第96話

 

 

 

 雨の降りやすい気候のせいで、アルヴィオスの首都ロンディウムは、曇天が垂れ下がっていることが多かった。

 分厚い雲のためか、それとも、窓が小さくて光が入らないためか。ロンディウム城の内部は暗く、どんよりとした空気が漂っている。

 ルイーゼは薄暗くて寒い回廊を見回して、そんな感想を抱いた。


 賑やかなギルバートや海軍(どう見ても海賊)と過ごしていたせいか、あまり堅苦しい雰囲気はないものだと思っていたが……城は違うらしい。

 厳粛な空気が重く圧し掛かり、息苦しささえ感じる。フランセールの王宮が明るく開放的に思えた。

 エミールも同じことを感じているのか、暗い顔で歩いている。


「マイハニーたち。準備出来るまで、こちらで待っていてくれ」


 すっかりとルイーゼに調教された、いや、協力的なアーガイル侯爵が笑って言う。鼻持ちならない顔の侯爵だが、ドMに関しては一級品。いや、ジャン並みである。今も、きっちりと着込んだ服の下は、ルイーゼによって亀甲縛りが施されている。


 アーガイル侯爵に案内されたのは、城の客間だった。晩さんの準備が整うまでの間、客人を待たせるのだろう。

 晩さんに参加を許可されるのは、権力のある貴族や王族と親しい間柄のみだ。アーガイル侯爵の場合、父親の地盤を継いで権力を持っているため、よく参加するらしい。

 今回、ルイーゼたちはアーガイル侯爵の親戚として紹介される。彼は時々、夜会で見初めた美少女を国王に紹介するらしい。


「ねえ、ルイーゼ」


 待たされている間、エミールが声を潜める。


「なんでしょう?」

「ギルバート王子のことなんだけど……ルイーゼには、話した方が良いかなって……」


 エミールは迷っているのか、口籠りながら俯いてしまった。目には涙も溜まっている。

 そういえば、エミールは宝珠を使ってギルバートの心を見た。きっと、そのことが言いたいのだろう。ルイーゼはじっと、エミールの言葉を待った。


「あのとき、なんだか怖かった……」

「怖い?」


 聞き返すと、エミールは複雑そうに眉を寄せた。


「よくわからない……でも、ギルバート王子もヴィクトリアのことが好きで……でも、嫌われようとしてて……死にたくて、でも、死にたくなくて……うぅ、ごめん。まとまらない。む、難しい」

「全くわかりませんが……エミール様は、それを見て怖いと感じられたのですわね?」

「う、うん。なんか、セザールのこともわからなかったけど、ギルバート王子のことは、もっとわからなかった」


 必死で伝えようとしてくれるエミールを労うように、ルイーゼは微笑む。


「エミール様、必要のないときは極力、宝珠を使わない方がよろしいかと」

「そ、そうなの?」

「人の心がわかってしまうと言うのは、きっと良くないのですわ。たぶん、相手との関係が崩れてしまいます」


 他人の心は、わからないから尊いのだ。それが手に取るようにわかってしまったら、きっと、人との付き合い方が変わってしまう。

 腹の内を探り合う政治の場では活用出来るかもしれないが、対人関係の基礎が出来上がっていないエミールには毒だ。

 エミールは素直に頷いた。


「う、うん……でもね……ぼ、僕ね。最初からルイーゼのことだけは、絶対見ないようにしようって、思ってるんだよ」


 エミールは小さいが、はっきりと告げる。


「そうなのですか? まあ、勝手に見られるのは嫌ですから、有り難いのですが」

「だって、ルイーゼは僕の気持ち、見えないから……僕だけ見えるの、なんだか、ズルいと思って」


 そんなことを言われるとは思っていなかった。

 ルイーゼが不意打ちを食らった気分でいると、エミールは「僕、がんばってルイーゼみたいになるんだぁ」と笑っている。


「ま、まあ……そんなチートアイテムを使わなくても、わたくしはエミール様の考えていることなど、お見通しですけれどっ!」

「そ、そうなの?」

「そうですわよ! 今だって、どうせ、『ふえ~、国王との晩さん会なんて、怖いよ~。ルイーゼと話して、気分を紛らわそう~泣いちゃう~』とかなんとか、考えているのではありませんか?」

「す、すごい! ルイーゼは、やっぱりすごいね! どうして、僕の考えてること、わかるの!?」

「エミール様のことなど、わたくしは全てお見通しなのですわ。教育係ですもの!」

「す、すごい! 僕、もっともっとがんばって、ルイーゼみたいに、な、なるよ!」


 適当なことを言ってみたつもりだが、エミールは目をキラキラ輝かせて前に乗り出した。わかりやすい。わかりやすすぎる。

 将来、国王になったらどうするのだろう。

 こんなことでは、外交どころか臣下にもペロペロ舐められまくってしまう。引き籠り姫状態よりはマシだが、マトモな政治が出来るとは思えない。


 やはり、わたくしがお支えしないと――と、妙な思考に繋がりそうになって、ルイーゼは首を横に振った。今、ナチュラルにバッドエンドフラグに繋がることを考えていた。危ない。

 エミールの傍で権力を握ろうなどと、恐ろしい。野心、ダメ絶対! と、いつも心に留めているではないか。

 ルイーゼは拳を握って気合いを入れた。ここは心を鬼にして、エミールが独り立ち出来るように教育することを考えるべきだ。崖から我が子を落とす獅子の気持ちで行こう。合言葉はライオン、かっこいい!


「お待たせしました」


 待たされていた客間に、案内の者が入室する。

 が、妙に空気が冷たくなるのを感じて、ルイーゼは思わず身構えた。


「やあ、ランスロット卿。お久しぶりだね」

「お久しぶりです、アーガイル侯爵」


 一瞬、殺気のようなものを感じたが、気のせいだっただろうか。

 アーガイル侯爵が何気ない態度で立ち上がり、案内人とあいさつを交わしている。

 現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ長身の男だった。緩く波打つ栗色の髪を束ね、立派な紅いマントを揺らしている。歳はだいたいセザールやカゾーランと同じくらいか。風貌から、武人であることがわかった。


「ジャック・ランスロットと申します」


 ランスロットと名乗った騎士は、ルイーゼたちに一礼した。

 どうやら、殺気を感じたのは取り越し苦労のようだ。ランスロットは近衛騎士団長を務めているらしく、城の警備を担っている。日頃から殺気が漏れるタイプなのかもしれない。


「それでは、こちらへ」


 ランスロットは丁寧に言って、一同を案内する。緊張しているのか、怖いのか、エミールがガタガタ震えていた。右手と右足、左手と左足が同時に前へ出る現象は久々に見た。


「大丈夫ですわ、エミリー」


 ルイーゼは応急処置で、エミールの手を握った。


「あ、ありがとう。ル、ルイーゼ、お、お姉様」


 一応、アーガイル侯爵の遠縁の姉妹という設定だ。身長はエミールが高いが、


「人見知りの妹エミリーちゃん」の方が、しっくりくる。


「あれ……?」


 エミールが首を傾げた。

 けれども、彼がその疑問を口にする前に、ランスロットが立ち止まり、晩さんの間の扉を開く。


 晩さんの間は広くて奥行きのある部屋だった。参加者はたったの四人だと言うのに、無駄に長い食卓が用意してあり、何人もの給仕係が控えている。

 ルイーゼたちは、それぞれ席に着かされた。広すぎるテーブルのせいで、ルイーゼとエミールは隣り合った席に座ることが出来ない。


 現在、エミールが宝珠を使うには、ルイーゼと手を繋ぐ必要があった。これでは、宝珠の力を使えない。

 けれども、国王が宝珠封じのアイテム白玉を装備していれば、結局は意味がないので想定内だ。今回の目的は、ルイーゼたちが国王に気に入られて、また改めて会う機会を作ることである。

 ルイーゼもエミールも、白玉を髪飾りとして装備していた。準備は万全だ。これはチートアイテム白玉であり、決して、ぜんざいに入れる白玉ではない。美味しそうだけど、違う。


 隣に座ったエミールや、アーガイル侯爵とは距離があったので、ルイーゼは静かに国王を待つことにした。

 ウィリアム二世。ギルバートの父親で、アルヴィオスの現国王。元海賊の祖王リチャード・アルヴィオスが転生し続けている。リチャードは、ルイーゼの六番目の前世を殺した犯人で……つまり、中の人リチャードとは前世の知り合い。いや、仇だ。


 今更、あのときの恨みを晴らそうという気はない。前世の自分は弁護のしようもないくらい酷い悪党だったのだ。当然だし、ルイーゼには関係ない。

 けれども、白玉を装備していても、会話からルイーゼの正体が露見する可能性はある。エミールやアーガイル侯爵に助け舟は期待出来ないので、なんとかするしかない。


 現世のリチャードは、どんな人物なのでしょう。


 前世の記憶では自分と同じくらいの下衆野郎、いや、なかなかの悪党だったと思う。ただ、ちょっと小物臭がしたことは否めない。だから、彼が建国したと聞いても、ピンと来なかったのだ。


 そんなことを考えていると、晩さんの間の扉が静かに、ゆっくりと開いた。

 

 

 

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