第158話

 

 

 

 参列者は少なかった。

 清々しいくらい晴れた空を見上げて、ミーディアは目を細める。眩しい太陽の光が降り注ぎ、木漏れ日が揺れていた。


「ありがとうございました、元ご主人様」


 ポロリと言葉を呟いて、両手を握る。

 十五年前の事件で、クロード・オーバンの遺体は消えていた。

 それは身体をエドワード・ロジャーズに乗っ取られていたからだと説明を受けている。そして、エドワード・ロジャーズも消えてしまった。


 棺に納められたクロードを見たとき、ミーディアは胸が苦しくなった。

 前世の記憶として覚えているクロードとなに一つ変わらない容姿。眠っているだけのように見える元主人の顔を、ミーディアは複雑な表情で見ていた。

 これから、クロードの遺体は埋葬される。


「どうかしたのか、ミーディア?」


 じっとクロードの顔を見ていたミーディアに、アンリが不思議そうに首を傾げた。


「いえ、すみません。陛下……ちょっと前世のことを思い出してしまって」

「前世? そなた、セシリアの生まれ変わりというのは、嘘だと言っていたではないか」

「ええ、そうです。だから、馬だった頃の話です」

「う、うま……!?」


 そういえば、アンリに前世のことを話すのは初めてだったか。

 すっかりと忘れていた。


「はい。わたしはクロード様の愛馬だったんです。黒くてツヤツヤの、極上の牝馬です。馬界では、ちょっとした評判だったんですよ」

「いや、待ちなさい。いくら私でも、もう騙されんぞ!?」

「前世で陛下に撫でてもらえたのが嬉しくて嬉しくて……! わたし、現世になってもちゃんと覚えているんですからね! あのときは、つい興奮して齧りついてしまって、申し訳ありません」

「あのときの馬……だと……!?」


 ミーディアの話についていけているのか、いないのか。アンリは目を点にしていた。

 昔のことを思い出して、ミーディアはうっとりと頬に手を当てる。

 きっと、あのときからアンリに恋をしていたのだ。馬だったので気がつかなかっただけだ。


「わたし、本当に陛下のことが大好きなんです。あんなに優しく撫でてくれるのは、陛下だけですぅ。セシリア様も優しかったけど、陛下は、その……あったかいんです! 馬目線でも、とっても素敵です!」

「そ、そうなのか……!?」


 ミーディアが物凄い勢いで語りはじめたせいか、アンリがじりじりと後すさっている。それに気づいて、ミーディアはハッと我に返った。


「す、すみません。迷惑ですよね?」


 ミーディアの想いは受け入れられないと言われてしまっている。あまり、アンリのことを好きだ好きだと語るのは、よくないだろう。

 けれども、嘘はついていない。

 そうでなければ、こんな風に側仕えになったり、壺目線や屋根裏目線で見守ったりなどしない。


「迷惑ではない……迷惑では、ないぞ」


 ゴホンと咳払いして、アンリが顔を背けた。

 どうすればいいのかわからない。そんな表情だ。しかし、アンリははっきりと、ミーディアに迷惑ではないと言った。


「陛下……」


 ミーディアは急に恥ずかしくなって、言葉に詰まってしまう。

 アンリを好きな気持ちを語りはじめたらキリがない。それなのに、言葉が出て来なくなってしまった。


「まあ、馬というのも……面白いのではないか?」


 アンリはそう言って、ミーディアの頭に手を置いた。

 大きくて、温かい手だ。

 その手にゆっくりと撫でられて、ミーディアは顔が熱くなってしまった。自分でもわかるくらい火照っていると思う。


「陛下、ありがとうございます」


 アンリにとって、ミーディアは娘のようなものだ。

 それでも、こんな風に傍に置いてくれている。こんな風に優しく撫でてくれる。

 充分だった。

 これ以上、高望なんて出来ない。


「では、しっかりと見送ろうではないか。そなたの大切な人だったのだろう?」

「はい」


 カゾーランはクロードに着せられた汚名を晴らして、国葬すべきだと主張していた。

 実際のところ、セシリアの首を落としたのはクロードだったが、事情があってのことだ。フランセール最高の騎士が悪党などという濡れ衣を着せられたままでは、不名誉である。


 アンリも前向きに考えていたようだが、ルイーゼの一声で取り止めになった。

 曰く、「面倒臭いので、そっとしておいてくださいませ」という。


 クロードが悪党ではないと発表すれば、人魚の宝珠マーメイドロワイヤルの能力や、諸々の経緯まで説明しなくてはならない。悪党である首狩り騎士を倒したからこそ英雄と呼ばれるカゾーランの名にも泥を塗る。王家がついた嘘も明るみになってしまうだろう。

 それならば、名もない騎士として、ひっそりと埋葬した方がいい。墓標に名前も彫られなかった。


 カゾーランは最後まで主張を変えなかったが、結局はルイーゼの希望通りに落ち着いた。

 だから、ここにいるのも少数の参列者のみだ。

 遺体の正体を知らない教会の聖職者と、カゾーラン、ユーグ、アンリ、そしてミーディア。

 セザールは興味がないのか、ギルバートを連れて、さっさと領地へ帰ってしまった。元々、滞在期間を延長して王都に留まっていたのだ。早めに帰りたかったのだろう。

 ルイーゼは事情があって来られないらしい。エミールも、ルイーゼと一緒にいる。


 ミーディアは再び棺の方へ歩み寄る。

 蓋が閉められ、深く掘られた穴の中へと移されるところであった。

 その様子を、カゾーランもじっと見つめている。


「カゾーラン伯爵」


 呼ぶと、カゾーランはようやく棺から視線を離した。


「これでよかったのであろうか」


 クロードの名誉回復を訴えていたカゾーランには、納得がいかないのだろう。だが、最終的に決まったことだ。


「まあ、ご本人の生まれ変わりが、良いと言っていますので……」

「ルイーゼ嬢もだが、クロードの奴も、その辺りは疎いからな。本人がどうでもいいと思っているのであろうな」

「あー……そうですよね。元ご主人様、セシリア様と結婚出来なくなった途端に出世欲が消え失せましたからね」

「単純な奴よ」

「馬目線で見ても、そうでした」


 仕舞いには、「こんなブラック企業なんて辞めて、早く隠居したい。静かに暮らしたい。ニートしたい!」とか言いはじめていた気がする。ぶらっくきぎょうとか、にーととか、ミーディアには、よくわからない言葉だったが、趣旨は伝わっていた。


「元ご主人様は、お優しいから」


 ミーディアは土に埋められていく棺を見て笑った。

 真実ではない。

 しかし、誰も不幸にならない結末。

 ルイーゼは否定するだろうが、彼女はとても優しい。


「そうであるな」


 納得のいっていなかったカゾーランも、わずかに唇を綻ばせた。




 † † † † † † †




 馬車が不規則なリズムを刻んで揺れる。

 その中で、セザールは足を組んで座っていた。

 そろそろ王家の直轄領を抜ける。


「よかったのか?」


 向かい側でギルバートが居心地悪そうに言った。彼なりにセザールの気分をうかがっているのだろう。


「興味はないからな」


 カゾーランからクロードの埋葬に来ないかと誘われていたが、断った。


「遺体になど興味はない。クロード本人は十五年も前に死んでいるし、今更、正式に埋葬するからと言って、見物しに行く気などしないさ」

「そういうものか?」

「そういうものだ。常識的に考えろ」


 ギルバートの気遣いを一蹴して、セザールは懐に手を伸ばす。男装の上着のポケットから、葉巻を一本探り取った。

 しかし、指で葉巻に触れながら、動きを止める。


「…………」


 馬車の中は狭い。葉巻を吸えば、煙で充満するだろう。

 チラリとギルバートの顔を見て、セザールは葉巻から手を離した。


 エドワードとの戦いで、顔に傷を負ってしまったのだ。

 藍色を宿す左目が潰れ、今は包帯で覆っている。医者の話では傷痕は残るし、左目の視力も戻らないかもしれないらしい。

 まだエミールと同い年の青年だというのに。


「もしかして、俺に気でも遣ってくれているのか?」


 察したのか、ギルバートが唇の端を吊り上げた。


「常識的に考えただけだ」

「アンタ、最近割とマトモだよな」

「なんの話だ」


 セザールはムスッと表情をしかめて、窓の外を眺める。


「だいたい、お前が怪我をしなければ、馬車など手配しなかったのだ。肝心なときに使えん奴め。治ったら馬車馬のように働かせてやる」

「うるさい。誰も怪我なんてしたくてしているわけじゃあない」


 やはり、葉巻を吸っていないと口元が寂しい。

 つい要らないことを言ってしまう。


「別に気なんて遣わなくてもいいけど。逆に気持ち悪いんだが」


 ギルバートはそう言いながら、右手をあげた。

 その手を見て、セザールは溜息をつく。


「手癖の悪い奴だな」


 いつの間に盗み取ったのか、ギルバートの右手にはセザールの葉巻が一本握られている。ギルバートは得意げに笑うと、指の間に挟んでこちらに向けた。


「初めてなんだ。吸い方、教えてくれよ」


 請われて、セザールは一瞬固まった。


「ほら、その……興味があったというか……?」


 ギルバートは照れ臭そうに視線を外し、葉巻をくるくると指先で回す。


「もう少しくらい、父さんのことを知っておきたいからな」


 言いながら、ギルバートは気まずそうに頭を抱える。

 セザールは一拍置いてから、息をつく。

 ギルバートから父親と呼ばれるのは、初めてだ。慣れておけとは言っておいたが、どうもむず痒い。


「よかろう、ギルバート」


 お互いに居心地の悪さを感じながら、時間が過ぎる。

 だが、悪いものではなかった。

 

 

 

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