第155話
呆気ない。
つまらない。
理解出来ない。
ルイーゼの身体から刃を引き抜きながら、エドワードはそんなことを思った。
「馬鹿みたいだな」
誰にも聞こえないように呟いて、倒れた男の身体を見下ろす。
心臓を一突きにした。身体がしぶとく出来ているせいか即死とはいかなかったが、間もなく息絶えるだろう。
せっかく育てた器だったが、どうせ、もう使い物にならなくなっていた。
ルイーゼの存在を知った頃から、器の乗り換えは考えていたことだ。もう少し成長してからのつもりだったが、まあ、いいだろう。
「ル、ルイーゼ……大丈夫?」
エミールが心配そうにエドワードを覗いてきた。
まだ気がついていないらしい。好都合だ。エドワードは令嬢の顔に甘い笑みを作った。
「ええ、大丈夫」
まさか、ルイーゼがこの軟弱王子を庇って死ぬとは思っていなかった。
確かに、
利用価値は大いにあるだろう。
しかし、庇って死んでしまっては意味がない。そこまでの価値があるように思えなかった。ルイーゼの行動が理解出来ずに、エドワードは冷ややかな目でにらみつける。
「ルイーゼ、ありがとう」
エドワードが自分を救ってくれたとでも思っているのだろうか。エミールは心の底から笑って、手を握ってきた。
純真無垢と言えば聞こえがいいが、騙しやすそうな顔だ。
「ルイーゼは、怪我とか、してない?」
「いいえ、別に」
「よかった。本当に、よかった」
怖いことなど、もうないはずなのにエミールは泣きそうになっていた。
いちいち目に涙を溜められて、苛立たしいことこの上ない。いじめっ子であった一番目の前世なら、雑巾の絞り汁を頭からかけているところだ。
気に食わない。
「ねえ、ルイーゼ」
エミールが倒れた本当のルイーゼの近くに膝をつく。もうほとんど死んでいる。とどめを刺したかったが、一応、今は令嬢だ。野蛮な仕事は男にでも任せた方が良いだろう。
「……どうして、この人は……こんなこと、したんだろうね……」
辛そうな声だった。
敵だと思っている相手に見せる表情ではない。エドワードは顔をしかめた。
「さあ……死にたくないだけでしょう?」
ただそれだけだ。意味などない。
死んだこともない人間には、わからない願望だろうさ。
そのためなら、なにをしたって構わない。誰の力も借りない。必要ない。周りにいるのは、駒だけで充分だ。
何度もそんな人生を送ってきたのだから。
† † † † † † †
「お久しぶりだね。元気にしていたかい?」
真っ白な部屋に椅子が一つだけ。そこにチョコンと座っているのは、真っ赤なドレスの令嬢。
確か、自分はエミールを庇って死んだはずなのに……。
目の前には、誰もいない。だが、後ろに誰かが立っている気配はあった。
「このパターン……一応、覚えがありますわね」
「この世界に転生したとき振りだね。あのときも、このくらいの歳のお嬢さんだったかな」
「そんな気がしますわ」
令嬢――ルイーゼは振り返らずに、後ろの人物と会話する。
「自称神様でしたっけ?」
「……自称じゃなくて、普通に神だからね? 勘違いしないでくれるかい?」
どこかで聞き覚えのある声だ。
しかし、平均的すぎて特徴がないようにも思える。
「わたくし、やはり死んだのですね」
「正確には、もうすぐ死んでしまうね。まだちょっとだけ生きている」
肩に手が乗せられる。
馴れ馴れしい気がして、ルイーゼはフンッとその手を払いのけた。
「君のことは、時々見ていたよ。祥子、いや、セシリア。それとも、ルイーゼと呼ぶべきか」
「現世の名前で結構です」
「では、ルイーゼ。君は僕が思っていた以上に、よくこの世界に貢献してくれた。地球と同じような歴史を辿る詰まらない世界だったけれど、随分と変わってくれたと思う。勿論、他にも呼び寄せた転生者がいるから、君だけの功績ではないけれどね」
「へえ……わたくしには、わかりませんけれど」
「それで結構だよ。まあ、というわけで、僕は君の活躍に概ね満足している。だから、ちょっとした報酬を与えてあげようと思ってね」
「報酬?」
ルイーゼは首を傾げた。
死ぬのに褒美をもらっても意味がないではないか。
「さてさて、選んでおくれ」
パチン、と指が鳴る音がした。
真っ白でなにもなかった景色に変化が起こる。
現れたのは、高層ビルが建ち並ぶ都会の景色。自動車が走り、スクランブル交差点には数え切れないほどの人が溢れていた。
その中を歩きながら、幸せそうに笑う女子高生。裕福な家庭なのだろうか。制服姿だが、ブランド物の紙袋を提げて、地味ながら高価なペンダントが胸元から覗いていた。
「日本……?」
ルイーゼが元々いた世界だ。
「次は、こっちだよ」
もう一度、パチンと指の音が鳴った。
再び、周囲の景色が揺らいで変化していく。
霧のような靄の奥から現れたのは絢爛豪華な宮殿。フランセール王宮にも勝るとも劣らない。装飾品や周囲の服装から、別の国だと言うことがわかった。
何人もの貴族に傅かれて笑っているのは、美しい女王だった。周りに侍っているのは全て見目麗しいイケメンである。まさに逆ハーレム。天国だった。
「選ぶといい」
自称神様の声と同時に、周囲の景色が一瞬で消えた。夢でも見ていたかのようだった。
真っ白な部屋で椅子に座ったまま、ルイーゼは口をポカンと空ける。
「元の世界で裕福な家庭に育つ普通の女の子として転生するか、それとも、この世界に留まって次は贅沢の限りを極める女王様として転生するか。好きな方を選んでも良いよ。因みに、どちらを選んでも巨乳だ」
「最後の一言は余計です! わたくし、ちょっと慎ましやかなだけで、貧乳でも断崖絶壁でもありませんので!」
一瞬、巨乳という言葉に釣られかけた自分が悔しい。
ルイーゼは拳を握って、わなわなと震わせた。この自称神様の声を聞いていると、無性に鞭が振るいたくなってくる。頭を踏みつけて高笑いしたくなるのは、何故だろう。
「好きな方を選ぶといい」
自称神様はルイーゼの前に手を差し出す。
一つは、地球での安定した生活。
もう一つは、逆ハーレム女王様。
どちらを選んでも、ハッピーエンドが見えている気がする。
ルイーゼが望んだハッピーエンド。安定していて、不自由のない平凡さ。いや、女王様は派手だが。
「わたくし」
ルイーゼは目を逸らすように俯いた。
今度こそ、幸せになれる。好きな人生を歩める。
それなのに、
「どちらにも興味がありません」
あんなに欲しかったものが、今は少しも欲しくない。興味がわかない。
ただ、
「……帰りたいです、わたくし……」
ポツリと呟いた言葉。
幸せな来世など要らない。
「わたくし、きっと幸せだったのですわ」
胸の奥が熱くなった。
どうしようもなく感情が溢れてきて、耐え切れなくなっていた。目の辺りが熱くて、どうすればいいのかわからない。
「朝起きたらセクハラ親父と変態お兄様の相手をして……お母様はいつも適当なことばかり……国王様は無理難題ばかり押しつけてくるし、セザール様とは会話が時々繋がらないし……ミーディアはストーカーをやめないし、ヴァネッサは意味のわからない小説を書くし……ギルバート様は肝心なときに役立たずで、ユーグ様はオネェで、カゾーラン伯爵は暑苦しくて。あ、筋肉は最高です」
纏まりのない内容を呟きながら、目からこぼれるものを袖で拭った。
こんな人生、どこがいいのだろう。苦労ばっかりなのに。
「エミール様なんて、いつまでも軟弱のダメダメ。引き籠りを脱したからって、わたくしを守るなど、おこがましいのですわ。本当に腹が立ちます。黙って守られていればいいのに! わたくしが守って差し上げますのに……」
なにを言っているのか自分でも、よくわからない。
ただ、言葉を紡ぎながら頭を巡ってくるのは、幸せな感情ではなかった。
「わたくしがいなくなったら、エミール様は駄目になってしまいます。エミール様には、わたくしがいないといけないのです。そう、エミール様のために――」
エミールのために、帰りたい。
そう言いかけて、止まってしまう。
「本当にそうなのかい?」
問う声が腹立たしかった。
振り向きたいのに、何故かそう出来ない。
「君は誰のために帰りたいんだい?」
誰のため?
決まっている。
いや、誰のためだろう。帰れなくなって本当に困るのは、誰?
ルイーゼは視線を上げた。
「少し話が過ぎたようだ。早めに行った方が良い」
目の前に光の道が現れている。その先には扉があった。ルイーゼはスッと立ちあがる。
踏み出す足が軽い。だが、このまま駆けてしまっていいものか、戸惑いがあった。
「行ってごらん。君が一番望む結果が待っているはずだ。ただし、僕は力を貸せない。自分で頑張ることだね」
「……望む結果……」
振り返ると、周囲が眩い光に包まれていた。
自称神様の顔もよく見えず、ルイーゼは目を細める。
「君のことは、また見物させて頂くよ。君の周りはなかなかどうして面白い」
言っている意味がわからなかった。
「行っておいで、お嬢さま」
道を進めばいいらしい。
ルイーゼは息を呑んで、駆け出した。
足が徐々に速くなる。呼吸も乱れず、まるで風になったかのようだった。
「エミール様」
自然と名前を呼んでしまう。
エミールにルイーゼが必要なのではない。
きっと、違う。
違うのだ。
たぶん、ルイーゼがエミールを求めている。エミールがいなくなって困るのは、ルイーゼなのだ。
「だって」
扉が近づいてきた。
ルイーゼは必死で手を伸ばした。
「エミール様と一緒にいるのが一番……一番……!」
両手で扉を押し開ける。
「一番、楽しいのですわ!」
幸せな来世なんていらない。
だって、現世が一番幸せだから。
エミールのいるこの人生が、一番楽しいから。
だから、帰ろう。
「君が望む未来が訪れることを、僕も願っているよ」
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