第157話

 

 

 

 気が遠くなるほど、暗いくらい闇の底。

 なにも見えない。

 全てを蝕む常闇に、ルイーゼは立っていた。


「まさか、そっちから来てくれるとはな」


 闇の底から響く声。

 雲のように掴みどころがなく、不気味さを感じる。


 ルイーゼは、ゆっくりと目を開けた。

 瞼を閉じていても、開けていても、同じような色に塗り潰されている。


「わたくしの身体ですから」

「劣化版のくせに、生意気な」


 背後に気配がした。誰かが後ろに立っている。

 ルイーゼは視線だけで振り返るが、光のない空間では、なにも見えない。


「エミール様は、やはりチートですわね。羨ましい」


 セシリアだった前世で、二つに分かれた宝珠。

 どうしても、一つにすることが叶わなかった。けれども、エミールは一瞬で二つの宝珠を一つにしてしまった。

 やはり、エミールの能力は強すぎる。「ふじさん」は最強であった。


「ここでは、俺の方が有利だ」


 後ろにいたはずの気配が消える。

 途端、離れた場所に人影が現れた。まるで、闇から這い出たと錯覚させる。

 闇と一体化しそうな黒い髪に、赤みがかった瞳。日に焼けた肌が露出する衣装は、海賊らしいものであった。


「エドワード・ロジャーズ」


 ルイーゼが呼ぶと、エドワードは笑った。

 冷ややかで、刃のような表情だ。温かみというものを一切感じない。

 だが、一瞬で消えた。


「ハッハー。ちょっと驚いちゃったかい?」


 次に気配を感じて振り返ると、そこには別の男がいた。

 褐色の肌を晒して、頭にターバンを巻いた商人――ジャリル・アサドだ。


「ここは、あたいたちの巣だよ? 舐めてくれると困るね」


 すぐ横に、女が現れた。

 黒い着物を着た極道の女。二神永久子。


「私の目の前に立たないで頂けるかしら? 目障りよ、ゴミクズ」

「キャッピーン! あたしだって、いるんだからね。サービスしちゃうよぉ? あ、ボトル追加で!」

「ねえ、お姉さんがイイコトし・て・あ・げ・る。ちょぉっと痛いけど」


 九条麗華。

 御堂明日香。

 藤井さくら。


 全てエドワードの前世の姿だった。

 そして、ルイーゼにも記憶として残っている。

 六人の前世たちに囲まれて、ルイーゼは息を呑む。

 ここは一つになった人魚の宝珠マーメイドロワイヤルの中。いや、宝珠が作り出した精神世界と言うべきか。某週刊漫画誌でお馴染みの固有結界とか、修行の空間とか、そういった類のものだろう。


「集団リンチですか?」

「それも悪くないな」


 ルイーゼを見下ろして、エドワードが笑った。

 ここは宝珠の精神世界だ。きっと、エドワードの精神が具現化しているのだろう。


「何年ここにいたと思っている」


 エドワードは不老不死を手に入れるために、宝珠の中に自分の魂を落とし込んでいた。何年もの間、ここで時が来るのをずっと待っていたのだ。手慣れたものだろう。ここは、彼の庭のようなものだ。


「こんなところで?」


 得意げに笑うエドワードを見上げて、ルイーゼも笑った。

 エドワードが顔をしかめる。


「このようなところで、いったい何年無駄にしたというのです?」

「なんだと?」


 エドワードの手元に片刃のサーベルが現れる。


「不老不死だなんてつまらないもののために、何年無駄にしたというのですか。その間に三回刺されて死んだ方が、マシですわ」

「お前だって、何度も死んでいるならわかるだろうが」

「わかりません。興味ありませんもの。永遠に生きて、なんになるのです?」


 ルイーゼは肩を竦めてみせる。その態度がますます気に入らなかったのか、エドワードはみるみる表情を歪めていった。


「過度に長く生きたところで、なにも手に入らないではありませんか。自分だけが生き続けたって、意味などありません……ずっと独りになってしまいます」


 自分は生きていても、周りは老いて死んでいってしまう。

 ずっと独りで生きることになる。


「それがどうした。利用出来ない駒には興味はない。次の駒を見つければ良い話だろう?」

「そのような生き方をしたって、全く楽しくないではありませんか」


 ルイーゼは笑った。

 したたかに計算高く、しかし、少女のように純粋に。


「誰かと一緒に生きる方が、ずっとずっと楽しいと、わたくしは知りましたから。あなたに負けてしまったけれど、前世の自分が不幸だったとは決して思いません。愛する人と一緒に過ごすために。守るために。そうして死んでいくことは、決して不幸ではなくてよ」


 決して、前世の自分はバッドエンドではない。

 志は遂げられなかったかもしれない。大好きな人とずっと一緒になどいられなかった。

 でも、それでもいい。それでもよかった。

 客観的に見れば不幸だったのかもしれない。けれども、ルイーゼはそうではなかったことを知っている。記憶に焼きついているのだ。


「だったら、死ねよ」

「それは嫌ですわ」


 前世の自分は殉じた。それは不幸なことではなかったはずだ。

 だが、同時に現世での願いが強まった。


「今度はきちんと生きてハッピーエンドを迎えます。人生を出来るだけ楽しんで、お婆さんになっても一緒に笑っていられたら最高です」


 一緒に。

 自然に出た言葉が、ルイーゼにも不思議でならなかった。

 その言葉は胸の奥にストンと収まって、居心地の良い響きとなる。


「だから、ここでは死にません。わたくしは、絶対に帰ります」


 ルイーゼは瞼を閉じた。

 刹那、空気を刃が斬る気配。


「馬鹿馬鹿しい!」


 ルイーゼは瞼を開く。

 腕を振ると、手の中に一瞬で刀が現れた。魔法少女風にデコレーションされた脇差プチ・エクスカリバーちゃんだ。

 刃と刃がぶつかる。


「あなただけに都合のいい世界では、なくってよ!」


 ここは宝珠の世界だ。

 どうやら、念じればある程度の融通は効くらしい。「武器があれば!」と思った瞬間に、使い慣れた武器が現れてくれた。

 おまけに、身体能力も上乗せされているようだ。

 男相手だと力負けしてしまうのが常だが、エドワードと互角にやり合えている。刀が押し戻されることなく、刃を重ねた状態で拮抗していた。


「劣化版の分際で!」


 エドワードが叫んだ。


「わたくしは、わたくしです!」


 身体を捻って前に踏み込む。エドワードが押し戻され、後ろによろめいた。

 囲んでいたエドワードの前世たちも、それぞれに武器を手にする。


「セイヤァァァァアア!」


 一人ずつ斬っていく。そのたびに、霧散していく影。


「はあ!? 有り得ない……!」


 エドワードが信じられない表情で叫んだ。


「だって、わたくしはあなたとは違います!」


 最後の一人を捉えて、ルイーゼは力強く踏み込む。

 誰よりも速く、力強く。そして、華麗に。


「わたくしは、独りではありませんから」


 ルイーゼは独りなんかではない。


 ――ルイーゼは強いんだもん。絶対、負けないんだから。


 どこからか、声が聞こえた。


 ――絶対絶対……負けないでね!


 呼んでいる。寂しがりの声が聞こえて、ルイーゼは微笑んだ。

 すぐ傍に気配を感じながら、ルイーゼは刀を高く振り上げた。


「……逆にリンチされるってか。卑怯じゃないか」


 刃を振り降ろすと、エドワードの身体が半分に裂ける。

 光の粒となって、闇に消えていく影。まるで、最初から幻だったかのようだ。


「覚えていろよ……!」


 恨みを込めた言葉がぶつけられる。

 消えゆくエドワードから視線を外さず、ルイーゼは刀を払った。


「次があったら、必ず――」


 言葉が最後まで紡がれることなく、エドワードは闇に呑まれた。

 暗闇が揺らぐ。

 この世界も消えてしまうのかもしれない。


「次こそは、ちゃんと大切なものが出来ると良いですわね」


 世界が崩壊していく。

 闇に亀裂が入り、眩しい光が射し込んだ。




 † † † † † † †




「…………」


 周囲の景色が浮かんでくる。

 夜に沈んだ回廊。なにが起こったのかわからず、困惑する人々。


「ルイーゼ!」


 すぐ近くで、心配そうに覗き込むサファイアの瞳。

 景色の中にエミールの姿を認めて、ルイーゼは目を見開いた。


「……エミール様……」


 帰ってきた。そう実感して、ルイーゼは安心した。


「よかった、ルイーゼ。おかえりなさい!」


 ギュッと抱き締められてしまう。

 どうして、こんな状況になっているのだろう。だいたい、エミールがルイーゼを抱き締めるなんて、調子に乗りすぎている。一歩間違えば痴漢だ。セクハラだ。

 口煩く捲し立てようと思った。

 けれども、どうでも良い気がする。


「ただいま帰りました」


 そんなことよりも、とても眠い。

 安心したせいだろうか。それとも、心身ともにいろいろありすぎたせいだろうか。

 ルイーゼは泥に沈むように、スゥッと目を閉じた。

 温かくて、心地が良い。

 もう少し、このままでも良い気がしてきた。

 

 

 

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