第108話
虚ろな目をして立つユーグを、セザールは正面から睨んだ。
マッチに火をつけ、葉巻を咥える。一度泳いでダメにしてしまったので調達し直したが、なかなか良い品だ。アルヴィオスは食事も不味くて気に食わないことばかりだが、まあ悪くないと思える。
「久々に見たと思ったら、腑抜けた顔をしている。カゾーランの奴は息子の教育が余程下手みたいだな」
円柱型の剣を振ると、ヒュンと風を斬る音が鳴る。
ユーグは無表情のまま、足元に転がっていた兵士の剣を拾い上げた。表情は乏しいが、剣の構えは悪くない。しばらく見ていなかったが、幼いころに世話してやった後、彼が立派な騎士になったことが容易にわかった。
確か、
「これ……」
前に出たセザールに、ヴィクトリアが白い宝玉を差し出す。
これがあれば、宝珠の力を無効に出来ると聞いた気がする。セザールが身につけていないので、自分の分を渡しているのだろう。
「必要ない」
セザールはヴィクトリアを押し退けて、ユーグの方へ歩む。
「要は戦えなくすれば済む話だ」
「そんなこと言ったって」
「いいから、お前はさっさとあっちへ行け。邪魔者同士で纏まってくれた方が楽だ」
軽く視線で促してやると、ヴィクトリアは戸惑ったように動きを止める。
「ギルは……」
「死にかけだが、一応生きている」
そう言ってやると、ヴィクトリアは安心したように表情を崩した。
「ありがとう」
彼女は踵を返して床に転がったギルバートの元へと駆けていく。
セザールは煙と一緒にゆっくりと息を吐く。
次の瞬間、ユーグとの距離を一気に詰めた。ドレスの裾が踊るように翻る。
金属と金属がぶつかる音が響き渡る。子供の頃とは違って、力の籠った良い剣筋だ。
しかし、成長を喜んでやる暇などない。
「再会を懐かしみたいところだが、まずは平伏すがいい」
セザールはユーグの剣を払って押し戻す。急な力技にユーグがよろめき、後すさる。
が、そのときにはセザールはユーグの視界から消えていた。
ユーグが気づく前に、セザールは背後へと回る。後ろから足払いを入れると、ユーグの身体は呆気なく傾いてしまった。
「ふん。並み以上には成長したようだな。我が稽古をつけてやったのだ。それくらいになっていなければ困る」
言いながら、倒れたユーグの胸をブーツで踏みつけた。胸に強烈な衝撃を受けて、ユーグは呼吸困難に陥ってしまう。
「いい加減に起きろ、
呼吸が苦しくてしばらく咳き込んでいたが、やがてユーグは落ち着きを取り戻す。
虚ろだった視線に光がさして、まっすぐにセザールを見上げた。部屋の隅を見ると、ルイーゼが勝利を収めるところであった。
「……セザ……ルさん?」
ユーグはそれだけ呟くと、安心したように眠りに落ちた。
よく観察すると、ユーグの手首には縄で縛られた跡がある。隈も出来ているし、頬も不自然にこけていた。
少し前まで、どこかで監禁でもされていたのかもしれない。
剣筋は良かったが、動きが明らかに本調子ではなさそうだったのは、このせいか。
「我は他人の子供の世話役ではないんだがな」
面倒な役回りばかり引き受けている気がする。
眠ったユーグを見下ろして、セザールは再び葉巻に火をつけた。
† † † † † † †
「ルイーゼ、ダメ!」
タマに跨ったエミールが声を上げる。
ルイーゼは思わず振り上げていた刃を止めてしまう。
囚われているはずのエミールが、どうしてこんなところにいるのだろう。
しかも、タマを連れている。いくら笛を吹いても来ないと思ったら、エミールのところに行っていたのか。タマの調教をやり直す必要がありそうだ。
「タマ、ルイーゼのところに行って」
エミールはタマに命令して、部屋の中へと移動する。昨日潜入した女装のままなのでエミリーと呼んだ方がいいかもしれないが、そんなことはもう関係ない。
タマから飛び降りると、ヒラヒラと桃色の裾が翻った。
「ダメ、だよ。ルイーゼ……その……やめたげてよぉ」
「はい?」
この期に及んで、なにを言っているのだろう。ルイーゼはあからさまに表情を歪めた。
「この下衆野郎を生かしておけと? 紛れもない悪党ですのに。悪党は刺されて死ぬと相場が決まっているのですわ。ソースは、わたくしです」
「そーす?」
「焼きそばではなくてよ」
「やき、そば?」
エミールは怯えながらルイーゼの顔を見ている。
身体が震えていて、怖がっているのがわかった。その足元に、いつの間にかどこかへ避難していた白蛇のポチが這って近づいてきた。
ポチを腕に巻きつけて勇気が出たのか、エミールは唾をゴクリと飲み込む。
「だって……今のルイーゼ、す、すすごく怖くて……首狩り騎士みたいで……僕、ルイーゼにそんな顔してほしくない」
言われて、初めて自分が酷く残忍な悪党面をしていたことに気づく。
殺すつもりでテンションがあがっていたので仕方がないのだが、今の一言で覚めるように冷静になった。
「それに、ルイーゼは前世で悪いことをしたから、幸せになれなかったって言ってたから……こういうの、よ、よくないと、思う」
そう言われてしまうと、なにも言えなくなる。
確かに、外国で国王殺しなど大悪党のすることだ。王妃殺しなら経験済みだが、国王殺しは未経験。下手をすれば、串刺しどころか蜂の巣エンドが待っているかもしれない。
この際、既に城で大暴れしてしまったことは棚にあげておく。しかも、既にかなりの重傷を負わせているが……たぶん、これは正当防衛だ。たぶん!
「だから、その……ルイーゼ、やめて?」
潤んだ視線で言われて、ルイーゼは言葉を失ってしまう。
「ぐぬぬ、ですわ……エミール様のくせに生意気です」
「ご、ごめん……そんなつもりじゃ……」
言い返すことがなくて、八つ当たりのようになってしまう。
だいたい、ルイーゼがここまで来たのはエミールにお仕置きするためだ。生意気なエミールをお仕置きして教育するつもりが、何故、逆にエミールから諭されているのだろう。わけがわからない。
「教育係は、わたくしですのに」
「そ、そうだね。変だよね……でも、僕は出来れば、ルイーゼとは……その、教育係っていう関係じゃなくても、いいかなって……思ってるよ」
もじもじとしながら、エミールはドレスの裾を弄っていた。
――でも、僕は、ずっとルイーゼのこと……好きだから……憧れなんかじゃなくて……好きだから!
何故だか、以前に言われたセリフを思い出して、こっちまで恥ずかしくなる。
「だ、ダメですわ! いけませんッ! わたくし、素晴らしい筋肉の殿方が好みですのでッ! 王妃からの陰の支配者コースのバッドエンドは遠慮しますわ!」
「え、うん? ルイーゼの好みは知ってるよ? ……友達みたいにしてくれても、いいかなって……」
「友達、ですか?」
ルイーゼはすっかり拍子抜けてしまう。
自分はなにを考えていたのか。完全に煩悩まみれだった気がして、敗北感を味わう。
いや、親心的な感情をこじらせたなにかなので、煩悩と言ってしまうと変か。まるで、自分の頭が恋愛脳のお花畑のようではないか。意味がわからない。そんなはずはないのに。
「友達だったら、なんでも言えるんでしょ?」
純粋な顔で言われて、ルイーゼはたじろいだ。
仮にも一国の王子だというのに、臣下を友達にしたいなどと……けれども、思えば彼の母もそうだった。セシリア王妃も臣下を名前で呼び、対等な立場として接していたと思う。
エミールは弱くてダメな引き籠り姫だ。だが、時々、こちらの予想以上に大きく見えることがある。
「わかりました、エミール様……わたくし、これからはエミール様の教育係兼お友達ということにしておきますわ」
王妃コースではなくお友達コースなら、大丈夫だろう。たぶん。
お友達コースからも影の支配者にはなれるが、王妃と違って法的拘束力はないから大丈夫だ。なんと言っても、ただのお友達である。
「おっと、忘れるところでしたわ」
エミールに気を取られて忘れるところであったが、下衆野郎を放置していた。
と言っても、肺を貫通するような大怪我を負ったのだ。動けるはずもなく、蹲って肩で息をしていた。そのうち、失血死か肺の機能不全で死んでもおかしくない。
このまま死ねば、彼は再び転生するだろう。
アルヴィオス王家の血筋を根絶やしにすれば問題ないかもしれないが、その作業も今では面倒臭い。
先ほどまでは関係ないと思っていたが、冷静に考えると、ここで対処しておくべきだろう。
「エミール様」
ルイーゼはエミールの手を握った。エミールは緊張で震えていたが、やがて、力を込めて頷く。
「終わりにしましょう。下衆野郎――いいえ、リチャード」
かつての名前で呼び、ルイーゼは下衆野郎を見下ろす。
下衆野郎は真っ赤な血を吐きながら、壁伝いに立ち上がろうとする。けれども、すぐに崩れるように倒れてしまう。
「く、そ……がッ」
一国の王として長年君臨してきた転生者も、この有様だ。
第一、ルイーゼや下衆野郎は転生者だが、人間である。神のような存在ではないし、チート能力も存在しない。少し前世の記憶を思い出しやすいだけだ。
ルイーゼは下衆野郎の首から下がるペンダントを引き千切った。
血のように深く、燃えるように揺らめく紅い火竜の宝珠。
「エミール様。こういうときは、『バルス』と言うのですわ」
「え、ば、ばるす?」
「はい。そのあとに、目がぁぁぁああ! 目がぁぁぁああ! までが、お約束です」
「ちょっと意味がわからない……ご、ごめん。でも、がんばる」
ザックリ説明しすぎて伝わらなかったようだ。まあいい。
ルイーゼとエミール繋いだ手を自然に掲げた。
「バルス!」
声を揃えて言った瞬間、身体の奥が温かくなる。宝珠と自分の身体が呼応するように反応しているのがわかった。
エミールの瞳が蒼く光る。宝珠の能力を使用している証拠だ。
「くっそッ!」
下衆野郎が頭を抱えてもがく。蒼いオーラのようなものが見え、下衆野郎を包んでいるのがわかる。
宝珠の力を使っていると、はっきり実感するの初めてだ。不思議な感覚だった。
「…………!?」
しかし、力尽きていたはずの下衆野郎が、血がこぼれるのも厭わずに立ち上がる。
ルイーゼの反応が遅れている間に、彼はエミールを突き飛ばして走り出す。
「お待ちなさい!」
真っ先に扉の方へ向かって走る下衆野郎を、ルイーゼは追った。
「きゃ、きゃッ!」
けれども、エミールが女々しい悲鳴をあげていることに気づく。
頭を抱えて蹲っているエミールを見て、ルイーゼは放っておくことが出来なかった。
「エミール様!?」
駆け寄ると、エミールは肩で息をしていた。
能力を使っている途中で突き飛ばされたので、なにか異変が起こったのかもしれない。エミールの肩でポチがシャーッと牙を剥いていた。
早く下衆野郎を追わなければ。
このまま死なれると転生されてしまうかもしれない。野放しにしておくと危険だ。
「エミール様! しっかりしてくださいませ!」
だが、苦しんでいるエミールから離れることは、何故か出来なかった。
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