第151話
なんてことはない。
幽霊などいない。オバケなんていない。オバケなんて。オバケなんて。
「オバケなんて、いませんわ」
「わかったから、足に纏わりついてくれるな」
蹴飛ばすぞと言わんばかりに呆れられてしまい、ルイーゼは少しだけセザールから離れて歩く。建物に侵入したときは良かったのだが、どうにも、こうにも緊張感は持続してくれなかった。
というよりも、
「なんだか、ハズレのような気がしますわ」
ルイーゼは唇を尖らせた。
建物内に人がいた形跡はある。新しめの蜘蛛の巣が張っていたり、埃が払われていたり。足跡のようなものもある。ここに誰かが長時間いたことは明白だった。
しかし、肝心の気配がない。
言うなれば、もぬけの殻。
暗がりから襲ってくるどころか、人がいる気配がしないのだ。
「勘付かれたか?」
「わかりません」
ルイーゼがここを探り当てた手段は、エドワードの記憶に共鳴したことだ。もしかすると、それは向こうにも伝わるものだったのかもしれない。
エドワードの痕跡を探って、もう一度記憶を覗き見るか?
恐らく、新しい記憶を見ることが出来るだろう。なにかわかるかもしれない。
だが、不安もある。
エドワードの記憶を覗くとき、偶然とはいえ、近くに宝珠を扱えるユーグかエミールがいる状態だった。三度目はその状況を意図的に作ったのだが。
セザールは転生者の血筋とは言え、あまり期待出来ない。サングリア公爵家では血がやや薄い。
それに、相性もあるようだ。転生者の子で、宝珠の能力も扱えるはずのギルバートでは、ルイーゼの宝珠を使うことが出来なかった。
もしかすると、ルイーゼとの親密度が関わっているのかもしれない。
「仕切り直すしかないのでしょうか」
せっかく、わざわざ夜中に抜け出してきたというのに。
肩透かしである。
「まあ、危ないことになるよりは、いいと思うがな」
セザールが安心しているように見えるのが、気に障る。しかし、彼はルイーゼの護衛のつもりでいるので、至極当然の意見でもあった。
「セザール様がいたら、危ないことにはなりませんわよ」
「どうだかな」
「珍しく自信がないのですわね」
「珍しくとは、なんだ。まるで、我が自意識過剰のようではないか」
「そうではないのですか?」
「我が文句なく誇れるのは美貌だけだ」
「安定した返答、ありがとうございます」
ルイーゼは半目になって頷いた。
ともあれ、ここで出来ることはなさそうだ。無駄足になってしまった。ルイーゼは落胆しながら、セザールと一緒に撤収することにする。
このままエドワードが帰ってくるまで待ち伏せていても良いが……なんとなく、胸騒ぎがした。
なにか、腑に落ちない。
ルイーゼがエドワードの立場であったなら、どうするだろう。
「我なら、待ち伏せて確実に仕留めるな」
セザールが腕を組んで思案する。
ルイーゼも最初はそう思っていた。乗り込んでくるであろうルイーゼの先を読んで、待ち伏せる。その方が有利に事を運ぶことが出来るし、罠など事前準備も行うことが出来るだろう。
しかし、そうではなかった。
「わたくし、大変な選択ミスをしてしまったかもしれません」
焦りが汗となって滲み出る。
† † † † † † †
いや、ちょっと待てよ。これ、やばくないか?
ギルバートは緊張を通り越して、苦笑いしか浮かばなかった。
「冗談じゃあないぞ、おい」
ちょっと
なにかあったときのために、裏道を教えられていた。
今のところ、誰にもギルバートの姿は見られていない。むしろ、こんな夜中に見つかれば、大変なことだ。セザールの養子になることになったとはいえ、アルヴィオスから逃げ隠れているのには変わりない。あまり自由な身の上とも言えなかった。
故に、犯罪者のようにこそこそ隠れて移動していたのだが、――結果的に、それが功を奏した。
「これは、不味いだろう」
唾を呑みこんで、目の前の惨状を隠れ眺める。
回廊に流れる夥しい量の血液。
王宮を警護していたと思われる兵士が壁に貼り付けられていた。肩と脇に支給品と思われる剣と槍が刺さっている。嬲ったような浅い切り傷もつけられていた。
これは、殺すためにつけた傷ではない。
急所をわざと外し、痛めつけて弄ぶようにつけられた傷だとわかる。
兵士は既に失血死していたが居たたまれずに、ギルバートは目線を逸らす。
「面倒を起こしても良い身の上じゃあないんだがな」
血の海から伸びる足跡の先には、知っている部屋がある。
ギルバートがルイーゼの行動をわざわざ告げに行こうとした軟弱王子の部屋だ。
誰にも姿を見られていない以上、このまま逃げたところで責められることはない。むしろ、逃げるべきだ。面倒事は御免である。
しかし、その選択肢は不思議と考えられなかった。
ギルバートの選択は、いつだって失敗してきた。
だから、今回も間違っているだろう。
故に、今更失敗が増えたところで、それがなんだというのだ。失敗し慣れて鍛えた精神を舐めるんじゃあないぞ。
「…………」
愛用の短剣を握り締めた。
意識を集中させると、力の流れのようなものが視界に色として映り込む。
ヴィクトリアから譲渡された
残念ながら、この程度の力しか譲渡されていない。
以前のように、人の思考を読んだり、魂の色を識別したり。地味なりに、なにかと便利な力を発揮することはなかった。
これは宝珠を持つ主の元へ、騎士が必ず帰還するための力だ。旧いアルヴィオスの契約。
人魚の宝珠に対しても効力はあるようで、とりあえずは感謝した。
力の流れは回廊を進んでいる。
やはり、エミールの自室か。
ギルバートは忍ぶように、しかし、素早く移動した。真夜中の宮殿を走るなど、子供のころに戻ったようだ。
「どうせなら、本物のお姫様を助け出したいんだがなぁ」
ギルバートはぼやきながら、エミールの部屋の前に立つ。気配を殺して中の様子をうかがおうと、壁を背にしながら扉に触れる。
「!?」
刹那、樫材の扉が紙のように破れ、内側から長い刀身が現れる。ギルバートは寸でのところで身を引いた。
一瞬遅れていれば腕が串刺しになっていたところだ。
間を空けずに、
ギルバートは間髪を容れずに短剣を構えて、素早く地を蹴った。そして、現れた人影を問答無用で斬りつける。
「誰かと思えば……まだ生きていたか。死に損ない」
「アンタ……!」
渾身の力と速度で短剣を突き出したつもりだった。
けれども、刃の軌道は呆気ないほどアッサリと逸らされてしまう。力業というよりも、力の受け流し方を心得ているといったところか。
フランセールでは珍しい漆黒の髪。陰鬱な前髪は垂らさずに後ろで結ってあるが、その顔には覚えがあった。
眼帯に覆われていない黒い右目が獰猛な笑みを刻む。
「クラウディオ・アルビン!」
「その名前は、もう使っていない」
かつてアルヴィオス王家に仕え、ギルバートの従者として宛がわれていた男だ。
国王ウィリアムの駒としてギルバートを都合よく導き、最終的にはアルヴィオスを裏切って姿を消した。
ルイーゼからその正体を聞かされていたが、こんなところで対峙するなんて不運すぎる。
「どうした、かかってこないか」
翻弄するような剣捌きに、ギルバートは前へ出ることが出来なかった。
受けるのに精いっぱいだ。何度も打ち込まれる刃を跳ね返す金属音だけが響く。
アルヴィオスにいるときから強い男だったが、尚更、手強く感じる。
剣筋も、以前はわざと隠していたのだろう。変わった剣術ではなかったはずだが、今は馴染みのない構えや踏み込みをしている。
ルイーゼが使っている剣術と非常に近かった。
「ぐっ……くそ!」
アルビン――エドワードは左肩に眠ったままのエミールを抱え上げている状態だった。やはり、エミールが狙いだったか。
人を一人担ぐというハンデを背負っている相手に歯も立たない。
「流石に飽きたぞ……少しは期待したんだが、親がクズだと子もクズだな」
体勢を崩したギルバートの腹に蹴りが叩き込まれる。
ギルバートはそのまま後方に倒れ込み、後頭部を壁に打ち付けた。
「だが」
意識が朦朧として、すぐに起き上がれそうにない。ギルバートは必死に立ち上がろうと、四肢に力を込める。
嘲笑うように、エドワードがその首を押さえつけた。
「親の方よりも良い色の魂だ。俺が頂いてやろう」
左目を覆っていた眼帯がずらされる。
闇のような右目と違って、波打つような蒼い光が溢れ出た。だだ漏れになっている宝珠の力に、引き寄せられていくような感覚がある。
首にかけられた手に力が籠った。
「がおおおおお!」
首が絞まる寸前で、エミールの部屋から、ブチィンッと大きな金属音が響く。
同時に獣の咆哮が轟き、エドワードの背後から影が迫った。
ライオンが首輪に付けられた鎖を引き千切って襲いかかってきたのだ。エドワードはかわすために、一度身を引く。
「…………ふじさん」
弱々しい声が響いた。
エドワードは、とっさに抱えていたエミールを睨んだ。
「ぎ、ギルバートは、僕の友達だもん! やめろぉぉお!」
途端にエミールが暴れ出した。主の意思に応えるように、ライオンがエドワードに向けて襲いかかる。
「ふじさんふじさんふじさんふじさんふじさぁぁぁぁああん! やっちゃえ、タマ!」
激しい咆哮をあげながら、ライオンが飛びかかった。
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