第152話

 

 

 

 悪い夢を見ていた気がする。

 起きたときは不思議と冷静で、騒ぐことはなかった。震えそうになったけれど、がんばって耐えた。


「誰かと思えば……まだ生きていたか。死に損ない」


 地獄の底から響くような、雲のように掴みどころのない声。

 エミールは袋のように片手で抱えられている。

 どうやら、まだエミールが起きたことは気づかれていないみたいだ。いや、気づいたところで、エミールなんて軟弱でなにも出来ない。気にされないだろう。


「ぐっ……くそ!」


 エミールを抱えた男が動作するたびに、身体が揺れる。首がガクンガクンと上下して舌を噛みそうだった。

 正直に言うと、怖い。

 もう泣き出してしまいそうだった。それでも、懸命に歯を食いしばった。


 ギルバートが危ない。

 エミールも充分に危ない状況なのは理解しているが、それ以上に、今戦っている友達が心配でならなかった。


 ギルバートは友達なんだ。似た者同士の、大切な友達だもん!


「…………ッ」


 部屋の中を見ると、タマがこちらを睨んで鼻息を荒げていた。

 エミールに従ってくれるらしい。指示を待って、いつでも飛び出せそうだ。

 首輪したままだけど、大丈夫かな?

 エミールはあまりタマを縛りたくなかったけれど、アンリが「危ないから、していなさいっ!」と言っていたので仕方がない。

 首輪をつけたタマを見て、「羨ましいではないか……!」と言っていたから、きっと、そんなに酷いことではないと思う。


「流石に飽きたぞ……少しは期待したんだが、親がクズだと子もクズだな……だが、親の方よりも良い色の魂だ。俺が頂いてやろう」


 不気味に笑う声が気味悪い。

 エミールは拳を握った。ギルバートはクズなんかじゃないもん。エミールのことを守ろうとしてくれている。一生懸命、戦っているんだもん。

 クズはエミールの方だ。いつまでも引き籠っていて、王子っぽくなんてない。ギルバートは、僕なんかより、ずっとかっこいいんだもん。


 エミールは視線に力を込めた。そして、こちらを見ているタマに合図を送る。

 間髪を容れずに、タマが踏み出した。

 頑丈なはずの鎖が呆気なく引き千切られてしまう。勇猛なライオンは物凄い勢いで駆け出し、獲物に襲いかかる。


「…………ふじさん」


 声を絞り出す。


「やっちゃえ、タマ!」

「なに!?」


 タマに襲われて、驚いたようだ。

 エミールは反動で投げ出され、壁に背中をぶつける。言い表せないような痛みが身体を打って、すぐには動くことが出来ない。


「う、ぅ……んッ!」


 目が回る。気を失ってしまいそうだ。

 エミールは懸命に立ち上がろうと試みたが、独りでは無理だった。


「おい、行くぞ!」


 朦朧としているエミールの手をギルバートが掴んでくれる。ギルバートはエミールが歩けないと判断し、すぐに抱えた。


「ま、待って。タマが……」


 構わず逃げようとするギルバートを制して、エミールは後ろを振り返った。


 見覚えのある姿があった。

 漆黒の髪に、闇のような瞳。血を浴びて禍々しく笑う顔。

 エミールが怖くて怖くて仕方がない首狩り騎士そのものの姿。記憶に焼きつく悪魔の姿と重なって、目尻に涙が浮かんだ。

 あれはエドワード・ロジャーズという悪党で、クロード・オーバンではない。

 それに、本物の首狩り騎士はエミールを救ってくれた。セシリアを救おうとしてくれた。わかっている。怖がる必要などない。


「……さ、さすセザ!」

「はあ!? なに言ってんだ、アンタ!?」

「さすセザ! さすセザ! さすセザ!」


 強くなれる呪文を唱えていると、ギルバートが怖い顔をする。

 エミールはギュッと表情に力を込めた。こぼれそうになっていた涙が留まってくれる。


「流石にライオンと戦うのは初めてだが」

「がぉぉおおおお!」


 エドワードが剣を振って、タマの牙を阻む。

 タマは力持ちのはずなのに、互角かそれ以上の力で拮抗していた。


「俺を倒すつもりなら、倍以上の戦力を用意することだな」


 タマが床に転がり、その頭に剣が叩き込まれる。


「ふじさぁぁぁあん!」


 エミールは必死で散らばっていた扉の木片を投げつけた。

 タマが斬られる前に木片はエドワードの肩に当たり、軌道が逸れる。


「ああ! くそ! 仕方ないなぁ!?」


 同時に虚を突いたギルバートが短剣を構えて踏み込んだ。

 素早く首を狙った一閃はかわされてしまう。

 即座にギルバートは足を軸に身体を回転させ、左手に持った短剣を投擲した。


「おのれ」


 勢いを殺さず至近距離で投げられた短剣は寸でのところで顔への命中は免れた。だが、エドワードがつけていた左目の眼帯が切れて落ちる。


 蒼く波打つような光が溢れ出した。

 エドワードはとっさに左目を押さえる。


「ギルバート、右に避けて!」

「はいよ!」


 エミールが声をあげると、ギルバートはその通りに右へ避けた。太刀筋の読み難いエドワードの攻撃を的確にかわして隙が生まれる。

 ギルバートは好機を見逃さずに追撃した。


「もう、怖くないもん……! ぼ、僕、怖くないもん!」


 エドワードがつけている眼帯は、宝珠の力を無効化する道具だと、すぐにわかった。アルヴィオスで宝珠を防ぐために使った「白玉」と似ている。

 眼帯がない状態では、宝珠の力が漏れ出ている状態になっていた。きっと、それを抑えるための眼帯なのだろう。

 眼帯を外させてしまえば、エミールだって戦える。


「タマ、今だ!」


 エミールの声でタマが飛び上がる。


「く……!」


 エドワードの表情に焦りが見えた。

 眼帯を外して宝珠の力が漏れ出ている状態なら、エミールが力を使うことも出来る。触れていないので自信はなかったけれど、実際は上手くいった。


 エドワードの思考を必死に読んで、ギルバートたちに指示を出す。エミールには、これくらいしか出来ない。

 でも、エミールがやらないと誰も助からない。

 本当は怖い。足も震えて動けないし、声だって裏返っている。今にも、タマやギルバートが怪我をするのではないかと心配になっていた。


「ふじさん、ふじさん、ふじさん! ふじさん! ふじさん! ふっじっさぁぁぁあああっん!」


 震える足を両手でポコポコ叩きながら呪文を唱える。

 怖い怖い怖い……!

 でも、やらなきゃ。

 僕だって、やれる。出来ることは、あるんだ!


「僕がルイーゼを守るって言ったんだもん! ギルバートやタマだって、僕が……僕が!」


 いつの間にか、ポチが足元で応援してくれている。

 エミールは鼻水をシュンとすすって、両手を握り締めた。


「小細工したところで」


 エドワードの剣がギルバートの攻撃を受けた。完全に不利な体勢からの一撃だったはずだ。されど、そんなことなど感じさせない鮮やかな一閃だった。


「おわ!?」


 ギルバートの身体が弾き飛ばされる。

 力の差が歴然としており、彼ではどうにもならないようだった。そのままの勢いで、ギルバートの身体がエミールの部屋の中に転がっていく。

 顔からたくさん血を流していた。怪我をしている。


「ギ、ギルバート!」


 後ろから襲いかかったタマの身体から血が飛び散った。エミールには、なにが起こったのか見えなかったが、遅れて、タマも怪我をしたのだと理解した。前足から血を流すタマを見て、エミールは震えてしまう。


「タマ……!」


 ポチが足元で牙を剥いていた。今にも飛びかかって噛みつきそうな様子である。エミールは思わず屈んでポチの身体を押さえつける。


 駄目だ。勝てない。


「駒の力を考えろ。必要ならば駒を捨てて退くことも、王の資質だろうに」


 屈んだエミールの目の前に、剣先が突きつけられる。

 空気が重い。まるで、泥みたいだ。息をするのも苦労してしまう。


「お前の教育係は、そんな単純な理屈も教えないのか? 俺の記憶を持ち逃げしながら、情けない劣化版だ」


 嘲笑う声に、エミールは涙がこぼれそうだった。

 怖い。殺される。


 しかし、別の感情が強くわき起こることにも気がついた。


「……ルイーゼは……」


 声なんて出ないのに。

 なにも言えないのに。

 でも、言葉は出ていた。


「ルイーゼは……そんなこと、教えない。だって、ルイーゼは優しいんだもん。とっても頭が良くて、強くて、かっこよくて……僕はルイーゼみたいになりたい! お前なんかじゃなくて! ルイーゼを悪く言わないでよね!」


 ルイーゼはエミールに、友達を見捨てろなんて言わない。人を駒だなんて、絶対に言わない。

 悔しい。こんな言われ方をして、悔しい。

 こんな奴に負けるなんて……悔しい。


 頬をボロリと涙が伝った。こんなこと、今までに一度もない。

 エミールは引き籠りの軟弱者で、物も知らない未熟者だ。誰かに勝てると思ったこともないし、勝ちたいとも思ったことはない。


 なのに、悔しかった。どうしようもなく悔しくて。でも、力が足りなくて。

 こんな自分では、ルイーゼを守れない。

 守るって言ったのに。言ったのに。


「劣化版の目の前で引き裂いてやろうと思っていたが」


 刃がピタリと、頬につけられる。

 冷たい感触が、ゾッとするほど恐ろしかった。


「胸糞悪い。ここで死んでおけ」


 僕、死んじゃうのかな。

 死んだら、どうなるんだろう。

 もしも、生まれ変わったら、今度はルイーゼを守れるくらい強くなりたいな。


「そうはさせなくてよ」


 開かれた窓から、夜風が舞い込んだ。

 

 

 

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