第99話

 

 

 

「あなたが、本当の国王……リチャードの転生者ということですか?」


 対峙した男を見据えて、ルイーゼは固唾を呑む。エミールも口を半開きにして、ガタガタと震えていた。


 先ほど、晩さんに現れた偽の国王はギルバートから聞いた特徴と一致していた。

 つまり、彼が影武者であるということをギルバートは知らない。公の場だけではなく、常日頃から入れ替わって生活しているということだ。

 不味い。

 ギルバートたちは、あの男のことを国王だと思っている。自分の息子にまで正体を隠しているとは、徹底しているではないか。


 本当の国王は目の前にいるランスロットと名乗る近衛騎士であるのに。


「なんだ……今はそんなチンチクリンなのかよ。伝説の大海賊様が笑わせるなぁ? どうせなら、色気のある良い女に転生してくれりゃあよかったのに」


 リチャードの転生者であるウィリアムは、興味深そうにルイーゼを眺めている。

 再会を懐かしむというより、獲物をどう甚振ろうか思案している表情だ。舐められている気がして、大変心外である。


「チンチクリンとは失礼ですわね。これから成熟するのです。お色気キャピキャピなのですわ」


 ルイーゼは不適切だとは思いながらも、きっちりと訂正させて頂いた。

 まだ十五歳。日本で言えば、女子高校生。JKである。これから出るところも出るはずだ。たぶん。


「どうして、わたくしだとわかったのですか」


 ルイーゼは先ほどまで白玉を装備していたはずだ。晩さんでも、不用意な発言をした覚えはない。

 ウィリアムはつまらなさそうに指で白玉を弄んでいる。


「そりゃあ、お前にゃ関係ない」


 ウィリアムは話す気がなさそうだ。というより、話を濁された気がしてならない。

 まさか、アーガイル侯爵が裏切った? いや、彼はずっとルイーゼたちの監視下(監禁プレイ)に置かれていた。情報を流す時間などあっただろうか。


 そして、妙だ。

 この喋り方や空気感は、ほとんどリチャードの頃と変わっていないように思う。

 海賊に生まれた境遇と、今の国王という境遇は全く違う。魂が転生し続けているとはいえ、ルイーゼの感覚では生まれ育ちが変わったら、それなりに人格も変わるはずなのだが……。

 少なくとも、ルイーゼはそうだ。前世の自分とは明らかに異なる価値観を持って育ったと自覚している。


「そう思ってんのは、お前とクロードだけなんじゃねぇのか?」

「は?」


 どういう意味だ。ルイーゼは眉を寄せてウィリアムを睨んだ。

 けれども、その両眼が紅く光っていることに気づく。とっさに後すさり、逃げようと試みた。

 今、ウィリアムは宝珠を持っている。明らかにルイーゼの心を読んだ言葉を発していた。


 ――火竜の宝珠サラマンドラロワイヤルは『魂を服従させる能力』がある。


 火竜の宝珠には人を従わせる力があると、ギルバートは言っていた。

 このままでは、いけない。仕切り直す必要がある。

 ギルバートたちは、国王が影武者であることを知らない。そのことを伝えなければ、大変なことになってしまう。


「エミリー、早く逃げてみんなに伝えてください」


 ルイーゼはエミールの手を引いて、近くにあった窓を叩くように開いた。エミールだけでも逃がさなくてはならない。


「え、え!? ひ、ひぃ、高いよッ! む、むり……」


 エミールは窓の外を見て涙声を出す。

 三階の高さだが、真下には植え込みがある。上手く着地すれば大丈夫だろう。けれども、エミールでは確かに不安のある高さだろう。


「させねぇよ」


 尻込みするエミールを押していると、殺気を感じる。ルイーゼに向けてウィリアムが蹴りを入れたのだ。

 だが、ルイーゼは左手で受け流してやった。一撃は重いが、力の軌道を逸らしてやると楽に流せる。


「女二人になにが出来る」


 ウィリアムが舌打ちしながら、剣を抜く。ルイーゼは鞭を鳴らして対抗した。


「早く、ここはわたくしが!」


 エミールに叫ぶ。

 ウィリアムはエミールの正体に気づいていないようだ。男だと思われていない。捕えられてフランセールの王子だと気づかれると、後々厄介だ。何としてでも、エミールは逃がさなくてはいけない。


「で、でも……」

「アイ・キャーン・フラーイ! と叫べば平気ですわ!」

「あ、きゃー、ふらーい?」


 エミールは窓の下を見て、ゴクリと唾を呑んでいる。


 ルイーゼは薙ぎ払う剣の一閃を避けて間合いを取った。

 ウィリアムはリチャードの頃と剣筋があまり変わっていないようだ。前世の記憶を思い出しつつ、鞭を刀のように構えた。

 短期で決着をつければ勝てる。


「図が高いぞ。跪けよ」


 ルイーゼが踏み込もうとした瞬間、ウィリアムの眼が紅く揺らめく。

 呼応するように、甲冑の隙間から見えていた紅いペンダントが輝いた。

 深い紅を湛える宝珠が、炎のように揺らめく激しい輝きを放っている。あれが火竜の宝珠なのだろうか。


 その瞬間、ルイーゼの身体に意図していない力が入った。


「え……?」


 全く意識していないのに、ルイーゼは崩れるように両膝をついてしまう。立ち上がろうとしても、力が入らない。


「な、なんですか……?」


 身体が言うことを聞かない。どういうことだ。何故、自分は跪いているのだろう。天帝の眼エンペラーアイですか!? おやころですか!? グラコロの方が好きです!

 混乱していると、ウィリアムが余裕のある動作で歩いてくる。


 早く立ち上がって構えなければ――構える? 何故、構えなければならないのだろう? 跪けと命じられたのだから、そのようにするのが当り前だろう。

 ごく自然な流れで、ルイーゼの思考が移っていく。

 そうだ。命じられたのだから、そうしなければいけない。

 何故、自分は戦おうとしていたのか。それも、よくわからなくなってきた。


「わたくし――」


 なにをしようとしていたのだろう。なんだか、とても大事なことだった気がするけれど、どうでもいい。

 この、ふわふわした感覚は、なんなのだろう。


「まったく、あいつがヘマしやがるから、こんな面倒臭いことになっちまったんだ」


 ウィリアムが面倒臭そうに言いながら、ルイーゼの前に立つ。

 そして、ゆっくりとルイーゼの頭に手を伸ばしていった。


「ふ……ふじさんッ! ふじさんふじさんふじさんふじさんふじさん……ふじさん、ふらーい!」


 叫び声が聞こえる。

 ぼんやりとした視界に、エミールの後ろ姿が見えた。エミールはドレスに包まれた身体を広げて、ルイーゼを庇うように立っている。


「ルイーゼをいじめるなっ!」


 エミールはそう叫ぶと、跪いたままのルイーゼを立ち上がらせた。そして、開け放たれていた窓の方へと強引に押す。


「エミ……」

「ルイーゼ、早く逃げよう!」


 エミールがルイーゼの身体を窓の外に押し出す。

 そのまま細い身体が傾いて、ルイーゼはふわりと宙を舞う感覚に見舞われた。

 このまま落ちるのだろう。

 エミールも息を呑みこんで、すぐに窓枠に足を掛けた。


「きゃっ、や、やめッ……い、痛いよっ」

「くそ、こいつ!」


 けれども、エミールのドレスを掴んでウィリアムが引き止める。鍛えた男相手にエミールは成す術もなく、建物内へと引き込まれてしまった。


「あ、あ……!」


 ルイーゼは落下しながら、エミールに手を伸ばす。けれども、重力に任せて、どんどん身体が離れていってしまった。


「ルイーゼ、逃げて!」


 エミールが叫ぶ声が遠くなっていく。

 妙に頭が冴えわたって、全てがスローモーションのように感じられた。


 庭の茂みに落下して、ルイーゼは全身を強打する。

 しかし、身体が悲鳴をあげているにもかかわらず、不思議と立ち上がることが出来た。

 逃げてと叫んだエミールの声が頭から離れない。


 そうだ、逃げなければ。


 身体が操られたように、ルイーゼは庭を突っ切って走り出す。既に衛兵の姿が数人見えたが、構わない。

 無意識のうちに鞭を振って、衛兵の手を打った。相手が怯んで剣を手放したので、拾い上げる。

 武器を手に入れれば、こちらのものだ。ルイーゼは、そのまま数名の衛兵と交戦に入る。だが、難なく全員伸して山積みにしておいた。

 木に登って、高い城壁も問題なく越えていく。


「…………ッ」


 城壁を越えたところで、ルイーゼは全身の痛みを思い出す。骨は折れていないようだが、落下したときの打撲が原因だろう。しばらくしたら、身体中に内出血が出来ているかもしれない。

 痛みに耐えながら、ルイーゼは自ら身体を抱いて蹲る。


 そして、自分がしてしまったことを、深く後悔した。


 どうして、エミールを置いて逃げてしまったのか。助けに戻ることだって出来た。いや、いっそのこと一緒に捕まってしまった方が、チャンスはあったかもしれない。ギルバートへの報告は重要だが、基本的に他国の問題だ。エミールの命には代えられないではないか。


 それなのに、ルイーゼはエミールを置いて逃げた。


 あのとき。


 エミールがルイーゼを突き飛ばして逃げろと叫んだあのとき。

 一瞬しか見えなかったが、エミールの瞳が紅い光を放っていた。

 意識していたのか、意識していなかったのか、わからない。

 エミールはウィリアムが身に着けていた火竜の宝珠を使って、ルイーゼに命じたのだ。

 白玉を装備していないルイーゼはエミールの命令に従って逃げた。

 逃げてしまった。


「エミール様のくせに……引き籠り姫が、生意気なのですわ。大馬鹿ですわ!」


 厚い雲に覆われ、星も見えない空から冷たい雨が落ちる。

 徐々に身体を濡らしていく雨の中で、ルイーゼは石畳を叩いて言葉を噛み締める。

 頬を伝うものが雨なのか涙なのか、わからなかった。

 

 

 

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