10章 さらば、引き籠り!
第142話
「これが十五年前のあらましです。はい。つまりは、完全に丸投げされたというわけですね。激きゃぴぷりぷり丸、もとい、激おこぷんぷん丸ですわ。はい」
ルイーゼは大きく息をつく。溜息だ。
「お嬢さま、どうぞ」
ジャンが気を利かせて、紅茶を勧めてくれた。長話になるので、ティーセットを用意してくれたのだ。
流石はシャリエ公爵家の執事。有能である。ご褒美に鞭を一振りしておいた。
「よろしゅうございますっ! それでこそ、お嬢さま!」
ベシィンッと気持ちが良い音共に、ジャンが咽び喜ぶ。歓喜に身悶えし、まさに絶頂の表情であった。
それを見て、アンリが身を前に乗り出した。
「私の寝室でなんという……羨ましいではないかっ! 私も混ぜるのだ!」
「せっかく、長々と真面目な話をしたというのに、余韻はないのですか!? 余韻は!? だいたい、十五年前もたいがいドMの素養がおありでしたが、ここまでではなかった気がしますけど!? どうやって育ったんです!?」
なんか、ちょっと見ないうちに親せきの子供が大きくなっていた。とかいう可愛いレベルではない。ちょっと見ないうちに、一人で立派なドMに育つ国王なんて、可愛くない。全く可愛くない。どうして、こうなった。
「陛下、落ち着いてください。あとで、ちゃんと縛って壺目線で見守ってあげます」
「……ああ、すまない。つい興奮してしまったようだ。うむ、頼む」
ミーディアがグッと拳を作って意気込んでいる。やる気満々だ。
あれ? そういえば、ミーディアはアンリにセシリアの生まれ変わりだと嘘をついていたような……ルイーゼは首を傾げる。
だが、蘇ったルイーゼの記憶の話をしても、アンリはその辺りの話題をスルーしていた。ミーディアも特に反応していない。
知らない間に、解決した問題のようだ。ルイーゼは敢えて突っ込まないことにする。
「久しぶりに亀甲縛りが良いのだが」
「わかりました。お任せくださいっ!」
「突っ込まないことにしておりましたが、突っ込んでくれと言わんばかりの会話を繰り広げるのは、辞めて頂けます!?」
少し見ない間にいろいろとついていけない関係になっている気がする。
なんですか、これ。隣に立っているカゾーランを見上げると、仏のように悟り切った表情を浮かべていた。心中、お察しします。
「そうか。やはり、そなたがセシリアか」
そんな会話をしていたと思ったら、アンリがポツリと呟いた。
意味不明な部分で切り替えが早い。
アンリはじっくりとルイーゼの顔を眺める。
ルイーゼは目を逸らすことが出来ず、口を噤んだ。
「最初から、そんな気がしていたのだよ」
ルイーゼをエミールの教育係に指名したのは、アンリだ。初めて見たときにセシリアに似ていたのが理由だと、以前に話していた。
「生まれ変わっても、わかるものなのですね」
ルイーゼは紅茶を口につけて、なんとなく笑う。
今はクロード・オーバンであった記憶だけではなく、セシリアとしての記憶もちゃんと覚えている。別々であった二つの魂が、一つになって自分の中にあることが感じ取れた。恐らく、エドワードが持っている宝珠と共鳴したお陰で、失われていた記憶が蘇ったのだろう。
「でも、残念ですわ。わたくしは、もう王妃様ではございません。そのように振舞うことも、そうなることも出来ませんわ」
確かに、ルイーゼはセシリアの生まれ変わりだ。
けれども、一度死んでいる。この魂はルイーゼのものであり、現世は現世だ。おまけに、別人の魂までトッピングされている。
前世と同じ想いなど、保っていない。
アンリもそれを理解しているようで、ルイーゼの言葉を静かに受け入れていた。
「けれど、これだけは言っておきます」
ルイーゼは笑った。
したたかに計算高く、そして、無垢な少女のように。
「セシリアであった前世のわたくしは、陛下をお慕いしておりました。だからこそ、陛下を守りたかったのでしょう。そして、謝ります。独りで逝ってしまって、申し訳ありません」
きっと、前世の自分ならこう言うだろう。そして、自分が覚えている想いを告げる。
「独りにしてしまって、心残りでした。とても弱い人ですから。でも、今の陛下を見ていると安心します。思ったよりも、お強くなられましたわね……別の意味で逞しい気もしますが」
アンリが静かに目を伏せる。
「私は強かったことなど、一度もないよ。今でも、セシリアがいないことが信じられないくらいだ。十五年も経ったと言うのに、情けない」
「そうですね。エミール様を一人で育てることも出来ませんでしたものね」
「手痛いな。やはり、セシリアがいないと駄目のようだな、私は」
アンリは弱々しく笑う。
ミーディアが心配そうにアンリを見ていた。
「傍に転生しているのではないかと、いつも考えていた。どこかにいるはずのセシリアを探して、ずっと追っていたのだ……だが、もう終わりにせねばな」
アンリは首を横に振る。
「セシリアが生まれ変わった娘に会うことが出来た。それだけで、私は救われたよ。そして、ここにはもう彼女はいないのだと、はっきり知ることが出来たのだ」
記憶や意識を引き継いでいても、どんなに心根が似ていても、同じ人間ではない。
そのことを理解して、アンリは自分の心に折り合いをつけたのだろう。どこかに、セシリアと同じ人間がいるのではないかという幻想から解放されたのだ。
寂しげな、されど、清々しい表情。
ルイーゼは微笑を描いて立ち上がった。
「わたくしが陛下にお伝え出来ることは、これくらいですわ。また体調が整ったら、ゆっくりお話しましょう……あと、庇って頂いてありがとうございます。刺されて死なずに済みました」
最後は少し照れくさく思いながら言う。
あんな風に、アンリが飛び出してくるとは思わなかったのだ。
「ああ、ありがとう。シャリエ公爵令嬢」
ルイーゼはお辞儀をして、その場を離れた。部屋を出るときにミーディアが「やっぱり、元ご主人様は悪い人じゃないって、わたし信じてたんですからっ」と、小声で笑っていた。
一緒に退室したカゾーランがルイーゼに視線を向けた。
「先ほどもお伝えしましたが、もう一度言いますわ。カゾーラン伯爵、ありがとうございます」
「ルイーゼ嬢……」
なんとなく、ルイーゼから口を開いていた。
カゾーランはルイーゼを見下ろしているが、なにも言えないようだ。ルイーゼは構わず続ける。
「結局、前世のわたくしは悪党ではなかったようです。いえ、厳密には王妃様の首を刎ねたのですから悪党なのでしょうけれど……伯爵に、あのような役回りを押し付けるだなんて、自己中心的で困った前世ですわ。問題も全部、
最後は文句のようになってしまった。ルイーゼは気を取り直して、咳払いする。
「あなたが刺し殺してくれなければ、きっと大変なことになっていましたわ」
あのとき、クロードはエドワードの魂と融合した
セシリアの魂と共に、宝珠の片割れを転生させるには自分も死ぬ必要がある。
しかし、エドワードに一時的に身体を明け渡すのだ。無傷で差し出すわけにもいかない。致命傷を負っても宝珠の力で死ぬことはないだろうが、半分しかない宝珠では修復が追いつかない程度に損傷させておく必要がある。
身を明け渡して自害しようとした。
だが、出来なかった。
「王妃様が殺害を懇願した大きな理由の一つですわ。自分で死のうとしても、出来なかったのです。きっと、抑え込んでいたとはいえ、エドワードの力が効いていたのだと思います」
死ぬ必要があった。でも、死ねない。
他者に介錯してもらうほかなかったのだ。
逆に、あそこでカゾーランが来てくれなかったら、大変なことになっていたかもしれない。
「それに……たぶん、わたくしは満足な最期を遂げたと思います」
言いながら、ちょっと照れ臭くなる。このようなことを口にする機会など、前世では恵まれなかった。
「あなたは前世のわたくしが唯一認めた武人ですから。その手にかかるなら、それ以上に良い死に方はなかったと思います。今までの死因の中では、遥かにマシだったのではないでしょうか。まあ、悪党前世シリーズは自分の記憶ではなかったみたいですが」
割と直球で伝えようと思っていたが、言葉を重ねるごとに捻くれてしまった。
しかし、カゾーランは意図を汲み取ったようで、立ち止まってルイーゼの前に膝をついて目線を合わせる。
「クロードは、本当にそう思っていたのであろうか?」
「本当ですわ。嘘などついておりません。前世のわたくしって、そんなに空気の読めるタイプでしたか?」
「このカゾーランを自分と並ぶ武人と認めていたと?」
「何度も言わせないでくださいませ……いい加減、ちょっと恥ずかし――ちょ!? 伯爵!?」
目を逸らした隙に、カゾーランがルイーゼの身体を抱きしめていた。筋肉でガッチリホールド状態だ。身動きが取れない。
「ぬぉぉおおお! クロードぉぉおお!」
はい、スイッチ入りました。
お約束と言うか、予想通りと言うか。感情表現が大袈裟で隠すことを苦手とするカゾーランは、そのまま男泣きをはじめてしまった。
「だからぁぁああ! 男の名前を叫びながら泣きはじめるのは、絵面が良くなくってよ!? 誰得展開ですか!?」
ルイーゼは手足をジタバタさせながら叫んだ。
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