第153話
「そうはさせなくてよ」
窓に足をかけて、脇差を向ける。
頭の位置に刃を向けられて、エドワードが視線だけでルイーゼを見た。
「もう引き返してきたのか、劣化版」
「あなたの考えていることなど、全てお見通しなのですわ」
睨みつけ、息を吸う。
間を置かずに、ルイーゼは一直線に突きを繰り出した。窓から飛び降りる勢いに乗せて、刃がまっすぐにエドワードの首を捉える。
エドワードの身体が残像のように消えた。
素早くはないが、無駄のない動きだ。ルイーゼは半ば反射的に身体を回転させて、次に来る攻撃を受ける。
なにかを思考している余裕はない。ほとんど本能に任せて攻撃していた。
「エミール様に指一本でも触れたら、首と言わず、肉をミンチにして差し上げますわ!」
身体がいつもより軽い。
ルイーゼはエミールを背にして立ち、音もなく踏み込んだ。
「三段突き!」
得意な技を繰り出す。
「誰が考えた技だと思っている?」
けれども、あっさりと避けられてしまう。
嘲笑うエドワードに対して、ルイーゼもしたたかな笑みで返した。
「考えた? 新撰組をパクっただけでしょうに」
ルイーゼの突きは刀身を寝かせた状態で放たれる。そうすることで、突きが避けられても、そのまま薙ぎの攻撃に転じることが出来るのだ。
力いっぱい横薙ぎに刀を振って追撃する。
エドワードも読んでいたようで、ルイーゼの攻撃を受け止めた。力技で押し返されて、ルイーゼは一旦後方へ下がる。
「ル、ルイーゼ……!」
「エミール様、お怪我はありませんか?」
微笑みかけると、エミールはズズッと鼻水をすすった。
「僕は大丈夫……タマとギルバートが、怪我しちゃった……」
「遅れて申し訳ありません」
エミールは泣きそうになりながら、「う、うん。大丈夫」と言って頷く。
「ルイーゼ、ここ二階だよ?」
エミールがキョロキョロと辺りを見回した。
「あー」
ルイーゼは説明が面倒だと思いながら、窓の外に視線を移す。すると、ルイーゼが侵入した窓の外に巨大な影が浮かんだ。
「庭にいらっしゃったので、協力して頂きましたの」
「ぱぉぉおおおおん!」
ゾウのハナコが鼻を持ち上げて鳴いた。
「雑魚が何人増えようが――」
「我が美に敵う者など、いるはずもない」
ハナコの鼻を伝って影がもう一人舞い込んだ。
刃のない剣を振り降ろしながら、セザールがエドワードとの距離を詰める。
セザールの剣は円柱型だ。あんなものをマトモに受ければ、刃が潰れてしまう。エドワードは苦々しい表情で、一度距離を取った。
「セザール様、遅いですわよ。なにをしていたのですか」
「我に非はない。非常識な珍獣め。なかなか平伏そうとしなかったから、上に乗るのに苦労してしまったではないか」
「牙を撫でたら乗せてもらえると、言いませんでしたか?」
「だいたい、あんなものを踏み台にするなど、非常識ではないか」
「確かに、常識的な踏み台ではありませんけど……そういうことを、あなたが言わないでくださいませ」
いけない、いけない。つい無駄口が進んでしまう。
ルイーゼはコホンと咳払いした。
「ということで、一対二ですわね。覚悟なさいませ」
脇差の切っ先を向けながらルイーゼは笑った。たぶん、とても悪い顔をしている。ゲス顔だ。
ジャンにカゾーランたち近衛騎士を呼びに行かせている。もうじき、ここも囲まれるだろう。
一般の兵士が何人束になっても敵わないことは、わかっている。
だが、ここにはルイーゼもセザールもいる。カゾーランやユーグが加われば、勝つのは難しくないだろう。
負傷して伸びているギルバートはノーカンだ。あの元王子、大概大事なときに負傷して使いものにならない気がする。噛ませ犬乙だ。
「こんなことで、勝った気になっているんじゃないだろうな?」
虚勢だろうか。エドワードはこの状況でも、不敵に笑っていた。
闇の底から歌うような。雲のように掴みどころのない。不気味な声に、思わず寒気を覚えてしまう。
なにを企んでいるのかわからない。
「計画通り」
真っ黒い表紙のノートを持った主人公みたいなセリフだ。
しかし、嫌な予感がする。
慄くルイーゼの前にセザールが踏み出した。エドワードは、今度は刃が潰れることも厭わず、剣を振る。金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響き、火花が散った。
「邪魔だ」
エドワードは力技でセザールを押し退ける。かなり強引なやり方であった。
戦闘に勝つためというよりも、どうしても、ルイーゼとの距離を詰めたいように思われるのは、何故だろう。
「ルイーゼ……!」
ルイーゼは反射的に剣を突き出した。
刃がエドワードの胴を貫く。血は流れなかったが、肌が陶器のようにひび割れたのがわかった。
「もう少し育ってからの方が良いと思ったが、仕方ない」
耳元で囁かれた。
「奪い尽くしてやるよ」
声が耳の奥から脳に浸食していく嫌な感覚だ。ルイーゼは思わず身を震わせて、小さくなってしまう。
「な、ん……ですか?」
蒼く波打つように光る左目に、吸い寄せられる感覚があった。
魂ごと引き寄せられていく妙な感覚を拒もうと、ルイーゼは目を閉じる。けれども、抗いようがなかった。動悸がして、息も苦しい。なにが起こっているのか理解出来ないまま、手を伸ばす。
「エミール様……!」
どうして、エミールの名前を呼んだのだろう。
「ルイーゼ! ルイーゼ!」
座り込んでいたエミールが立ちあがって、伸ばした手を掴む。必死にルイーゼの名前を叫んでくれている。
ルイーゼの身体が引っ張られて、エドワードから離れた。
そこで、一度視界が暗転する。
動悸がおさまって、身体の熱が冷めていく。鈍っていた感覚が冴え渡り、自由に身体が動かせるようになった。
「ルイーゼ、大丈夫? ルイーゼ、しっかりして!」
エミールの声が聞こえた。相変わらずである。本気でルイーゼのことを心配してくれているのだとわかった。
ルイーゼとしては、エミールになにかあった方が困ると言うのに。王族と臣下の関係がわかっていない。今度、教育しなければ。
なんだかお腹が痛む気がするけれど、怪我をしたわけでもないので大したことはないだろう。大袈裟だ。
そんなことを考えながら、ゆっくりと眼をあけた。
「え……?」
違和感。
「よかった、ルイーゼ」
エミールが安堵の笑みを浮かべていた。サファイアの瞳に涙をいっぱい溜めて、今にも泣きそうだった。
「ええ……心配かけました」
エミールにしっかり抱き締められた腕の中で、令嬢が目を覚ます。
彼女は笑いながら、エミールを見た。そして、
「あ……」
今更になって、腹部に言い知れない激痛が走った。膝をつき、手で身体を支えた。
身体が……大きい?
自分の手を見て、ルイーゼは違和感しかなかった。
「どういう、こと……ですか?」
なにが起こっているのかわからない。
よく見れば、立ち位置も今までと逆ではないか?
「殿下ぁぁっぁあああ!」
遠くから、カゾーランが突進してくる音が聞こえる。わかりやすい重戦車っぷりだ。
駆けつけた兵士たちに囲まれて、ルイーゼはようやく事態を呑み込んだ。そして、目の前に立ちあがった令嬢を睨みつける。
「まさか、これって……」
ルイーゼとエドワードの中身が入れ替わっている。
他の人間相手には出来ない。
この身体には転生前のルイーゼが収まっていたからこそ、出来る芸当だ。しかも、互いに持つ人魚の宝珠を共鳴させている。
不老不死を得るなら、この身体にこだわる必要はない。エドワードはルイーゼの身体に乗り換えたのだ。そこから、また新しい器を作って一からはじめるつもりなのだろう。
やられた。
この状態で、身体を入れ替えられてしまったら……結果は見えている。追い詰めたつもりが、逆に形成が変わってしまった。
「さて……逃げ場はないわよ?」
勝ち誇って笑う令嬢。
闇から這い出るように。雲のように掴みどころがない。したたかな笑みで。
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