第116話

 

 

 

 怪しげな客人が住まう離宮とは、ここらしい。


 男たちは林の中で静かに息を潜めていた。


 次期女王の命令によって、近づくことが禁止されている。

 だが、ここに前国王の世継ぎであるギルバート・アルヴィオスが匿われているという噂が、まことしやかに広まっているのだ。監視しないわけにはいかないだろう。


 確かな情報はない。

 が、妙な噂はある。


「この離宮、夜な夜な鞭打ちの音が聞こえてくるらしいぞ」

「ああ、喚き叫ぶ男の声も聞こえるって、子供たちが噂してるよ……よろしゅうございますとか、変な言葉覚えてたぞ」

「な、なんだそれ……夜更けに嫌な話しないでくれよ」


 怪しげな噂が飛び交う離宮。

 首都を見下ろす森に囲まれた小高い丘に建つ離宮は、長い間使われていなかった。けれども、次期女王の命令で、今は外国から来た客人が住んでいるらしい。

 それだけでも怪しい。怪しすぎるというのに、離宮の客人に纏わる噂はそれだけではなかった。


「この前、俺……見ちまったんだ」

「な、なにを?」

「この森で熊と格闘する令嬢を」

「はあ!? それで、令嬢は熊に食われちまったのか? 見殺しは酷い話だぞ!」

「ち、違うんだよ! 落ち着いて聞いてくれよ。その令嬢、棒みたいな剣を振り回して熊に向かっていって……」

「熊に? 自分から?」

「ああ、そうだ。しかも、熊の方が逃げてやがった」

「嘘だろ」

「嘘じゃあない。最終的に令嬢が勝った」

「有り得ない。そりゃあ、見間違いだぜ。悪い夢か幽霊でも見たんだ」

「だよなぁ……そんなはず、ないよなぁ……忘れてくれ。きっと、あれは妖精の悪戯だ」


 意味がわからない。

 有り得ない幻まで見えてくる珍妙っぷりだ。様々なことが起こりすぎて、誰もが頭をやられているらしい。


 革命によって、アルヴィオスは変わろうとしている。

 国王は倒れ、古い体制は崩壊したのだ。

 これからは新しい時代が訪れる。


 その先駆けとして名を広めているのはアーガイル侯爵だろう。


「奴隷を解放すべきだ! 抑圧され、虐げられていても、私が望む至高の芸術を得ることは出来ない。そう、真の芸術とは培うものなのだ。解放することにより、高みへと昇華することが出来よう! 私の目を覚まさせてくれたジャンの名と共に、ここに奴隷の解放活動を行うと宣言しよう!」


 という素晴らしい演説を披露して、市民の人気を得ている。

 奴隷を多く飼っている富裕層への受けはイマイチだ。しかし、次期女王の家系がアルヴィオス王家によって奴隷の扱いを受けていたという事実があるため、侯爵の主張は爆発的な人気を集めている。


 夜な夜な元奴隷の少女に鞭打たれて、自ら奴隷の屈辱を体感しているという噂も、下層市民には受けているようだ。

 名家の貴族が率先して鞭打たれ、奴隷たちの痛みを理解しようとする姿は間違いなく美談であろう。神々しささえ感じる。


 こんなときこそ、アルヴィオス王家の生き残りがいては困るのだ。

 悪政の種は摘まねばならない。

 男たちは息を潜めたまま、離宮の明かりをじっと見つめる。ギルバートの影や姿が見えないかと、目を凝らすのだ。


「おい、あれ!」


 そのとき、窓が開いた。

 窓を開けた人物は大きめの外套に身を包んでいるが、年の頃や背丈などはギルバートにそっくりだ。

 ギルバートらしき人物は窓枠に足をかけて外に出る。その後から、背の高い男のような影と、小さな女のような影が続く。


 間違いない。ギルバートたちだ。

 やはり、生きていたか。男たちは気を引き締めて、三人の後を追った。別の監視班にも知らせて人を集める。

 新しい時代にアルヴィオス王家の人間は必要ない。

 どうせ、発表では死んだことになっているのだ。ここで仕留めてしまっても、誰も文句は言えない。妙にギルバートを庇う革命の指導者連中だって、後の祭りだろう。


「おい、見失うなよ」


 三人は、どんどん離宮から遠ざかって森の中へと進んでいく。男たちは他の監視班と合流して、それを追いかけた。向こうは三人、こちらは十人だ。

 夜闇に乗じて逃げるつもりだろうか。その前に仕留めなければ。


「ねえ、そろそろいいかしら?」

「あら、奇遇ですわ。わたくしも、そろそろだと思っていましたのよ」


 そんな会話が聞こえてきた。

 そういえば、いつの間にか標的が二人に減っている。もう一人は、どこへ行ったのだろう。


「気が短い奴らだ……先にはじめているぞ」


 背後から声がしたときには遅かった。

 木々の隙間からこぼれる月明かりに、刃のない銀が煌めく。横薙ぎの一閃を受けて、仲間の一人が「うがぁ!?」と声をあげて吹っ飛ばされる。


「な、なんだぁっ!?」


 とっさに茂みから抜け出す。


「セザール様、ズルイですわ! フライングですのよ!」


 甲高い女の声が上がる。

 仲間の一人が「ひ、ひぃっ!? あのときの令嬢!?」と叫びながら逃げている。先ほど、熊と格闘した令嬢の話を披露した奴だ。


「いやん、セザールさん。相変わらず、かっこいい! ステキよ!」


 ギルバートだと思っていた人物が外套のフードを取って、身体をクネらせた。

 わずかな月明かりでは判別出来なかったが、彼の髪色は黒ではない。緩やかな赤毛がこぼれたことで、人違いであることがハッキリとわかった。


「こいつら……! 騙された!?」

「上手いこと引っ掛かってくださって、本当に感謝しておりますわ。わたくしたち、そろそろ暴れたくて仕方なかったのですから……そうですわ。ただ夜のお散歩をしていたら、悪漢たちに尾行されていたのですもの。これは正当防衛。つまり、健全な運動ですわ! 健全な汗を流すことは、なにも悪くありませんもの!」


 取ってつけた妙な言い訳を叫びながら、令嬢が腰から木の棒を抜く。その瞬間に、身構えた仲間二人が宙に吹っ飛ばされて、浮き上がった身体が弧を描いていた。


「ああああ! 熊令嬢が出たぁぁぁあああ!」


 情けない声をあげながら逃げる者もいる。


「ゴルァ!? 姐さんのことを熊とか言った奴は誰だ!? 出てこいや!」


 野太い怒声と共にアッパーを食らう者もいた。

 なんだこれ……なんだこれ……! なんだこれ!?

 混乱に包まれてしまう。

 餓えた獣のような目をした三人組が、残った獲物を物色している。

 子羊のように震える男たちに残された自由は、せいぜい、この中の誰にやられたいか選択することくらいだった。




 † † † † † † †




「大丈夫かなぁ?」


 ランプの明かりを頼りに、エミールたちは暗い抜け道を歩く。

 表で見張っていた男たちの注意をルイーゼとセザール、ユーグが引きつけている。その間に、エミールたちは難なく隠し通路へと入ることが出来た。


 ポチが首に巻きついて、周囲に注意を配っている。

 タマの上には本調子ではないギルバートが乗り、ランプを持ったジャンと道案内のアンガスが先頭に立っていた。


「ルイーゼたちは大丈夫だろう。あんなに暴れたがっていたからな」


 策を考えたギルバートがタマの上で笑う。


「ううん。そうじゃなくて、ルイーゼに殴られるの痛そうだから……」

「殿下、ご心配要りません! むしろ、痛い方が嬉しゅうございます!」


 サラッとジャンの主張を放置して、エミールはタマに乗ったギルバートを見上げた。

 あまり動くと傷が痛むらしく、時々表情を歪めている。本当はもう少し安静にした方が良いとセザールが言っていたのを思い出す。お腹を刺されるなんて痛そうで、エミールには耐えられそうにもない。


「なんだよ、お姫様?」


 少し見ていると、ギルバートが声をかけてくる。


「お、お姫様じゃ、ないよ……」


 僕、王子だもん。そう言おうと思ったが、なかなか声にならない。

 初めに会ったときよりは随分慣れたが、ギルバートのことはあまり得意ではなかった。

 彼はエミールにはないものをたくさん持っていて、ちょっと羨ましい。自分と違って、立派な王子様だと思う。

 けれども、もうギルバートは王子とは呼ばれなくなる。

 いくら引き籠りだったエミールでも、彼の環境くらいは理解しているつもりだ。

 そして、彼が故郷を離れようとしていることも理解している。


「ギルバートは、その。寂しくないの?」


 つい聞いてしまった。

 エミールだって、フランセールを出るときは寂しかった。だが、また戻ってこられるという確信があったから耐えられる。いきなり、「都合が悪いから、もう戻ってくるな」と言われたら、きっと辛いだろう。


「まあ……国がどう変わるか見たい気持ちはあるが。寂しい、ねぇ。わからないな」


 ギルバートは複雑な表情でそう言った。エミールにはよくわからないが、強がって嘘を言っているわけでもなさそうだ。


「じゃあ、ヴィクトリアは?」


 問うと、ギルバートはあからさまに表情を曇らせた。


「ヴィクトリアを置いていっても、寂しくないの?」


 エミールはルイーゼと離れたくなんかない。もう二度と会えないなんて、嫌だ。だからこそ、エミールはアルヴィオス行きの船に飛び乗ったし、こうして一緒に行動している。


「元々、そういうもんだったんだよ」


 エミールには理解出来ない。

 ギルバートの言葉なんて、理解出来なかった。

 けれども、「そういうもんだった」と言うギルバートの言葉を否定出来る材料を持ち合わせていない。

 エミールは口を噛んで、ギルバートを静かに見上げた。


「僕には、わからないよ……」

 

 

 

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