第141話
「お願いです、クロード。わたくしを殺してください」
その言葉に、頭が真っ白になりそうだった。
クロードはセシリアを助けに来た。独りで戦っているセシリアを助けに来たのだ。
それなのに、
「今、なんと言いましたか?」
震えそうになるのを抑えて、問う。
「わたくしを殺してください。それしか、ないのです」
しかし、セシリアの言葉は変わらなかった。
全身から嫌な汗が流れて寒気がする。
目の前にいるのは、いつものセシリア。サファイアの瞳でクロードを見つめている。したたかで計算高くありながら、無垢な少女のような表情の女性。
けれども、今は弱々しく震えて、頬に大粒の涙が伝っていた。
「ごめんなさい……わたくしが、もっと上手くしていれば良かったのです」
セシリアは目を伏せて自分の身体を抱きしめた。
クロードは近づこうと試みる。だが、その場から一歩も動くことが出来なかった。
今、目の前にいる女性はセシリアだ。間違いない。
されど、その気配は異様に感じられた。
「あなたは……誰だ……?」
セシリア王妃そのもの。
が、発せられる気配は黒い闇のように重い。鋭い氷の刃を突きつけられているかのような感覚が支配する。
一声かければ烏合の衆すら水を打ったように静まり返ってしまう。そんな空気を持っていた。
そんな人物はクロードが――いや、クロードが思い出した前世の記憶の中では一人だけだ。
「そこにいるのか、エドワード」
問うと、セシリアが苦しそうに身体を震わせた。
「今は抑えています。でも、もう持ちません」
セシリアの言葉で告げられた。悲痛の表情のまま、セシリアはクロードに手を伸ばす。
クロードは、ゆっくりとその指先に触れた。
「クロード。お願い……」
指先に触れた瞬間、セシリアの両眼が蒼く波打つように光った。手には
クロードは流れ込んでくる蒼い力を受け入れる。
「……手遅れになる前に、頼れと言ったでしょうに……」
流れてきたのは記憶と、想い。交換するように、自分の記憶と想いも流れていく。心が繋がったという不可思議な感覚。
セシリアが戦ってきた記憶。彼女が転生者であること、王家のこと、人魚の宝珠のこと、そして、今に至る経緯が流れ込んできた。
建国祭を終えたタイミングで、セシリアは人魚の宝珠を盗むことにした。宝珠をアンリから引き離し、中に入っているはずのエドワード・ロジャーズの消滅を試みようとしたのだ。
「宝珠を盗むことは出来ました」
セシリアはクロードの手を握る。それに応えるように、クロードもしっかりと握り返した。
「でも、ダメでした……!」
流れ込んでくる記憶が彼女の悲痛を物語っていた。
宝珠を盗んで一日目、アンリの体調は安定したように思われた。単に宝珠から引き離しただけで効果が出るとは思っていなかったが、結果は良い方に転がっている。
このまま、宝珠の中にいるはずのエドワードを消してしまおう。それが出来なければ、いっそのこと、宝珠を海にでも沈めてしまおう。
だが、浅はかだった。
「わたくしが盗んだ時点で、宝珠は二分されていました」
珠の器に入っているが、宝珠には本来実体がない。
セシリアが盗んだ宝珠は半分に過ぎなかった。
もう半分はアンリに宿ったままだったのだ。エドワードもそちらにいた。
「盗んだところで意味などありませんでした。だから、わたくしは……」
セシリアがなにを言おうとしているのか、クロードにはわかっていた。今、握った手からセシリアの記憶が流れ込んできている。それを共有して、クロードは眉を寄せた。
「どうして、ご自分の命を粗末になさるのですか」
セシリアがやろうとしていることを理解してしまい、クロードは思わず吐き捨てた。
「何度転生していようと、あなたの命は、あなたのものでしょうに」
クロードの前世の記憶は後から植え付けられた紛い物。偽の前世。
それでも、思うのだ。
何度転生しても、そのときの人生が終わってしまえば続きはない。別人として生き直すことになる。例え、記憶や思考を引き継いでいても。永遠の命などではないのだ。エドワードが不死を手に入れようとする気持ちも、理解出来なくはない。
「クロード……やっぱり、わたくしを理解してくれるのは、あなただけね」
クロードの言葉を聞いて、セシリアは目を見開いた。悲しそうに揺れていた瞳はわずかに希望を宿す。
「王妃様はいつだって、俺を弄びますがね」
「あら、ごめんなさい。とても楽しいのよ」
クロードは軽く笑うと、セシリアの足元に膝をついた。
「こんな手遅れになるまで戦って、傷ついて……素直に守られては頂けないのですね」
セシリアは片割れを使って、アンリから宝珠を取り出した。
今、宝珠は二つに分かれている状態だ。
一つはセシリアの手元に握られたブローチに。
もう一つは、彼女が体内に宿している。そして、そこにはエドワードがいる。
片割れの宝珠によってエドワードが出てこないように抑えているが、もう限界が近い。
「今、わたくしの魂は宝珠と融合しています。このまま、わたくしを殺してください。そうすれば、彼の魂を封じたまま転生させられるはずです」
セシリアは、はっきりと告げた。
「それは……」
「出来ないとは、言わせなくてよ」
それは懇願であり、命令であると、クロードは悟る。
卑怯だ。そのように言われれば、クロードに拒む権利などない。
「……母上……?」
扉の隙間からエミールがこちらを覗いていた。エミールは恐る恐る入室して、セシリアに歩み寄る。セシリアは我が子を笑顔で迎え、頭をそっと撫でた。
「あなたは、忘れていてちょうだい」
エミールがスッと目を閉じて気を失う。宝珠の力で記憶を消したのだ。
倒れたエミールを部屋の隅に寝かせて、セシリアはクロードを振り返った。もう弱々しく助けを求める顔ではない。涙の痕を感じさせないしたたかな笑みで、クロードを見ていた。
「もう一つの宝珠の力では、エドワードを消滅させられないのですか?」
「無理でした。彼は完全に宝珠と融合しています。宝珠を一つにして消滅を図るしかないと思いますが……現状では、彼を抑えたままそれをするのは無理ですわ」
セシリアは笑って、両眼を閉じた。
委ねられているのだと思い、クロードは奥歯を噛む。
「彼を転生させて、どうする気ですか?」
「不老不死だなんて、望みを叶えさせてはなりません。それは、わかるでしょう?」
伝説の海賊エドワード・ロジャーズ。悪逆非道の限りを尽くしたとして歴史に名を残す大悪党。転生し続けるだけでも厄介なのに、永遠の命など得てしまえば――。
「では、確実に殺すことを考えた方が良い」
自分でも不思議なくらい淀みない言葉であった。
クロードは宝珠を握り締めたセシリアの手を掴む。
「転生はさせない。俺を奴に明け渡せばいいのです」
エドワードの最終的な目的は、器として育てたクロードの身体に入ることだ。アンリはそのための媒介に選ばれたに過ぎない。あわよくば、王権も思うままにしたかった程度のものだろう。
転生などさせれば、また同じことを繰り返すだけだ。宝珠の中に閉じ込めたままにも出来ない。
そうならば、
「宝珠が二つの状態では、不老不死は完成しない。不完全な状態であれば、殺すことも可能なはずです」
「クロード、それは――」
「宝珠の片割れを王妃様の魂に乗せて転生させましょう。出来ればロレリア以外がいい。宝珠がどこにあるのか、隠してしまうのです」
「でも……」
セシリアが戸惑いを見せていた。
この表情には、覚えがある。
「昔、王妃様――セシルから聞かれたことがありますね。自分が死んでも、泣かないでいてくれるか、と」
あのときの答えを聞いたときと同じ表情だった。
もう随分昔のことだ。月日が経ち、立場も変わった。クロードもセシリアも、あの頃とは別の感情を抱いている。
それでも、答えは今も変わらない。
「あなたが命を賭すのなら、俺もそれに殉じます」
今度は自分が笑顔を作る。悪魔のように禍々しい笑みと称される首狩り騎士。しかし、今の心持ちは不思議と穏やかなものだ。
「もう、独りでなど戦わせません。俺も一緒に連れて行ってください。きっと、この記憶は来世であなたを守る武器になる」
こんな形でしか、彼女を守ることが出来ない。
クロードにある記憶はエドワードから植え付けられた仮初の記憶だ。いずれ、彼が器に入るために施した準備。
しかし、この知識チートと戦闘の勘に助けられる部分は大きい。きっと、宝珠を抱えたセシリアの来世を守るだろう。
そして、エドワードを殺す力になる。
今のままでは、エドワードは転生してしまう。だが、器として育てたクロードに入ってしまえば、もう転生することはない。その必要がないように作られた存在なのだ。
時間はかかる。けれども、時間稼ぎも出来る。
「どうせ、託すのなら味方がいてもいいでしょう。お独りで戦わないでください」
クロードは手を差し伸べる。
セシリアが前に歩み出た。
「良いですわ……クロード・オーバン。供を頼みます」
クロードの掌に、掌が重なった。
跪いて、指先に唇を落とす。
「御意にございます」
立ち上がると同時に、刀に手をかける。
迷いはある。戸惑いも消えない。
だが、そんなクロードに全てを委ねて、セシリアが目を閉じている。細い首は背筋と同じくスッと伸びて、麦穂色の髪がかかるうなじが美しい。
クロードはその姿に見惚れてしまう。
そして、沸き起こる感情を自覚する。
恋ではない。言うなれば、陶酔に近い感覚。しかし、愛おしい。
この人の首を落とせることに悦びに似た感情を抱きながら、クロードはゆっくりと、しかし素早く刀を抜き放った。
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