第107話

 

 

 

 俊敏な動作で斬り込みつつ、冷静に相手の動きを観察する。

 攻撃が繰り出されてからでは遅い。わずかな筋肉の動きを見て、行動を先読みする必要がある。

 ルイーゼは感覚を研ぎ澄ませながら、次の動作へと移った。

 無駄な動きは一切してはいけない。実力が拮抗していることもあるが、なによりルイーゼには体力が足りなかった。最小限の動きで最大の効果を発揮しなければならない。

 前世だったら、もっとあっさり倒せるのに!

 戦うために鍛えた脳筋前世のボディが欲しい。筋肉欲しい。脳も筋肉で、だいぶ残念な感じだった気がするけれど。


 振り下ろされる剣をかわして身体を反転させる。その勢いで、ルイーゼは下衆野郎の脇に刃を叩き込んだ。


「セイヤァァァアアッ!」


 しかし、下衆野郎は近くにいた兵士を掴むと、盾のように刃の軌道へと引き込む。

 スパッと斬れた兵士の脇から、コップをこぼしたような血液が落ちる。返り血がドレスと顔を濡らした。


「やることが下衆なのですわ!」


 返り血のせいで、目が開けていられない。血の飛散も計算に入れていたつもりだが、盾を使われたせいで狂ってしまったようだ。ルイーゼは急いで、袖で顔に血を拭う。


「ハッ、使えるものを使って、なにが悪い!」


 腹の中心に蹴りが入る。

 とっさに受け身を取ったものの、ダメージが大きい。突然の衝撃に、ルイーゼは数秒呼吸困難に陥った。


「はあッ……ふ、ぅ……」


 口の奥が切れて血の味が滲む。すぐに脇差を持ちあげようとするが、腕が震えて力が入らない。


 円卓の広間にいる貴族たちは、宝珠に囚われて誰も動こうとしない。

 ルイーゼが殴り飛ばした兵士が横跳びでぶつかってきてもビクともしないのが異様に思えた。


 同じように操られたユーグも、下衆野郎の命令を遂行しようとしている。

 ヴィクトリアが阻止しようと動く。

 ヴィクトリアはユーグの腕を掴んで投げ飛ばそうとする。だが、ユーグが逆にヴィクトリアの身体を捻って、押さえ込んでしまった。

 ユーグは基本的に剣術を使うが、キレると拳が出るタイプだ。やはり、体術対決では男に分があるか。


「く、そッ。この……!」


 床に押さえつけられたヴィクトリアが声をあげる。ユーグは両手でヴィクトリアの細い首を掴むと、無表情のまま締め上げた。


「ヴィクトリア様!」


 ヴィクトリアの危険を察知してルイーゼは叫んだが、そこに兵士が三人斬りかかってくる。ルイーゼは舌打ちして後退した。

 息があがって上手く動けない。そろそろ体力の限界のようだ。

 ルイーゼは中途半端に破れて動き難いドレスの裾を斬り裂いて短くする。キャピキャピのミニスカートなど、日本にいた前世振りだ。

 重い脇差を振るのを諦めて、ルイーゼは木刀を手にした。


「他人を気にする余裕があんのか!?」


 すかさず、下衆野郎がルイーゼを追う。

 ルイーゼは身を翻した。軽くなって動きが幾分楽になったが、それでもキレが足りない。誤魔化すように、下衆野郎の頭部を狙って木刀を振った。


「大きな口を叩いておいて、そのザマか?」

「ウォーミングアップですわ。これからでしてよ」


 下衆野郎はルイーゼの体力のなさを察知しているのか、無駄に戦闘を長引かせようとしている。これは非常に不味い。


 ヴィクトリアに視線を移すと、彼女はなんとかユーグの腹を蹴って引き剥がし、床を転がっていた。

 それでも危機を脱したとは言えず、満身創痍だ。


 この状況は不味い。

 不利だとわかっていて突っ込んだルイーゼが悪いのだが、突っ込んでしまったものは仕方がない。


 そのとき、広間の正面扉が跳ねるように開く。


「ここか」


 不機嫌そうな声が聞こえる。

 扉に立った人物は引き摺っていた兵士を投げ捨てると、当然のように大股で広間に入った。

 シンプルな濃紺のドレスが揺れ、振り回された円柱型の剣が風を斬る音がする。


「セザール様!?」

「よかった。また違っていたら、どうしようかと思っていたぞ」


 セザールが溜息をついて腕を組んだ。

 どうやら、ここへ来る前に他の場所でも暴れたらしい。広間の外には伸びた兵士の山が出来ていた。


 セザールは担いでいたものを床に下ろす。

 麻袋かなにかのように扱っていたので気づくのが遅れたが、ぐったりとしたギルバートのようだ。状況がわからないが、生きていたようである。

 しかし、何故か女物のコートを着込んでいた。意味がわからない。彼が着るのは、エプロンだけではないのか。


「ギル!」


 ギルバートの姿を見て、ヴィクトリアが叫ぶ。だが、その進路をユーグが塞いだ。

 セザールはユーグの姿を見て眉を寄せる。


「カゾーランのせがれか?」


 彼はユーグがここにいる理由を知らない。状況が飲み込めないのだろう。けれども、しばらく考えたあとで閃いたように葉巻の煙を吐いた。


「なるほど、理解した」


 この状況で、なにが理解出来たと!?

 とはいえ、彼はフランセールの実質ナンバー2だ。経験も豊富だし、意外と常識的なときもある。意外と。もしかすると、この状況だけで的確な判断をすることが出来たのかもしれない。すごい! 流石は、セザール様! さすセザ!


「我が美貌のために争うとは、愚かしい」

「絶対違いますけどね!?」


 ルイーゼの突っ込みも聞かず、セザールは虚ろな目をした貴族が並んだ円卓に足をかける。そして、円卓の上を走って部屋の中央を突っ切った。


「要は教育の行き届いていないガキに常識を叩き込めば良いのだろう?」


 セザールは円柱型の剣を振って、ユーグの前に立つ。その途中で二人ほど円卓に着いていた貴族を蹴り飛ばしたが、些細なことだ。

 まったくもって状況を理解していないが、行動はそんなに間違っていない。これでいい気がしてくる。いや、いいのだろうか?


「余所見するんじゃねぇ!」


 セザールに気を取られていたが、ルイーゼの目の前に対峙するのは下衆野郎だ。


「ふ、くッ……!」


 下衆野郎の攻撃が激しくなり、ルイーゼは避けるのが精いっぱいだ。すぐに壁際へと追い詰められていく。

 下衆野郎が下衆顔で、ニヤリと笑う。周囲の貴族たちを宝珠で操っているからと言って、あまりに本性出しすぎではないか。


「観念しろ」

「……仕方ありませんわ」


 ルイーゼは下衆野郎を真正面から睨んで吐き捨てた。


 次の瞬間、ルイーゼは脇差を抜いて居合斬りを放つ。

 けれども、リーチが短すぎた。あと少しのところで下衆野郎はルイーゼの刃を避けてしまう。


「この程度か――なんだと!?」


 下衆野郎が呟くと同時に、ルイーゼは身を翻した。あらん限りの力を使って、背後の壁を蹴りつける。


「白鯨!」


 壁を走るように反転した鮮やかな跳躍の軌跡を追える者はいない。

 ルイーゼは見事な身のこなしで壁を使って跳びあがると、一瞬で下衆野郎の後ろをとる。


「前世振りの技なので、ぶっつけ本番でしたが、意外と出来るものですわね!」


 某テニヌの王子様でボールが跳ね返ってくる技をパクッてネーミングしたが、なかなかに使える。


「ヤァァァアアッ!」


 ルイーゼはそのまま、脇差を下衆野郎の背中に突き出す。

 背部からまっすぐに心臓をひと突き。だが、下衆野郎が身体を逸らしたので、狙いがズレてしまった。


「ぐ、あ、ああッ!」


 刃が右胸部を貫いた。

 ルイーゼはそのまま、血の噴出する傷口に刀を押し入れていく。肋骨を削る手応えが気持ち良い。


「ふふ……うふふふふ。良いザマですわ!」


 つい加虐心がくすぐられて、笑声が漏れてしまう。

 楽しい……! ルイーゼはつい禍々しい笑顔を浮かべて、下衆野郎の背中を思いっきり蹴り飛ばしてやった。

 蹴られた反動で傷口から刃が抜けて、下衆野郎は床に膝をつく。


「コノヤロウが……」

「野郎? わたくし、現世では女ですけど」


 さて、そろそろ首を頂いてやろう。このまま痛めつけるのも悪くないが、この下衆を生かしておく方が胸糞悪い気がする。


「はッ……今、俺を殺すと、また転生するだけだぜ?」

「関係ありませんわ。わたくしはあなたの首を頂戴したい気分なのですわ」


 ルイーゼは思いっきり高笑いをして、蹲る下衆野郎の肩を足で踏みつける。肺を貫かれて、下衆野郎は苦しそうに肩で息をしていた。

 勝負はあった。

 確信して、ルイーゼは気持ちよく高笑いを響かせる。


「ルイーゼ、ダメ!」


 高笑いに重なるように、声が聞こえた。

 ルイーゼは反射的に振り返る。

 セザールが押し入ったことで開け放された扉の向こう。


「……エミール様?」


 ライオンに跨ったエミールの姿を見て、ルイーゼは振り上げていた刃を止める。

 

 

 

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