第135話
ルイーゼは、自分の身に起きた現象について説明することが出来なかった。
だが、直感したものは仕方がない。
「セザール様、エミール様をお願いします!」
そう言い捨てて、ルイーゼは駆け出した。
「え? ルイーゼ!?」
「いきなり、どうした」
説明を求める声を無視する。
なんとなく、エミールは置いて行った方がいい気がした。
足跡に触れた瞬間に降りかかった不可思議な現象。「セシリア」の夢を見ているときのように妙な同一感があり、とても他人に説明出来るものではなかった。
アルヴィオスでも、同じことがあった。
ルイーゼの記憶ではない。だが、過去に体験したかのような感覚。
そして、発せられた声や動き、身体の感覚には覚えがあった。
「まさか、そんな……」
ルイーゼは廊下を駆けながらポツリと漏らす。
有り得ない。
だって、それが有り得るなら、今ここにいるルイーゼは、何者になってしまうのだろう?
直感して走り出してしまったが、反面、その直感が外れていればいいとも思える。いや、外れていなければいけない。
――今、
そこがどこなのか、ルイーゼは知らない。だが、感じた。
ルイーゼは回廊の角を曲がり、奥へと走る。片手の木刀を、いつでも振り回せるように握り直した。
「…………ッ!」
回廊の先でガラスの割れる音がした。ルイーゼは足を速めて進む。
同時に、歪な胸騒ぎがする。
まるで、この先になにがあるのか、自分が感じ取っているようだ。
「伯爵……!」
きっと、非常事態だ。ルイーゼはノックもせずに、木刀を構えながら国王の執務室を蹴り開けた。
令嬢らしからぬ動作だが、仕方がない。まあ、ドMの変態国王なので大丈夫だろう。たぶん、健全だ。
「え?」
室内の様子を見て、ルイーゼは目を見張った。
ソファと机が蹴り倒されて、あらぬ位置に移動している。どうやら、椅子が窓を突き破って庭へ落ちたようだ。床には壺の破片も散乱していた。
カゾーランが息を切らして立っている。肩に傷を受けており、随分と苦戦している様子がわかった。
部屋の隅には、アンリが腰を抜かしたまま座っている。怯えているというよりも、信じられないと言いたげだった。
その視線の先に目を移して、ルイーゼも口を開ける。
「ああ、劣化版か」
そこに立っていた黒い影が振り返る。
アルヴィオスの城を攻めているときに行方がわからなくなっていたギルバートの従者――クラウディオ・アルビンと名乗っていた男だ。
だが、風貌が少し変わっている。
長い前髪に隠されていた顔が晒されており、眼帯もつけていない。髭は剃ったのだろうか。
以前、接触したとき、ルイーゼは彼をどこかで見たことがある気がしていた。
だが、それは陰気な容姿に既視感があっただけだと思っていたが――だって、こんなことなど、誰も想像していない。出来るはずがない。
はっきりと見覚えのある顔だ。
間違えようがない。
「わたくし?」
前世の自分――クロード・オーバンの顔だった。
「違うとも言えるし、そうだとも言える」
あいまいな返答をして、黒い双眸が笑みを描く。どことなく掴みどころがなくて、底知れない寒気を感じる。
「意味がわかりませんわ」
「わかる必要もない」
前世と同じ顔をした男は薄く笑って、片手でサーベルを弄ぶ。どこにでもある安そうな剣だ。カゾーランと一戦交えたからか、刀身が少し歪んでいた。
「あなたは、誰ですか」
自然と言葉が吐き出される。
「わたくし、死んだはずですけれど。でなければ、転生して前世の知識など――」
「適当に設定してやった知識が、本当に自分の前世だと思っていたのか?」
設定? なんの? ルイーゼはわけがわからないまま部屋に踏み入る。
「ルイーゼ嬢、おぬしは来ぬ方がいい!」
カゾーランが叫びながら、ルイーゼの進路を遮った。彼は剣を振って、前世さん(仮)へと斬りかかる。
「ああ、お前と話しているところだったな」
前世さん(仮)はカゾーランの一撃を曲がった剣で受ける。更に刃が湾曲するが、前世さん(仮)は特に気にしていないようだ。
「知りたいんだろう? 俺とセシリアのことが」
庇うようにカゾーランが前に立つので、ルイーゼは手が出せない。
「そこの国王がなにも話さないからな」
カゾーランの剣が押し戻される。猪突猛進筋肉重戦車状態であるカゾーランを力押しするなど、なかなか出来るものではない。
「このカゾーランを惑わそうなどと……」
「わかりやすいな。知りたいと顔に書いてあるぞ」
カゾーランの剣が弾き返されてバランスを崩す。
ルイーゼはそのタイミングを見計らって、一歩踏み出した。よろめくカゾーランの横をすり抜けて、前世さん(仮)との間合いを詰める。
「セイヤァッァァァアアア!」
「劣化版は黙っていろよ」
木刀の一撃が相手の身体に吸い込まれる。当たれば骨が折れる渾身の一撃だ。
けれども、ルイーゼの攻撃は届かなかった。
ルイーゼは突如、顔面に向かって飛んできたものを避けて、動きを止めてしまう。カゾーランの攻撃を受けて折れ曲がったサーベルだ。
身体を捻った動作に合わせて、ドレスの胸倉を掴んで床にねじ伏せられてしまう。
「う、っ……」
こいつ、強い。ルイーゼは表情を歪めた。
ルイーゼが鍛えはじめたのは最近のことだ。それまでは大人しい令嬢として生きてきていたため、鍛え抜いた男の身体だった頃とは強さが異なる。あるのは知識チートのようなものと戦闘の勘だ。
呆気なくねじ伏せられると、力技で抜け出すことなど出来ない。
「
前世さん(仮)はルイーゼの腰から
「おぬしは、クロードなどでは……」
「という願望の話はしていない」
カゾーランが苦々しい表情を浮かべる。それを愉しむように、前世さん(仮)は小さく声をあげて笑った。地獄の闇から響く歌のような、雲のように掴みどころのない口調が際立つ。
「
「黙らぬか……!」
カゾーランが力任せに剣を押す。ルイーゼを片手で押えているせいか、前世さん(仮)の刀がググッと押し戻された。
「ずっと、どこかで生きていると思っていたんだろう? 都合のいい願望だな。自分で殺したくせに」
カゾーランはルイーゼに自分が転生者であると告白したとき、クロード・オーバンが生きていると思っていたと言った。
あのときはスルッと流してしまったが、ルイーゼは今になって、あれが彼の本音なのだと気がついてしまう。
そして、カゾーランはそこを突かれて、今まさに心が揺らいでいる状態なのだ。
カゾーランは感情の起伏が激しく、情に脆い。
悪く言えば、超豆腐メンタル体質だ。前世さん(仮)は、そんなカゾーランにつけこんでいる。
「カゾーラン伯爵! 聞いてはいけませんわ!」
ルイーゼは叫んだ。だが、豆腐メンタルにどこまで響いているかわからない。
「あのとき、人魚の宝珠を盗んだのはセシリアだった。そこに座っている国王は、その事実を隠蔽して、俺に罪を被せた。当事者が死んで、都合が良かったからな。お前はその片棒を担いだんだよ」
カゾーランの額を汗が流れる。奥歯を噛み、必死で抑えているようだ。それを弄ぶように、笑声が響いた。
ルイーゼはなんとか逃れようと、床でもがく。けれども、男の腕はビクともしない。
この場で一番強いのはカゾーランだ。
平常心さえ保っていられたら、充分互角に戦えると思う。そこにルイーゼも加勢出来れば、倒せない相手ではないはず。
前世さん(仮)は理解しているからこそ、豆腐メンタル伯爵を揺さぶっているのだ。ルイーゼが相手の立場でも、同じことをする。
もっとも、令嬢たるもの女子力(物理)で勝負すべきだというのがルイーゼのモットーだが。
「卑怯ですわね」
吐き出すように言うと、前世さん(仮)が笑った。
「伊達に六度も悪党をしていない」
ルイーゼは握り締めていた木刀を前世さん(仮)の顔に向けて投げつけた。
腹が立つ。虫唾が走った。アルヴィオスで下衆野郎を倒そうと思ったときと同じだ。
七回も前世悪党だったくせに、ルイーゼは今、彼がやっていることを許すことが出来ない。
ルイーゼが投げた木刀が前世さん(仮)の顔に直撃する。
力が入っていないので、大したダメージにはなっていない。けれども、彼はゾッとするくらい冷たい眼でルイーゼを見下ろした。唇の端が切れて血が流れ出ている。
「劣化版が」
身体の奥が熱くなる気がした。直感的に、宝珠の力が溢れて、ルイーゼの眼が蒼く光っているのだと感じる。
「……それは」
ルイーゼの身体が熱くなるのと呼応するかのように、前世さん(仮)の左眼が波打つように蒼く光った。
その瞬間、彼は表情を歪めて隠すように眼を手で押さえる。いや、こぼれた水が溢れ出ないよう、押さえているような感じだった。
「……くそ」
解放され、ルイーゼは素早く抜け出そうとする。
「え?」
けれども、そんなルイーゼの頭に直接響く声があった。
いや、違う。声ではない。
これは記憶だ。頭の中に記憶の渦が溢れてきた。
――どうして……来てしまったの?
悲しそうな声には覚えがある。
気丈で、まっすぐで、でも、怯えた表情が脳裏に鮮明すぎる映像として蘇ってくる。
――ごめんなさい。でも、ありがとう……お願い、助けて……助けてください。クロード!
引き裂かれそうな声と溢れる涙。
これは、なんだろう。
記憶?
床に散乱していたガラスを覗くと、ルイーゼの眼がいつも以上に蒼く光っている。
「くそッ……それもこれも、全部……!」
前世さん(仮)はわけのわからない悪態をついている。彼が押さえる手の隙間から溢れる光が増していた。
そういえば、アンガスはルイーゼが持っている宝珠は半分だけだと言っていた。
片割れを持っているのが、この男なのだとしたら。
「共鳴している、のですか?」
動悸が速くなり、ルイーゼは自分の身体を抱きしめる。その間も、身に覚えのない記憶の渦が頭の中に流れ込んできた。
これは記憶だ。
ルイーゼが忘れていた記憶。
自分の中に眠っていた。今まで忘れていたのが嘘のように、ルイーゼは記憶を受け入れて、目を閉じる。
――お願いよ。もう、あなたしかいない。
どうして、忘れてしまっていたのだろう。こんなに大事なことなのに。
記憶をすくいあげながら、ルイーゼはその場に膝をついた。
――お願いです、クロード。わたくしを殺してください。
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