第121話

 

 

 

 花の都として知られ、大陸随一の美しさと言われるフランセールの王都。

 白亜を湛える王宮の一室で不機嫌――いや、駄々を捏ねる国王が一人。


「どうして、エミールは私の相手をしてくれぬのだ!」

「いや、それは……陛下がこそこそと物陰から見ているだけで、声をお掛けにならないからではないでしょうか……?」


 あーだこーだと理由をつけては脱走しようとする国王陛下を宥めようと、ミーディアは笑ってみせた。

 実際、アンリがエミールを物陰から見るだけで声をかけようとしない臆病者なのは間違っていない。間違っていないので、素直にそのように述べてみた。


 だが、本当のところは内心で冷や汗をかいている。

 まさか、部屋に引き籠っているエミールは影武者で、本物はアルヴィオスへ行ってしまったとは言い出せない。

 そろそろ誤魔化すのも限界かと何度も思ってきたが、案外、ここまでなんの疑いも持たれずにいる。思ったより単純……いや、素直でよかった。


「そうか。私が声を掛けられないのが悪いのだな。ならば、今夜辺り晩餐にでも……」

「殿下は、きっとルイーゼさんがいなくなって寂しくて……きっと、ショックを受けているんです。だから、そっとしておきましょ!」


 エミールに会うと言って勢いがついた頃合いに、こう声を掛けるとアンリはたいてい大人しくなるのだ。

 例に漏れず、アンリは「む……」と眉間にしわを寄せて黙ってしまう。わかりやすくて結構だ。


「なんだか、わたし。最近、王妃様目線になってきている気がしますっ!」

「なにか言ったか?」

「いえ、なにも。今日も陛下は素敵だと申しました」


 暗にアンリの扱いに慣れてきたと言いたいのだが、ミーディアはサラリとした笑顔で誤魔化した。


「す、すて……そういうことは、もっと若い者に言いなさい」


 一方、面と向かって褒められて照れたのか、アンリは落ち着かない様子で咳払いした。

 アンリ自身がよくわかっていないようなので、ミーディアは拳を握って力説する。


「いいえ、陛下は素敵です。馬目線で見ても、最高ですよ! 出来る男と見せかけて、ドMで寂しがり屋で、息子に声が掛けられない臆病者。加えて、脱走癖のあるところが可愛らしくて素敵なんです!」

「そんなに褒められても、なにも出ぬぞ!?」

「むしろ、全部褒め言葉に聞こえていたんですか?」

「褒めてくれていなかったのか」

「わたし目線では最上級の褒め言葉です! あと、馬目線でも。なんなら、壺目線と屋根裏目線もおつけしますよ!」

「……それなら、よいのではないか?」


 ミーディアがセシリア王妃の生まれ変わりではないと知られたときから、二人の関係や距離は変化したと思う。


 ミーディアは自分の気持ちを包み隠さずアンリに接するようになっている。良いと思ったことは素直に良いと伝え、侍従長の真似をして軽く窘めることも覚えた。


 アンリは、以前とは別の意味でミーディアを意識しているのは明白だ。年頃の若い娘から好意を寄せられて困惑しているような、照れているような。


 それでも、アンリはミーディアを側仕えから外そうとしないし、邪険に扱うこともしない。

 自分はここにいても良いのだと思うと、とても心地が良かった。


 ただ、やはりアンリに嘘をついているのは心苦しい。


 エミールは今、フランセールにはいない。

 本当は息子想いの国王の気持ちを踏みにじっていると思うと、後ろめたくもなる。

 今頃、ルイーゼたちはどうしているだろう。

 エミールはアルヴィオス行きの船に乗ってしまったようだし、ユーグとの連絡もつかない。シャリエ公爵邸では娘を迎えに行こうと大がかりな私兵部隊が編成されたというが、表沙汰になる前にカゾーランが揉み消していた。


 そのカゾーランは忙しそうに毎日奔走している。

 エミールとユーグがいないという事実を隠すだけでも大変なのに、湯水のように仕事が湧いてきているのだ。

 ミーディアも少し手伝っていたが、普段は近衛騎士には回ってこない雑務まで含まれていて、首を傾げた。

 まるで、カゾーランの動きを封じるかのようなやり方だ。


「今日も良い天気だな」


 そんなことを言って窓の外を眺める国王に、ミーディアは若干の恐ろしさを覚えた。

 彼は馬鹿ではない。

 二十余年前にフランセールの危機を乗り切った立派な為政者だ。ただ、普段の言動から忘れてしまいがちになるだけである。


 故意にカゾーランの動きを封じているとしたら、その目的は宝珠に関わることなのか。確かにアルヴィオス王国が絡んだ案件だ。慎重に事を運ぶべきだろう。

 けれども、それ以上の意味があるのではないかと思えてならない瞬間がある――。


「ミーディア」


 唐突に名前を呼ばれて、ミーディアは思わず肩を震わせた。

 自分がなにを考えていたのか、見透かされていたのではないか。そんな不安に駆られる。


「こんな良い陽気には、亀甲縛りも良いが胡坐縛りだと思わぬか?」

「は……はい?」


 そろそろお茶の時間にしようか。そんな調子でサラッと自然に言われて、ミーディアは表情が消え失せる。そして、心の入っていない声で「あ、そうですね」と頷くしかなかった。

 でも、そこが素敵なんですけどね!

 ミーディアはモゴモゴと奇妙な動きが止まらない唇を隠しながら、物凄い速度で陛下観察日記に書き込みはじめるのだった。




 ご注文通りにアンリを胡坐縛りにしたまま放置して、ミーディアはお茶の準備をはじめる。

 緊縛したまま放置しておくと、脱走の心配がないので安心だ。ついでに目隠しもしておいたら、大変喜んでいた。

 縛ったままなので、その間は政務を片づけることが出来ないのが難点だが。

 まあ、脱走されるよりは遥かにマシな休憩時間だろう。


 ミーディアは紅茶を入れる準備をする。

 実家のカスリール侯爵家がアルヴィオスの縁戚に当たるため、上質な茶葉をいつも仕入れることが出来るのだ。今日は爽やかなダージリンにするとしよう。


 厨房で湯を沸かしてもらうために階段を下りていく。

 その途中で、ミーディアはふと足を止めた。


「あら、伯爵?」


 カゾーランの姿があった。

 回廊を横切るのが少し見えただけだが、間違いない。純白の制服に身を包んだ筋肉隆々など、他にはいない。あれはカゾーランだろう。

 今は意味がわからないくらいの仕事量に忙殺されて執務室に籠っているはずだが……ミーディアはなんとなく気になって、後をつけることにした。

 壺目線を舐めてもらっては困る。


 壺を被ったまま移動すると、カゾーランの行き先に察しがついた。

 この先って――。

 慣れた道順。この先は、国王の居室だ。つまり、アンリの私室である。

 あんなところに、どうして?


 ――陛下は話してくださらぬよ。あの方は、このカゾーランを理解しておる。


 カゾーランと一緒にアンリの執務室に忍び込んだときのことを思い出す。

 カゾーランはあのとき、隠し扉はあったが、その先にはなにもなかった・・・・・・・と言っていた。

 だが、思えばあのときからなにかがおかしかったように思う。


「…………」


 ミーディアは壺の中で息を呑んで、じっとカゾーランを見据えた。

 掌に汗が滲んでいる。きっと、全身汗が流れているだろう。


 カゾーランがアンリの部屋の前で立ち止まった。やはり、ここが目的地のようだ。


 ミーディアは不安になって仕方がなかった。

 確かに、アンリはカゾーランになにかを隠している。

 けれども、それがカゾーランに対する裏切りだとは思えないのだ。

 きっと、意味があって隠している。アンリはカゾーランを軽んじてなどいない。

 少なくとも、ミーディアはそう思っている。

 だが、カゾーランにはそれが伝わっていない。いや、カゾーランだって、きっとわかっている。アンリが考えもなく隠し事などしない。意味があるということなど、わかっているのだろう。


 それでも、信じられないというのか。

 いや、信じられない原因がある?


 前世の自分が見ていた限り、カゾーランと元主人のクロードは唯一無二と言ってもいいほど仲が良かった。

 よく斬り合っていたし、わけがわからない対抗心を燃やしている場面もあったが、それでも親友と呼んでも良い間柄だったと思う。馬目線でも、素直に感じていた。


 前世の自分はクロードが死んだとき、傍にはいなかった。

 現世で人間に転生して、ただカゾーランに串刺しにされて死んだとしか聞いていない。ルイーゼも、その件についてはよくわからないと言っている。

 あのとき、なにがあったのか。ミーディアにはわからないのだ。

 当事者であるカゾーランは、どんな心境なのだろう。


 カゾーランはしばらく無表情のまま、アンリの部屋を見ていた。

 けれども、少し経つと何事もなかったかのように、その場を後にしてしまう。

 どういう意味があったのだろう。

 あそこにも、なにかが隠してある?

 いや、ミーディアが屋根裏から観察しても、私室になにかあるとは思えなかった。少なくとも、執務室のような隠し扉があるようには思えない。


 もしも、あの隠し扉の奥になにかがあったとしたら――。

 例えば、通路の先に秘密の箱があって、その鍵を開けたいのだとしたら? 隠し場所を探している?


「わたし、どうすればいいんですか」


 壺の中で呟くが、誰の耳にも届かない。

 せめて、前世が人間だったなら、経験豊富な知識を生かすことが出来ただろうか。もっと、他人がなにを考えているのか推し測ることが出来ただろうか。

 馬目線では、見当がつかなかった。

 

 

 

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