第136話

 

 

 

 頭が重いような。

 むしろ、すっきりと冴えているような。

 奇妙な感覚にとり憑かれながら、ルイーゼは立ちあがった。


 脇差プチ・エクスカリバーちゃんは奪われ、木刀は投げてしまった。

 スカートの中から鞭を取り出して、手の中でしならせる。


「わたくし、少々認知症を患っていたようですわ」


 ベシィンッと空打ちしながら、ルイーゼは一歩ずつ前に出た。


「あなた、わたくしの名前を騙るのは辞めてもらえますか? オレオレ詐欺ですわよ。正確には前世の名前ですが」


 一気に踏み込んで間合いを詰める。

 ルイーゼは未だに左目を押さえて蹲っている男に向けて、正面から鞭を叩き込んでやった。


「ヤァァァアアアアッ!」

「調子に乗るなよ、劣化版!」


 寸でのところで避けられる。


「ルイーゼ嬢、なにが……?」


 事態を呑み込んでいないカゾーランが戸惑った様子で問う。


「説明が面倒くさいので省きます。カゾーラン伯爵、手伝って頂けますか?」


 ルイーゼはハッキリした口調で告げて振り返る。


「一つだけ言っておくと……伯爵、あなたは悪くなくてよ。むしろ、感謝しております」

「ルイーゼ嬢、おぬし……」


 カゾーランが目を見開いて、ルイーゼに視線を向けている。ルイーゼはなんだか気恥ずかしくなって、カゾーランに背を向けた。


「思い出しました。あとでお話しますわ」


 背後でカゾーランが剣を構えるのがわかった。ルイーゼは呼吸を整えて、鞭を刀のように握る。


「あなたは、わたくしの前世ではありません……七回もの前世など、わたくしには存在しなかったのです。そうですわよね――エドワード・ロジャーズ」


 踏み込んで、ルイーゼは鞭を振る。革が勢いよくしなる音が攻撃と共に迫った。

 前世さん(仮)――エドワードはルイーゼの鞭を払おうと脇差を振る。だが、ルイーゼの後ろから繰り出されたカゾーランの突きに気づいて刃の軌道を変えた。

 金属を受け止める音が響くと同時に、ベシィンッと鞭打つ音が鳴る。


「お仕置きして差し上げますわよ!」

「こいつ……!」


 鞭で首を打って、ルイーゼは高笑いした。


「本当は、あのとき決着を着けられれば良かったと思うのですが……まったく、面倒臭いことを来世に残してくださいましたわ。わたくし、前世の尻拭いをするためにいるわけではありませんのに」


 ルイーゼは高笑いを辞め、冷たい視線で眼前の男を睨みつけた。


「前世でのお言葉を借りるなら――その身体、返してくださらない? あなたになんて、差し上げません」


 もう一撃鞭を浴びせてやる。バシィンッと良い音が鳴るのが気持ちいい。

 剣もいいが、やはり、ルイーゼには鞭の奏でる音の方が性に合っている。


「調子に乗りやがって……!」


 エドワードは口汚く吐き捨てながら、カゾーランの剣を受け流した。そして、ルイーゼとも距離をとる。

 左目は未だに波打つような蒼が溢れるように光っており、表情も少し苦しそうだった。


「ぐ、ッ……くそ!」


 苦痛に表情を歪めた瞬間、エドワードの腕に陶器のような亀裂が入るのが見えた。人間の皮膚の割れ方ではない。まるで、物が壊れるかのような有様だ。

 エドワードは亀裂を押さえると、視線を窓へと移す。


「お待ちなさい!」


 ルイーゼは直感的に叫んだ。同時に、エドワードがふわりと跳び、執務室の大きな窓ガラスを蹴り破っていた。


「胸糞悪い。どこまで、俺の邪魔をしやがる」


 ルイーゼはエドワードを逃がすまいと鞭を振った。しかし、距離が足りない。


「あ――」


 刃の煌めきが太陽の光を吸う色。

 想定していなかった。

 ルイーゼが気づいたときには、鮮やかに投擲された脇差が自分の眼の前にまで迫っていた。


「ルイーゼ嬢!」


 反射的に、刃を弾く動作をする。

 けれども、ルイーゼが持っていたのは鞭だ。しなる革では、まっすぐ飛ぶ刀を弾くことなど出来なかった。


 え? これって?

 わたくし、刺されて死ぬんですか?


 衝撃が走り、視界に紅が飛び散った。

 日射しの中でぼんやりと動くエドワードの影が、窓から外へ飛び降りる。


 ドスリと身体が床に転がった。

 重くて動くことが出来ない。身体に力が入らず、すぐには思考も回らなかった。


「陛下!?」


 カゾーランの慌てる声が聞こえて、ルイーゼはようやく頭を持ち上げた。

 身体に痛みはない。床に倒れたせいで、腰や背中が少々痛んだが、大したことはなさそうだ。


「え?」


 ドレスが紅く濡れていた。しかし、ルイーゼの血ではない。


「ちょ……え? ……陛下?」


 庇うように覆い被さっているアンリを見て、ルイーゼは目を白黒させた。




 † † † † † † †




 ――まったく、無茶をなさって……でも、ありがとうございます。アンリ様。


 セシリアの声が聞こえた気がした。

 アンリは薄く眼を開き、ぼんやりと霞む天井を見据える。ベッドの傍から、誰かのすすり泣く声が聞こえた。


陛下べいがぁっ」


 首を動かそうとすると、肩が痛んだ。身体に包帯が厳重に巻きつけられており、動きを鈍らせている。


「目が開ぎまじだ。よ、よがっだでず」


 ぼんやりとしているアンリの手を誰かが握る。妙に温かい手の主を見ると、涙と鼻水でグシャグシャになった令嬢の顔があった。

 ミーディアがみっともなく泣きながらアンリの手をキツいくらい握り締めている。

 アンリがなにも言わずに見ていると、気まずそうに手を引っ込めた。


「ご、ごめんなざ……ズズッ……ごめんなさいっ。わたし、わだじ、陛下が心配じんばいで……」


 ミーディアは急いで鼻水を拭うが、またすぐに鼻声になっている。


「私は……」


 思考が回らないまま、アンリは身体を起こした。けれども、肩に鋭い痛みが走って顔を歪めてしまう。


「陛下、元ご主……じゃなくて、ルイーゼさんを庇って、ひ、酷い怪我をぉ……」


 ミーディアはようやく落ち着きを取り戻して、一旦泣くのをやめる。しかし、油断するとじんわり青空色の目に涙を溜めていった。


 ああ、そうか。ようやく、事態を呑み込んだ。

 あのとき、ルイーゼに刃が迫っていた。気がつくと身体が急に動いて、彼女を突き飛ばしていたのだ。


 彼女は、きっと、セシリアだから。


 セシリアが生まれ変わった少女が死んでしまうのを、見ていることなど出来なかった。自分の立場は国王であり、肩には何万もの国民に対する責任がかかっているというのに。

 自分はこんなにも、死んでしまった人間に囚われているのか。


「陛下が死んでしまったら、どうしようかと思ってました」


 ミーディアがとても悲しそうな顔で俯いてしまう。それを見ていると、良心が痛む。


「わたし、ずっと陛下を見てたのに……なのに、なんで、あのときいなかったんだろうって……わたしが陛下をお守りするのに……!」

「あれは私が勝手にしたことだ。そなたに責任など……」

「わたしだって、勝手に言ってるだけですっ。陛下は気にしないでくださいっ」


 ミーディアはハンカチで顔を拭きながら必死で訴える。


 いつかの夜、アンリのことを慕っているから嘘をついていたと告白したときと同じだ。

 彼女の恋を叶えてやることは、今のアンリには出来そうにない。成就しないとわかっていて、それでも、ミーディアは必死にアンリを守ると訴えている。

 その気持ちは痛いくらいわかった。

 アンリもまた、もうここにはいない妻に焦がれて、叶わない夢をずっと見ている。


「わたしは、ずっと隅で見守っていられたらいいんです。陛下は気にしないでくださいっ。ただの壺目線ですっ……これからは、もっと、もっとしっかり見てますから――」


「もうこれからは、あのようなことはせぬ」


 必死に捲し立てるミーディアを遮って、アンリは咳払いした。そして、艶やかな黒髪が流れる頭を撫でる。


「そなたが泣くから、せぬ」


 未だに、セシリア以外のことを考えるのは難しい。すぐに思考が依存して、求めてしまう。

 だが、目の前で泣いている少女を落ち着かせたいのも事実で。

 頭を撫でると、やはり娘を持った気分になる。

 泣き止ませたくて撫でたつもりだったが、ミーディアは白い頬に再び大粒の涙をこぼしはじめた。けれども、どこか嬉しそうで、幸せそうな表情をしている。


「私も少しは成長せねばな」


 エミールは驚くくらい大きく成長している。

 あれは、もう母親などいなくても平気だろう。まだまだ公務は任せられないが、強くなったと思う。

 アンリばかりがセシリアにしがみつくわけにもいかない。

 少しずつ、セシリア以外のことを考えて生きよう。そう思えるようにはなった。


「失礼します」


 居室の扉がノックされる。

 ミーディアが顔を拭って、ベッドから離れた。そして、外に立った人物を確認する。


「陛下……ルイーゼさんとカゾーラン伯爵です」


 来訪者の名前を聞いて、アンリは表情を引き締めた。

 入室の許可を与える。


「陛下」


 入室したルイーゼは恭しくドレスをつまんでお辞儀をした。一流の貴婦人にも劣らぬ精錬された仕草だ。


「お話したいことがあります」


 顔をあげたルイーゼが少しだけ微笑む。

 

 

 

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