第154話

 

 

 

 これは、不味い。

 非常に不味い。


 どうして、こうなってしまったのですか!?

 ルイーゼは両手を上げて叫びたくなってしまった。


「そりゃあ、わたくし。常々、鍛えたボディが欲しいとか、令嬢ボディは面倒だとか言っていましたけど……これは、あまりにも酷くありませんか!?」

「なにを、ゴチャゴチャと言っているのかしら。気でも振れたの?」


 動揺してしまったルイーゼを見下すように、令嬢――の姿をしたエドワードが笑った。

 ルイーゼは思わず、自分の胸をペタペタ触る。

 うん、発達した胸筋の良い身体。って、違う! 違います! 胸があるかどうか確かめただけですー! どうせ、元々断崖絶壁げふんげふん、慎ましやかでしたけれど、それなりに柔らかいんですー!

 声に出さず、セルフボケツッコミ。

 この状況、とりあえず、絵面が酷い。

 説明するまでもないが、成人男性がいきなり自分の胸を触って慌てふためいている姿など、誰が望もうか。意味がわからない。でも、触ってしまう。


「返してください、わたくしの身体!」


 このままでは、いけない。

 今の状況はエドワードにとって窮地だった。それがそのままルイーゼに押しつけられてしまったということである。

 おまけに、ルイーゼの身体を得たエドワードはなにをするかわからない。

 エミールの教育係という立場を利用すれば、いくらでも立ち回れる。将来の王妃、陰から政権を支配、国の乗っ取り……全て、エドワードなら、やってしまいそうだ。


「よくも、このカゾーランが守護する王宮へ戻ってこられたな。覚悟せよ!」


 カゾーランが到着して、槍の穂先をこちらに向けている。

 あいにく、先ほど受けた傷が原因で身体の動きが鈍っていた。伸びた手足のリーチにも慣れていないし、ここにはセザールやユーグ、ルイーゼを乗っ取ったエドワードまでいる。四人纏めて攻撃されて、覆す自信がなかった。


 ここは、一つしか術がない。


「お待ちくださいませ、カゾーラン伯爵。わたくしです、ルイーゼですわ……って、聞いてくださいませんかぁぁああ!?」


 問答無用で槍の突きが飛んできた。このシチュエーション、既視感しかない。以前はニンジャスタイルに扮していたが。


「嫌ですってば、わたくしに刺されて死ぬフラグなんて、ないんですってば! きゃぁぁああ!? 串刺しはやめてくださいぃぃい!?」

「騒がしい輩め! それでも、漢か。情けない!」

「わたくし、現世は女ですからね!?」


 駄目だ、こいつ。全然話にならない。


「女を名乗る男とは、非常識な奴だな」


 セザールが剣を構えて、攻撃の隙をうかがっていた。


「あなたにだけは、絶対言われたくない言葉ナンバー1ですわよ、それ!?」

「我は女を名乗る必要などない。男であっても、女であっても、一番美しいことには変わりないからな」


 こいつも、駄目だ。全く使えない。


「セザールさん、やっぱり素敵よ! 私、興奮してきちゃった!」

「そこのオッサンを調子に乗らせないでくださいませんか!? よく見て! 女装のオッサンですわよ!?」

「それがいいんじゃないの」


 ユーグも、駄目だ。論外だった。


「あっははははは! 最高!」


 ルイーゼの姿をしたエドワードが腹を抱えて笑っていた。

 事情がわかっている人間から見れば、面白くて仕方がないのだろう。ルイーゼの方は、泣きたい気持ちでいっぱいなのに。


「ふ、ッ……もう!」


 セザールの剣を受け止めつつ、カゾーランの槍を避ける。脇腹に受けた傷が痛んで、身体が悲鳴を上げていた。

 まだ戦えるが、そう長くは持たない。


「さて……」


 エドワードがニッコリと笑い、エミールに手を差し伸べた。


「頼もしい騎士様たちにお任せして、安全なところへ行きましょう」


 エドワードからの提案に、エミールはコクリと頷いた。しかし、後ろ髪を引かれるように、カゾーランたちを振り返る。


「ル、ルイーゼは、戦わないの?」

「あら、わたしに危ないことをさせたいのかしら?」

「そ、そうじゃないよ……! ただ、なんか……」


 エミールは差し出された手を掴まず、立ち止まる。


「僕は、その……僕が出来ることをするんだ。ちょっとでも、みんなの役に立ちたいから」


 強い意志を持ったサファイアの瞳がエドワードを射抜いた。その視線に押されたのか、エドワードは動きを止めてしまう。

 隙を見てエミールは、元の位置まで歩いて戻っていった。


「僕は逃げない」


 エミールがルイーゼを視界にとらえた。

 両目が蒼く光る。人魚の宝珠マーメイドロワイヤルの力を使うのだ。


「エミール様!」


 ルイーゼはエミールに向けて叫んだ。

 エミールが宝珠の力を使えば、ルイーゼの心を読めるはず。そうすれば、入れ替わっていることに気がつくだろう。だから、エドワードは彼を遠ざけようとしたのだ。

 逆を返せば、エミールに宝珠を使わせれば勝機はある。


「…………!?」


 二本の足でしっかりと立つエミール。

 けれども、その背後にエドワードの姿を見て、ルイーゼは思わず駆け出した。

 カゾーランの槍をすり抜ける。セザールの剣が肩を強打したが、構わなかった。


「いけません、逃げて……!」


 エドワードにとって、エミールに宝珠を使われることは避けたい事態だ。

 強引に理由をつけるつもりなのだろうか。

 エドワードは、あろうことか、エミールに刃を振りあげていた。周囲の視線はルイーゼに注がれていて、気づくのが遅れている。


「え?」

「エミール様!」


 いったい、なにをしているのだろう。

 ルイーゼは不思議なくらい冷静だった。

 冷静なのに、自分が理解出来ない。

 自分の行動が本当に馬鹿馬鹿しく思えた。


「う、ふッ……あ、ああ……」


 身体の真ん中。胸の辺りを、熱い痛みが貫いた。

 最初は強打したのかと勘違いしたくらい大雑把に。やがて、焼けるような鋭い痛みに。

 心臓を一突き。

 貫通した刃を見下ろした。


 馬鹿だ。本当に、馬鹿だと思った。

 ルイーゼはハッピーエンドを目指して生きてきた。それ以外には興味はないし、なにもいらない。そういう人生だった。

 それなのに、どうして他人のために、こうして刺されているのだろう。


「あーあ、死んでしまうとは情けない。というところかしら?」


 ルイーゼの身体から刃を引き抜いて、エドワードが詰まらなさそうに言った。ルイーゼの行動が理解出来ないと言った態度である。


 ルイーゼ自身にも理解出来なかった。

 どうして、こんなことをしているのだろう。

 けれども、同時に矛盾に気づいた。


 これは、バッドエンドなのでしょうか?

 エミールを守って死ぬことに、少なからず充足感を得ている自分が奇妙だった。満足している。そう表現しても良い。

 前世の自分は誰かのために戦った。どうして、その道を選んだのだろう。


「ああ、理解しましたわ」


 かすれる声。身体を支える力がなくて、伏せるようにルイーゼは倒れた。


「刺されて死ぬのも、悪くないのですわね」


 誰にも声は届かない。

 泥のような深い死の闇が蝕んでいく。


 今度生まれ変わるなら、――。

 

 

 

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