第8章 引き籠り、凱旋!
第112話
ロンディウム城への殴り込み、いや、攻防から一週間が経とうとしている。
城主を失った城は、アンガスや民衆たちが率いた軍勢に呆気なく包囲された。
「解せませんわ」
当初の目的が果たされてお祭りムードの中、ルイーゼは不満で口を曲げていた。
主の不満を読み取って、傍らに控えていたジャンがスッと前に出る。ルイーゼは息を吸うくらい自然な動作でジャンの背中を鞭打った。
最近、ストレスが溜まることが多かったので、いつでも健全なお仕置きが出来るというのは快感である。つい乗り気になって、蹴り倒して後頭部も踏みつけてしまう。
「よろしゅうございます、お嬢さま!」
「よろしくなくてよ!」
城は占拠され、政権は掌握した。
ルイーゼたちは首都ロンディウムの郊外に構えられた離宮を宛がわれ、客人待遇で過ごしている。まだまだ混乱するロンディウム城では、ゆっくり出来ないのだ。
それはいい。
浴室は広いし、庭も美しくてなかなか過ごしやすい。ご飯はセザールが作ってくれるので安心だ。ジャンも傍にいて、いつでも鞭打てる。
「解せません」
不満の種は下衆野郎――国王ウィリアム二世の崩御だ。
一応、表向きには革命の軍勢に囲まれて凄惨な死を遂げたということになっているらしい。ありもしなかった最期の様子が武勇伝として語られ、もう王国中を駆け巡っている。
それはいい。それはいいのだ。
そもそも、表舞台に出ていた国王は替え玉だったし、外国の令嬢が乗り込んでサクッと殺したなんて話はややこしすぎる。
問題は、下衆野郎の死因だった。
逃げた先が国王の居室だったのは別にいい。なんとなく、そこに逃げたい気分だったのだろうと思う。どうせ、あの傷では足掻いても助からなかった。
「わたくし、止めを刺しておりませんのに」
ルイーゼが下衆野郎に浴びせたのは一太刀だけだ。右胸部を一突き。肺を貫通する一撃だった。
だが、下衆野郎の遺体は首と胴が切断された状態で見つかっている。胴がバルコニーの下で、首は居室のテーブルに置かれていたという話だ。
雪崩れ込んできた軍勢が興奮して切断したとしても、彼は普段、国王として振舞っていなかった。城はほぼ無血開城の状態で占拠されたので、他にそんな凄惨な被害が出た様子もないらしい。
誰か別の人物が下衆野郎に止めを刺したのだ。
しかし、誰が?
「考えるのは苦手ですわ」
直近の前世が海賊やら騎士やら脳筋職業だったせいか、「とりあえず、殴って解決」が信条になりつつあるルイーゼだった。筋トレをしはじめてからは、尚更だ。
「よろしゅうございます! お嬢さま、もっと! ジャンを打てば、解決いたしますッ!」
「適当なことを言わないで頂けますか!」
最近、お仕置きされるためなら見境がなくなっているジャンを蹴りつける。そのまま手際よく縛り上げて引き摺った。
少々鬱陶しいので、庭の木にぶら下げてやろうではないか。これで今日も快眠である。
「おーほっほっほっほ! うるさい執事はお庭に飾りましょう!」
ルイーゼは完璧すぎる自分の行動を自画自賛する高笑いをあげながら、部屋の窓に足をかける。一階なので、庭が目と鼻の先だ。
夜の庭は静かで、噴水の水音だけが清らかに響いている。その静寂を踏み荒らすように、ルイーゼはジャンを引き摺って手頃な木を探した。
「お嬢さまぁあぁあああ! こんなにお仕置きして頂けるなんて、ジャンは涙が出るほど嬉しゅうございますッ!」
歓喜の叫びをあげるジャンを手頃な木に吊るす。
ジャンは身体をくねらせて、ピョンピョンと木を揺らした。まったく、情緒がない。
「なんだ、ルイーゼかい」
そんな騒がしい令嬢と執事が乗り込んだことで、庭にいた先客が声を上げた。
噴水に腰掛けていたのはヴィクトリアだ。白っぽいシンプルなドレスが月明かりを吸い込んで、暗闇の中で浮かび上がっている。
「あら、お邪魔しましたわね」
「別に……一人だったから」
騒がしくしてしまったことを詫びながら、ルイーゼはヴィクトリアへ歩み寄った。
城を占拠して政権を掌握したことで、現在、アルヴィオスには君主がない。
替え玉になっていた国王は、とりあえず幽閉してある。王妃も口が出せないように捕えられているそうだ。
ギルバートは酷い怪我を負っていたが、なんとか状態が安定した。しばらく高熱でうなされて寝込んでいたが、今は離宮の一室で隠れるように過ごしている。現段階で正当な王位継承権を持つ彼の居場所が他に知られると不味いのだ。
新しい君主が必要である。
そのためのお飾りはヴィクトリアの役目だった。元々、革命は彼女を女王にするために動いていたのだから。
「この期に及んで、なにを悩んでいらっしゃるのかしら。よろしいではありませんか、女王様。難しい政治は別の人間がやってくれるのでしょう?」
ヴィクトリアの心中を見透かして、ルイーゼはわざと挑発的な口調で言う。
「バッドエンドフラグが建っていないのに権力を握れるなど、羨ましいのですわ」
「ばっどえんど? ふらぐ?」
「とにかく、悩む必要などございません」
呆れた表情で言ってやると、ヴィクトリアが押し黙る。
普段は気さくで馴れ馴れしいヴィクトリアだが、この話になると口を開きたがらない。
「それとも、逃げます?」
現状、城を占拠しただけだ。まだヴィクトリアは即位していない。
民衆にとっては、アルヴィオス王家の人間以外なら、誰が君主になっても変わらないだろう。今から新しい君主を立てることは不可能ではない。
お飾りなのだ。絶対にヴィクトリアが即位しなければならないわけではない。
「ギルバート殿下のことですか?」
アルヴィオス王家の血を引くギルバートは難しい立場だ。
革命の功労者のはずだが、王家の血筋は根絶やしにすべきだと考えている者もいる。そのため、民衆に対しても、参加した貴族に対しても、ギルバートの安否と所在は伏せられた状況だ。
このままだと、最悪は処刑か、良くて国外追放。
アンガスたちの考えでは、今回の怪我で死んだことにしてフランセールへ逃がしてしまおうということだった。ルイーゼたちと一緒にフランセールへ渡り、身の振りを改めることになる。
亡命だ。
アンリが亡命者を受け入れるかはわからないが、とりあえず、そうなった。
ギルバートがアルヴィオスで生きていくことは難しい。
ヴィクトリアが女王の道を選ぶということは、ギルバートと会うことが出来なくなるということだ。
「わたくし、恋愛脳のお花畑ではございませんので、参考にはならないかもしれませんが」
ヴィクトリアがあまりに黙っているので、ルイーゼはコホンと咳払いする。
散々、エミールにちょっかいを出されていたことと、胸囲の格差社会を見せつけられたことへの仕返しをしてやろうと思っていたのだが、気が変わった。
「どちらを選んでも、いいのではないでしょうか? 困る人はほとんどいなくてよ?」
そう言うと、ヴィクトリアは少しだけ顔を上げた。
「わたくしは迷ったとき、欲望に忠実に行動した方がいいと思うのですわ。だって、いつ刺されて死ぬかわかりませんもの。好きなことをして死にたいと思って、当然でございましょう?」
「あたしは……」
やっと、ヴィクトリアが口を開いた。
彼女は戸惑って何度も口を開いては閉じていたが、やがて、意を決したように立ち上がる。
「違うんだよ、ルイーゼ」
とても悲しい顔をしていた。
けれども、どこか吹っ切れていて、清々しいようにも思える。
「あたしは、なるよ。女王に即位しようと思ってる」
口調は重くてぎこちない。
「最初は母さまを救いたいだけだった。でも、違うんだ。そうじゃない……何年も、圧政に苦しむ人を見てきた。見ているだけだった。ギルのことも、なにもせずに見ているだけだったんだ。あたしは」
心情を吐露する決意の言葉は弾けるように早口で、けれども、しっかりと紡がれていた。
「ただの飾りなんかじゃなくて、ちゃんとした女王になりたい。少しずつでも、頑張りたいと思ってるよ」
「そうですか」
ルイーゼはわずかに笑ってヴィクトリアを見据えた。
「ルイーゼとエミールのお陰だ。最初はあんな可愛い王子様って舐めてたんだけどさ……頑張ってる姿見てると、あたしもしっかりしなきゃって思ったわけさ! 中途半端じゃ、ダメだろう?」
言葉がどんどん明るくなる反面、声が次第に震えはじめる。
口角をあげて笑うヴィクトリアの頬に涙が一筋こぼれた。
「ちゃんと決めたんだ。あたしは、ちゃんと決めたんだよ」
頬にこぼれた涙をなかったことにしようと、ヴィクトリアは指で拭う。けれども、涙は次から次へと関が壊れたように溢れてくる。
たぶん、これが最良だ。
ヴィクトリアは一番良い決断をした。なにも決められなくて立ち止まっていた彼女が進歩したのだと感じる。
前途多難だし、無謀かもしれない。今まで、政治を握るつもりのなかった娘が、いきなりマトモな女王になろうと言っているのだ。生半可なことではないだろう。ここに至るまで、悩んだに違いない。
素直に称賛すべきだ。エミールもこれくらいの決意表明をしてくれないかと思う。
「良い決断ですわ。お花畑恋愛脳なんて、良いことございませんもの」
ルイーゼは穏やかな口調で言いながら、自分のハンカチを差し出した。
「多少悲しいのは、仕方ないのですわ。そういうものですもの。わかります」
言いながら、どことなく物寂しさを感じてしまった。
ヴィクトリアを見ていると、前世で一度だけ経験した失恋が蘇るようだ。黒歴史を抉られて、こちらにまでダメージが及ぶ。流れ弾だ。とばっちりだ。
ルイーゼもいつかは――エミールと道を分かつ必要がある。
バッドエンドフラグを折るために王妃コースは免れなければならない。現在、お友達ということになっているが、エミールが国王になってまで仲良くしていると、実権を握りたくなってしまいそうだ。
エミールが成長して教育係が必要なくなったら、ルイーゼはお役御免。早々に条件が良い貴族と結婚して、平平凡凡に暮らすのだ。そして、ハッピーエンド。
――ルイーゼにとって、幸せってなに?
いつかの言葉が胸に引っかかる。
きっと、泣いているヴィクトリアを見ているせいだ。前世の失恋と重ねて、ちょっと同情しているだけだ。
決して、エミールから離れたくないわけではない。
ヴィクトリアの抱く感情とルイーゼの抱く感情は別のものなのだから。
「解せませんわ」
恋愛なんて、良いことありませんもの。前世でも証明されていますわ。ちゃんとした経験に基づく結論なのです。ほら、ヴィクトリア様だって恋などしているから、こんなに悲しんでいるのです。やはり、恋は害悪ですわ。
そんなことを何度も何度も頭で繰り返しながら、ルイーゼはヴィクトリアの涙を丁寧に拭ってやった。
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