第122話

 

 

 

 王都の或る書店。

 店主が大変困った様子で息をついていた。


「店長、もう在庫ありませんよ」

「むう、困った……印刷所に追加の連絡をしてくれ」

「こんなに売れる本、初めてですよ!」

「まったくだ」


 店員とそんな会話をして頭を掻く。いやはや、どうしたものか。

 最近、妙に売れている本があるのだ。

 最初は貴族の令嬢たちに人気のある本だったのだが、やがて、そのうちの誰かが広場で読み聞かせをはじめたらしい。

 その本の評判は瞬く間に庶民にも広がり、今では王都中から注文が殺到している。


 亡くなった王妃様が考案した活版印刷。そのお陰で、昔よりも随分と手に入りやすくなったとはいえ、書物は高級な嗜好品だ。にも関わらず、その本は貴族から庶民まで幅広く読まれているという。これも一般教育を広めて識字率の向上を図った国王と故王妃様の功績だろう。


 現在、作者であるアントワープ伯爵令嬢ヴァネッサは、どこか秘密の場所に籠って第二巻を執筆中らしい。


「早く続き出てくれませんかねぇ」

 商売繁盛。おまけに、店員の言う通り、店主自身も本の続きが気になっていた。

「まったくだよ」


 本屋の嬉しいため息は作者に届くだろうか。




 † † † † † † †




「もう限界ですわ! 私、外に出たいです! 引き籠っていては、気が狂いそうですわ!」


 そう叫びをあげてチョコレート色の髪を掻きむしりはじめたのは、アントワープ伯爵令嬢ヴァネッサだった。


「もう無理ですわ。私にエミール殿下の身代りは、これ以上務まりませんっ!」

「ま、まあ……落ち着いてください」


 ミーディアはその様子を見て苦笑いした。

 ヴァネッサが弱音を吐いている原因は三つある。

 一つは単に部屋から出られないからだ。

 元々、夜会や茶会など社交の場をよく訪れていたヴァネッサは、外へ一歩も出られない暮らしに嫌気が差してしまったのだ。


 二つ目は原稿の執筆が進まないこと。

 ヴァネッサが書いた小説は何故か誰かが印刷所に持ち込み、王都中で読まれる人気作になってしまった。続編を望む声があがっている。それがプレッシャーとなって、今完全に筆が止まっている状態なのだ。


 三つ目は、


「ああああああああ! ユーグ様に一目会いたいっ!」


 彼女は部屋にかけてあったユーグの肖像画に向かって両膝をつき、泣きそうな顔を浮かべる。仕舞いには、壁にドンドンと頭を打ち付けはじめる始末。

 ミーディアは笑ってばかりもいられず、事態を重く受け止める。


 ヴァネッサがエミールの身代りを引き受けたのは、ユーグに頼まれたからだ。ここまでなんとか引き籠り生活を続けてこられたのは、一重にユーグとエミールの大冒険を妄想して小説にしてきた故である。

 つまり、原動力であるユーグ不足の今、ヴァネッサが耐え切る材料がないのだ。

 けれども、ユーグはいつ帰ってくるかわからない。


「困りましたね」


 決定的なユーグ不足を、どう補うか。

 ユーグ不足と言えば、そろそろ近衛騎士の仕事も限界一歩手前だ。事務仕事も実務もこなせるユーグがいないのは、かなり辛い。

 現在、ミーディアがアンリの側仕え兼、屋根裏目線兼、ヴァネッサの補佐兼、近衛騎士の事務仕事を手伝っている状態だ。

 そろそろ休みが欲しい。

 こういうとき、元主人であるクロードは確か「ぶらっくきぎょうフランセール(株)」とかなんとか言いながら、アンリの肖像画を燃やしていたことがあった。あのときの形相は死人のようで、なんだか怖かったことを覚えている。


「あ、いいことを考えました」


 ミーディアは手をポンッと打って頷く。そして、泣きながら「ユーグ様ぁぁぁああ!」と叫ぶヴァネッサを放って部屋を出た。

 ミーディアはすぐに侯爵家の馬車を呼びつけて、市街へと繰り出す。


「これは、馬目線でも壺目線でも、名案だと思いますっ!」


 自画自賛しながら馬車の中で微笑む。

 本当は騎乗出来るのだが、流石にスカートを穿いた令嬢が一人で馬に乗るのは人目線では非常識だ。平気で出来るのはルイーゼと荊棘騎士セザールくらいしか知らない。


 向かうのはカゾーラン伯爵邸。

 深刻なユーグ不足に陥ったヴァネッサに補給をしなければならない。

 ユーグの実母であるカゾーラン伯爵夫人リュシアンヌに声をかけるのだ。

 幸い、カスリール侯爵夫人とリュシアンヌは親交が深い。ミーディアも何度か邸宅にお邪魔したことがある。

 難しい立場であるカゾーランの仕事をよく理解しており、詳しい事情を話さなくても、王宮に出向いて息子の思い出話の一つや二つは披露してくれることだろう。


 ミーディアは上機嫌になって、馬車の外を眺める。

 今日も街を貫くように流れるセーナ河がキラキラと輝いていた。目抜き通りでは市場が開かれ、人々でにぎわっている。


「……え?」


 なんとなく眺めた景色の中にチラリと、目に留まる人物があった。

 ミーディアは青空色の瞳を大きく見開いて、思わず身を乗り出す。


「す、すみませんっ。止めてください!」


 御者に向かって叫び、ミーディアは馬車を止めた。まだカゾーラン邸には着いていない。


 どうして、こんなところに?


「ま、待って……!」


 ミーディアは必死に手を伸ばして、黒い影のような人物を追った。

 漆黒の外套を羽織った長躯。長くて艶やかな黒髪が揺れている。

 なんだか雰囲気は違うような気がするが、あれは――。


「待ってください、ご主人様! ああ、いや、その。元ご主人様……じゃなくて、えーっと、えーっと」


 いざ、名前を呼ぼうとすると、舌がもつれてしまう。それくらい混乱しているのかもしれない。


「クロード様――」


 名前を読んだ瞬間、目の前から漆黒を纏った人物が消えていることに気づく。辺りを見回すが、それらしい人影は見えない。

 気のせいだったのだろうか。

 ミーディアが今名前を呼んだ人は、十五年も前に死んでしまった。そして、前世の記憶を持った令嬢がいるではないか。


 そうだ。きっと、気のせいだ。


「誰だ、お前は?」


 闇の底から歌うような、それでいて雲のように掴みどころのない声。

 聞き覚えがあるのに、全く違う人物の声に感じられて、ミーディアは「ひっ」と肩を震わせた。空気が冷たくて、周囲だけ冬になったのではないかと錯覚する。


「ああ、なんだ。馬か」


 ミーディアの細い首筋に指が触れる。人の熱を持っているはずなのに、冷たい刃を押し当てられたような感覚だ。

 殺気ではない。だが、威圧的な空気に、ミーディアは一歩も動くことが出来なかった。


「面倒だな」


 背後に立った男が息をつき、ミーディアの頭頂部に手を乗せる。撫でられているわけではない。大きな手で掴まれて、ミーディアは息が詰まりそうだった。このまま握り潰されるのではないかという恐怖さえ感じる。


 ミーディアだって、シエルと一緒に剣術を学んだ。変装して近衛騎士に紛れる程度の腕前はある。

 それなのに、一歩も動くことが出来なかった。


「面倒なことは全て忘れておけ」


 その言葉とともに、身体が徐々に温まり、頭がボウッとする感覚があった。

 思考から余計なものが消えて、すっきりしてくる。同時に、胸を押し潰しかけていた恐怖さえも霧が晴れるように消えていった。


「あれ?」


 ミーディアは急いで周囲を見渡した。

 広がるのは人が行き交い、にぎわう王都の景色。いつもと変わらない平和なものだった。


「わたし、なにしてたんでしたっけ?」


 その真中に立って、ミーディアは一人でなにをしていたのだろう。

 確か、リュシアンヌを迎えにカゾーラン邸へ向かっていたのではなかったか。

 どうして、馬車から下りてこんなところにいるのだろう。

 なんだか、短い夢を見ていた気分だ。


 しかし、どこか懐かしさも胸に残る。


「馬目線でも、謎だらけです」


 よくわからない。

 ミーディアは頻りに首を傾げながら、馬車へと戻っていった。



 数刻後。



「ユーグってば、それですっかりと女の子の遊びにハマってしまって。エリックがとても苦労していましたわ……でも、あたくしは家の中にお友達が出来たみたいで、楽しかったのよ。料理も美味しかったし」

「そうなのですね! 流石はユーグ様のお母上ですわ!」

「あら、わかってくださるの?」

「勿論ですわ。ユーグ様は全てが完璧なのです。神ですわ」

「ふふ。そんな風に言ってもらえると、あたくしも嬉しいわ。どう? あの子のお嫁さんになってくださらない?」

「お、お、おおおお嫁!? わ、私なんて、差出がましいですっ!」


 エミールの部屋ですっかり仲良くユーグの話題で盛り上がるリュシアンヌとヴァネッサ。

 その姿を見て、ミーディアはやはり自分の案が間違っていなかったと確信しながら笑った。

 これで、しばらくヴァネッサも大人しくなるだろう。ついでに、執筆意欲も湧いてきたようだ。


「一件落着です」


 ミーディアは一人で頷きながら、窓の外を見た。

 不安なことなんて、なにもない。なにか引っ掛かっていたような気もするが、きっと気のせいだ。


 王都のみんなは、今日も元気です。

 

 

 

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