9.5章

第137話

 

 

 

「さてさて、選んでおくれ」


 真っ白な部屋に椅子が一つだけ。そこにチョコンと座っているのは、制服姿の少女。

 確か、自分はトラックにはねられて死んだはずなのに……。

 目の前には白い衣装を着た自称神の男が立っていた。なんとも特徴がなく、形容し難い顔の男だ。


「君の魂は特別な力を持っている。君自身も、もう気づいているだろう。そう、何度死んでも転生する。前世の記憶を引き継いで生まれ変わっているんだ」

「は、はあ……そうみたいですね」


 少女は制服の裾を弄びながら、自称神の話を聞いていた。


「僕はこの世界の他に、もう一つの世界を創ったんだ。そっちの世界も、なかなかどうして可愛くてねぇ。だけど、やっぱりさぁ、僕が創った世界だろう? 向こうもこっちも、似たような歴史になりつつあるんだ。それは詰まらない。そう思わないか?」


 自称神はそんなことを言いながら、少女の肩に手を置いた。


「君のように前世の記憶を持ち合わせる魂が、向こうの世界に行ってくれたら、とても助かるんだよ。生じた歴史の綻びから、別の軌跡を辿るかもしれない」

「異世界転生、ですか?」

「そうそう。呑み込みが早いねぇ! まあ、転生してもらう世界は剣があっても魔法のない世界なんだけどね。ついでに、僕から贈れるチートもない」

「え……チート、ないんですか?」


 少女は露骨に顔を歪めた。

 最初はわけがわからずに萎縮してしまったが、少し慣れてきた。少女はプクッと頬を膨らませて、自称神を睨む。


「チートなしじゃ嫌です。わたし、そっちの世界には行きません。地球でのんびり、転生ライフを楽しみます」

「ちょっとちょっと、そう怒らないでよ。せっかくの異世界転生だよ? 楽しいよ? 君みたいな若い子は、結構引き受けてくれると思ったんだけどなぁ」

「魔法もないなんて、夢がないのよ。誰がそんなエサに釣られると思ってるの?」


 少女がジト目になっていると、自称神が焦ったように冷や汗を流している。

 この自称神、どうやっても少女を異世界に転生させたいらしい。


「チートをください」

「……う。わかった。わかったよ。ただし、大したものは与えられないよ?」


 自称神はそう言うと、少女の前に手を差し出した。

 右手に乗せられていたのは、紅い宝珠。

 左手に乗せられていたのは、蒼い宝珠。


「これをあげよう。どちらか選ぶといい。どちらかだからね?」


 少女が立ちあがると、目の前に光の道が現れた。どうやら、これが異世界に続く道らしい。


 少女は美しい二つの宝珠を見比べた。

 能力については、なんとなく、頭の中に入ってくる。不思議な感覚だけど、元から知っている知識のようにスルスルと受け入れることが出来た。説明書要らずの便利仕様に感謝だ。


「どっちも便利そうね」


 少女は悩んで、手を伸ばす。


「じゃあ、両方貰うことにするわ」

「え!? ちょっと、両方はダメだってば! ガチでヤバイやつだからね、それ!?」

「あら、大したものじゃないんでしょ?」


 自称神の制止を振り切って、少女は両手で宝珠を掴んだ。

 陸上部で鍛えた瞬発力を活かして、光の道を駆け進む。自称神は追って来られないようだ。


「じゃあ、せいぜい異世界ライフを楽しむことにしますね。さよならー!」


 道の先には扉があった。

 その扉を潜ると、そこは異世界。

 そして、少女はセシリアという名の赤ん坊に転生していた。




 † † † † † † †




 前世は前世。

 現世は現世。

 物心ついた頃から、セシリアは自由奔放であった。


「現世では、恋でもしてみようと思うのよ。やってみたいことは、たくさんありますのよ」


 くるくると回り、花のように笑う。

 いろいろなことをやってみたい。恋をしたい。ワイン農園をやってみたい。農奴解放もかっこいい。


「……どうせ、何度も生まれ変わるくせに」


 そんな希望を並べる八歳のセシリアに、セザールが呆れて息をついていた。

 最初は嫌われていたみたいだけど、最近はだいぶ接しやすくなった。


「それでもね、わたくしの人生は一度なの。記憶や意識は引き継ぐけれど、人生も一からリセットされます。一度死ねば他人のようなもの。そうは思わなくて?」

「わからん」

「セザールは転生したことがないから、そうなのよ。わたくしクラスのベテラン転生者になれば、一回一回の人生を楽しむ努力をしますのよ」

「十二回も生まれ変わったのに?」

「だからこそ、ですわ」


 たぶん、これは転生者にしかわからない感覚だろう。セザールはセシリアの味方ではあるけれど、理解者にはなれない。


 いつだってそうだ。

 セシリアは転生し続けた人生の中で、ただの一度も理解者を得たことがない。


 初めて異世界に転生したときは貧農だった。

 必死で成り上がって侯爵家に迎え入れられて……異世界に来るとき、自称神から頂戴した人魚の宝珠マーメイドロワイヤルを使って、ロレリアの地に転生し続けることにした。

 サラッコという人物に火竜の宝珠サラマンドラロワイヤルを渡したのは、ちょっとした痛手だったが仕方がない。

 ロレリアの巫女としてのセシリアの噂が広まっていたのだ。流石に同じ人物が転生し続けているとは思われていないようだったが、あまり良くない。好奇心から巫女を探す者も現れていた。

 女として転生し続けるセシリアでは、宝珠を守ることが出来ない。二つの宝珠を手元に置いておくのは危険だったのだ。

 けれども、その努力は――。


「ねえ、セザール」


 セシリアは柔らかな笑みを作った。

 このあとに相手がとるであろう反応を予測し、計算した笑み。自分の心を覆う仮面の笑みを浮かべてみせる。


「なんだ、改まって」


 セザールが面倒臭そうに息をつく。子供らしくない不遜な態度だ。


「わたくしが死んだら、あなたは泣かないでいてくれるかしら?」


「は?」


 セザールが面食らった表情をしていた。


「冗談は――」

「冗談ではなくてよ。今のところ、現世で一番好きな人だから、一応確認にね」


 セシリアが至って真面目だと知り、セザールは口を閉ざしてしまう。彼は子供らしからぬ表情を崩して、困惑した様子だった。

 けれども、しばらくして、


「セシルがそう望むのなら、我は泣いたりなどしてやらない」


 セザールは珍しく丁寧に言葉を選んで、そう言った。


「ありがとう、セザール」


 セシリアはその回答に概ね満足して、ニッコリと笑う。




 † † † † † † †




 セシリアは十三歳で一度目の恋をした。

 不思議なことに十二回の前世を経験しながら、初めてのことだ。


 きっと、彼はセシリアのことを理解してくれる人だから。

 転生者であるセシリアはいつだって独りだった。誰にも打ち明けられず、誰にも理解されず、ずっと独りで過ごしていた。

 たぶん、この人とならわかり合うことが出来る。

 でも、こちらから打ち明けるのはつまらない気がした。鈍い人だから、自分から気がつくまで黙っておくのも面白そう。


「見つけましたわ、クロード」


 城の中で鍛錬に励む姿を見つけて、セシリアは笑いかけた。

 バルコニーから身を乗り出すと、クロードがぎこちない動作でこちらを見あげる。


「危ないですよ、そんなところで」


 目を逸らしながら、不器用な口調だった。いつも通りの反応に安心しつつも、物足りなく感じる。


「落ちたら、受け止めてくれるのでしょう?」

「それは、まあ……というか、最初から落ちるようなことをしないで頂きたい。仮にも侯爵家のご令嬢なのですから」

「いいじゃないの。別にどこか遠くへ嫁入りするわけでもないのですから」


 フランセールの令嬢は一般的に十歳までは領地で過ごす。その後、王都で社交界デビューを果たして嫁ぎ先を探すのだ。

 けれども、セシリアはロレリアの巫女。この地に縛られた身だ。十歳を過ぎても、王都で暮らすことはなかった。


 ここは、ずっとセシリアの城である。


「どこかにお婿さんが転がっていないかしら」

「順当にいけば、セザールと結婚することになると思いますが」


 クロードはセシリアに背を向けて、素振りをはじめてしまう。

 彼が握る刀を作った鍛冶屋は、セシリアが手配してやったのだ。まさか、本物の日本刀そっくりの代物が出来上がるとは思っていなくて、ますます転生者である彼に興味がわいた。


「あら、クロード。わたくしとセザールが結婚すると思っているの?」


 悪戯っぽく聞いてやると、クロードはばつが悪そうにチラリとこちらを振り返った。


「……いつも一緒にいるし、身分だって……」


 小さくてゴニョゴニョとしていて、最後まで聞き取れなかった。けれども、その言葉を聞いてセシリアは声をあげて笑ってしまう。


「な、なにがおかしいんですかっ」

「ふふ、ごめんなさいね。クロード、なにもわかっていないのね」


 セシリアはグイッとバルコニーの外に身を乗り出す。


「例え、わたくしがセザールに求婚しても、彼は絶対に受けてはくれなくてよ。それに、わたくしだって、セザールと結婚は嫌ですわ。変な常識が身についてしまいます」


 セシリアどころか、世界中の誰から求婚されても、セザールは断るだろう。その姿が目に浮かんで、セシリアはおかしくなってしまった。


「ねえ、クロード」


 セシリアはバルコニーに預けていた身体を宙に放り出した。

 身体がフワリと浮くような。それでいて、地面に吸い寄せられる不思議な感覚。麦穂色の髪が舞い上がり、視界が反転した。


「セシル!」


 落ちたセシリアの身体を二本の腕が受け止める。厚い胸板にぶつかると、思ったよりも痛かった。


「やっぱり、受け止めてくれた」

「はあ!? ふざけないでください!」


 クロードが心底真剣な表情でセシリアを覗き込んでいる。セシリアは悪戯っぽく笑って、その首に両手を回してみた。


「ねえ、クロード」


 クロードの表情が固まって、動かなくなってしまう。

 緊張しているのか。いや、違う。

 セシリアは自分の声が思いのほか重々しいことに気づいた。それに呼応するかのように、クロードは真っ黒な目を見開いている。


「わたくしが死んだら、あなたは泣かないでいてくれるかしら?」


 何年か前にセザールにしたのと、同じ問いだった。

 クロードはなんと答えてくれるだろう。セシリアは唇に薄っすらと笑みを描いて、言葉を待った。


「そんなこと……」


 クロードが口を開きかけて、閉じる。


「泣きませんよ、俺は……そのときは、俺も死にます」


 やがて、重い唇が開いて言葉を紡ぐ。

 困惑して重々しく、しかし、はっきりと淀みない回答。それを聞いて、セシリアは満足した。


「ありがとう、クロード」


 出来るだけ明るい笑みを作った。

 嬉しさを表現しようと、精一杯笑う。


「やっぱり、あなたはわたくしを理解してくれると、思っていましたよ」


 それなのに、涙がこぼれてしまった。


 そんな風に言われたら、死にたくないと思ってしまうじゃない。




 † † † † † † †




「ねえ、アンリ様」


 その質問は、きっと三度目だ。

 自分が一番好きだと思った人に、投げかけ続けた質問。そして、きっとこの質問をする相手は、これで最後になると思う。


 この人は、なんと返してくれるかしら?

 一人目は一番信頼する人になった。

 二人目は唯一の理解者になった。

 三人目は最愛の人になると思う。


「わたくしが死んだら、あなたは泣かないでいてくれるかしら?」


 投げかけた言葉を聞いて、アンリが表情を変えた。最初は驚いていたが、やがて、顔色を曇らせていく。


「どうして、そのようなことを?」

「なんとなく、ですわ」


 ニッコリ笑っても、笑い返してはくれない。

 アンリは真剣に悩んだ挙句、こう言った。


「いくら考えても、泣かないなどと約束することは出来そうにないよ。セシリア」


 三人目に質問した人は、一番弱々しい回答をした。


「みっともなく泣いて、泣いて、泣いて……泣き飽きるまで、泣くだろうな。私は周りが思っているよりも、遥かに軟弱なのだ。出来れば、そうさせてくれないことを願うよ」


 アンリは自嘲気味に笑って、セシリアの手を握った。頼りないことを言っているのに、ほんのりとした温かさが優しく胸にしみていく。


「ありがとう、アンリ様」


 笑うと、アンリも弱々しく笑い返してくれた。


「そんなあなただから、わたくしは愛しているのですわ。放ってなどおけません」


 どうしようもなく弱くて臆病な人。


「あなたがいるから、わたくしは尚のこと現世を無駄にしたくないと思うようになりました」


 何度も生まれ変わってきた。何度も、何度も。

 死んでも次の人生が待っている。そう思って、投げ打ってしまった命もあった。

 だからこそ、わかるのだ。

 前世の記憶は蓄積され、繋がっている。でも、その記憶を持つ「セシリア」は決して同一人物ではない。

 性格や趣向は似ているものの、それぞれに少しずつ考え方や生き方の違う別人である。

 一度や二度の転生では気づかなかったが、今はそう思っている。


「たぶん、アンリ様は頼りにならないし、わたくしのことも理解してくれないでしょう」

「そう言われると傷つくな」


 アンリが苦笑いするが、セシリアは首を横に振った。


「信頼や理解と、愛情は違うものですわ。ようやく、わたくしは気づいたのだと思います」


 現世はなんて恵まれているのだろう。

 セシリアは目を閉じて噛み締めた。

 これまでの人生で、セシリアが心を許せる人なんて、ほとんどいなかった。だからこそ、餓えていたし、恋をしよう、いろんなことをしようと躍起にもなった。


「わたくしは幸福です」


 セシリアは笑ってアンリの手を両手で握る。アンリには意味がわかっていないようだが、それでもよかった。


 この幸福を壊す者がいたら、絶対に許さない。

 この充足感を乱す者がいたら、全力で阻止しよう。


 わたくしの人生を――大切なものを守るのは、わたくしです。

 

 

 

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