第117話

 

 

 

 囮にされたのは少々癪だが、存分に暴れることが出来た。

 ルイーゼたちは抜け道を走って進み、先に行ったエミールたちを追いかける。案内人がいないのが不安だが、一本道らしいので大丈夫だ。

 むしろ、ロンディウム城に着いたあと、港へ抜ける道へと乗り換えるのが心配だった。

 一度、下衆野郎を駆除するためにヴィクトリアと共に使った抜け道だ。けれども、あのときと道順が違うので自信がない。

 アンガスは城の中なら統制が利いているし、人払いしてあるので大丈夫だと言っていたが、どうだか。


「あら」


 隠し通路を抜けると、待っている者があった。


「こっちだよ」


 あまり顔を見せないまま、ヴィクトリアが歩き出す。どうやら、案内してくれるつもりらしい。


 マリンブルーのドレスに身を包んだ姿は、いかにも「女王陛下」に相応しいものだった。長い黒髪は結われ、前髪の赤いひと房が揺れる。

 大きな銀の耳飾りが煌めき、胸元には深紅を湛えるペンダント――火竜の宝珠サラマンドラロワイヤルがあった。


「ギルバート殿下……ああ、もう殿下ではないのですわね。ギルバート様には、お会いになられまして?」

「……会ってないよ」


 問いに対して、ヴィクトリアは素っ気なく答える。

 ルイーゼたちが離宮に滞在している間もそうだった。

 度々、ヴィクトリアは抜け道を使って離宮を訪れていたが、一度もギルバートに会っていなかったようだ。ギルバートの方も、自分からヴィクトリアに会おうとはしていなかった。


「いいのですか?」

「…………」


 問うが、ヴィクトリアは答えない。

 泣きながら「女王になる」と言った彼女の言葉に嘘はないと思う。決意は揺らいでいないだろう。


 だからこそ、会おうとしないのか。


「ここから先は、あたしがいなくても大丈夫なはずだよ」


 いつかも訪れたロンディウム城の地下倉庫の前で、ヴィクトリアが言った。

 セザールとユーグがランプに火を灯して、先に入り口を潜る。


「経験則ですが」


 ルイーゼはヴィクトリアを振り返りながら立ち止まった。

 別に恋愛脳のお花畑を支援するつもりはないが、これだけは言っておいても良いだろう。


「心に秘め続けるのは、想像以上にストレス溜まりますわよ? 首の百や二百、狩りたくなっても知りませんから」

「すとれす?」


 ヴィクトリアが怪訝そうに眉を寄せた。言わんとしていることを察したのか、セザールも立ち止まってルイーゼを見ている。


「どうせなら、言ってしまった方がスッキリします。わたくしは――いいえ、わたくしの前世は、たまたま『言わせて頂く機会』を与えられましたので、まだマシですわ。でも、あなたたちは違うのではなくて?」


 ヴィクトリアとギルバートを見ていると腹が立ってくるのだ。

 とても腹立たしい。

 少しも素直じゃなくて、お互いに一定以上の距離を置いている。壁のようなものを作って相手を寄せ付けないし、近づこうともしない。


 奥手でヘタレだった前世の自分みたいだ。相手の懐に飛び込むのが怖くて、常に距離を置いていた。

 もっと近づく勇気があれば、変わっていたのではないか。

 結局、セシリア王妃に距離を置き、無駄に神格化していたと思う。そのせいで、転生者フラグにも恋愛フラグにも気が付けなかったのではないかと今では思う。いや、確実にそうだ。


「でも、あたしが行くとギルは……」

「迷惑だと言われたら、それでも良いのですわ。あなたの気持ちの問題ですから」


 それだけ言って、ルイーゼは踵を返した。

 ユーグが照らすランプの明かりを頼りに、抜け道を進む。

 カツカツと、後ろから足音が聞こえるのを確認してから先を急いだ。




 † † † † † † †




 ルイーゼたちより一足先に港へ着き、エミールは一息つく。

 ここまで、誰にも会うことなく進むことが出来た。囮を使ったギルバートの作戦と、城で人払いをしてくれたアンガスのお陰だ。


「にゃぁごにゃぁご」

「ふぇ……タマ、わかったから」


 タマが遊んで欲しくて、エミールの顔を舐めてくる。前足を肩に乗せられると、すごく重い。

 エミールは耐えきれず、地面に転がるように押し倒されてしまった。最初は怖かったけれど、今ではポチやユーグと同じくらい大事な友達だ。


「あ、こら。タマ、駄目だよ。ポチは食べ物じゃないんだから!」


 エミールの首に巻きついていたポチを、タマが前足で押さえている。時々、タマはポチを食べようとするので注意が必要だ。


「シャァァアッ!」

「がおおおおお!」

「喧嘩しないで!」


 牙を剥くポチを、とりあえず鞄に入れる。鬣を撫でると、タマも諦めてくれた。


「殿下、見事な調教でございます! 是非、ジャンにも!」


 別に鞭なんて使っていないのに、ジャンがエミールの前にズイズイ歩み出る。鞭を握らされたので、エミールはどうすればいいのかわからなくなってしまった。


「是非、ジャンにも調教を!」

「でも……ルイーゼの執事は……叩かなくても、ちゃんと言うこと聞いてくれるよ? 僕もタマを打ったりしないし」

「ハッ……! な、なんと!?」


 エミールの言葉に、ジャンの表情が驚愕で固まる。今まで思いつかなかったと言いたげだ。


「なんという……! 最近、お嬢さまのお仕置き頻度が控えめだったのは、このジャンが従順なためだと……しかし、ジャンはお嬢さまの下僕。イヌでございます。お嬢さまに反抗するなどぉぉおお! あああああああ! お仕置きしてくださぁぁぁい!」


 ちょっと話が飛躍している気がするが、ジャンが諦めて走り出したので、エミールは肩を撫でおろした。


「相変わらず、賑やかだな」


 外套のフードを深く被ったギルバートが肩を竦めていた。

 用意した船はもうすぐ到着するらしい。長時間停泊していると怪しまれるので、予定された時刻に少しだけ停まることになっている。

 船を待つ間、ギルバートは大人しく地面に座って待っていた。


「僕、なんて言えばいいのか、わからないけど……」


 エミールが恐る恐る口を開くと、少し機嫌が悪そうな眼で睨まれた。

 余計なことを言うと思われたのかもしれない。実際、ギルバートにとっては余計なことだろうが、エミールはおずおずと口を開く。


「僕、さ。ルイーゼにフラれちゃったんだよ」

「へえ、お姫様に告白する勇気なんてあったのか」

「へへ……もう三回くらい」


 褒められているような気もしたので、エミールはへなりと笑ってみた。ギルバートはよくわからない表情でエミールを見ている。たぶん、あまり機嫌が良くない。

 エミールはギルバートの隣に腰かけた。


「ルイーゼはね、強くてカッコイイんだ。それに、とっても可愛い。僕、ルイーゼより可愛い女の子、見たことないんだよ」

「……確かに結構美人だが……もっと可愛い女は他にもいる」

「ルイーゼが、僕にとっては一番だよ」

「アンタはヴィーのことをなにも知らないから――」


 そこまで言いかけて、ギルバートは口を噤んだ。どうしたのかと思ったけれど、ギルバートの耳が少し赤かった。


「わかるよ。その……好きな人のこと話すと、すごく……恥ずかしいよね」

「アンタと一緒にするな」


 ギルバートは顔を背けながら、ぶっきらぼうに言った。


 少しの沈黙。


「悪かったよ」


 話すことがなくなったところに、ギルバートが呟いた。エミールが首を傾げると、彼は夜みたいな髪を掻いて振り向く。


「こんなところまで、アンタの大事な人を連れてきて」


 確かに、ルイーゼを連れて行かれたときは辛かった。もう会えなくなると思って必死になった。今でも忘れられない。


「で、でも、必要なこと、だったから……」


 ギルバートにはルイーゼが必要で、ルイーゼは承諾した上でついて行って……今にして思えば、勝手に飛び乗ったエミールの方が軽率だったのかもしれない。


「僕、楽しかったよ。外国、初めてで……なにも知らないからさ」


 なにも知らない。エミールはなにも知らないのだ。

 他の国がどうなっているのかも知らなかった。ルイーゼが語る広い世界のことも全くわからない。わからないことだらけだ。


 けれども、知るたびに世界がどんどん広がっていく。部屋の中に籠っていてはわからなかったことが、目まぐるしい速度で広がるのだ。

 それが今は楽しいと思える。

 怖い気持ちだってある。今だって、いろんなことが怖くて仕方がない。

 でも、それ以上に楽しい。


 ――外の世界は、こんなに美しいのですよ。


 初めて庭に出たときにルイーゼが言ってくれた言葉だ。

 本当にその通りだった。こんなに綺麗で楽しい世界を遮断して生きてきた十五年間が勿体ない。


「僕の方こそ、ありがとう。ギルバート」


 笑いながら言うと、ギルバートは藍色の目を丸める。予測していなかった言葉を聞いて、面喰っているようだ。


「引き籠り姫なんて、嘘じゃあないか」


 ギルバートはニヤリと笑うと、一気に顔をエミールに近づけた。息が触れそうなくらい近づかれて、エミールは緊張してしまう。


「え、その、あの……?」


 ギルバートの仕草は凄く大人で堂々としていて、エミールにはない艶っぽさがある。こんな風になりたいって思ってしまうこともあった。


「俺も昔は引き籠りだったんだぞ」


 ギルバートは誰にも聞こえないように囁いて笑った。妙な色香を漂わせて、本当に大人っぽい。

 こんな人が引き籠り? エミールは目を丸める。


「そ、そうなの? どうやって、外出たの? 怖くなかった?」

「アンタと同じだよ。連れ出してくれた女の子がいたんだ」


 ギルバートはそう言って頭上を見上げた。藍色の夜空に月と星が浮かんでいる。


「ギルバートと、僕は、似た者同士?」

「不本意ながらそのようだな」


 その言葉を聞いて、今度はエミールがギルバートの方にズイッと身を乗り出した。ギルバートが不審そうに目を細めるが、エミールはゴクリと唾を呑み込む。


「……よかったら、その……ギルバートも、僕の友達だと思って、いい、かな?」


 なんだか緊張してドキドキした。顔に力が入って、変な表情になってしまう。もしかすると、泣き出してしまうかも。

 ビクビクしながら返答を待っているエミールの頭を、ギルバートは雑に撫でた。


「別に構わないんじゃあないのか? 王子様」


 自分の表情がパァァッと明るくなるのを感じた。

 エミールは思わず笑いながら、その場で飛び上がる。


 やった! 友達が増えた!

 やったよ! 王子様って呼んでもらえた!

 

 

 

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