おむつを換えるのも、散歩も、ローランに関するほとんどの世話をルイーゼがこなした。エミールもよく見る。おしっこをしても、夜泣きをしてやっても、嫌な顔一つしない。

 仮にも王太子妃。そうではなくても、公爵家の令嬢として育ったのだ。

 お抱えの召使いなど、鞭を振り下ろす執事以外にも、いくらだっているはずである。

 それなのに、ルイーゼはそうしない。


「これで、いいですわね。わたくしに似て、本当に可愛い」

「にてないー! いやぁぁああああ!!」


 不服だ。

 なにもかも、不服だった。

 抱きしめられた腕の中で、ローランは精一杯暴れてやる。


「さて……ジャン、しばらくローランを任せられるかしら?」


 だが、今日のルイーゼはローランをあっさりジャンに渡した。ちょっと珍しいパターンである。

 ローランは訝しみながら、気に入らないジャンの顔を殴りつけてやった。なんか、こいつの顔を見ているとムカつく。なぜかはわからないが、腹が立つのだ。


「よろしゅうございます! 大変、素養がございます! 殿下!」


 喜んでいるし、健全だ。


「ジャン、ローランをお願いしますわ」

「喜んで! お嬢さま!」


 ジャンの返事を聞いて、ルイーゼは微笑みながら踵を返した。


「では、がんばってまいりますわ」


 なんとなく、気合いを入れているような気がする。だが、滲み出る気迫がおぞましい。禍々しい妄執を燃やしているようにしか見えない。なんだあれ。俺じゃなかったら、子供泣いてるぞ。

 どうやら、なんらかの用事があるらしい。

 エミールには休めと強要していたくせに、自分は働くのか。ふん。


「いやぁぁぁああああ!!」

「よろしゅうございますよ、よろしゅうございます! 殿下! もっと! もっと強くでございます!」


 執事の腕で暴れると、なぜかめちゃくちゃ喜ばれる。もうこいつ病気では?

 暴れながら、ローランはぼんやりと窓の外を見た。

 このひ弱な身体だ。今、ここから落ちれば、きっと潰れて死ぬだろう。なにせ、身体に対して頭が大きくて重い。地面へ頭から真っ逆さまに違いなかった。


 ルイーゼは……恐らくだが、ローランに対して母親らしい感情を抱いていると思う。そうでなければ、説明できない。

 ローランは復讐がしたい。

 このフランセールをめちゃくちゃにしてやりたいが……一番憎いのは、ルイーゼだ。

 あの女がいなければ、このような人生など送らずに済んだ。転生して、こんな屈辱など……。


 そうだ。まずは、ルイーゼに復讐しなければ。

 自分の前世がエドワード・ロジャーズだと告げてやったら、彼女はどうするだろうか。


 ひかえめに言って、エドワードという男は極悪人であった。清々しいほどの悪党だ。

 そんな男の魂を持った子供を……ルイーゼは、どうするだろうか。

 俺なら、殺すな。

 生かすメリットがない。

 そのような男だと知りながら、育てるのも恐ろしい。


 それなりに愛着のある我が子を殺すのも、怪物だと知りながら育てるのも……それは、どちらにしても、愉しい。実に愉しい光景だと、ローランは思った。

 どうせ、自分は死んでも転生する。

 転生したら、また改めてフランセールを潰せばいい。殺されなかったら、それはそれで好都合だ。改心した振りでもして王族として育ち、権力をにぎった頃合いで裏切ればいい。

 国王を謀殺するもよし、反乱を起こすもよし、諸外国をけしかけて戦争を起こすもよし。

 道は選びたい放題だ。


「ふ……ふふふ……」


 ローランは子供らしい笑みの下で、更に笑った。表情には表れていない、黒い笑みで。


 今からルイーゼの顔が楽しみだった。

 

 

 

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