第160話

 

 

 

 真っ赤なドレスに袖を通し、真っ赤なリボンを頭に乗せる。

 くるくるの縦ロールを保った蜂蜜色の髪が揺れた。


「よろしゅうございます、お嬢さま。今日も美しゅうございます。ということで、このジャンにお仕置きを!」

「どうやったら、最後の文脈に繋がってしまうのか理解出来ませんわ」


 屋敷を出る前に、安定のジャンである。深く突っ込むのは野暮というものであろう。

 ルイーゼは息をするように、ベシベシィンと軽く鞭打っておいた。倒れたところに踵を捻じ込んで、グリグリと踏みつける。

 出掛ける前から大変気持ちが良い。清々しくて気分が良くなった。


「今日は特別な日ですからね。正装は令嬢のたしなみでしてよ?」


 ルイーゼはフンッと鼻を鳴らして踵を返した。


「よろしゅうございます!」


 ジャンも付き従って歩いた。


 今日は久しぶりの夜会である。

 ただの夜会ではない。

 フランセールにとって。そして、ルイーゼにとっても、大きな意味がある。

 今日のために、どれだけ苦労したことか。


「――さてさて。君が望む結果は、得られたかな?」


「え?」


 背後から声が聞こえた気がする。どこかで聞いたことのある声だ。

 だが、振り返っても、そこにいるのはジャンだけだ。平々凡々で特徴のない顔の執事が、いつもの様子で立っている。


「どうかされましたか、お嬢さま?」

「いえ……今、自称神様の気配が……?」


 気のせいだろうか。ルイーゼは首を傾げながら考え込む。

 そういえば、見物しているとか、なんとか、ストーカーめいたことを言っていたような? あれは、どういう意味だったのだろう?


「時間が迫っておりますよ、お嬢さま。それとも、お仕置きですか?」

「そうですわね。早く行きましょう、ジャン」


 軽く流すように鞭打って、馬車へと向かう。


「お嬢さまが幸福な様子を拝見して、このジャンも満足でございます。お嬢さまの選択・・は、きっと間違いではないでしょう」


 ジャンが馬車の扉を開けてくれる。

 ルイーゼは言葉の意味を深く考えず、いつも通り、スカートを摘まんで乗り込んだ。




 馬車が王宮の門を潜ると、華やかな宴の色に包まれたエントランスが見える。

 普段は来訪者が案内人を待つために使われているが、宴の際は華やかなダンスホールに様変わりしていた。

 ルイーゼが入口を潜ると、貴婦人たちの談笑が耳に入る。


「本当に、一時はどうなることかと思いましたわ」

「そうよねぇ。あたくしも、心配していました。でも、本当に殿下はご立派になられて!」

「わたくしは、信じておりましたよ! 殿下はきっと有能な方だと!」

「嘘おっしゃい。あなた、去年まで陛下の後妻を狙っていらしたでしょう?」

「そ、そのようなことも、ありましたわね」


 貴婦人たちのお喋りは本当に耳触りだ。聞き耳を立てると、誰もが今日の主役について話していた。

 楽しそうな談笑を無視して、ルイーゼは進む。


 今日は王子殿下の二十歳を祝った宴である。


 セシリア王妃が亡くなって以来、一度も催されていなかった王子の誕生日。理由は簡単。主役であるエミールが人前に出ることの出来ない極度の引き籠りであったためだ。


 ついたあだ名は引き籠り姫。


 しかし、もうその名で呼ぶ者は、あまりいない。

 実に十六年ぶりに行われる宴には、多くの貴族たちが集まった。

 出無精で領地引き籠り気質のあるセザールでさえ、壁際で仁王立ちしている。相変わらず、女装の派手なオッサンだ。

 横ではユーグが「セザールさん、ステキ! 抱いて!」と言いながらクネクネし、離れた位置からヴァネッサが指を咥えてうっとりとしている。奇妙な絵面であった。

 ドMを隠して国王らしく振舞うアンリについて、ミーディアと侍従長が歩いている。時々、ミーディアが隠れてアンリをしばいているのが見えたが……いや、見えなかった。そんな光景など見ていない。

 普段は警備に専念して夜会には参加しないカゾーランも正装し、エミールの登場を待っていた。傍らに立つカゾーラン夫人と、とても仲が良さそうだ。爆発しろ。


 至って通常運行。

 特別な場だが、いつも通りの日常も続いている。

 当たり前に転がっている日常だ。

 しかし、それが一番大切なものであると、ルイーゼは知っていた。この日常を守るために、ルイーゼは日々躍進している。ハッピーエンドのために。


「見て、殿下よ!」

「わあ、素敵。獅子王子様!」

「立派にご成長されて、亡き王妃様もさぞお喜びでしょう」


 無駄に派手な音楽と共に、正面の扉が開いた。

 颯爽と現れる本日の主役。


 鮮やかな青を基調とした衣装。昨日、ルイーゼが選んだものだ。大きなリボンタイがポイントである。

 眉上パッツンに切り揃えたブルネットの髪の下で、サファイアの瞳がやや強張っていた。流石に緊張しているようだ。けれども、以前のように物怖じして逃げたりはしない。


「ふふ。やはり、インパクトがあって最高ですわ」


 ライオンに乗った王子の姿を見て、誰もが驚いている。

 同時に、「まさか、本物の獅子王子様に会えるなんて!」「ああああ! 今日発売の新刊も読んでおけばよかったわ!」「早売りを押さえておくのは基本でしてよ」などという声も聞こえてきた。

 ヴァネッサの小説は今でも王都で大流行中。新刊ではついにドラゴンに乗って宇宙空間での神話大戦編に突入しているらしい。いろんな意味で理解出来ない人気だ。


 とりあえず、掴みはオッケー。

 ルイーゼが想定していた派手な演出になって、満足だ。

 本当はゾウのハナコが良かったが、会場の扉を潜ることが出来なかったので却下となった。ヘビのポチはちゃんとエミールの首に巻きついている。


 エミールはまっすぐ進みタマから降りた。

 そして、ルイーゼの前で軽くお辞儀をする。

 流れるように自然で、無理のないお辞儀だ。特訓の成果が出ている。


「ご令嬢、僕と踊りませんか?」


 スッと片手を差し出される。

 練習通りの流れとは言え、こんなに堂々としたエミールが見られる日が来るとは、一年前は思ってもいなかった。


「はい、喜んで」


 ルイーゼも打ち合わせ通りにエミールの手に、自分の手を重ねた。

 会場の視線が集中する。

 エミールに手を引かれて、ルイーゼはダンスホールの中央へといざなわれる。


 ――早く一人前になって、今度は僕がルイーゼの手を引いて歩くんだ。


「約束通りになりましたわね」


 緊張で表情が強張っているエミールを見上げた。エミールは少し情けない表情になりながらも、ヘナリと笑う。


「だ、だって、がんばらないと」


 ルイーゼにしか聞こえていない大きさで、エミールは声を震わせた。


「今日は、僕の誕生日だけど……それだけじゃなくて、僕の婚約者は、こんなに素敵な女の子なんだって。がんばって、見せびらかすんでしょ?」

「……そのポジティブシンキングを吹き込んだのは、ミーディアですね? まったく、お節介なのです……それに、まだ正式に婚約はしておりません」

「そ、そうだけど。でも、僕はそうしたいと思ったよ。みんなに、ルイーゼのことを見せたいんだ」

「わたくしではなく、立派になった風味に見えるご自分自身を見せつけてやってくださいまし」


 今日はエミールの誕生日だ。

 その宴で最初のダンスに誘われるということは、婚約者、もしくは、その候補であると周りに知らしめる意味がある。

 その立場になってしまったことを気恥ずかしく思いながら、ルイーゼはワルツの旋律に身を委ねた。男らしいエスコートには一歩足りないが、エミールは上手にルイーゼを支えてくれる。

 練習で何度も踊ったというのに、宴の場では新鮮に感じた。


 宴は一夜で終わる。そのあとは、また延々と続く日常の繰り返しだ。


 しかし、そのどちらも愛おしい。

 噛み締めながら、ルイーゼは華麗に舞った。

 きっと、エミールも同じことを考えているだろう。

 何故だか、そう思った。

 そして、同じであることが嬉しく感じた。


「エミール様、お誕生日おめでとうございます」


 今日は落ち着いて言う機会がなさそうなので、今告げておく。エミールは嬉しそうに笑いながら、頷いた。


「ありがとう、ルイーゼ」


 一曲目が終わってしまう。

 エミールは名残惜しそうにルイーゼの身体を離した。このあと、訪れた貴族たちにあいさつして回らなくてはならない。忙しくなる。


「そんな顔をしないでくださいませ……これから、嫌でも一緒にいて差し上げますから」


 照れ臭く目線を逸らしながら、早口で告げる。


「うん。ずっと一緒だよ!」


 満面の笑みで、エミールが再びルイーゼの手を取る。

 軽く握られた指に、唇が落とされた。ダンスが終わったあいさつのはずなのに、なんだかむず痒い。


 居心地が悪いような、嬉しいような。

 未だに慣れない感覚も、愉しいような気がする。


 きっと、わたくしは幸せです。


 そういうことで、よろしくて?



HAPPY END

 

 

 

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