第138話
「さてさて、選んでおくれ」
真っ白な部屋に椅子が一つだけ。そこにチョコンと座っているのは女。
確か、自分はヤクザの抗争の最中、刺されて死んだはずなのに……。
目の前には白い衣装を着た自称神の男が立っていた。なんとも特徴がなく、形容し難い顔の男だ。
「君の魂は特別な力を持っている。君自身も、もう気づいているだろう。そう、何度死んでも転生する。前世の記憶を引き継いで生まれ変わっているんだ」
「それがどうしたって言うんだ? 喧嘩売ってんのかい?」
女――二神永久子は不遜な態度で足を組みながら、自称神の話を聞いていた。
「僕はこの世界の他に、もう一つの世界を創ったんだ。そっちの世界が、なかなかどうして可愛くてねぇ。だけど、やっぱりさぁ、僕が創った世界だろう? 向こうもこっちも、似たような歴史になりつつあるんだ。それは詰まらない。そう思わないか?」
自称神はそんなことを言いながら、永久子の肩に手を置いた。
「君のように前世の記憶を持ち合わせる魂が、向こうの世界に行ってくれたら、とても助かるんだよ。生じた歴史の綻びから、別の軌跡を辿るかもしれない」
「それは、いわゆる異世界転生ってヤツ?」
「そうそう。やっぱり、呑み込みが早いねぇ! まあ、転生してもらう世界には剣はあるけど魔法のない世界なんだけどね。ついでに、僕から贈れるチートもない」
「ちょいと待ちな。そこは相応のチートを与えるのが筋ってもんじゃあないのかい?」
自称神の言い草に永久子は苛立ちを顕わにした。
「こんっな、か弱いお姉様をチートもなく異世界に放り出そうだなんて」
「いやいや、君なら充分やっていけるよ。なんなら、その戦闘力を活かせるように男に転生させてあげよう」
「そういう問題じゃあないのさ。チートも魔法もない異世界なんて楽しくないね」
「特別サービスだ。君の極道と詐欺師の知識が活かせるように、生まれは商家にしてあげるから。ね? ね?」
「つべこべ言わず、チート寄越せやッッ!」
自称神の提案に永久子は満足しなかった。
永久子は近づいた自称神の胸倉を掴むと、ドスのきいた声で睨みつける。自称神が「ひぃっっ!」と声を裏返らせた。自称神のくせに、なんかチョロい。
「そんなこと言われたってさ……あげられるものは、前に転生した子にあげちゃったんだよ」
「はあ? そいつにはくれてやって、あたいにはなにもないってぇのかい?」
指の関節をポキポキ鳴らし、永久子は立ち上がった。
目の前に光る道が現れる。
「僕だって、両方持って行かれて困ってるんだよ。まったく……取り返してほしいくらいだ」
「へえ……で、その宝物ってのは、なにが出来るんだい?」
自称神は言い渋った様子で目を逸らしていた。永久子は拳を鳴らして笑顔を作る。
「……人を操ったり、魂の在り方を変えたり……やろうと思えば、不老不死にもなれる」
「不老不死! いいねぇ、乗った。その宝、あたいが取り返してあげようじゃあないか。とっとと、それを持ってる奴の居場所を教えな」
永久子はノリノリで光の道を進む。
「ちょっと、ちょっと! 絶対に返してくれる気ないでしょ!? それに、僕は基本的に転生以外は人間の世界には干渉出来ないの。西側の国のどこかとしか……」
「使えない神だねぇ」
永久子は悪態をつく。
道の先には扉があった。
その扉を潜ると、そこは異世界。
そして、女はジャリル・アサドという名の赤ん坊に転生していた。
† † † † † † †
これは、いつの記憶だ?
時々、身に覚えのない記憶が飛び込んでくることがある。
自分に前世の記憶があると、物心つく頃には気がついていた。
けれども同時に、その記憶に歪さと矛盾があるということにも、気がつきはじめた。
「クロード。おぬし、大丈夫か?」
少しぼんやりとしていたらしい。カゾーランに呼ばれて、クロードはハッと意識を引き戻した。
「話の途中にどうしたのだ? おぬしらしくもない」
「あ、ああ……すまない。お前の話があまりに詰まらなかったから、居眠りしていたようだ。本当にすまない」
「おぬし、このカゾーランを馬鹿にしておろう」
「バレたか。すまない」
クロードは軽く首を振って息を吸う。
戦争が終わり、平和ボケでもしてしまったか。近頃、気が引き締まらない日が多い。
「男だから、三日目の体調不良とは縁遠いはずなんだがなぁ」
「なにを言っておるのだ。さっさと案を出さぬか」
「案と言っても……宴会芸みたいなものだろうに。俺には向かん。お前に任せる」
「何年か前にやった空中微塵切りは好評であったぞ」
「却下だ。却下! もうやらん! 絶対やらん! お前がやれ!」
今年の建国祭のパレードで、我々はなにを催そうか? という、至極どうでも良い話し合いであった。
当然のように空中微塵切りをさせようとするカゾーランの発言を、クロードは大真面目に一蹴する。
「あれが一番盛り上がるのだ」
「去年やった居合切りで良いだろうが」
「あれは地味すぎて不評であった」
「はあ? 俺の芸術的な剣術が理解されない……だと……? やはり、標的を人の首にした方が派手で良かったか。適当な罪人でも見繕って、陛下に許可を頂こう」
「辞めぬか、悪趣味である。対する一昨年、このカゾーランが披露した筋肉美の評判よ!」
「お前のは、単にその無駄なイケメンっぷりに騙された女どもがギャーギャー騒いで倒れまくっただけだからな。たぶん、筋肉関係ないからな!?」
「なんと! やはり、筋肉が足りぬか! リュシィやユーグは褒めてくれたと言うのに!」
あーでもない、こーでもないと言い合っては却下。これも却下。軽く手合わせしながら刃をガンガン叩き込むのもご愛敬。
割と日常的で健全な光景なので、もはや誰も止めようとはしなかった。
「あら、クロードもエリックも楽しそうですわね」
良い汗をかいてきた辺りで、横槍の声が入る。
誰かと思って振り返ると、セシリアがこちらを見ながらニッコリ笑っていた。
「おお、王妃陛下。失礼いたしました」
カゾーランが大袈裟に言って腰を折った。クロードも刃を鞘に納めて一礼する。
「今年も楽しみですわ。二人とも、しっかり務めてくださいね」
セシリアは水色のドレスを揺らして朗らかに笑う。麦穂色の髪も、サファイアの瞳も、いつもと変わらず輝かしい。
一言だけ述べると、そのまま何事もなかったかのように歩いていってしまった。
「王妃陛下は、やはりお美しい。エミール殿下がお生まれになってから、いっそう磨きがかかって……おい、クロード。どこへ行く」
「ちょっと待っていろ」
喚くカゾーランを放置して、クロードはセシリアを追った。男と女の足だ。少し大股で歩けば、すぐに捕まる。
「王妃様」
渡り廊下の下から、クロードはセシリアに呼びかけた。セシリアは立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「あら、どうしましたか。クロード?」
セシリアはパチパチと目を見開いて、驚いている振りをした。
けれども、クロードには、それが計算だとわかる。
「俺になにか用があったのではありませんか?」
直感だ。
セシリアの行動には意味がないように見えて、意味がある。もしかすると、カゾーランには聞かせられないことを言いに来たのではないか。
「どうして、わかってしまったのかしら」
「それなりに長い付き合い故、王妃様の企みを見破る自信があります」
「あら、そうだったかしら? 鈍感の代名詞だと思っておりましたわ」
「……どこからその評価が出てきたのか、俺にはわかりかねますが」
「そういうところが、鈍感なのですわ。でも、今回は残念ながら当たりね」
不服に思いながら、クロードは階段を見つけ、渡り廊下へあがる。その間、セシリアは待っているかのように立っていた。
「クロード」
前に立ったクロードをセシリアが見上げる。
七年前、王家に嫁いだロレリア侯爵の娘。四歳の王子に恵まれ、国民からも愛される賢女。王妃にして、クロードの主でもある。
この人に恋をしていたことが、恐ろしく昔話のように思えた。
「あなたは
「え? はあ……国宝ですから、知っていますよ。陛下の護衛を預かっております者なら、知らぬはずもございません」
それが、なにか?
クロードはよくわからないままセシリアを見返した。
「そう。もしかすると、知っているものだと思っていたけれど……」
「どういうことですか?」
実物を見たことは何度かある。透き通る水のようで、外界の光を取りこんで波打つように光る不思議な宝珠だ。
建国祭などでアンリがブローチとして身につけているので、護衛をしていれば見る機会もあった。
不死の力とか、時を越えるとか、意味のわからない伝承はあるが、ただの綺麗な石に過ぎない。クロードの知識はそんなところであり、一般的なフランセール人の認識と変わらないと思う。
「クロード。建国祭が終わっても、しばらく王都に残ることは出来るかしら?」
「国王陛下から任を司っておりますから、二つ返事で承諾は致しかねます……王妃様、いったいどうしましたか?」
なにかあるとは思ったが、流石に質問の意図が見えない。クロードが眉を寄せていると、セシリアが少しだけ笑った。
「そうですか」
笑みを湛えているが、ほんの一瞬だけ弱さを垣間見た。こんな表情をするセシリアは初めてで、クロードは戸惑いを隠せなかった。
「なにかありましたか。陛下には言えぬことですか?」
「……いいのです。ごめんなさいね、変なことを言ってしまったわ。気にしないでください。自分でなんとかしてみます」
セシリアは揺れる表情のまま目を伏せる。そして、クロードに背を向けた。
「王妃様」
歩き去ろうとするセシリアを呼び止める。不敬だと思いながら、その手を掴んだ。
「どうか、俺を頼ってください。陛下でも、セザールでも良い。お独りで抱え込みなさるな」
振り返るセシリア。
クロードはまっすぐに見据えた。
「あなたは本当に、鈍い癖に……時々、わたくしを理解しているから困ります」
時々の部分が強調されたことが気になったが、そこは今突っ込むべきではないと思う。
「わかりましたわ。どうしても、もう無理だと思ったら頼ります」
「手遅れになってから呼ばれても困りますよ」
「はい。わかっていますわ」
今すぐ頼れと言ったつもりだったが、牽制されてしまった。だが、こう言われてしまっては引き下がるしかない。クロードはセシリアの手を放して、無礼を詫びて一礼した。
歩き去るセシリアが一度だけ振り返る。
その手を、もう一度掴みたくなった。
けれども、クロードは手を伸ばさずに拳を握る。
建国祭は今年も
結局のところ、パレードは今年もカゾーランが脱いで
甘いマスクの正統派イケメンの半裸に婦女子が卒倒しまくったことで、妻のリュシアンヌから屋敷を閉め出されたという話は、前回にもあった。
懲りない筋肉馬鹿め。今年も締め出されろ。リア充に呪いあれ。
「……ひゃっ……!」
パレードが終わって国王と王妃、そしてエミール王子が馬車から降りる。けれども、クロードがいるせいでエミールが怖がって馬車の前側から降りようとしない。むしろ、はじまったときから、ずっと怯えて母親の膝で硬直していた。
「ふ、ぇぇ……母上、こわいよぉおおお!」
「こら、エミール。大丈夫よ、クロードは首の収集癖があるだけで、あなたを食べたりしませんわ」
「収集癖などございません。嘘を教えないでください、王妃様」
クロードはムッと口を曲げた表情を作る。
滅多に王都へ寄りつかないため、この親子の触れ合いを見る機会は多くない。だが、子供は嫌いではないので、それなりに微笑ましかった。ユーグの方が懐いているので、可愛く思えるが。
二つ返事で王子の教育係など請け負ってしまったが、こんなことで上手くいくのだろうか。
「こわいよ、こわいよ。母上、こわい……こわい!」
泣き止みかけていたエミールが再び声をあげた。
もう四歳になると言うのに、臆病すぎる。しかし、主に自分のせいなので、クロードには責めることなど出来ない。
「やだ、やだやだやだ!」
「もう、エミールったら」
泣き喚くエミールの頭をセシリアが撫でて宥める。けれども、エミールは少しも泣きやまない。それどころか、声はいっそう大きくなるばかりだ。
「俺は下がった方が良さそうですね」
流石にこれは泣きすぎだ。ここまで嫌われると傷つくが、仕方がない。
クロードは一礼して、その場を離れようとする。
「――――!?」
刹那、確かな殺気を感じた。
氷の刃を向けられたような、背筋が凍る感覚だ。戦場でもなかなかお目にかかれない鋭い殺意に、クロードでさえ身の毛がよだった。
思わず、腰に差した刀に手を置き、鯉口を切る。
「エミール、静かにしろ」
けれども、殺気は一瞬で消えた。
クロードの緊張を他所に、馬車の後ろ側からアンリが降りてくる。いつも通り穏やかな様子で、なにも変わったところはない。
しかし、クロードは息をつくことが出来なかった。
先ほどの殺気を放ったのは、間違いなくアンリだったからだ。
どういうことだ?
「う、ぐっ……ふぇぇッ……ひっく」
エミールがぐずっているが、先ほどのように泣き喚いてはいない。そんな王子の頭を撫でようと、アンリが手を伸ばした。
「アンリ様もお疲れでしょう。エミールは部屋に連れて帰りますわ。クロード、アンリ様をお部屋までお送りしてちょうだい」
すかさず、セシリアがエミールを抱きあげた。
セシリアは泣いているエミールを連れて、そそくさとその場をあとにする。
逃げているように見えたのは、気のせいだろうか?
「……陛下、参りましょうか」
アンリと二人になり、クロードはそう切り出した。アンリは何事もない様子で承諾し、クロードの前を歩く。
先ほどの殺気は、いったいなんだったのだろう。
アンリの剣術指南はカゾーランが行っているが、お世辞にも上手いとは言えないらしい。身体も細くて軟弱そうだし、視線で相手を殺すタイプでもない。魔法や不思議要素の存在しない世界なので、秘められたチートが隠されている可能性も皆無。
気のせいだったのか。
疲れているのだ、きっと。
「余計な詮索はしてくれるなよ、劣化版」
「…………!?」
声の質が変わった。
アンリの声ではあるが、雲のように掴みどころがない。闇の底から歌うような不気味な口調だ。
気がついたときには、薄く笑う顔がすぐ傍まで迫っていた。
気配が全く読めず、一瞬で間合いを詰められていたようだ。
一気に間合いを詰めて攻める。クロードがいつも使っている剣術の基本的な動作であった。とても、アンリが会得出来るものではない。
クロードは刀に触れるが、阻むように、腕を掴まれる。
「もう少ししたら、ちゃんと頂戴してやるよ。それまで、劣化版らしく大人しくしていろ」
「劣化版……? なんの話だ!」
刀を握ろうとする手に力を込める。
瞬間、アンリの両眼が波打つように蒼く光った。
「欲しいものは、とりあえず全て手に入れる。邪魔なものは全て壊す。それが俺のやり方だからな」
眩暈のようなものがする。動悸が激しくなり、身体から汗が噴き出てきた。
「それにしても、きちんと記憶も定着しているようだし、なによりだ。言っただろう? 欲しいと思ったものは奪ってでも手に入れる主義だからな。俺が頂戴するまで、その身体に傷をつけるなよ。
フッと蝋燭の火が消えるように、意識が遠退く。
倒れる寸前で壁に手をつき、バランスを取った。
「どうした? オーバン。気分が優れぬか?」
ぼんやりする視界の中で、アンリが顔を覗き込んでいる。クロードは頭を押さえて、なにがあったのか思い出そうと試みた。
「いいえ、なにも……立ち眩みのようです」
特に思い当たる節がなかったので、そう答えた。
なにかがあったような気もするが、思い出すことが出来ない。
きっと、疲れているのだろう。そうに違いない。鉄分豊富な豚レバーでも食べて、滋養強壮しなければ。
「そうか。そなたもゆっくり休め」
「はい」
そう言って、その日の会話を終えた。
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