第159話

 

 

 

「ダメだよ、ルイーゼ。無茶しないで」

「と、言われましても……」


 寝台の上で、ルイーゼは困惑した。

 ルイーゼの顔を覗き込んで、エミールが頬をぷくぅっと膨らませている。


「ただの筋肉痛ですから」


 エドワードとの戦いがあったせいで、いつも通りにルイーゼは酷い筋肉痛に見舞われていた。アルヴィオスで下衆野郎と戦ったときは意外と平気だったのに。

 精神世界的な場所での対決が主だったのに、どうしてこうなった。いや、その前にもノリノリで戦った気がするが……。


「ほら、ルイーゼ。大人しくして」

「エミール様のくせに、生意気ですわよ……アイタタタ」


 ただの筋肉痛を訴えているルイーゼをエミールが重傷人のように扱っている。

 ぶすっと唇を尖らせる。身体を動かすと筋肉が痛むのが尚のことよろしくない。


 エミールによって、二つに分かれていた人魚の宝珠マーメイドロワイヤルは一つに戻った。

 しかし、どうやら、宝珠のみをルイーゼの身体から取り出すことは出来ないらしい。エミールが何度か試みたが、無理だった。

 そもそも、二人分の魂を宝珠の力で無理やりブレンドしているのだ。ルイーゼと一体になって引き離すのが難しいらしい。


 こうなってくると、ルイーゼ自身が宝珠ということになってしまう。

 国宝令嬢。

 語呂だけは良い気がする。強そうだ。


「ルイーゼ、行けなくて良かったの?」


 恐らく、クロード・オーバンの埋葬のことを言っているのだろう。

 カゾーランからいろいろ言われたりもしたが、ルイーゼは全て断っておいた。

 今更、前世の名誉回復になど興味はないし、事態をややこしくするつもりもない。十五年も経っているのだ。蒸し返す気はない。


「筋肉痛がなくても、特に行きたいとは思いませんでしたわ。自分だった身体が埋められていく絵面なんて、あまり良いものではありませんもの」

「そっか……」


 ルイーゼの回答にエミールが黙り込んでしまう。


 それよりも気になるのは、エドワードだ。


 ルイーゼとの対決に敗れたエドワードの魂がどうなったのか、わからない。エミールによると、宝珠の中にはいないようだ。

 消滅してしまったのか。

 それとも、再び転生してしまったのか。

 転生した先で、彼は同じことを行うだろうか。再び人魚の宝珠を求めるかもしれない。

 そうなれば、再び会うこともある。

 現世か、それとも、来世か。


「ルイーゼなら、大丈夫……」


 難しい顔をしているルイーゼの手を、エミールが握った。


「ルイーゼは、強いから」


 微笑んでくれる表情が、ほんの少しだけ逞しく思えた。

 出会った頃の引き籠り姫ではない。

 ちゃんと成長していることが感じ取れて、ルイーゼは嬉しく思えた。


「でも、やっぱり無茶はしないでね。ルイーゼは強いんだけど……たまには、その……僕にも、守らせて欲しい……」


 エミールは両手でルイーゼの手を掴んで、俯いてしまった。白い顔が真っ赤に染まって、恥ずかしそうだ。


「わたくしを守るだなんて、百年早いですわ」

「う、うん。僕なんかじゃ、全然ダメだって、わかっているよ」


 そんなことを言ってみたものの、実際のところ、エミールに助けられた場面はある。ルイーゼ一人の力では、エドワードに勝つことなど出来なかった。

 エミールだけではない。セザールやカゾーラン、ギルバート、ユーグ……ルイーゼは独りではなかった。


 前世のルイーゼ――セシリアとは違う。

 独りで戦うことなんて、無理だったのだ。今なら、それがわかる。


「エミール様、ありがとうございます」


 スッと言葉が出る。

 視線を上げると、エミールが顔を真っ赤にしたままルイーゼを見ていた。


「エミール様のお陰で、今こうしていられるのですわ」

「そ、そうなの?」

「ええ」


 自然と笑うことが出来た。ルイーゼはエミールの手を、しっかりと握り返す。

 手を繋ぐことは、悪い気はしない。

 互いの温かさが伝わって、心まで通っている気になってくる。


「ルイーゼと手を繋ぐの、すごく好き。強くなれる気がするんだ」


 ルイーゼの考えていたことが伝わっていたのか、エミールは嬉しげにそう言った。


「ルイーゼの手を引いて歩けるように、なるんだ」


 エミールにとって、手を繋ぐ行為には意味がある。そう言われて、ルイーゼもどこか納得した。


「では、もっと頑張って頂かなくては」

「が、がんばるよ! 僕、がんばる……だから、さ。ルイーゼ。あのね?」


 エミールが急に前のめりになるので、ルイーゼは目を見開いた。勢いがつきすぎていたのか、顔が近すぎるように感じる。


「僕、やっぱり……ルイーゼが好き。ルイーゼが、はっぴーえんどになれるように、僕、がんばりたい!」


 顔を真っ赤にして、エミールは必死に訴えていた。


「な、な、なななな……!?」


 言われた瞬間に、ルイーゼの顔も真っ赤になってしまう。

 不意打ちだ。奇襲だ。あんまりだ。

 こんなところで、そんなことを言われるとは思っておらず、混乱してしまう。頭が上手く回転しない。目もグルグル回ってしまいそうだった。

 簡単な話だ。

 即答で「結構です!」と言えばいい。それだけの簡単なお仕事だ。そのはずなのに、どうしても声が出なかった。

 何度も断ってきたではないか。エミールなんて、全く好みではないではないか。


「僕は、ルイーゼを幸せにしたい! そのために、がんばる!」


 気合いが入りすぎた大声で宣言されて、思考が遮られてしまう。

 ルイーゼはなにも言えないまま、ただエミールを見つめ続けた。


「お嬢さま、どうぞ冷静に。こんなときこそ、このジャンをお使いください!」


 いつの間にかジャンが寝台の脇に歩み出ていた。二人きりだった気がしていたが、本当にどこから湧いてきた?

 しかし、そんなことなど、どうだっていい。今は目の前の異常事態に対処する方が先だ。冷静に、冷静に!


「よろしゅうございますぅぅううう! お嬢さまのお役に立つことが出来て、ジャンは本望にございますッ!」


 ベシィンッ、バシィンッ。


 鞭打つたびに、頭の中が整理されていく。真っ白だった脳内に考えが浮かんできて、言葉になっていった。


「……エミール様」


 ベシィンッ、バッシィィィイン!


 ルイーゼはゆっくりと口を開き、まっすぐにエミールを見据えた。エミールも、息を呑んでルイーゼの言葉を待っている。


「わたくし、今までずっとハッピーエンドを目指して参りました……でも、わからないのです。ハッピーエンドがなんなのか、自分でもよくわかりません」


 串刺しにされて死んだ自分の前世は、決して不幸ではなかった。

 エミールを守って刺されたときも、ルイーゼはバッドエンドだとは少しも感じていない。

 必ずしも、バッドエンドとは言い切れない死に方もある。そもそも、人間は誰だって死ぬのだ。死ねば不幸ということはない。


「よくわかりません。よくわからないままですが――わたくしは、今とても幸せなのだと思います」


 周りに助けてくれる人たちがいる。

 自分のことを信じてくれる人がいる。

 きっと、ルイーゼは幸せだ。こんなに恵まれていると言えることが出来る。

 だが、それ以上に、


「エミール様と一緒にいると、楽しいです。エミール様と過ごしている今が、とても幸せなのです」


 ベシベシベシベシベシィィィインッッ!


「エミール様のためではなく……わたくしは、自分のためにエミール様と一緒にいたいと思うのですよ」


 エミールがサファイアの目を大きく見開いている。

 ルイーゼの手を握ったまま震えているように思えた。


「ルイーゼ?」


 言葉が足りていない。伝わり切っていないのだ。ルイーゼはもどかしく思いながら、追加の言葉を吐き捨てる。


「ハッピーエンドになれるかどうかなんて、まだわかりません。十五歳ですから……ただ、今のわたくしは、エミール様のお陰でとても幸せですわ。ハッピーです」


 嘘偽りはない。

 浮かんできた言葉を、そのまま口にした。


「ちょっと!?」


 気がつくと、エミールの瞳が蒼く波打つように光っていた。宝珠の力を使って心を読まれているのだと悟って、ルイーゼは声を荒げてしまう。


「卑怯ですわよ!」

「だって、ルイーゼがハッキリしないから……」

「そのくらい、察してくださいませ。言わせるな恥ずかしい、ですわよ!?」

「ごめん」


 ルイーゼはわなわなと身体を震わせる。再び胸がざわざわして、落ち着かなくなってきた。


 バッシィィイイン!


「よろしゅうぅううううう! ございまぁぁぁああっす!」


 よろしくない。ジャンを鞭打ってもおさまらない。


「あのさ、ルイーゼ……つまり、その。僕、ルイーゼにキスしても大丈夫?」

「キ、キキキキス!? エミール様、だから、そのような大胆なことは、ですね!? まずは交換日記からと相場が決まっていましてよ!?」

「でも……ルイーゼがすごく可愛いから」


 エミールが真剣な顔でルイーゼを覗き込み、「いい?」と言いたげに首を傾げる。

 ルイーゼは思わず、鞭を振る手を強めた。

 だが、動揺しているせいか、うっかりと手から鞭が離れてしまう。投げ出された鞭がジャンの顔に直撃し、そのまま仰向けに倒れていった。


「エミール様が、わたくしにキスしようなんて……ひゃ、百年早いです! 三回くらい生まれ直してきてください!」


 近づこうとするエミールの肩を掴んで押し留める。


「覗き見されたままでは、気分が悪いので言わせて頂きます」


 どうして、こうなってしまったのだろう。

 エミールは少しもルイーゼの好みではない。もっと強くて筋肉ムキムキの殿方が好きなのに。こんな軟弱な引き籠り姫なんて、全くもってタイプではないのに。


 ルイーゼは気合いを入れた。

 戦闘前に行う呼吸で心臓を落ち着ける。


「残念なことに、わたくしはエミール様のことをお慕いしてしまいました。でも、幸せにしてくださいなんて、死んでも言いませんわ」


 何故か射抜くような視線になってしまう。気合いをいれすぎて、ついつい殺気のようなものを放っていた。

 エミールが「ひっ」と尻込みする。


「殿方に幸せにしてもらおうなど、甘い考えですわ……こういうものは、そう。片方が不幸せでは、意味はありませんからね! わたくしだって負けません。幸せにされるご覚悟は、おありですか!?」


 捲し立てるように叫んでしまった。

 あまりの剣幕にエミールが怯えている。目尻に涙を溜めながら、首狩り騎士でも見るような目をしていた。

 それでも、エミールはグッと拳を握って、顔にギュッと力を入れる。頼りない顔が、少しだけ凛々しく見える……ような気がした。


「の、臨むところだよ! 受けて立つ、負けないぞッ!」


 まるで、決闘を申し込むかのようだった。


 しかし、これは戦いだ。


 ハッピーエンドというゴールを目指して長い道のりを進む壮大なバトルなのだ。俺たちの戦いは、これからだ!


「あと、やっぱりエミール様がわたくしにキスなんて、おこがましいにも程がありますので!」


 ルイーゼは筋肉痛で悲鳴を上げる身体で、精一杯エミールの肩を掴んだ。逃がさないように、ググッと力を込める。


「わたくしがキス致しますわ。わーたーくーしーが!」


 無駄に強調しながら、エミールの身体をグイッと引き寄せた。

 うなじに手を回して、抱きつくようにしがみつく。


「…………」


 ついばむように、軽く唇が触れる。

 心臓がバクバクと爆音を立てて鳴っていた。顔が破裂しそうなくらいカァァアッと赤くなってしまう。

 エミールの方も同じようで、真っ赤になって震えている。


 それ以上、お互いを見ていることも出来ない。

 ルイーゼは枕にボフリと顔を埋め、エミールは両手で顔を覆って俯いてしまう。

 お互いの顔を見られないまま、小一時間同じ状態を保ち続けてしまった。

 

 

 

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