第156話
――エミール様。
「どうしましたか、殿下?」
あれ? 変だな……。
なんだか、ぼんやりしていたみたいだ。
起きているのに、眠っているみたいな気分だった。エミールはしっかりしようと、首を横に振った。
「ぼんやりしてしまって、どうしたのかしら?」
ルイーゼがエミールの顔を覗き込んだ。
「きっと、怖い思いをしたからね」
花の蜜みたいに甘くて、魅力的な顔だ。こういう顔をするルイーゼは見たことがないけれど、とても素敵だと思った。
「う、うん……でも、その、ルイーゼが……助けてくれたから……」
「いいのよ」
そう。
またルイーゼに助けてもらった。
ルイーゼのことは、エミールが守る。そう思っていたのに。
エミールなりにがんばった。精一杯やったつもりだ。それでも、まだまだ自分の力が足りなくて。全然弱々しくて。
「僕、やっぱり駄目だね……」
やっぱり、なにも出来ない。悔しい。
また泣きそうになりながら、エミールは俯いた。
そんなエミールを見て、ルイーゼはニコリと笑う。遠くなってしまった母の記憶と重なる、したたかで柔らかい笑みだった。
「ええ、そうね。だから、殿下は余計なことをしなくていいの」
あれ?
エミールはちょっとした違和感を覚えた。
なんか、へん?
「これからも、わたしが全部やってあげますから。任せて。殿下はなにもせず、ただ見ていてくれたらいいのよ」
あれ……やっぱり……。
変だ。
「ルイーゼ……どうしちゃったの?」
目の前にいるのは、確かにルイーゼだ。
シャリエ公爵の令嬢で、エミールの教育係。
なのに、違う気がした。
「どうした、とは?」
「だって、いつもと、なんか……違う気がする」
「なにが?」
「それは……」
よくわからない。引っ掛かりを覚えているけれど、具体的には表現出来なかった。
でも、違う。
「なんか、ルイーゼ……よくわからない」
ルイーゼが言いそうなことは、だいたい予想がつくようになったと思う。時々、思ってもいなかったようなことを言われるけれど、それでも、わかる。
ルイーゼは、こんなこと言うのかな?
「いつも僕に独り立ちしろって、言うよね……なのに、どうして?」
――これからも、わたしが全部やってあげますから。任せて。殿下はなにもせず、ただ見ていてくれたらいいのよ。
危ないことは任せてくださいと言われることは、よくある。ルイーゼは強い。とても自信に満ちた女の子だ。
でも、全部任せておけなどと言われたことはない。言わない気がする。
どうしてしまったのだろう。気が変わったのかな?
「その方が、殿下にとって楽でしょう?」
確かに、全てルイーゼに任せた方が楽だと思う。エミールはなにもせず、なにも考えなくても良い。
「ぼ、僕は……」
ルイーゼはこんなこと、言うのかな?
「僕、楽に生きたいわけじゃ、ないよ……いつか立派になって、ちゃ、ちゃんと出来るようになるから……言ったでしょ? いつか、ルイーゼの手を引いて歩けるようになるんだって」
綺麗で可愛くて、強くて賢い。そんなルイーゼの手を引いて歩けるようになりたい。それに見合うくらいの「立派な殿方」になりたい。
今まで放棄してきた王子の役割をちゃんと遂行したい。いつか父のように、すごい王様になりたい。
そのために強くなりたいと、ずっと思ってきた。エミールなりにがんばってきた。
ルイーゼは、ずっと見ていてくれた。
弱くてダメダメなエミールを見捨てないでいてくれた。
ルイーゼがこんなことを言うはずがない。ないはずなのに。
――エミール様。
目の前の令嬢が、急に知らない人のように思えた。
この感覚には、覚えがある。蓋がされて忘れてしまった幼いときの記憶……あのときと似ている気がした。
――エミール様。
誰かの声が聞こえる?
誰もエミールを呼んでいない。でも、声がした。
――わたくしは、ここにおります。
「どこ?」
誰の声だろう?
どこにいるのだろう?
「よろしゅうございます! お嬢さまっ!」
いったい、どこから湧いてきたのだろう。いつの間にか、ルイーゼの執事が飛び出していた。
意味があるのかないのか、ジャンは奇声を発しながらこちらに走ってくる。そして、何故かルイーゼが愛用している鞭を投げつけてきた。
くるくると回りながら宙を舞う鞭。
しかし、目の前にいるルイーゼはその鞭を受け取らなかった。持ち主に無視された鞭は床に叩きつけられてしまう。
転がった鞭の先には、もう虫の息になっている
――エミール様。
「え?」
呼んでいる?
呼ばれた気がした。
わずかに虚ろな瞼が開き、エミールを見上げている。その左目が蒼く波打つように輝いており、エミールは息を呑んだ。
「ルイーゼ?」
どうして、そう思ったのかは全く謎だった。
エミールは反射的に身体を屈めて、蒼い光に手を伸ばす。
「なにを!」
令嬢の声が響く。
けれども、エミールは構わず光を掴む。
形を失いかけていた力の流れが結集して行くのがわかる。なんとなく、
「ああああああああああああ! ふっじっさぁっぁああああん!」
思いっきり叫びながら、腕を前に出す。
「やめろ!」
エミールの行動を止めさせようとする令嬢。その身体の真ん中に、エミールは必死で腕を突き出した。
取り出した宝珠の力が腕の中から消えていく。
令嬢が宿していた宝珠に引き寄せられるように、身体の中に溶けていったのだとわかった。
「いっけぇぇぇええええ!」
令嬢が放心したまま後すさる。
やがて、苦しそうに胸元を抑えながら前のめりに倒れてしまった。
エミールは泣きそうになりながら、倒れるルイーゼの身体を受け止める。力が入っていない。ぐったりと眠った身体を抱き締めた。
「ルイーゼは強いんだもん。絶対、負けないんだから」
ルイーゼを守れる日は、まだまだ遠そうだ。
でも、少しは役に立てたかな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます