第123話
久々に浴びるフランセールの日差し。風が気持ち良い。
故郷に帰ってきたという実感を噛み締めて、ルイーゼは胸いっぱいに空気を吸った。
「んぅ。やはり、住み慣れた国は最高ですわ」
前世分と合わせれば、三十八年ほどフランセールにいることになる。
三十八年だ。三十八年。一番長生きした人生が三十五歳なので、結構な期間ではないかと思えた。まあ、日本にいた時間の方がもっと長いのだが。
そう言えば、今までは転生と転生の間に結構な年数が開くこともあったと思う。
しかし、今回の転生は随分とスパンが短かったのではないかと気づいた。自分が死んだその日には、もう転生している計算だったはず。
今まで、こんなに早く転生したことはなかったと、改めて疑問に思う。だが、まあ些細なことだろう。ルイーゼは気にしないことにした。
「くっ……やっと、港か……」
船が着いたことを確認して、セザールが蒼い顔で船室から這い出てきた。
往路もそうだったが、相変わらず、セザールは船が苦手なようだ。因みに、今日は落ち着いた深緑のドレスを着ている。
「オッサン、いい加減に船くらい慣れたらどうだ?」
ギルバートが呆れた様子で息をついている。すると、セザールは明らかに機嫌が悪そうにギルバートを睨んだ。
「おい」
「な、なんだよ……事実だろう?」
只ならぬ気配を感じ取って、ギルバートが苦笑いする。
セザールは口元を押さえながら、ヨロヨロと立ち上がった。
「我はオッサンではないぞ」
そんなことを言いはじめる。
いや、四十路は充分オッサンです。ルイーゼは半目になってセザールを見た。
この非常識人、ついに性別だけではなく、年齢詐称まではじめる気か。
「あ、いやぁ……」
だが、ギルバートの反応はルイーゼとは違っていた。何故だかセザールから目を逸らして、気まずそうにしている。
「父と呼ぶように言ったはずだが」
「うっ……」
ああ、そうか。ルイーゼは納得して頷いた。
結局、亡命したギルバートの立場は中途半端だ。
このままフランセールで受け入れるのは難しいかもしれない。そのため、セザールが自分との養子縁組を申し出たという話を聞いていた。
最初はセザールがそんな良心的なサービスをするはずがないと思ったのだが、嘘ではないらしい。元々、どこかから適当な養子をとって自領を継がせるつもりだったようだ。
「我を父とは呼べぬか」
「そうじゃあないんだが……」
蒼い顔のまま迫るセザールに、ギルバートは歯切れ悪そうに顔を逸らしてしまう。
「なんだ……特別だ。母と呼ぶことも許そう」
「いや、それは絶対におかしい。冗談は見た目だけにしてくれないか、オッサン」
そんな遣り取りを見ていると、ルイーゼもニマリと笑ってしまった。
「あら、ギルバート様はお恥ずかしいのですか?」
煽ってやると、ギルバートは口を噤んでルイーゼを睨んできた。図星のようだ。
「……慣れてないんだよ、そういうの」
不貞腐れたように言うと、ギルバートは自分の荷物を持ち上げて、早々に船を下りてしまった。
その背を見ながら、セザールが腕を組む。
「まったく、非常識な小僧だ」
ため息をつく隣で、ルイーゼも一緒にため息をついてやった。
「あら、セザール様だって似たようなものではありませんか?」
「……うるさい」
セザールもギルバートのことを「小僧」と呼んでいることを指して、ルイーゼはプッと噴きだす。セザールはバツが悪そうにシルバーブロンドを指でくるくる弄ぶ。
「別に形だけの養子縁組なら、そういうのも必要ないと思いますけどね」
「それでは、意味がない」
セザールは蒼い顔のまま、上陸したギルバートを見下ろす。
「ああいう愚か者は強引にでも教育しておかないと、取り返しがつかなくなるからな」
体験談のように語り、セザールは甲板に手をついた。海から吹く潮風が銀に輝く髪をさらって梳かす。
「セザール様……」
男にも女にも見える中性的な横顔を見て、ルイーゼは思わず息を呑む。アイスブルーの瞳が自嘲の笑みを含んで、こちらを振り返――らなかった。
セザールはそのまま口元を押さえると、甲板にもたれかかる。そして、海に向けて見せてはいけないものを勢いよく吐き出しはじめた。
「早く下りて休んでくださいませ」
「ぐっ……我が美貌が……う、ぐぁっ」
みっともなく吐瀉物を撒き散らす女装のオッサンの背を撫でてやりながら、ルイーゼはため息をついた。
ノルマンド港に上陸した一行は、とりあえず酒場へと入る。
ルイーゼたちのような身分階級が使う店ではなかったが、海軍(どう見ても海賊)の面々がギルバートについてきたがっていたのだ。
また、酒場は情報が行き来する場所でもある。ルイーゼたちが不在の間、フランセールで起こったことも把握しておきたかった。
「殿下ぁ! 本当に行っちまうんですか!?」
「ギルバート殿下がいないと寂しくなります」
「俺、まだ殿下に告白してなかったです! 諦めてないです!」
そんな具合で海兵たちに迫られて、ギルバートも困った様子だった。
何故だか、この元王子、海兵たちにはすこぶる人気のようだ。これまでも外国への使者として派遣されることがあったので、接する機会が多かったのだろう。
「あら、そういえば」
酒場で出されたチーズをつまみながら、ルイーゼは声を上げる。
全般的に食べることが出来なかったアルヴィオス料理と違って、安物でも実に美味しい。フランセールはロレリア地方という恵まれた穀倉地を有し、食に関しては先進国だ。
「ギルバート様には従者の方がいらっしゃいませんでしたか?」
作戦の途中、落ち合う予定になっていたはずだが……あの従者はどこへ行ったのだろう。
問うと、ギルバートも複雑な表情をした。
「アルビンとは連絡が取れないまま出国した。アンガスに城を攻める合図を送ったらしいことは確認出来ているんだが、その後のことはわからない」
「そうなのですか」
ギルバートの返答も歯切れが悪いものだった。
ルイーゼはつまんだチーズを口に入れながら、思案する。
そもそも、アルビンと落ち合う予定だった場所に敵が現れたのは何故だ――密告されたのではないかという疑念が浮かぶ。だが、アンガスに城攻めの指示を出したのも彼で……。
「雲隠れしてしまったところを見るに、あの方はギルバート様と下衆野郎の双方に通じていた可能性もあるのでは?」
「二重に裏切っていたということだろうな」
「あら、お気づきでしたか」
「馬鹿にするんじゃあないぞ」
下衆野郎はギルバートを都合よく操っていた。そのために、従者に息がかかっているものを置くのは自然な流れだろう。そして、何らかの理由でアルビンが下衆野郎を裏切った。
不自然な形で見つかった下衆野郎の遺体にも説明がつく。下衆野郎の死因はルイーゼの攻撃ではなかった。明らかに誰かが止めを刺した形跡があったのだから。
「だが、理由がわからない」
「金銭トラブルかなにかでは? 仲間割れの理由など、案外単純なものですわ」
ギルバートは難しそうに腕を組んでしまう。
現段階では想像しか出来ないことだ。
黒尽くめの眼帯で、陰気な雰囲気を纏った影のような従者。ついでに言うと、髭は似合っていなかった。
クラウディオ・アルビンと名乗っていたか。
今にして思えば、なんとなく苦手意識があった。
そういえば、同じような名前に聞き覚えがあるような……ああ、そうだ。海賊時代の仲間にクラウディオという男がいたはずだ。下衆野郎と同じく姓までは覚えていないが、彼もなんだか陰気な雰囲気の暗い男だったと思う。
というか、その名前自体がこの世界では割と溢れているのだ。
クラウディオ・アルビンをフランセール語に直すと、クロード・オーバンになる。
初めて自己紹介されたとき「あー、前世と同姓同名さんですわ。なんだか、黒歴史抉られそうな不吉な名前! 陰気そうな雰囲気もそっくり!」と思って一方的に苦手意識を持った覚えがある。
名前被りはそんなに珍しくない。どこどこ家のルイーゼさんなど、何人見たかわからない。日本のように漢字の名前を採用してほしいくらいだ。瑠衣世とか、どうだろう。暴走族のようで、かっこいいではないか。
「とりあえず、このまま王都に帰ることにして大丈夫ですわね?」
ルイーゼは確認の意味で尋ねる。
エミールのことは早めに王都へ帰さなければならない。セザールはルイーゼをアルヴィオスから無事に連れ帰ることが任務である。ギルバートもこれからはセザールと共にサングリア領で過ごすことになるだろうが、一度はアンリに目通りしておく必要があるだろう。
とりあえずは、皆王都へ向かう。
多少引っ掛かることはあるが、これで一件落着だ。アルヴィオスへ行って帰ってくるルイーゼの旅は終わるのだ。下衆野郎も倒して、めでたしめでたしの大団円。
このままルイーゼはエミールの教育係を続けて、王都で平和な暮らしを送る。そして、ハッピーエンドを迎えてやるのだ。完璧だ。
なにも問題はない。
「よろしゅうございません。お嬢さま、一つお忘れでございますよ」
一安心しているルイーゼの前に、ジャンが神妙な面持ちでズイと前に出る。執事のあまりに真剣な表情に、ルイーゼは思わず目を見開いた。
「ジャン、どういうことですか? なにも問題なくてよ? これからは、ハッピーエンドを突き進むのですわ」
キョトンと告げる。
すると、ジャンは両手を挙げて片足立ちのポーズを取る。いわゆる、グ○コポーズだ。
ジャンはグリ○ポーズのまま、力強く告げた。
「今日はまだジャンへのお仕置きを頂いておりませんっ! よろしゅうございません!」
「は……はあ?」
なにもしていないのに、珍妙なポーズでお仕置きを求めるジャンを見上げて、ルイーゼはポカンと口を開ける。
「えーっと、特にお仕置きする理由はなくてよ?」
ルイーゼが戸惑っていると、ジャンは更にポーズを変更する。立ったまま片足をピンと伸ばして美しいY字立ちを披露した。男なのにこの柔らかさは驚嘆に値する。
次いで、地に頭をついたかと思うと、見事な三点倒立を決めた。
「ジャン……」
ジャンの珍妙なポージングを見つめて、ルイーゼはゆっくりと立ち上がった。
そして、ニッコリと笑顔を作る。
「なんだか」
スカートの下に装備していた鞭を取り出して、ヒュンッとしならせた。
「食事中にそのポーズを見ていたら、無性に腹が立ってきましたわ。良いでしょう、お仕置きしましょう。さあ、跪きなさい!」
ベシィンッと鞭打つ音が酒場に響く。
公衆の面前ではあるが、ここは庶民の店だ。しかも、王都から遠い。こんなところで、少し従者を鞭打っても文句は言われない。大丈夫だ。健全である。
「おーっほっほっほっほっ! やはり、故郷でのお仕置きは気持ちが良いですわね!」
「よろしゅうございます! お嬢さま、よろしゅうございますよっ! ジャンも幸せにございます!」
ベシィンッ、バシィンッ。
執事を鞭打つ爽快な音を響かせながら、ルイーゼは高笑いするのだった。
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