第124話
大所帯となったので、帰路は馬車での旅だった。
ロレリア侯爵領を避けてサングリア公爵領を通った以外、往路とあまり変わらない。
だが、黄金色に色づいた麦畑を見て、エミールは目を輝かせていた。他にも、秋の夜長に歌う虫たちの音色に耳を傾けて笑ったりもしていた。
そんな姿を見ていると、ルイーゼも心が幾らか和んだ。
アルヴィオスまでの往路も旅をしたが、緊張感があって、とてもそんなものに気を配る余裕はなかった。改めて、一緒に旅をしたのだと実感することになったと思う。
「ルイーゼと一緒だから、すごく楽しかった」
長い旅となった日々を思い返して、エミールはこんなことを言った。宿屋の外で、夜風に当たっているときのことだった。
月明かりも細く、星の輝く夜空が広がっている。こんな風に二人で星を眺めたのは、アルヴィオスに向けて出港したとき以来のことだった。
「わたくしと会った頃は、部屋の外に出るのも怖がっていらっしゃったのに」
「う、うん……今でも怖いこと、たくさんあるよ。でも、ルイーゼと一緒だから。勿論、ユーグと二人で旅するのも楽しかったけど」
「大人数での旅は修学旅行みたいで楽しいものですわ」
「しゅうがくりょこう?」
屈託ない笑みで告げたエミールの顔がまぶしく思えた。
明日には、王都に着く。
今日は旅で過ごす最後の夜ということになるだろう。また引き籠りの王子と教育係という関係に戻る。
ルイーゼが毎日、屋敷から王宮へ通い、エミールに勉学を教える。そろそろ、社交界スキルを一式身につけても良いかもしれない。夜は適当な夜会に出向いて、対人スキルを磨いていくべきだ。今のエミールなら出来るだろう。
経済学や歴史、一般教養、帝王学に……学ぶべきことはたくさんある。この十九年、引き籠ってサボっていたのだ。みっちり躾けなければ。スパルタである。
早く一人前になってもらわなければ。
それから――それから、あとのことを考えて、ルイーゼは口を閉ざした。
エミールが一人前に成長すれば、ルイーゼはお役御免だ。ようやく、マトモな婚活をして平凡なハッピーエンドへの道を歩むことが出来る。
ルイーゼが望んだことだ。高難度のクエストをクリアして、バッドエンドフラグを叩き潰す。
――ルイーゼにとって、幸せってなに?
ふと、思い起こされる言葉。
真剣な眼差しで言ったエミールと、今目の前で微笑んでいるエミールの顔が重なる。
「エミール様」
「なに?」
思わず名を呼ぶと、エミールが首を傾げる。だが、ルイーゼには続きの言葉を紡ぐことが出来なかった。
「いえ、なにも……」
なにを言おうとしていたというのだろう。ルイーゼは言葉を呑みこんで、首を横に振った。
「ルイーゼ、僕……がんばるからね」
ルイーゼの思いを知ってか知らずか、エミールはそんなことを言った。
「僕、ちゃんと父上みたいに、立派な王様になれるように……がんばるから……がんばるから、ルイーゼに傍にいて欲しい。まだまだダメだから。もっと、いろいろ教えて欲しい……ルイーゼみたいに強くなりたい」
優しい色をはらみながらも、弱々しく、けれども、芯の強い眼差し。亡くなったセシリア王妃を彷彿とさせながらも、違うと感じる。
「早く一人前になって、今度は僕がルイーゼの手を引いて歩くんだ」
何故だか、言葉が心に突き刺さった。
引き籠りの軟弱王子から、こんな言葉が出るとは思わなかった。願ってもない決意だ。
それなのに、胸が痛いのは何故だろう。
「……おこがましいのですわ」
ルイーゼはエミールから顔を逸らしながら、口を曲げる。
「エミール様には、まだまだ早いです」
ルイーゼがハッピーエンドを迎えるには、エミールとずっと一緒にいるわけにはいかない。一人前に育ったら、エミールから遠ざからなければならないのだ。
エミールに引いてもらう手など、ない。
「エミール様がエスコートなど、百年早いのですわ」
そんなことを言って誤魔化しながら、ルイーゼはエミールに背を向ける。
「そろそろ寝ないと、風邪を引きますわよ。軟弱王子なのですから」
「うん、そうだね」
先に歩くルイーゼのあとを追いかける足音が聞こえた。その足音が軽く響いて、ルイーゼの足取りの重さを引き立てるようだった。
朝早く起きて、街を出る。
王都まではすぐだ。もう使者を出して、帰還する旨をアンリには伝えてある。
ルイーゼたちは王都に帰った後、すぐにアンリと謁見することになっていた。
その間、荷物に紛れたエミールをこっそりと、ミーディアとユーグが搬入することになっている。ユーグも、しばらく辺境への視察という名目で王都を空けている設定になっているらしい。
因みに、タマはしばらくルイーゼが飼うことになっている。
引き籠っていたはずのエミールが、いきなり新しいペットを連れているのは不自然だ。ルイーゼが連れ帰ったタマを、お土産代りに譲渡するという流れが自然だろう。
なんでライオンなのだという突っ込みは、きっと入らない。たぶん。
整えた手筈通りに一行は行動する。
「あのボンクラに挨拶したら、我らは領地に帰らせてもらう。今年の新酒の出来をまだ確かめていないからな」
セザールがシルバーブロンドを掻きあげた。今日のドレスは薔薇のようにボリュームのある華やかな紅だ。王宮に出向くので、正装すると言って気合いを入れていた。どうして、女装の方が正装なのだという疑問は、最早野暮だろう。
「セザール様は、元々領地に引き籠っている不良騎士ですものね」
「不良とは失礼だぞ、非常識人」
「突っ込んだわたくしが悪かったのですわ」
王宮へ向かう馬車の会話はいつもと変わらないものだった。
長い旅の終わりという感慨はない。前世では旅など慣れたものだったが、現世では初めての冒険だった。もうこんな遠出をするつもりもない。少しくらい感慨に浸らせて頂きたかった。
王宮へ着くと、すぐに謁見の間に案内された。
王都ではそこそこ顔が知られてしまったギルバートには、外套のフードを深く被らせている。ちょっとどころか、明らかに不審者だ。
けれども、そんなことよりも王都にいることの方が珍しい
謁見の間に入ると、玉座には既にアンリが座して待っていた。
「よく帰ってきてくれた、公爵令嬢。サングリア公の子息もご苦労であった」
旅立つ前となにも変わらない様子で、アンリが労いの言葉をかけて微笑んだ。広間を見渡すと、余計な護衛はいない。当然のようにカゾーランもいなかった。
王都を発つときも思ったが、別に宝珠の秘密くらいカゾーランならサラッと打ち明けても良いと思うのだが、そうはしないらしい。
なにか別の思惑でもあるのかと勘繰りたくなってしまう。
「それで、そなたは宝珠の力が使えるのか?」
予想していた問いを投げられた。
エミールがフランセールを出ていたことは秘密だ。当然、彼のチート能力は伏せているべきだろう。いずれ、機を見て明かせばいい。
「わたくし自身は扱うことが出来ないようなので、ギルバート様が代わりに使用しました。それも安定しませんので、日常的に使用することは難しいと思われます」
「そうか」
あらかじめ用意していたセリフをスラスラ述べた。
アンリは静かに頷き、ギルバートに視線を向ける。
「事情は聞いておる。サングリア家の養子に入るそうだな」
「はい」
ギルバートは深々と下げていた頭をあげて、アンリを見上げる。アンリは隣に立った侍従長に視線を移した。セザールの一存で決まったような話だが、現サングリア当主は侍従長だ。
「異論を唱えたところで、セザールは押し切るでしょう」
本当は面倒だから辞めて欲しい。そんなため息をつきながら、侍従長は肩を落とした。
セザールが満足したように葉巻の煙を吐いていた。この女装のオッサン、やはり国王の前でも態度がブレない。
「むしろ、アルヴィオス側に借りを作ってやったと思うこととしよう」
アンリはそう締め括って足を組んだ。
一見すると、フランセール側は面倒な火種を抱え込んだことになる。
だが、見方を変えれば、アルヴィオスの弱みを握っているとも言えるのだ。
「元王族の存在は厄介だが、向こうにとっても同じこと。こちらの宝珠を一時的に貸し出した恩もある。しばらくの間、アルヴィオスは我が国の要求を呑むしかあるまいよ」
ドMの変態で息子に対して妙なチキン属性を発揮する脱走国王だと思っていたら、サラリとこんなことを笑顔で口にする。前世のときも食えない人だと思っていたが、改めて実感させられた。
それに……。
ルイーゼはアンリを見上げて、口を曲げる。
表向きには、ロレリア侯爵令嬢セシリアを娶った理由を、侵略戦争に対抗するための政略結婚としていた。
だが、実際は違う。
ロレリア侯爵家で生まれ変わり続ける転生者の血筋を求めた結婚。
つまり、この人はセシリア王妃が転生者であることを知っており、その力を求めた上で結婚したのだ。
いや、まだ即位して間もない若い国王にそんな知恵はなかったかもしれない。だが、少なくとも、周りはそうすることを選ばせた。
宝珠の力を引き出すのは、転生者の血筋。
王家は宝珠を使用することを求められていた。
なんのために?
単に、宝の持ち腐れを嫌った?
「では、失礼します」
報告と軽い確認事項のあと、謁見は終了した。
「まあ……なにはともあれ」
謁見の間を出て、ルイーゼはホッと一息つく。
「これにて、一件落着ですわ」
多少、気になることはあるが、些細なことだ。これからのルイーゼの人生には関係ない。平凡なハッピーエンドを迎えるために、また日常生活を送ればいいのだ。
そのためには、まずはエミールの教育を完了させなければ。明日から、また忙しくなるだろう。
「めでたし、めでたしですわね!」
ルイーゼは清々しい気分で、広い窓から見えるフランセールの空を見た。
雨の多いアルヴィオスのような曇天が垂れ下がっており、やや空気が重暗い気がするけれど、まあ、些細なことだろう。
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