第140話

 

 

 

 ――お前はいずれ、俺になる。


 これは、いつの記憶だ?

 誰の記憶だ?

 まどろみの中で浮かび上がる記憶には覚えがない。いや、覚えていないだけ?

 自分には六回の前世がある。いずれも悪党落ちして刺されて死んだ前世だ。しかし、時折、妙な記憶が挟まることに、クロードは違和感を覚えていた。


「どうされましたか?」


 唐突に王都へ舞い戻ったクロードに、門衛が驚いていた。


「急ぎ、王妃陛下に取り継ぎを頼む」


 クロードは理由を告げずに、こう言った。

 建国祭が終わり、クロードは任務のためにすぐ王都を離れた。特に急ぐ必要はなかったはずが、何故だかそそくさと出発していた。

 けれども、任務を受けた北方の砦に就いた矢先、便りが届いたのだ。


 差出人はセシリア王妃。

 内容はよくわからないものであった。

 脈絡もなく、これからエミール王子を頼むと書かれた手紙は不自然で奇妙なものだ。気にしなくても良いように思えたが、クロードには気がかりがあった。


 ――クロード。建国祭が終わっても、しばらく王都に残ることは出来るかしら?


 手紙はクロードに「これから」を託しているように感じた。

 けれども、あのときのセシリアを思い出した途端に、手紙は助けを求めるものではないかと思えた。


 セシリアは強い。純粋無垢でありながら、計算高いしたたかさを持っている。

 それでも、彼女は一人の人間だ。なんでも出来る超人ではない。独りでなど、抱え込めるはずがないのだ。

 それを理解せずにセシリアを独りにしてしまったのではないか。そんな懸念があった。


「申し訳ありません。王妃陛下は只今体調を崩されております。誰にも会いたくないとのお達しでございます」


 しばらくすると、王家付きの侍女が出てきて、そう告げた。


「クロード・オーバンが来たと告げれば、お通ししてくれるはずだ」

「申し訳ありません。誰も通すことが出来ません」


 その一辺倒だった。

 どうする。このまま引き下がるか。


「…………」


 視線を感じた。殺気の類ではない。だが、クロードはつい癖で、刀の上に手を置いたまま振り返った。


「エミール殿下……?」


 いつもは部屋の中で遊んでいるエミールがエントランスまで降りていた。四歳の子供は幼い身体を壺の後ろに隠して、じっとクロードの方を見ている。サファイアの瞳には涙が浮かび、唇はギュッと噛み締められていた。


「ひっ……こ、こ、こわく、ないもん……」


 エミールはじりじりと、こちらに歩いて来る。クロードは待っていられずに、エミールの前に膝をついた。


「ふぇぇぇ……やっぱり、こわいよぉ……」

「毎回、顔を見られるだけで泣かれると結構傷つきますが、今は気にしないことにしましょう。どうかされましたか、殿下?」


 エミールが頬を真っ赤にしてボロボロ泣くので、クロードは息をついた。エミールは歯をガタガタ鳴らしながらクロードの服を摘まんだ。


「た、た、たたたたすけて……母上を、たすけて」


 白い肌が耳まで真っ赤だ。

 必死に恐怖と闘いながら訴えているのだと理解した。

 その瞬間、クロードはエミールの身体を片手でヒョイと持ち上げる。そして、王妃のところへ通そうとしない侍女の横をすり抜けた。


「お待ちを! 誰も通してはならないと……」

「殿下は王妃陛下のところへ帰りたがっておられる。俺は、今殿下から連れて行けと命令を賜った。王族の守護騎士として、その意思を尊重するまで。逆らうなら、その首を差し出す覚悟はお有りか?」

「……え……そ、その……ひぃっ!」


 だいぶ強引な理屈で押し切った上に、脅し文句まで添えてやった。

 この国でクロードから「首を差し出せ」と言われて黙らない者はいない。脇に抱えたエミールまで「やっぱり、こわいよぉ……母上たすけてぇ!」と泣き喚いている。


「殿下、なにがあったか話せますか?」

「わからない……でも、母上が……母上が……悪いもの、母上がもってるんだ。こわいのが、母上にも悪いことしてる……」

「はい、全くわかりませんね」


 四歳児の説明力に期待したクロードがアホだった。仕方がない。とりあえず、セシリアに会えばなんとかなるだろう。


 流石に脇に抱えたままでは不敬なので、クロードは一旦エミールを抱え直す。


「殿下……?」


 エミールの両眼が蒼く光っている。波打つように美しい光を見ていると、なんだか思考が吸い込まれていく気がした。


「な……ッ」


 ――俺が頂戴するまで、その身体に傷をつけるなよ。クラウディオ・・・・・・、忘れておけ。


 これは、いつもの身に覚えのない誰かの記憶か?

 いや、違う。違う。これは最近の記憶だ。消されたクロード自信の記憶。


「どういうことだ……?」


 建国祭の夜、アンリ・・・と話した記憶だけではない。

 次々と記憶が流れ込んできた。


 自分には消された記憶が他にもある。いや、消されたのではない。

 付け加えられた記憶だ。


「あれは俺の記憶じゃなかった……?」


 クロードには六回の前世がある。いずれも、どうしようもない悪党で刺されて死ぬバッドエンド人生。

 けれども、歪な綻びがあり、違和感のあった前世の記憶たち。大事なところが抜けているような、都合よく繋ぎあわされているような。


 そう思うのもそのはずだ。クロードの内側から、本当の前世・・・・・の記憶が溢れ出てきた。


 自分はクラウディオという名の海賊だった。生まれつきではなく、物心ついたときに人攫いに遭ったのだ。

 運良く拾われた海賊の船長がクラウディオを気に入り、武芸や詐欺の技術を教えてくれた。師弟であり、気兼ねなく接することの出来る友人のようでもあったと思う。


 しかし、海賊――エドワード・ロジャーズにとって、クラウディオは駒だった。


 ――お前はいずれ、俺になる。


 エドワードはクラウディオに「呪い」をかけた。

 エドワードが求めていたのは不老不死。

 何度も何度も転生した彼が望んだのは、死なないこと。転生し続けることで魂の記憶を維持するのではなく、生き続けることだった。

 けれども、エドワードの肉体を維持したままでは叶わないと知ってしまった。だから、彼は器を作ることにしたのだ。


 選ばれたのがクラウディオ。なんでも、エドワードにとって、クラウディオの存在は親和性が高いとかなんとか言っていた。

 いずれ生まれるクラウディオの祖先に魂が転生するように仕掛けた。そして、転生先にエドワードは自分の記憶を植え付けた。


 いずれエドワードの魂が入り込む不死の器として。


 そして、エドワードは自分の魂を人魚の宝珠マーメイドロワイヤルに入れ込み、時が来るのを待った。

 クラウディオの魂を持ち、エドワードの記憶を植え付けられた器が――クロード・オーバン。自分であることを、クロードは初めて悟った。


 どうして、こんなに大切なことを忘れてしまっていたのか。

 いや、忘れさせられていた。


 記憶が正しいとすれば、今、王家が所有している人魚の宝珠にはエドワード・ロジャーズが宿っている。そのことを思い出すと、建国祭の日のアンリの言動にも納得がいく。

 そして、セシリアは恐らく、それに気づいているのだ。


「なんてことだ……!」


 セシリアはクロードより早く気づいていた。気づいて、独りで戦っていた。

 それなのに、クロードは――これはクロードの戦いであるはずなのに。


「エミール殿下、ありがとうございます」


 クロードはエミールをその場に残して立ち上がろうとする。しかし、その手をエミールが掴んだ。

 泣きじゃくる身体が震えている。言葉が声になっていない。


「一緒に行きますか?」


 エミールの意思を読み取って、クロードは問う。

 すると、エミールはコクコクと首を大きく縦に振った。


「王妃様に似て、殿下は勇敢です。そして、人に頼れる聡明さをお持ちだ」


 そう言って抱えてやると、エミールはクロードの身体にベタリと身体をくっつけた。身体は震えているが、泣くのは我慢している。その背をポンポンと叩いてやった。


「強がりの王妃様を一緒に助けましょう」

「う、うん」


 エミールは頷いて、回廊の先を指差した。あちらへ行けということか。


 クロードはエミールの案内に従って足を進めた。クロードにはなにも感じ取ることが出来なかったが、エミールにはなにかがわかるらしい。

 瞳が蒼く光っているのは、人魚の宝珠を使っている証だ。

 エミールは宝珠を手に持っていないが、共鳴している。離れていても使用出来るなど、チートだ。王子様でチートなんて、なんて恵まれているのだろう。と、若干羨ましくも思った。


「陛下……!?」


 回廊の先で倒れているアンリを見つけて、クロードは声をあげる。

 アンリはエドワードに乗っ取られていた。警戒したが、気を失っているようだ。

 顔が蒼白だったので心配したが、呼吸も脈も正常である。ひとまず安心すると、エミールがアンリに触れて涙を拭う。


「やっぱり、悪いの、母上が持ってる……!」


 エミールはそう言って、一人で走り出してしまった。クロードは倒れたアンリを放っておけずに遅れを取る。


「くそっ! 殿下、待ってください!」


 クロードは急いで周囲を見回した。窓の外を確認すると、丁度良いところにカゾーランが鍛錬をしている。


「おい、カゾーラン。陛下を頼む!」


 それだけ言い捨てて、エミールを追った。驚いたカゾーランが窓の外から「何事であるか、クロード!」と叫んでいるが、説明する余裕などない。


 エミールを追って走る。

 こんなに回廊が長く感じたのは初めてだった。

 同時に、空気が張り詰めるのがわかる。

 なにかがいる。この先に、なにかが確かにいる。


「殿下!」


 エミールがセシリアの部屋の扉の前に立っていた。クロードは追いつき、扉を開けようとするエミールを制する。

 空気の温度が下がっている気がした。妙な寒気を覚えて、クロードは腰に差した刀に触れる。


「お下がりください、殿下。ここからは、俺が行きます」


 ここにエミールを入れてはいけないと直感し、ドアノブを回す。

 張り詰めた空気を解き放つように扉を開けた。


「王妃様」


 中にいた人物が、ゆっくりとこちらを振り返る。

 麦穂色の髪が揺れ、ドレスが衣擦れの音を立てた。

 サファイアの瞳から流れる涙を見て、クロードは思わず動きを止めてしまう。


「どうして……来てしまったの?」


 クロードの姿を見たセシリアが呟いた。こんなに弱々しい彼女を見るのは初めてで、どうすればいいのかわからなかった。


「ごめんなさい。でも、ありがとう……お願い、助けて……助けてください。クロード!」


 引き裂かれるような表情で言われて、クロードはグッと拳に力を入れ、部屋に踏み入る。


「はい、助けに参りました」


 そう言って笑うと、セシリアは安心したように一瞬だけ表情を和らげる。

 けれども、次に放たれた言葉に、クロードは返答を見失ってしまった。


「お願いです、クロード。わたくしを殺してください」

 

 

 

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