第126話
「姐さん、一生のお願いよ。この通りだから!」
ユーグから血走った眼で懇願されて、ルイーゼは流石にドン引いた。充血した眼がギラギラしていて怖い。ユーグとの距離をじりじり開けていく。
「なんなのですか。お屋敷にまで押しかけて! わたくし、これから日課の素振りを千回しなくてはなりませんのに」
「ねえ、話を聞いてよ。姐さん、このままだと私結婚させられるわ!」
「いいではありませんか。どうぞ、お幸せに」
「ちょっと、姐さん。待ちなさいよ。一肌脱いでくれても良いんじゃないの!?」
「虫が良いのですわ。わたくしが婚約騒ぎで参っていたときは、少しも助けてはくれなかったではありませんか」
シャリエ公爵の思いつきで結婚させられそうになったとき、ルイーゼはユーグに仮の婚約者になることを頼んだ。が、無碍に断られたことは記憶に新しい。
それを、自分が結婚させられそうになったときは助けてくれとは虫が良い。
「結婚は嫌と言いますが、ユーグ様は男性です。女と違って、世継ぎさえ作ってしまえば、あとは妻を放置するなり浮気するなり好き放題ではありませんか。大好きな漢観賞も好きにすればいいのです」
結婚した相手の女性には可哀想だが、男ならそれも許される風潮があった。
実際、世継ぎを作ったあとは妻を別邸に移して、ほとんど会わないという貴族はそれなりにいる。女の不貞には厳しい社交界だが、男には甘い。世の中、そういうものだ。
実際、ユーグの父親であるカゾーランは婚約者がいながら、結婚するまで浮気ばかりしていた。結婚後は手癖もピタリと止んでいたが、あれは女では許されない。
日本とは違って男女不平等なのだ。
「それは嫌よ。やっぱり、結婚するからには、ちゃんとした家庭を築きたいわ。世継ぎも大事だけど、娘も欲しいの。一緒にお料理したり、綺麗なドレスをたくさん着せて遊ぶのよ」
「だったら、結婚すればいいではありませんか」
意外とご立派な結婚プランを立てていらっしゃった。このオネェ騎士、女嫌いだが思考は間違いなく乙女。そして、女は嫌いだが娘は欲しいらしい。面倒臭い。
「そこをなんとか」
雑に扱うと、ユーグは面倒な声を上げながら縋りついてきた。
「だいたい、わたくしにどうしろと。まさか、偽婚約者にでもなれと言うのですか?」
「そのまさかよ。姐さんとなら、最悪本当に結婚しても平気……ああっ、姐さん。待って、お願い。行かないでってば」
予想通り過ぎて、ルイーゼは半目になってユーグを見た。ルイーゼが頼んだときは、断ったくせに。断ったくせに。断ったくせに!
まあ、あのときはお互いに初対面だったので、ルイーゼも礼儀を欠いていたとは思うが。
「どうして、急に結婚の話になったのですか。カゾーラン伯爵がなにか言いましたか? ああ、あの方はいつも結婚してくれと言っていましたわね。ということは、リュシアンヌ様ですか?」
「そうなの。母上が勝手に縁談を引き受けてきちゃって……」
リュシアンヌは前世の自分にも、カゾーランを通じて縁談の話を寄越していた。
自分の婚期をカゾーランの妙な女癖のせいで延ばされた経緯があるためか、その辺りに敏感らしい。周囲の未婚者に対して積極的に働きかける節がある。迷惑な夫婦だ。
「今までだって、それなりにあったと思うのですが」
「最近は数が多すぎて断り切れないから、この機会にって」
今までだって、ユーグはなかなか婦女子からモテていたはずだ。縁談くらい山のように話が来ていただろう。それが断り切れない数に膨れ上がったとは、どういうことだ。
ルイーゼが首を傾げていると、ユーグが肩を落としながらなにかを取り出した。
「本?」
「王都で大流行しているらしいのよ」
この本が、ユーグの結婚といったいなんの関係があるのだろう。
「こ、これって……」
一ページ目を開いて、ルイーゼは苦笑いした。
著者の名前はヴァネッサ・ド・アンワープ。
間違いなく、伯爵令嬢ヴァネッサだった。以前、ユーグと親しくするルイーゼに嫉妬して、決闘を申し込んできた令嬢だ。確か、エミールが留守の間、彼の身代わりとして部屋に引き籠ってくれたと聞いたが……。
まさか、引き籠っている間に、こんな本を執筆していたとは。
ルイーゼは恐る恐る本のページをめくった。
これは、或る少年が偉大なる王へと成長する物語。
少年の名はエミール。この国の王子にして、第一王位継承者。だが、彼の国は
必ず祖国を取り戻し、国王となると。
それが侵略軍に殺された王に対する報いであり、搾取される国民を救う手なのだと、彼は知っていた。
そして、少年を支えるのは優しき眼をした赤毛の騎士。その忠義は如何なるときも絶えず、どんな山よりも高い誇りがあった。
名はユーグ。
時には勇敢に立ち向かい、時には知略を巡らせ、時には王子を厳しく諭す。孤立した王子を支え続けた騎士の鑑である。
なんだか……これ……ルイーゼは唇を引き攣らせながら、ユーグを見上げた。
ユーグは隈の出来た蒼い顔を絶望に歪ませている。若草色の目が死んでいる。死んだ魚のようになっている。もうコレ死んでる。きゃー怖い。
実在の名前を使っている割に国王陛下がサクッと死んでいたり、国が滅んでいたり。
読み進めていくと、王子と騎士を誘惑する役回りとして、ルイーゼという人魚が登場していた。しかも、撃退したのはヴァネースという町娘で、その後ユーグと恋仲になる。何故、ここだけ偽名を使ったのか理解に苦しんだ。コレ、ヴァネッサのことですわよね?
海を渡ったり、ライオンと友達になったり、悪い国王を退治したり……王子と騎士が旅をしていく物語のようだ――あれ? 冒頭の亡国がどうとか、死んだ国王に報いるとか、そういう設定はどこへ?
「シーンごとに見ると悪くありませんが、話が散らかりすぎですわ。張った伏線が全く回収出来ていません」
「姐さん、本の批評は良いのよ。そこは、どうでもいいのよ!」
真面目に小説として評価するルイーゼに、ユーグがキレの良い突っ込みを入れた。
「つまり、この本が大流行しているお陰で、ユーグ様のファンが増えて縁談が山のように舞い込んでくるのですわね?」
「そういうことよ!」
ユーグが地団駄を踏んでハンカチを噛んでいる。黙っていれば超イケメンなのに、台無しだ。いっそ、この姿を王都中に見せて回った方が良いのではないか。それしかない気がする。
「母上まで、この本を気に入ってしまったの」
「まあ、読むのは自由ですからね」
「私が留守の間、ヴァネッサとお友達になったみたいで……私に彼女と結婚しろって言うのよ! 酷いでしょ!」
「あら、なにも酷くないと思いますが?」
サラリとかわすと、ユーグが身体を震わせた。
ん? そういえば、ユーグは女性を問答無用で「雌豚ちゃん」と呼んでいるはず。だが、今ヴァネッサのことは名前で呼んだ。
ルイーゼは引っ掛かりを覚えて、首を傾げた。
「ユーグ様、もしかして、ヴァネッサに好意がおありですか?」
「はあ!? なに言っているのよ。そんなはずないでしょ! 失礼しちゃうわ!」
「でも、ヴァネッサのことは雌豚ちゃんと呼ばないではありませんか」
「それは……まあまあ根性のある子だから、ちょっとだけ認めているだけよ。姐さんと一緒!」
ユーグは乙女っぽくプリプリ怒って腕を組んだ。
その様子を見て、ルイーゼは息をつく。
「では、完全に認められるようになったら、別にヴァネッサと結婚しても良いのですわね? わたくしとなら、最悪結婚しても良いと思っているくらいですし」
ポンと言ってみると、ユーグが若草色の目をパチクリと見開いた。
「え? なに? 姐さん、なにを考えているの?」
ポカーンという擬音が似合いそうな顔のユーグを見上げて、ルイーゼはやれやれと肩を竦める。
「仕方ありませんわ。なんだかんだ、決闘のときはお世話になりましたからね。今回だけですわよ」
ルイーゼは腰に手を当てて仁王立ちした。
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