第100話

 

 

 

 港沿いを扇型に広がる都市ロンディウム。

 海に注がれる大河はロンディウムの街を貫くように流れている。運河としての役割を果たす大河には、昼間は多くの貨物船が行き来しているが、今は夜の静寂を流すばかり。

 先ほどまで酷い雨が降っていたが、もう止んだ。


 暗く黒い水面を見下ろしていると、昔を思い出す。

 夜間の冒険を繰り返していた自分の幼少期を思い起こして、ギルバートは短く息を吐いた。


「落ちるなよ。拾うのが面倒だ」


 身を乗り出しているように見えたのか。セザールがギルバートの三つ編みにされた黒髪を掴んで引っ張ってくる。普通に容赦がなくて痛い。


「ことあるごとに暴力行為に走るのは辞めてもいいんじゃあないのか。俺、一応は王子なんだがなぁ?」

「その、のうのうとした空っぽの頭部を見ると、つい踏みつけたくなるだけだ」


 そう言いながら、セザールはギルバートの顔に葉巻の煙を吹きつける。ムッとする煙の香りにギルバートは咳き込んでしまった。

 アルヴィオスでも喫煙者は多いが、ギルバートはあまり好まない。目尻の涙を拭いて、女装癖のオッサンを睨んでやった。

 今はラフなシャツとスラックスの上から長外套という、ごくごく普通の男装である。なんだか、着る服装によって性別が変わって見えて違和感しかない。こいつにとっては、どっちが普通なんだ?


 アルビンの乗った船が港に着いたという報せがあった。ここで合流して、一度城へと戻らなければならない。


 しかし、そろそろ落ち合う時間だというのに、一向に現れる気配がなかった。

 なにかあったのか邪推してしまう。


「何故、我が小僧のお守りなど……国王を誘惑するのなら、我以上の適任者はいないはずなのに」

「父上の前でも、その態度を取られたら追い出されるからに決まっているだろうが」

我が王うちのボンクラは特になにも言わん」

「アンタの国が特殊なだけだからな!? というか、アンタが特殊なんだろう!」

「口を慎まんと、その頭をすり潰して河に捨てるぞ。我ほどの常識人など、どこを探してもいないはずだ」

「はあ!? あ、いッ、いてててて! や、やめろ。引っ張るな!」


 セザールがギルバートの三つ編みをグイグイ引っ張ってくる。

 正直、このオッサンが許されている意味がわからない。ギルバートは頭が痛くなってきた。

 常識がよくわからなくなって脱ぎたくなってくる。どうして、こいつと一緒に行動することにしてしまったのか。

 苛立ちを抑えるようにシャツのボタンを指先で弄ぶ。


「一つ言っておくが、小僧」


 また妙な自分基準の常識を押しつける気か。ギルバートは流石にムッとしながら振り返る。

 だが、振り返った目の前に葉巻の火を向けられて、動きを停止させた。


「お前のような生き方は無責任だ。虫唾が走って、傷めつけたくなる」

「……は?」


 意味がわからない。

 藍色の双眸で睨みつけるが、セザールは少しも目を逸らさなかった。


「なにも考えないことは楽だ。だが、それは他の人間に負担を押し付けているだけに過ぎんぞ」

「……オッサンに俺のことは、わからないだろ」

「わからんさ。ただの経験則だ」


 セザールはようやくギルバートから視線を外して、葉巻を咥え直す。


「今更思うことがある。あの頃、少しは物を考えて生きていれば、結果は変わっていたかもしれんな」


 セザールがなにを言いたいのかわからない。けれども、核心を突かれた気がしてギルバートは閉口する。

 セザールの横顔を睨むが、彼はそれ以上なにかを言うつもりはないらしい。性別がよくわからないツンと冷たい表情で、口から煙を吐き出している。


「大きなお世話だ」


 聞こえるか聞こえないかわからない小さな声で呟いて、ギルバートは石柵から身を剥がす。


 しかし、違和感を覚えて辺りを見回した。

 寝静まった街の静寂に、いくつもの足音が響いていた。

 金属が擦れる異様な音を聞いて、腰に仕込んでいた短剣に手を伸ばす。セザールも「やれやれ」と葉巻を河に投げ捨てて、刃のついていない剣を抜いていた。

 どういうことだ。


「言っておくが、我が使命はお前の護衛ではない。面倒はかけてくれるなよ」

「言われなくとも、アンタの世話にはならないから大丈夫だ」


 暗闇から湧き出るように、数人の兵士たちが橋の両側から迫ってくる。城の近衛兵たちだと、すぐにわかった。

 自分たちを狙っているのは明白である。

 ギルバートは舌打ちした。

 アルビンがしくじったのだろうか。それとも、自分の行動が不味かったのか。


 あるいは、ルイーゼたちが――。


「邪魔だ、退け!」


 相手の動きを待たず、セザールが素早く剣を振っていく。

 セザールは甲冑に身を包んだ兵士の頭部を狙って、円柱型の剣を叩き込む。刃を弾く鋼鉄の甲冑も、打撃を受けたことで軽々とへこんで薙ぎ倒されていく。

 殺傷能力が低いように思われる独特の剣も、使いようか。普通の剣であんなことをすれば、すぐに斬れなくなってしまう。

 次いで、セザールは無刃の剣を槍のように扱って、振り下ろされた敵の剣を絡めるように弾いてしまった。


 セザールが切り崩した後を追うように、ギルバートも走る。

 迫りくる刃を身軽に避けて、敵の喉首を短剣で裂いた。甲冑の隙間を的確に突けば、問題はない。

 鮮やかに敵を蹴散らすセザールの後ろで、取りこぼした敵を確実に仕留めていく。


「…………!?」


 だが、その中の一撃が鋭く風を裂き、ギルバートの首を狙った。ギルバートは反射的に身体を仰け反らせて避ける。


「く、っそ」


 一般兵と同じ鈍い鉄色の甲冑を身に着けているが、明らかに剣筋が違う。

 ギルバートは一度低い姿勢を取ってから反撃に転じた。

 セザールは一気に襲いかかった敵の塊に呑まれて、すぐに来られないようだ。そもそも、助けられるつもりもない。


 叩きつけるように正面から剣が振り下ろされる。

 ギルバートは受け流しつつ、相手との間合いを詰めた。こちらの獲物は短剣だ。距離を置くよりも、懐へ飛び込んだ方が良い。

 甲冑を纏っているが故に鈍くなる相手の虚を突いて、素早く短剣を振った。

 けれども、首を狙った刃は寸でのところで避けられてしまう。

 顔を覆っていた甲冑が外れて、敵の素顔が明らかになる。


「やっぱり、アンタか。城下へまで出張とは、ご苦労だな……ランスロット卿」


 一般の兵士に紛れていた近衛騎士団長の顔を見て、ギルバートは不敵に笑った。思わぬ大物登場に冷や汗をかいているが、焦りを見せては負けだ。

 城の警護をしているはずのランスロットがこんなところにいるということは、やはり、ルイーゼたちになにかあったか。


「反抗期の王子を痛めつけるのも、仕事の内ですよ」

「痛めつける? 騙し討ちで殺る気満々だっただろう?」


 余裕のある振りをして、ギルバートは足元に落ちていた長剣を拾い上げる。

 ランスロットとは一度も手合わせしたことがない。けれども、恐らくはギルバートより手練だろう。セザールやアルビンならわからないが、楽に勝てる相手でもないはずだ。


「これでも殿下には感謝していますよ。こちらの計画通りに、人魚の宝珠をアルヴィオスまで運んでくださった。不穏分子も集めてくれましたし」

「計画……?」


 嫌な予感しかしない。胸騒ぎを通り越して、心臓が止まる気がした。ギルバートは長剣を握ったまま動きを硬直させてしまう。


「面白いくれぇ手の内で踊ってくれた。お前は最っ高に使える人形だったぞ、ギルバート」


 藍色の瞳に薄い微笑を刻んで、ランスロットが流暢に言った。普段とは違って口調が乱雑だが、一語一語がねっとりと耳の奥に纏わりつくようだ。

 微笑んでいるが、なんの感情もない。使い捨ての駒を見るような眼に、ギルバートは息を呑んだ。

 寒気がする。鳥肌を抑えることが出来なかった。


「うるさい……俺は、ヴィーの……アンタに使われた覚えはない!」


 つい叫んでしまう。

 冷静さに欠いていると自分でもわかっていたが、ギルバートは感情に任せて長剣を振り抜く。

 しかし、刃は虚しく夜の風を裂いて音を鳴らすばかりだ。ギルバートは勢いに任せて、短剣をランスロット目がけて投擲した。


「ぐッ、あ……ッ!」


 打撃のような衝撃が腹部を襲う。

 それが打撃ではなく、突き立てられた刃によるものだと気づいたときには、遅かった。自分の腹を貫く短剣を見下ろして、身体から力が抜けていく。

 ギルバートが投擲した短剣を受け止めて、そのまま腹に刺し込んだのだ。そんな芸当など聞いていない。反則だ。

 ギルバートは刃が生えた腹部を抱えるように、その場に膝をついた。


「自分の子をどう扱おうが、俺の勝手じゃねぇか。用済みだ、消えろ」


 自分の、子?


「……どう、いう……」

「最初から間違ってたってことだな」


 ギルバートは霞みはじめる視界の中で、ランスロットを見上げた。

 すると、ランスロット――国王ウィリアム二世は残忍な笑みを湛えて、剣を振り上げる。


「く、そ……」


 頭の中が真っ白になる。なにも考えられずに、ただただ呆然とするしかなかった。

 そんな状況なのに、脳裏にヴィクトリアの顔が浮かんだ。


「面倒をかけるなと言ったはずだが、小僧!」


 キィンッと耳に響く金属音と共に、後ろから襟首を掴まれる。セザールが振り下ろされる刃を弾いたのだ。

 セザールは素早くギルバートを引き摺ると、そのまま石橋の柵へと飛び乗った。


「今日はズボンで正解だったな」


 そう言うなり、セザールは力ないギルバートの身体を河へと投げ入れる。遠退く意識の中で身体がフワリと宙を舞うのを感じた。


 やがて、冷たい水に抱かれて、身体が暗い水底へと沈んでいく。すぐあとにセザールも一緒に飛び込んだ音を聞いて、ギルバートは目を閉じた。


 ――お前のような生き方は無責任だ。


 意識を手放す直前に浮かんだのがヴィクトリアの顔ではなく、オッサンの言葉だったのが物凄く不服だった。

 

 

 

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