第128話
王宮でのんびりとするのは、久しぶり!
「んぅー、気持ち良いね!」
エミールは背伸びをして、傍らに座ったタマを撫でた。腕にはポチが巻きついていて、舌をチロチロと見せている。
アルヴィオスから帰ってきて、エミールは自分の部屋を満喫していた。十五年も引き籠って過ごした部屋だ。愛着があるし、とても落ち着く。
部屋の隅に立てかけられている大量のユーグの肖像画が少し気になるところだけど、まあいっか。
概ね変わらず、自分の部屋だと実感出来た。
「ごろにゃぁ」
タマが猫撫で声でエミールの顔を舐めた。
「タマ、くすぐったいよ」
エミールはクスクスと笑ってタマのたてがみに顔を埋める。
「そうだ。ポチ、タマ。お散歩しようか」
エミールが平気でも、タマはライオンだ。程よく運動させてあげた方が良いと、ルイーゼが言っていた。
タマは同意したのか、「がおがおー」と低く吠えて身体を震わせる。ルイーゼが見たら目をキラキラさせるくらいカッコイイ。
エミールはタマの上に跨って、部屋を出る。
「あら、殿下。出掛けるの?」
「うん! ユーグも来る?」
「勿論よ」
部屋の外に立っていたユーグが笑った。お友達みんなで散歩、嬉しいな。エミールは心が温かくなって、ふわりと笑った。
「見て。あ、あれ……引き籠り姫が……!」
「まあ、なんてこと! 引き籠り姫がライオンの上に!?」
「あの本に書かれていることは本当だったのですね。ライオンを従える勇ましい獅子王子」
「ちょっと、ユーグ様も一緒よ!」
「最高ですわ!」
タマに乗って歩いていると、変な声が聞こえてきた。
獅子王子って、なんのことだろう?
エミールが不思議に思っている一方で、ユーグは心底嫌そうな顔をしていた。
「ねえ、僕どうしてこんなに見られているの?」
「さ、さあ? みんな、ライオンが怖いんじゃないかしら?」
ユーグは引き攣った顔で首を横に振っている。
流石に、ユーグと話すのは慣れている。エミールには、これがなにかを誤魔化しているのだとわかってしまった。
「あれが噂の獅子王子様……! なんて、雄々しい!」
「これでフランセールも安泰ですわ」
「陛下も浮かばれます」
「あら、本物の陛下はまだ死んでいなくてよ?」
なんのことか、本当にわからない。
でも、まあいっか。褒められているみたいだもの。
アルヴィオスから帰ってきて、少しは成長したと思う。エミールは胸を張った。
それから二人と二匹は王宮内を闊歩して、広い庭へと移動する。
時々、ミーディアと一緒に訓練をする庭だ。ここなら、タマと遊んでいても大丈夫だろう。
「うあ、タマぁ。待ってってば!」
「ごろごろにゃぁ!」
「ああ、もうっ! ライオンと戯れる殿下も可愛いっ! ダメよ、耐えられない……筋トレしなきゃ!」
「シャーッ!」
エミールはタマと追いかけっこ。ユーグは何故かポチを頭に乗せて筋トレをはじめていた。みんな汗を流せて、気持ちがいい。
「ん? ……ふぇ?」
なんか、ちょっと気持ち悪い。
誰かに見られている気がした。王宮の中を歩いているとき、みんなから見られていたのとは違う。
エミールは立ち止まって、キョロキョロと辺りを見回した。
ピクリと、庭の木が動いた気がする。エミールは不思議に思って、木の方へ近づいた。
「あ……!」
「え……?」
目が合った瞬間、同時に声をあげてしまう。エミールはパチクリと目を見開いた。
「ち、ち、ちちち父上!」
木陰に隠れていたアンリを見つけて、エミールは思わず声を上ずらせた。
「エ、エミール……! えっと、だな。これは……その……」
アンリもエミールを見て、汗をたくさんかきながら後ろにさがる。
人と会うのは平気になってきたけれど、やっぱり、アンリと顔を合わせるのは緊張した。
初対面の人とは違う怖さがあると思う。上手く説明は出来ないけれど。
「エミール。私は決して仕事を放り出してきたわけでは……気分転換に散歩をしていたら、偶然、お前の姿を見つけて……」
突然、アンリは言い訳をはじめながら、エミールから視線を逸らした。
以前に公務の様子を見たときとは全く違う父の姿に、エミールはポカンと口を開ける。
「父上は……お仕事をサボって、僕に会いに来てくれたんですか……?」
言いたいことを読み取って問うと、アンリが顔を引き攣らせた。たぶん、当たっていたのだと思う。
やがて、アンリは諦めたように、「そうだ」と小さく呟いた。
「お前がずっと、部屋に籠っていたからな。公爵令嬢がいなくなって、また引き籠ってしまうのかと思っておった」
そうだった。エミールがアルヴィオスへ行っている間、ずっとヴァネッサが身代りになって引き籠っていてくれたのだ。
「心配、してくれたのですか?」
「……当たり前だ。同じ王宮にいるはずなのに、エミールが遠くへ行ってしまった気分だった」
勝手に出ていった自分の行動が原因で、アンリを心配させてしまった。本当はアルヴィオスに行っていたと打ち明けたら、もっと心配されるだろう。
引き籠っていたときはよくわからなかったけれど、今ならわかる。エミールもルイーゼが心配だった。だがら、ついて行った。
きっと、アンリも同じなのだ。
「そ、そうだ。父上も一緒に遊びますか? あの、タマって言うんです。サーカス……じゃなくて、ルイーゼがお土産に連れて帰ってくれたんです!」
暗い顔をするアンリの気を紛らわそうと、エミールはタマの頭を撫でた。
「ひっ……エ、エミール……お前は凄まじいペットと仲が良いのだな!」
「ペットじゃないです。ポチもタマも、僕のお友達なんです」
にっこり笑って言うと、アンリは信じられないと言いたげにエミールを見ていた。
もしかして、ライオンが怖いのだろうか。エミールも最初はとても怖かった。でも、タマはとても優しいし、エミールを噛んだりしない。
エミールは平気であると伝えようとして、タマの首に両手を回して頬ずりした。タマも応えて、エミールの顔を舐める。
「お前は……なんだか、大きくなったな」
アンリがおずおずと右手を伸ばした。
「ふぇ?」
伸びた手はタマを撫でるのではなく、まっすぐにエミールの頭に置かれた。
大きくて優しい手が、エミールの頭を撫でてくれる。とても温かくて、落ち着いた気分になった。
「逞しくなった」
「ほ、本当ですか?」
ルイーゼからは、まだまだ軟弱だと言われる。でも、アンリにそう言ってもらえると自信がつく気がした。エミールは嬉しくなって、頬を染めて笑う。
「まだ、父上みたいには、なれません……」
「いや、ある意味私より逞しいぞ。ある意味。ああ、ある意味で……セシリアそっくりだ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。セシリアも王宮に来たサーカスを見て、ライオンとゾウが欲しいと私に強請っていた」
「そうなのですか? ぞ、ぞう……? 父上、ゾウもカッコイイんですか?」
エミールが見たサーカスにゾウという動物はいなかった。
母がカッコイイと言うのだから、きっとカッコイイのだと思う。エミールは期待の眼差しでアンリを見つめた。
「大きくて、鼻が長くて……私も一度しか見ていない。今度、催しとして王宮に呼ぶか?」
「え、いいんですか! 僕、ゾウを見たいです!」
エミールは思わず前に乗り出した。
キラキラした目で詰め寄られて、アンリは咳払いしながら「では、爺と相談しよう」と言ってくれる。
こんな風に、アンリと話せて嬉しい。
僕、逞しくなったのかな? 母上に似たのかな?
心が弾んで、思わずアンリに飛びついてしまった。
「エ、エミール!?」
アンリが驚きながらも、エミールを抱き留めてくれた。
こんなことをしたのは初めてだ。ちょっと恥ずかしくて、心臓がバクバクした。
「ぼ、僕……もっと父上とお話したいです。あ、あの、その……お仕事が終わった頃に、会いに行っても良いですか? 父上は忙しくて、なかなか来られないから。僕が、会いに行きます。もっと、一緒にいろんなこと、したいです」
「いや、私はいつも会いに行こうとしているんだが……」
アンリの様子が落ち着かない。ゲフンゲフンと、意味が読めない咳払いを繰り返していた。
「お前が会いに来てくれると言うなら、そうだな。食事の席を一緒にしよう」
「食事ですか?」
「……セシリアが死んでから、ずっと独りだからな」
アンリは少しさみしそう。だが、嬉しそうに笑った。
食事……エミールは両手をグーにして、その言葉を噛み締める。そういえば、エミールもずっと独りで食事してきた。
アルヴィオスの旅で、初めて大勢で食卓を囲んだときは、とても楽しかった。賑やかで騒がしくて。またあんな風に食べたいな。
「あと」
楽しいお食事に胸を躍らせていると、アンリが神妙な面持ちで言葉を付け足す。
エミールは「なんですか!」と気合いを入れて聞き返した。
「出来れば、一緒にしようではないか……亀甲縛り」
数刻後。
エミールは汗を拭って爽やかに笑った。
初めてだけど、がんばった! ちょっとユーグに手伝ってもらったけど、上出来だと思う。
きっこーしばり。
「良い……良いぞ、エミール!」
「本当ですか、父上! 僕、がんばりましたか?」
きっこーしばりで木に吊るされたアンリの顔はとても嬉しそうなので、エミールは素直に喜びの笑みを浮かべる。
「素晴らしいではないかッ! エミール、私は嬉しいぞ。そのまま鞭打ってくれないか!」
「ご、ごめんなさい。父上。僕、鞭は持ってなくて……」
「では、代わりに殴ってくれても構わぬぞ」
「ふ、ふぇ!? な、殴っていいんですか? え、え……が、がんばります!」
いつの間にか、庭の隅に巨大な壺が置いてあったり、やってきた侍従長が泡を噴いて倒れているんだけど、まあいっか!
父上と一緒に過ごせて、本当に嬉しい。
やっと、親子らしくなった気がする。
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