第127話
サングリア公爵邸にて。
応接間に通された瞬間、ルイーゼは事の経緯をセザールに説明する。隣には緊張した様子のヴァネッサがいる。
セザールは上座の席で葉巻を吹かせながら、足を組んで座っていた。
ラフなシャツとスラックス姿なので、ちゃんと男に見えるが、シルバーブロンドを束ねるリボンは可愛らしい桃色だった。
滅多に王都へ出てくることがない引き籠り騎士なので、この機に昔の知り合いなどに顔を見せておきたいらしい。というか、自分から皆屋敷に見物に来ているようだ。客寄せパンダ状態。
そのため、すぐに自領へ帰る予定だったが、一週間は王都の邸宅に滞在するようだ。引き籠りも楽ではない。
「ということで、セザール様。ヴァネッサの修業をお願いします」
「断る」
あっさりと即答されて、ルイーゼは顔を引き攣らせた。
「何故、未婚の我がそんなことを……花嫁修業などとは縁遠いと思うのだが。常識を身につけてから出直せ」
「一般論を言ったからって、あなたに常識があるとは思えませんけれどね!」
ルイーゼはすかさず突っ込んだあとに、コホンと咳払いする。
「だって、ユーグ様は自分が認めた女性とは結婚しても良いとお考えのようでしたので……つまり、ユーグ様が認める理想の女性像に一番近いのは、セザール様なのではないかと」
「いや、我は男だぞ」
「珍しく一般論を連続発言されましたわね」
「常識的に考えろ」
なんだかんだ、ギルバートの身柄を引き受けたり、エミールやユーグのことを可愛がるセザールだ。ヴァネッサのことも快く引き受けてくれると思っていたが、そうはいかないらしい。
この非常識なオッサン、意外と手強い。チョロインのようにはならないようだ。
アプローチを変えるべきか。
「美の秘訣を学ぶためですわ」
「よかろう、なんでも聞くがいい」
うわー……あっさり食いついたー……ルイーゼは半目になりながら、乾いた笑みを浮かべた。全然手強くなかった。このオッサン、やはりチョロインだった。
セザールの了承を得たことで、ヴァネッサの表情が和らぐ。
少し緊張していたようだ。相手は奇傑で有名な
ヴァネッサはおずおずとセザールの前に歩み出る。
「あの……よろしくお願いします! 私、精一杯がんばらせてもらいますわ!」
体育会系の部活漫画みたいなハキハキした声で、ヴァネッサは深々と頭を下げた。腰の角度が九十度。なかなか良いお辞儀だ。
ルイーゼは頷きながら、二人を見守った。
「それで、我になんの教えを請うつもりだ?」
花嫁修業と言っても、いろいろある。
まずはなにから学ぶべきか。
ユーグがルイーゼを認めたきっかけは、彼に勝ったからだ。以来、ユーグはルイーゼのことを「姐さん」と慕っている。
けれども、ヴァネッサが今からユーグに勝つほどの女子力(物理)を身につけるのは難しい。ルイーゼ並みの訓練をしたところで、前世の知識チートがないヴァネッサには無理だろう。匙加減を間違えば筋肉隆々令嬢になる可能性もある。
「なにか得意なことはあるか?」
セザールがそれっぽいことを聞いている。
今のところ、常識人っぽい言動ばかりで、なんだか腹が立つ。何故だ。このオッサンが常識的に見える瞬間は、非常に腹立たしかった。
後ろを見ると、ルイーゼの感情を悟ったのか、ジャンが物欲しそうな眼でこちらを見ていた。
ルイーゼは二人の邪魔にならないよう、静かにジャンを縛り上げておいた。今日はM字開脚縛りだ。
「よろしゅうございます! お嬢さま! そのまま鞭打ってくださいませ!」
「せっかく、人が静かに縛ったのに、台無しにしないで頂けますか?」
ルイーゼは鞭打ちの代わりに、ジャンの側頭部を蹴り飛ばしておいた。
「得意なこと、ですか。刺繍はよくしますわ」
刺繍は貴婦人の嗜みとして文句ないだろう。ヴァネッサは少し恥ずかしそうに、自分が刺繍したというハンカチを取り出した。
「ふん、なかなかだな」
「ありがとうございます」
「裁縫は?」
「したことがありませんけれど、教えて頂ければ出来る気がします」
では、裁縫を仕込んでも良さそうだな。と、セザールは頷く。方針が一つ決まった。
もっとも、日本と違ってこの国の貴族の花嫁修業に裁縫など家事は含まれない。だが、ユーグの女子力 (オネェ)が高すぎるので、認められるには極める必要があると思われる。
「他には?」
問われて、ヴァネッサは考え込んだ。
彼女も令嬢として一般教養は一通り学んでいる。社交界での振る舞いも悪いものではない。普通の令嬢が行う花嫁修業はだいたい終了している状態だ。
「えーっと、そうですわね。最近は作家業をしておりますわ。あと……料理は好きで、よく使用人にも振舞っております」
ヴァネッサは照れながらも、自信のある様子で答えた。
ルイーゼとの決闘に料理対決を選んだくらいだ。元々自信があったのだろう。
なんといっても、ルイーゼと渡り合って試食した全員を
あとで、辛いだの甘いだのワケのわからない理由で叱られたが、きっとなにかの間違いだ。だって、ルイーゼの料理は不味いはずがないのだから。
「料理か。カゾーランの
「そうなのですか? では、是非ご指導頂きたいです! 私もユーグ様に美味しいと言って頂きたいので……使用人たちには気絶するくらい好評なのです!」
「では、厨房を貸そう。なんでも好きなものを作って持ってこい」
「わかりましたわ、ありがとうございます!」
数刻後。
出てきたのは、シンプルなポタージュだった。
色を見る限りカボチャだろうか。濃厚で甘そうな黄色のスープが食欲をそそった。ヴァネッサは自信満々の様子で、セザールの前にポタージュを置く。
「ふん」
スープが匙からこぼれる様子は滑らかで、カボチャがよく練られていることがわかる。
日本ならミキサーやフードプロセッサーがあるが、ここにはない。手間暇かけた逸品だ。
セザールは冷たい色の瞳でポタージュを見ていたが、やがて、口に運ぶ。見た目は合格だったらしい。ルイーゼも食べてみたいくらい美味しそうだった。
「おい、オッサン……厨房からさっき爆発音が――」
ちょうどそのとき、食卓に顔を出す者があった。
ギルバートだ。王都にいるのは好ましくない人物なので、普段は屋敷の奥で大人しくしているようだ。だが、来客がルイーゼたちだと聞いて、顔を見せに来たのだろう。
「オッサン。それは、やめておいたほうが……!」
ヴァネッサの料理を口にしようとするセザールを見て、ギルバートが血相を欠いた。
なにが問題だというのだろう。ルイーゼとヴァネッサはキョトンと首を傾げた。
だが、時すでに遅く。
「あべし!」
カボチャポタージュを口にした瞬間、セザールが咳き込みながら突っ伏した。
ギルバートが「あちゃー」と言いたげに顔を片手で覆う。
「……そいつらの料理は凶器なんだぞ。平気だと思ってても、遅れてくるんだからな」
「あら、失礼ですわね。でも、今日は他人様の厨房でしたから、ハバネロがなくて……代わりに、タバスコをたくさん入れなければなりませんでした。うちの厨房にある調味料でしたら、少量で済みますのに。物足りないのではないかと思っていましたが、セザール様が悶絶するほどお気に召してくださって、本当に良かったです。私、自信がつきましたわ!」
ヴァネッサが頬を赤くしながら誇らしげに言った。
セザールは満身創痍の蒼い顔で机に突っ伏していたが、震えながら顔をあげる。
流石はセザール様。
「ぐッ……く、み、みず……」
セザールは肩で息をしながら、傍らに置いてあった飲み物に手を伸ばし、一気に煽った。
「ひでぶ!」
飲んだ瞬間。セザールは口から液体を垂らしながら昇天した。
白目を剥いたまま仰け反り、ピクリとも動かない。返事がない。ただの屍のようだ。
「ヴァネッサが料理する間、少々暇を持て余しましたので、わたくしも作ってみたのですわ。お気に召してもらえて、良かったです。特製ジュース」
ルイーゼは、おほほほと優雅に笑いながら扇子を広げた。
「セザール様はワインがお好きですからね。そこにミルクとイチゴ、バニラ、蜂蜜で味付けをして、更に健康のことを考えて野菜の果汁もたっぷり入れてみました。以前、甘すぎだと指摘を頂いたので! ふふ。わたくし、これでも学習する令嬢ですの。爽やかなキュウリに大葉、あとはそう。酸味としてヨーグルトも入れましたわよ。苦味は野菜で充分かと思いましたが、ちょうど良いところにコーヒーが転がっていたので、豆を挽いてそのまま入れました。しかも、わたくしの空中斬りの技術で食材は美しい木端微塵!」
ワインは美味しい。イチゴミルクは美味しい。バニラシェイクも美味しい。ペプ○コーラにキュウリと大葉味があるので問題ないだろう。コーヒーだって美味しい。
今回は食べ合わせを充分に考えた自信作だ。
「よろしゅうございます、お嬢さまのお料理は常に殺人級でございます! 是非、ジャンにも!」
「おーほっほっほっほっ! 当り前ですわね。流石のセザール様も、わたくしの料理には文句の一つも言えないようですからね!」
「ふふ。これで、ユーグ様にも安心してお料理を出せます。もっともっと研究して、美味しいって言ってもらうわ!」
「ああああ、オッサン死ぬなぁぁぁああ!」
† † † † † † †
領地に引き籠って久しい荊棘騎士が王都にいるらしい。
その噂を聞きつけて、カゾーランはサングリア公爵邸を訪ねる。
最近の仕事量は尋常ではなく、忙殺される日々だ。だが、カゾーランはどうしても、セザールと話しておかなければならないと感じていた。
十五年前のあの日。本当は、なにが起こっていたのか。
あのとき、カゾーランはクロード・オーバンを刺し殺した。それは変えられない事実である。この目でクロードが王妃の首を握っているところも見たし、彼は言い訳も抵抗もしなかった。
生まれ変わりであるルイーゼは、そのことをよく覚えていない。
ならば、あの二人と近かった者からの話を聞くしかあるまい。
「申し訳ありません……若様は、ただいま急な高熱と吐き気でうなされておりまして。寒気がして蕁麻疹も出ると言っておりました。ご用なら、伝言致しましょうか?」
しかし、サングリア邸を訪れても、追い返されてしまった。カゾーランは伝言不要と言い残して、去るしかない。
王宮で見たときは、あからさまに無視されてしまった。そして、屋敷を訪れると今度は無理がある仮病。
よほどカゾーランと会いたくないのか。
それほどまでに、カゾーランの知ろうとしていることは隠し通さねばならないことなのか。
――こっちへ来い。全て教えてやる。
地獄の底から歌うような。それでいて、雲のように掴みどころのない声が思い出される。
あれは誰だったのだろう。本当に、彼は――。
あの男は、なにを知っているのだろう。カゾーランが知りたいことを知っているのだろうか。
「いかん……」
あれは間違いなく逆賊だ。王権に悪意を持つ者だ。
そのような者の言葉に揺らぐなど、どうかしている。
どうかしているが……甘い言葉に誘われそうになる自分の心の弱さに嫌気がさす。
今日は鍛錬を三倍に増やそう。筋肉が足りぬのだ。きっと、そうに違いない。
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