或る女王への手紙
拝啓、女王陛下。
硬い言い回しは必要ないとお思いでしょうが、「手紙」という体裁をとっているのでお許しください。
どうせ、実際にこれを貴女が受け取る日は来ないでしょう。というか、読まれるのは
もうこの出だしの手紙を何通書いたでしょう。一応は全部保管してありますが、誰かに見られる前に埋めるか燃やすかするでしょうね。見つかれば紙の無駄であると、新しい父に罵られるかもしれません。当然のように、その程度の贅沢は許してくれと抗議するつもりです。
さて、こちらの生活は楽でもありません。
身請け人もなく、独りで逃亡したり、酷い条件で監視されるよりは遥かに良いものかもしれませんが、控えめに言って頭がブドウになりそうです。
毎日、土臭くなるまで畑で働かされ、収穫期には体液がブドウ味になるくらいブドウを摘んで……ようやく休めると思っても、夜は女装の鬼教師から農業の基礎知識やら領地経営やらを叩き込まれています。上手く行けば、新しい領地を任せてもらえるかもしれませんが、まだまだ先の話のようです。
手紙も最初は毎日書いていましたが、忙しさの余り、頻度が下がってしまいました。申し訳ありません。どうせ、読まれることはありませんし、内容に変わり映えもないのですが。
まあ、せいぜい頑張りますよ。
いずれは、――――。
† † † † † † †
「遅い、さっさと支度をしろ」
ノックもなく、唐突に開いた扉に驚く暇もなかった。
硬いブーツの音が鳴り響き、絹の擦れる音がする。ギルバートが慌てて机から飛び退くと、そのまま額を掴まれて壁に後頭部を押しつけられてしまった。
「げぁっ!?」
ぐりぐりと、頭が壁にめり込みそうだ。
「いきなり、なにするんだよ!? 痛いじゃあないか!?」
「我は支度をしろと言ったのだ! 誰が、自室で服を脱いでくつろげと言った?」
「一枚着てるだろうが、見えないのかよ!?」
口から葉巻の煙を吐いて不機嫌な女装姿のセザールに向かって、ギルバートはフリルのついたエプロンをピラピラと揺らしてみせた。
「エミール殿下が来ると言ったであろうが。見せびらかすのであれば、我くらい美しい身体になってから裸体を晒せ」
「アンタの基準だと、自分の全裸はアリなのかよ!?」
「当然だ。我ほど美しい裸体もあるまいよ」
「いや、脱がなくて良いからな?」
「……そうか」
「残念がらなくていい」
王都から王子様がサングリア領へ遊びに来るのは知っていたが、特別に待遇する程でもないと思っていた。あの女の子みたいな王子様のことだ、どちらかと言うと、普段通りの方が喜ばれる気もする。
セザールの父親、つまりは王宮の侍従長はいつもセザールに「頼むから女装するな!?」と叫んでいるが、まさに似たようなことを言いはじめている辺りが妙に笑える。
「服を着ていると、落ち着かないじゃあないか。誰も着せてくれないし」
「幼児のようなことを言うな」
マトモに突っ込みを入れた後に、セザールはまじまじとギルバートを見下ろした。
そして、なにを思ったのか、黙って部屋を後にする。
と、思ったら、すぐに戻ってきた。
「仕方がない、着せてやる」
「へ?」
間抜けな返事のギルバートの横に、衣装ケースがドンッと置かれる。
「おわ!?」
布の塊が上から被せられた。
服の中を泳いでいる気分だったが、セザールが手を添えてくれたお陰で、すんなりと腕が袖を通る。そのあとに、何枚か重ねられていく。ぎゅうぎゅうに絞められたウエストが気持ち悪い。
慣れた手つきで丁寧に、あっと言う間に服を着せられていく。
こんな風に服を着せてくれた人は、今までに一人しかいない。
あまり思い出したくはない。
けれども、とても心地よい思い出だ。
子供でいることが許されなかったギルバートが、唯一、子供のように甘えられた。自分は、あの人に服を着せてもらいたくて、いつも――。
「我に子が出来たとき、いつかやってみたかったのだ」
ぼんやりと昔のことを考えていたギルバートの後ろで、セザールが短く言った。
彼は結婚する気などないといつも言っている。その夢のようなものは、本来なら叶うことはなかっただろう。
ギルバートが振り返ろうとすると、「動くな」と頭を押さえられた。
背中で三つ編みにされていた黒髪が解けて広がる。
「ふん……それなりに美しいではないか。我ほどではないがな」
最後の仕上げに装飾品を耳に付けながら、セザールが鼻を鳴らした。
妙な感慨に耽っている間に、みるみる服が着せられてしまった。
ふわふわと床に広がるのは、深緑のドレス。
肩幅を隠すようにショールが巻かれて、全体的にふんわりとしたシルエットに仕上がっていた。漆黒の髪は上品にまとめられ、大きな羽飾りが頭から生えている。
いつの間にか施されていた化粧も妙に馴染んでいて――。
「女装じゃあないか!?」
「我ながら傑作だ。美しいぞ、ギルバート」
「最悪だ、最低だ!」
「我が他人を褒めてやることなど、そうない。喜べ」
「喜べるわけがないじゃあないか! っていうか、これ美しいか!? まんま男だろうが!」
不満しかないギルバートに対して、セザールは満足そうに口を綻ばせていた。一仕事終えて、とても気持ちが良さそうだ。
「脱げば、また着せてやるまでだ」
愉快と言いたげにセザールは笑って葉巻の火を消した。そして、新しい葉巻を取り出した。
ギルバートはむしゃくしゃと顔を歪めながら、セザールの手からマッチを奪ってやる。
最悪だ。最低だ。もう嫌だ。
そう思いながら、セザールの葉巻に火をつけてやった。
† † † † † † †
拝啓、女王陛下。
そのあとは、お察しです。
案の定、館を訪れたルイーゼとエミールに大爆笑されました。もう最悪です。最低です。こんな領地に居て堪るか。
でも、
嫌いじゃあないです。
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