第114話

 

 

 

 突然開いた扉に、ギルバートは肩を震わせた。

 静かすぎた部屋の空気が不自然に揺らぐ。


「ノックくらい、してくれたっていいんじゃあないか?」


 ムスッと口を曲げながら、手に持っていたものを枕の下に滑り込ませる。


「気を遣ってやる道理がない」


 声の主が部屋に入ると同時に、葉巻の煙も一緒に流れ込む。相変わらず、煙たくて好きになれない。

 ギルバートはセザールを睨みつけて、寝台の上で胡坐あぐらをかいた。


「……傷に障るから服は着ろと言ったはずだが?」


 寝衣を脱ぎ捨てていたギルバートの姿を見て、セザールが眉を寄せる。


「女装趣味のオッサンの言うことなんて聞くわけがないじゃあないか」

「女装趣味ではない。あれは正装だ。証拠に今は普段着だろうが」

「すまないが、意味がわからない」

「こちらのセリフだ、非常識人」


 ギルバートの脱ぎ癖が常識的かどうかはくとして、セザールにだけは言われたくなかった。今現在、男装していれば良いという問題ではない。

 セザールは寝台の下に落ちていた寝衣を拾い上げると、荒っぽくギルバートに投げつける。

 まるで、ボロ布を扱うような乱雑さだった。

 どうせなら、もう少し優しく扱ってほしいものだ。


「怪我人は風邪も引きやすい。治癒が遅くなると、出発日が延びるからな」


 セザールの言葉に、ギルバートは表情を曇らせた。だが、気にしない振りをする。


「フランセール側が受け入れるとは思えないんだがなぁ」


 余裕を装った笑みを浮かべて、投げつけられた寝衣に袖を通す。動くと包帯の下で傷が疼いた。腹部を深く刺されたのだ。易々と治癒するわけもない。


 アルヴィオス王家の王位継承権を持っているギルバートの立場は微妙だ。

 革命を支持した者の中にも、彼を排斥しようと主張する者は少なくない。このままでは、国外追放か処刑は免れないだろう。

 アンガスの提案で、ギルバートは死んだことにして、フランセールへ亡命させることがあがった。

 セザールはその案を実行することを前提で話しているのだろう。いや、ギルバートの意思など関係なく、ほぼそう決まっている。


 けれども、フランセール側が受け入れるだろうか。

 ギルバートの立場は厄介だ。後見人もいない。

 フランセールの国王が易々と承諾するとも思えなかった。


「だからと言って、これは困る」


 セザールは無遠慮に寝台へと近づく。

 彼は真っ白なシーツに片手をつくと、まっすぐに枕の下へと手を滑り込ませた。ギルバートは急いで阻止しようと身体を捻る。けれども、傷のせいで上手く動くことが出来なかった。


「逃げてばかりだな、小僧」


 枕の下から短剣を引き抜いて、セザールは葉巻の煙を吐き出す。顔面に煙を吹きかけられて、ギルバートは思わず咽てしまった。


「俺の役目は終わっているじゃあないか」


 短剣を取り返そうと手を伸ばすが、呆気なく捻じ伏せられてしまう。寝台の上に押さえつけられ、ギルバートは奥歯を噛む。


「逃げている? どうせ、国を出たって逃げるばかりじゃあないか。隠れて生きていくことには違いないだろうが!」


 フランセールへ行ったところで、逃げることには変わりない。

 ギルバートの目的はヴィクトリアを守って女王にすることだ。それは果たされた。それも、自分は役立たずのまま見ているだけだった。


 なんの役にも立たない。

 そして、もう役目もない。


「生きていても、意味なんてない」


 なにがしたいかも、わからない。

 もう、なにも残っていない。

 元々、ギルバートに自分などなかった。自分の意思で決めたことなど、ほとんどなかった。

 結局、ヴィクトリアを守ると言いながら、彼女に依存していただけだと気づく。ヴィクトリアを生きる理由にしていただけだ。空っぽの自分を埋めるのに利用していた。


「生きるのに理由がある方が、息苦しいと思うのだがな。非常識な小僧の考えることは、我にはわからんよ」


 抵抗するギルバートを押さえつけたまま、セザールは息をつく。心底、人を見下す冷たい視線だ。


「世話の焼ける面倒な小僧だ」


 セザールは手早く短剣を持ち替える。そして、勢いよくギルバートの顔面に向けて振り下ろした。


「なッ……!?」


 ギルバートはとっさに刃を止めようと両手をあげる。


「なんだ、死にたいのではなかったのか?」


 銀光を放つ短剣を拒むように掴んだギルバート。

 セザールは薄っすらと笑った。

 嘲笑なのか、微笑なのかわからない。


「そういうのは卑怯じゃあないのか、オッサン」

「本気で死にたいのなら、我に乞えば良かろう?」


 反射的にやってしまった行動を悔いるギルバートに、セザールは挑発的に言い放った。

 セザールは短剣に手が届かないように後ろに持ちながら、ギルバートの拘束を解く。彼は寝台から身を剥がすと、葉巻に火をつける。


「刃を人に向けるのは、やはり慣れんな」

「は?」


 意味がわからない。だが、セザールは多くを語りたがらなかった。ただ忌々しそうに短剣を眺めている。


「小僧、お前に役割を与えてやろう」


 煙を吐いて、セザールは再びギルバートに視線を向けた。だが、何故だかすぐに逸らしてしまう。


「フランセールへ行ったら、領地経営を教えてやろう。あと、葡萄畑の手入れだ。下働きからコキ使ってやる」

「は? ……すまないが、意味がわからない」


 セザールの話が飛躍している気がして、ギルバートは眉を寄せた。

 使用人として雇うという話をしているのだろうか。確かに、亡命して身を隠すには丁度良いが……先ほどから、セザールが視線を合わせなくなったのが気になる。


「察しの悪い小僧だな!」

「いや、明らかにオッサンの説明不足だと思うんだが?」


 セザールは再び葉巻を口につける。いつもより落ち着きがなく見えるのは、気のせいではないはずだ。


「――と言っている」

「聞こえない」

「耳の遠い小僧だな」

「オッサンの声が小さいんだよ」


 まどろっこしい。勿体ぶっているのが非常に煩わしかった。


「お前を……養子にしてやると言っている」


 ようやく、はっきりと放たれた言葉に、今度はギルバートがポカンと口を開けた。


「我には結婚する気がない。だが、跡取りは必要だ。一応、サングリア公爵家はフランセールの名家。その跡取りとして養子を迎えることに、国王は異を唱えんだろうさ。いや、文句は言わせんよ。あのボンクラを黙らせるなど、造作もないからな」


 セザールは聞き取れないくらいの早口で捲し立てる。ギルバートはその間に、ようやく意味を呑み込んでいく。


「オッサン、もしかして照れてるのか?」

「意味がわからんことを抜かすな。非常識な小僧は、これだから……!」


 首をブンブン横に振っているが、表情をあまり見せてくれない。余程、読み取られたくないらしい。


「勘違いするなよ、小僧。利害の一致からの提案だ」

「わかったから、もう少し落ち着いてくれないか」


 セザールは苛立った様子で腕を組んで立っている。顔はこちらに向けないが、時々、視線だけでチラチラとギルバートを見ていた。


「なんだよ……」

「なんだとは、なんだ。言うことがあるだろうが」

「別になにもないんだがなぁ」

「貴様……! 提案してやったのだ。返事くらいするのが道理だろう、非常識な小僧だな!」


 急かされていたのか。なんだこのオッサン。

 ギルバートは腕組みして思案する。


「利害の一致って観点なら、考えておくよ」

「偉そうな小僧だな」

「アンタにだけは言われたくはない」


 呆れて返すと、セザールは決まりが悪そうに顔を逸らした。彼は「ふん」と鼻を鳴らすと、そのまま足早に退室してしまう。


 養子か。

 考えて、ギルバートは初めて自分の親がいなくなったことを思い出す。

 国王は討たれたし、王妃は幽閉されている。ギルバートも国を出るので、恐らくはもう会うことはないだろう。それでも少しも寂しさを感じないのは、たぶん今まで両親だという実感がなかったからだ。


「最悪だ」


 よりによって、どうしてあのオッサンなのだ。

 冗談じゃあない。

 しかし、契約内容としては悪くない。むしろ、良すぎる。損得を考えれば、これ以上にない好条件だ。条件だけなら。


「冗談じゃあないぞ」


 ギルバートはもぞもぞもと寝台の上で丸くなり、着ていた寝衣を脱ぎ捨てた。そして、不貞腐れるように布団を被る。


「だから、脱ぐなと言っているだろう!」

「もう少し優しく着せてくれよ」


 数刻後、食事を持ってきたセザールが予想通り、怒鳴りながら脱ぎ捨てた寝衣を投げつけてきた。ついでに髪も引っ張られた。

 これから先も、ずっとこうなのかと思うと、本当に最悪だった。

 

 

 

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