或る令嬢の婚約 後編

 

 

 

 自分の行動が理解出来ないというのは、若者にしか通じない言い訳ではないだろうか。

 そう自覚しながらも、行動に移してしまった自分が謎だった。


「はあ……」


 狭苦しさと薄暗さが煩わしいが、変に落ち着く。奇妙な気分になりながら、アンリは小さな覗き穴に目を凝らした。


 執務室の隅にいつも置いてある無駄に大きな壺。

 妙に気になってしまって覗き込むと、思っていた以上に広いことに気づいた。何故だか誘われるように入ってみると、意外としっくりくる。おまけに、底が抜けていて足を出して歩くことまで可能だった。

 隠れながら移動するのに、最適ではないか?

 そう思い至った瞬間に、アンリは壺に入ったまま、王宮を抜け出していた。侍従長にも見つかっていない。完璧な逃亡だろう。

 どうして、こんなに都合の良い壺が自分の執務室に放置されていたのかは謎だったが、まあいい。


「こうして会ってもらえるとは、思ってもいませんでした」


 視線の先には、若い男女。

 奥に座っているのは、ヴァロア伯爵の長男ナルシスだ。

 そして、手前で背を向けて座っているのは、――カスリール侯爵令嬢ミーディアである。

 自分の側仕えである令嬢の見合いを、壺に入って覗き見ている現状。なんとも、珍妙である。

 漏れ聞こえる限りでは楽しそうにも見えた。


「ちょーーーっと、失礼します!」


 唐突に、ミーディアが立ちあがった。何やら慌てた様子で、庭の隅で倒れていた壺を抱えていってしまう。

 順調に進めば、縁談は決まりだろう。部外者であるアンリにも感じ取れた。


「ご令嬢は、どうでしたか?」


 ナルシスの従者が問う。

 従者の問いに、ナルシスはフッと笑みを作って答えた。


「話通り、美しい人だと思ったよ。あと、礼儀も悪くない。家柄も良いし、結婚は悪くない話だと思う」


 ミーディアの評価を客観的に述べているようだ。ナルシスの言葉に、アンリも壺の中で納得する。

 そうさ。ミーディアは容姿が良いばかりではない。仕事が早いし、よく気がつく。実は武芸も達者で、アンリよりも体力だってある。

 非常に良く出来た娘なのだ。


「ただ」


 紅茶を口に含んだ後で、ナルシスが大袈裟に眉を下げた。


「話通りに美しかったが……以前に見たときほど美しいとは感じなかったよ。もう少しばかり期待していたのだがね。あと、結構変わっているな。元気が良いのは良いことだが、侯爵家の令嬢にしては躾がなっていないのではないか?」


 聞いた瞬間、アンリは眉を寄せた。


 ミーディアは控えめに言っても美しい令嬢だ。

 フランセールでは珍しい黒髪は決して派手ではないが、艶があり、奥ゆかしい品に満ちている。青空色の瞳は何とも言えないくらい表情豊かで愛くるしく、包んでやりたい衝動に駆られるのだ。

 無邪気で裏表が見えず、健気で献身的。

 知れば知るほど、魅力に溢れた令嬢である。


「そなたに――!」


 思わず声を張り上げてしまう。

 だが、その瞬間に、ここが他人の邸宅で、自分は壺に入って忍びこんでいるのだということを思い出してしまう。

 国王がこんなところで、こんな恰好をしていると知られるのは不味い。


「なんだ、壺が……?」


 けれども、遅いかな。

 声に気づいて、ナルシスがアンリの入った壺の方を見ていた。


 ここを、どう切り抜ける?


「わ……私は、壺の妖精である!」

「はあ!? おい、壺が立ったぞ!?」


 強引な言い訳をしながら、壺を被ったまま立ち上がる。底についた穴は移動用だが、仕方ない。

 足が生えた壺が、ズンズンとナルシスの前に迫った。


「そなたは、ミーディアのなにがわかると言うのだ! どれだけ知っている!」

「おい、この壺喋っているぞ!?」


 突然、壺が立ち上がって喋り出す事態に辟易しているナルシス。

 しかし、アンリは構わず続けた。壺の中から力説した。


「贔屓目に見ても、ミーディアは美しいではないか。可愛らしいではないか! 結髪もいいが、おろすと素朴な雰囲気もあるのだぞ? まだまだ幼いところもあるが、最近では艶っぽい表情も稀に見せるのだ。亀甲縛りだって上手い! あんなにも痛みと快楽の絶妙なさじ加減をわきまえた完璧な緊縛を、必要なときに提供してくれる令嬢など、他にはおらぬ! この一点においては、セシリアよりも優れていると断言しようではないか! 前世が馬とか壺とか、少しばかり妙なことを言い出すが、それがなんだと言うのだ。面白いではないか! 時々、匂いを嗅ぎながら異常な速度でメモを取りはじめるが、それがなんだと言うのだ。慣れてしまえば、どうと言うことはない!」

「その前に、この状況を受け入れられる気がしないんだが!?」


 歩く壺に詰め寄られて、ナルシスが立ち上がる。従者が主人の剣を差し出していた。

 壺に入っているとはいえ、少しばかり、やりすぎたか。


「陛下……?」


 アンリが焦りはじめた頃合いに、声がした。

 テラスに戻ってきたミーディアが、こちらを見ている。青空色の瞳をパチクリと見開いていた。


「ミ、ミー――」


 ミーディアの名前を呼ぼうとして、アンリは硬直した。


「なんで」


 令嬢の白い頬に伝った涙が、アンリから言葉を奪った。


「なんで、邪魔しに来たんですか……」


 邪魔?

 ああ、そうか。

 自分は今、縁談の邪魔をしているのか。


「すみません、ナルシス様……すぐに帰らせます」


 ミーディアが素早くアンリの後ろに回り込み、背中をグイッと押した。壺を倒して、持ち運ぶつもりだ。

 アンリはそのまま倒れそうになるが、グッと地面に踏み留まった。


「もう! 邪魔しないでくださいっ!」


 けれども、アンリの抵抗もむなしく壺はゴトンッと横倒しになってしまった。ミーディアはドレスの袖をまくると、軽々と壺を持ち上げる。大人の男が入っているのに、大したものだ。


「なんで……なんで、邪魔するんですっ!」


 壺を抱えたミーディアの声が震えている。まだ泣いているのだと悟って、アンリは壺の中で丸くなった。

 ミーディアは年頃の令嬢だ。結婚しないわけにはいかない。

 例え、恋をしていても。

 そんな彼女をアンリは独占している。

 彼女の気持ちに応えて妻にするわけでもなく、他の男との結婚を快く許せるでもない。


 傲慢以外のなにものでもなかった。


「私は、やはり情けないな……そなたを泣かせてばかりだ」


 たった一人の令嬢を手放せず、中途半端に独占して。

 選ぶことを拒んでいる。


「だがな、ミーディア」


 壺越しに嗚咽を聞いて、アンリは足を伸ばした。唐突に壺から足が生えたことで、流石のミーディアもバランスを崩してしまう。


「あ……とっ」


 ミーディアは壺を置いてしまった。

 若干の眩暈を感じながらも、アンリは置かれた壺の中から這い出る。


「何一つ選べぬ私だが……泣かせてしまった責任は取らねばなるまい」


 手を伸ばすと、ミーディアが後すさった。

 それでも、アンリは自分から手を伸ばす。

 丸い形の頭に触れると、ミーディアの動きが止まってしまう。涙で濡れていた瞳から更に大粒の涙が溢れて、頬を流れていく。


 セシリアには、守られるばかりの愛だった。強い妻の期待に応えよう、彼女の望む国王になろう、自分を奮起し続けた。

 彼女がいなければ、なにも出来なかったし、今の自分はなかっただろう。


 アンリはそれしか知らない。


 だから、こんな風に、守ってやりたい。泣き止ませてやりたいと思った経験などない。ましてや、こんな若い令嬢を誰にも渡したくないなどと思ったことなど一度もないのだ。


「私には、わからぬのだよ……ただ、そなたを困らせていることは謝ろう。すまなかった。その……気が済むように、殴ってくれても構わないぞ。あ、いや、これはご褒美などではなく、戒めという意味だ。決して、喜んだりなどせぬ! 努力しよう!」


 ミーディアがみっともなく鼻水をすする。

 しばらくの間、ポカンとアンリを見上げていたが、やがて動いた。


陛下ぁへ゛い゛か゛ぁ゛……!」


 胸に突進するように抱きつかれて、アンリは拍子抜けした。

 ミーディアはなかなかに腕が立つ。歯の一本や二本折れる拳が飛んでくることを予想したが、それはないらしい。

 無論、残念などとは思っていない。思っていない。


「やっぱり、わだじ陛下のお傍に……いだいんでずっ! 陛下が来てくれたのが……本当は嬉しくて……喜んじゃいけないのに……!」


 小さな子供みたいに泣きながら、ミーディアは声をあげた。

 歳が離れている。それ以上に、アンリは彼女に見合うようなことは、なにもしていない。ただ傲慢に独占してきただけだ。

 それなのに、こんな風にミーディアが泣く意味がわからなかった。


「このような私に、そなたのような令嬢が傍にいる価値などないと思うが……」

「陛下は素敵ですっ。とても、とても……とっても! ご自分で気がついてないだけです!」


 アンリの胸に顔を埋めたまま、ミーディアは力強く叫んだ。

 そうかと思えば、今度は声を落として、弱々しくアンリの服にしがみつく。


「だから……もう少しだけ……お傍にいたいです……ごめんなさい」


 顔が見えないが、また泣かせてしまったのだろう。


「私で、良いのか?」

「陛下が、いいんです」


 艶やかな黒髪を撫でると、ミーディアが顔を上げて心地良さそうに頷いた。

 その表情が何とも言えず嬉しくて、アンリも自然と顔が綻んだ。


 娘のようなものと思っていたが、それとは別に、この令嬢を守ってやりたいと思える。

 同時に、この笑顔を他の誰にも見せたくないという傲慢な気持ちにもなった。




「ああっ! もうっ! そこは、もっと熱い抱擁と接吻キッスでしょうに! 陛下って、存外甲斐性なしですわね!」


 自分たちが物陰から覗き見ているということも忘れて、ヴァネッサがぷりぷりと頬を膨らませた。その一方で、手に持ったメモ帳に自分の妄想を書き殴っている。きっと、良い創作のネタになるだろう。


「まあ、そのようなことが出来る素直なお方なら、最初からこんなことにはならなかったでしょうね」


 ヴァネッサを窘めながら、カゾーラン伯爵夫人リュシアンヌがニッコリと笑った。


「それにしたって、もどかしいですわ!」

「そうねぇ。セシリア様も、陛下はしばらく随分と奥手だったとおっしゃっていましたし、きっと性分なのでしょうね……はい、ヴァネッサちゃん。ここまでにしましょうね」


 リュシアンヌはコロコロと笑いながら、ヴァネッサの両目を手で塞いでやった。これ以上、覗き見するのも野暮というものだ。


「ふにゃぁー! リュシアンヌ様、お手を……お手をぉぉお! もう少し見せてくださいませー!」

「大事なものほど、易々と触れられないのですよ。ヴァネッサちゃん、あなたもそのうちわかりますわ」

「な、なにか言いましたか? もう! もっと見たいです、リュシアンヌ様!」


 暴れるヴァネッサを押さえながら、リュシアンヌは、そっとその場を後にした。


「ふふ。陛下、借りは返しましたわ」


 ずっと結婚を決め兼ねていたリュシアンヌとカゾーランにきっかけを与えたのは、お節介な国王夫妻だった。あのとき、アンリがカゾーランに暇を与えて、セシリアがリュシアンヌをけしかけていなかったら、結婚そのものが流れていたかもしれない。

 ようやく、二十年前の恩返しが出来たのではないか。

 ちょっとした悪役になってもらったナルシスのことは、あとで説明すればいいだろう。彼も快く演技を引き受けてくれた。もっとも、本当にミーディアとの縁談が進んでしまっても構わないと言っていたので、少し悪いことをしてしまったかもしれないが。




 フランセールの王都で祝いの言葉が飛び交う日は、もう少しばかり後の話である。

 

 

 

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