第102話
「ひッ……きゃ、きゃあっ!」
ルイーゼを窓の外に突き飛ばしたあと、エミールはウィリアムに捕えられた。
すぐに城の兵士がやってきて、手を縄でぐるぐると縛ってしまう。まるで、ルイーゼの執事になった気分だった。
手を縛られたまま連れて行かれたのは、客間だ。
どうやら、エミールが男で、しかもフランセールの王子だとは知られていないらしい。一応は「レディ」として扱われているみたいだ。それでも、いわゆる軟禁状態には変わりなさそうで、手も縛られたままである。
連行されている途中でアーガイル侯爵も縛られているのを見た。言葉を交わす暇はなかったが、縛られてとても嬉しそうだった。
きっと、「一流の殿方」はみんな縛られるのが好きなんだ。だって、父上も好きだって言っていた。
エミールは納得しつつ、「僕も、もっとがんばらなきゃ! ふじさん!」と意気込んだ。縛られるのが好きになるなんて、ちょっと出来そうにないけれど……それに、ルイーゼは「強い殿方」が好きみたいだ。
けれども、今はそんな場合ではないことを思い出す。
「ふ、ふじさん……」
誰もいなくなった部屋で、エミールは俯いた。
一応は客間に放り込まれてこう待遇だとは思うが、外には見張りもいる。窓も施錠されており、開けることは出来そうになかった。
「う、うぅ、んッ……」
ミーディアが、慣れると縄抜けくらいは楽勝だと話していた気がする。
エミールは頑張って手首の縄を解こうとしたが、無理だった。そもそも、方法を教わっていないことを思い出す。
いろいろ試みるも、エミールに出来ることなどない。自分の無力さを痛感して、情けなくなってくる。今出来ることは、せいぜい男だとわからないように振舞うくらいだ。
「ルイーゼ……」
けど、少し胸を張っていい気がする。
僕はルイーゼを守ったんだ。いつも守られてばかりだったけれど、今回は、きっとルイーゼを守ることが出来たと思う。こんなに情けない自分だけど、ルイーゼを守ることが出来た!
そのことだけが嬉しくて、ちょっとは成長したのではないかと思える。ほとんど無意識だったけれど、必死だった。
「ルイーゼ、僕頑張った……よね?」
答えてくれる人は傍にいない。それでも、エミールはこれで良かったと思ってサファイアの両眼を閉じる。
なんだか、疲れちゃった。コルセットだけでも外したいな。
そんなことを思いながら、フカフカのソファで横になって眠りに就く。
馴染みのない部屋だけど、やっぱり独りの空間は落ち着いた。ここのところ、ずっと誰かと一緒だったから。
でも、出来ればルイーゼが一緒だったらよかったな。
独りの部屋が寂しいだなんて、長いこと気がつかなかったのに。
† † † † † † †
国王を? 誘惑して? 油断させたところを? 拘束する?
は?
城を? 占拠して? 王権を? 掌握する?
は?
「ハッ! 甘っちょろいのですわ!」
ルイーゼは全てを一蹴するように鞭を鳴らした。
ベシィンッと空打ちする音が鳴り響く。
「令嬢なら、黙って正面突破に限ります!」
抑えられない憤りに任せて、腕の中で馬用の鞭をしならせる。
こんなとき、ジャンはどこにいるのだろう。今こそ、その身を捧げて主の機嫌を取るべきだろうに! 使えない執事だ!
ルイーゼは不機嫌を隠そうともしない形相で奥歯をギリギリ噛む。その様を見て、前を案内して歩くヴィクトリアが苦笑いしていた。
「本当に行くのかい?」
「勿論ですわ。装備も万端です」
腰には木刀と
不味い朝ごはんも食べたし、寝ていたタマも叩き起こした。ドレスの着こなしだって完璧で、一番お気に入りのリボンをつけている。首にポチが巻きついているのは、おまけのようなものだ。
タマに跨って進むのは、ヴィクトリアが案内する隠し通路である。
ルゴス王家が使用していたものらしく、アルヴィオス王家には知られていないらしい。文字通り、秘密の通路だ。わくわくする。
あまり広いとは言えない通路は寒くてジメジメしている。曇天が広がるロンディウムの地下らしい陰鬱さだった。
タマのもふもふの鬣が気持ちよくて、つい身体を埋めてしまう。
最初はエミールだけに懐いていたライオンだが、鞭で調教したらすぐに大人しくなった。ライオン、やっぱりかっこいい。そして、可愛い。至高の生命体である。
「ごろにゃぁご」
「ふふ。待っていなさい、エミール様。生意気なピーチ姫は、あとでしっかりお仕置きして差し上げますわ」
「……素直に心配してるって言えばいいのに」
ルイーゼが意気込んでいると、ヴィクトリアが息をついた。
「大変遺憾ですわ。わたくしは、エミール様の教育係です。お仕置きするのも、教育の内ですわ」
「あたしには、素直になれとか偉そうなこと言っといて……他人のこと言えないじゃないか」
「だから、これは教育係という職務の内なのです。素直とか、そういう次元のお話ではございません。さっさと城まで案内してくださいませ」
何度も言っているのに、しつこい。ルイーゼは口を曲げて、ヴィクトリアの言葉を全否定した。
「王子という自分の身分も理解せずに、目下のわたくしを逃がすなど、愚か者ですわ。大馬鹿にございます。馬鹿野郎です」
「目下、ねぇ」
引っ掛かることがあったのか、ヴィクトリアが俯いた。
そういえば、彼女もギルバートや、その協力者から女王に担がれようとしている。
普段は気さくで馴れ馴れしく誰にでも接しているヴィクトリア。
しかし、彼女には女王になる覚悟などないように思えた。少なくとも、ルイーゼにはそう見える。妙にねじ曲がった覚悟を持っているギルバートとは違って、迷いがあるのだ。
周囲が勝手に持ち上げている。そう考えるのが妥当だろう。恐らく、ヴィクトリアにも、その自覚がある。
「一つ忠告しておきますが」
「なんだい?」
別に放っておけばいいのだが、ルイーゼはついつい口を挟んでしまう。
「あなたはギルバート殿下を『自分がない』と評しましたわ。でも、わたくしから見れば、あなたも同じですわ。むしろ、あなたの方が酷くてよ」
「…………」
ヴィクトリアは黙って前を歩いた。暗くて、その表情はよく見えない。
「ご自分がなにをしたいのか、なにを望んでいるのか……はっきりと口に出さなければ、現状は変わりませんわよ」
ヴィクトリアは振り返らない。
聞こえない振りでもしているのだろうか。それとも、ルイーゼの言葉について考えているのか。
ただ、なんとなく、「わかっているよ」と言われているような気だけした。
長い通路の先には、石の壁があった。
古ぼけた文字はなんと書いてあるのかわからなかったが、辛うじて、太陽と月を象った紋章が見える。
ヴィクトリアは壁の隅に肩をつけ、体当たりするように押しはじめた。どうやら、これは扉らしい。ルイーゼもタマから飛び降りて、扉を押す。
じりじりと扉が回転して、通路の先が見える。
扉の裏側は煉瓦の壁が貼り付けられているようだ。地下の倉庫のような場所に出ていた。
「お城の中なのですか?」
「ああ、そうだよ」
ルイーゼが昨夜訪れたのは、客人向けのルートだったので、イマイチピンとこなかった。
見たところ、埃を被った調度品などが積み上がっている。正真正銘の物置といった眺めだ。
明り取りの窓が一つあるが、非常に薄暗い。ルイーゼは抜け道を通るときに使ったランプを掲げて、前に進み出る。
倉庫は意外と広い。
「…………!」
そのとき、物音がした。
ギィギィと木の扉が音を立てて開き、外の明かりが筋となって射し込んだ。ルイーゼはとっさにタマを伏せさせて、物陰に隠れる。
「立て」
男の声だ。
低くて冷徹な響きがある声は、聞きおぼえがある。
ルイーゼは、そっと息を潜めて、入口の方を確認した。
そこに立っていたのはランスロット――いいや、下衆野郎ウィリアムだった。もうランスロットとかウィリアムとかリチャードとか呼び方が面倒くさくて意味不明なので、下衆野郎で統一することにする。
その傍らで立ちあがる人物を見て、ルイーゼは眉を寄せた。
よく鍛えられて均整のとれた肢体を包む漆黒の衣装。
顔は見えないが、長めの黒髪を三つ編みにしてあった。その背格好には見覚えがある。
後ろでヴィクトリアが息を呑んでいた。
「こっちへ来い……
「……はい」
どうして、ギルバートがここにいるのだろう。
計画と違う。いや、計画は失敗したのだから、予定通りの行動をしているはずはないが……そういえば、昨夜、ギルバートもセザールもストラス邸には帰ってこなかった。
どうなっているのだろう?
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