第93話

 

 

 

「えっと、エミール様……?」


 戸惑いながら問うと、エミールが首を傾げた。サファイアの目をパチクリと見開いて、「なに?」と無邪気に問う。


 エミールは今、確かにヴィクトリアの心を読み取ったようだ。

 それは宝珠の力である。

 つまり、エミールはルイーゼが宿している人魚の宝珠マーメイドロワイヤルを使用することが出来るということだ。

 彼の母親は転生者。宝珠の能力を引き出す素質は充分にある。

 ギルバートには不可能だったので、もしかすると、エミールの方が優れているのかもしれない。


 まさかの、ここでチート属性ですか。ズルい。わたくしも、チートしたいです! などと考えたが、口に出すのは辞めておく。


「エミール様」


 ルイーゼは試しに、エミールの手を握った。


「今、セザール様がなにを考えているか、見えますか?」


 適当にセザールを指差してみる。エミールは困ったようにセザールを見つめた。


「うーん、よ、よくわからないよ……」


 エミールはしばらくセザールを見ていたが、首を横に振ってしまう。


「当然だ。非常識的な人間には、我が常識はわからんだろうよ」

「いや、そういう問題ではなくてよ。たぶん」


 もはや常識とはなにか、セザールには突っ込まない方針だ。きっと、彼は自分たちとは違う言語を話しているのだ。そう思うことにした。


 相手が悪かったのだろうか。それとも、なにかの間違いだったのだろうか。ルイーゼは途端に不安になって、エミールを見た。

 すると、エミールは突然、閃いたような表情を浮かべる。そして、ジャンを指差して笑った。


「み、見えたよ! ルイーゼの執事、今とっても打ってほしいんだって!」

「なんだか、それはいつものことのような気がしますけど!?」


 本当に宝珠の力なのかどうか疑わしく思いながら、突っ込んでしまう。ジャンを見ると、ギクリとした表情で、もじもじと俯いた。


「ジャンは、必死で我慢しておりました……しかし、バレてしまったのなら、仕方ありません。理由もなくお仕置きしてくださっても、よろしゅうございますよ!? お嬢さま、さあ!」


 一応、外れてはいないことを確認して、ルイーゼはサラッとジャンの要求を聞き流した。ちょっと今は構っているのが面倒くさい。


「一応は使えるということか?」


 ギルバートが訝しげにエミールを見て腕を組んだ。

 エミールはルイーゼの手を握ったまま、黙ってギルバートを見上げている。


「黙っていろよ、お姫様。なんでもかんでも、口にすればいいってもんじゃあない」


 なにかを言おうとしたエミールの唇に、ギルバートが人差し指を当てた。妙に艶っぽい表情で笑っているが、視線が険しい。

 エミールは気圧されたように、コクコクと頷いて黙り込んでしまった。


 今、エミールはギルバートのなにを見たのだろう。


「これからのことだが」


 ギルバートは無理やり話を区切るように声をあげる。


「今、女王に賛同する貴族たちが首都へ集まっている」


 なんでもないことのように続けながら、ギルバートは奥のソファに深々と腰かけた。長い足を組み、指を絡めるように肘をつく動作には迷いがない。


「とりあえずは、国王を捕獲し、城を掌握しなきゃあならない」

「捕獲ですか?」


 ルイーゼが眉を寄せると、ギルバートが頷いた。


「なんのために、各地で民衆を焚きつけて国王打倒の風潮を作っていると思ってる?」

「焚きつける……ギルバート殿下。以前とお話が違うようですが?」


 以前、ルイーゼに目的を語ったギルバートは、民衆に王制廃止の動きがあり、爆発寸前だと言っていた。

 けれども、今のギルバートの話では、その流れすら作ったものであると思われる。


「間違ってはいないさ。元々、火種はあったんだ。ただ、少し手伝うこともあると言っているだけだろう?」


 完全にクーデターを企む人間の考え方だ。

 いや、間違ってはいない。最初からそういう話だと聞いていたし、ギルバートが狡賢い人間だということもわかっていた。


 騙されたとは思っていないが、どこか腑に落ちない。

 前世が七回も悪党だったくせに、「もやもや」しているのは、何故だろう。

 六回目の前世くらいまでなら、この程度はアッサリ聞き流していた気がする。きっと、七回目がアホの恋愛脳だったせいだ。


「現アルヴィオス国王ウィリアム二世を捕獲して、民衆の前で処刑する。節目として、王朝の終わりを見せてやる必要があるからな」


 ギルバートの後ろで、ヴィクトリアが表情を曇らせていた。


「そして、新しい政治を女王の下に敷く」


 淀みなく紡がれる言葉に、何故か鳥肌が立つ。

 どうして、彼は平気で危うい言葉を吐けるのだ。ギルバートが言っていることは、全て自己を否定しているように思えた。

 狡猾な王子の印象と結びつかない言動に違和感を覚える。同時に、読めない心の歪みのようなものを感じた。


 彼が抱えているのは、自分の命を賭す覚悟――違う。


 自らの命を軽んじすぎているだけなのではないかと、疑った。表面に出ていなかった異常性を垣間見て、ルイーゼは寒気がする。


「そろそろ戴冠式のドレスでも選んでおけよ、ヴィクトリア女王?」


 今日の夜会の衣装を選ぼう。そんな軽いノリで笑いながら、ギルバートは黙って立っているヴィクトリアを見上げるのだった。




 † † † † † † †




 手足の自由を奪う麻縄が肌に食い込んで傷をつける。

 布を噛まされているせいで声も出せない。

 ユーグは辺りを見回すが、暗い倉庫のような場所であることしか、わからなかった。

 海上特有の不定期な波の揺れはなく、ここが陸であるのだと辛うじてわかる程度だ。

 部屋には妙な香のような匂いが漂っている。甘ったるい香りが思考力を奪っているのか、頭がぼんやりとした。


 ここは、どこかしら。


 確か、自分はアルヴィオスを目指していたはずだ。ということは、アルヴィオスなのだろうか。

 アルビンという従者に薬を盛られて眠らされ……その先は思い出せない。


「…………ッ!」


 ユーグは身を起こそうと試みるが、縛られた状態では上手くいかない。ルイーゼの執事や国王は自ら進んで縛られたがるが、その心理が甚だ理解出来なかった。


 そうしている間に、外から何者かの足音が響く。

 ギィギィと音を鳴らして扉が開いた。ユーグは上手く持ち上がらない視界で、戸口に立った人物を見上げる。


「なんだ、起きていたのか」


 舌打ちのようなものが聞こえた。

 これは、誰だろう。

 視界に映る人物を、ユーグはただ眺めて目を見開いた。ユーグが動揺しているのを読み取ったのか、戸口に立った人物は、わざとらしく息をつく。


「面倒くさいな。いや、よく今まで誤魔化せたと言ったところか。お前も、の知り合いか?」


 その男は、恐らく、ユーグを眠らせた従者クラウディオ・アルビンだった。服や、纏う空気が同じである。


 けれども、別の人物にも見えた。


「カゾーランの子なら、当然、知っているか。油断した。まいったな」


 知らない男――いや、ユーグは彼のことを知っている。

 顔を隠していた長くて鬱陶しい前髪は、後ろで一つに結われていた。眼帯も外れており、素顔がはっきりと見えている。

 闇のような黒い双眸が薄く笑って、ユーグを見下ろす。


 どうして、この人が――?


「まあいい。予定を変える必要はない」


 闇の底から響くような、しかし、掴みどころのない雲のような口調。

 男はユーグの前に腰を落とすと、この場には相応しくない愉しげな笑みを浮かべた。

 その表情が、人の首を狩って笑う悪魔そのもののように思えて、背筋が凍る。


を殺した人間の子を切り刻む楽しみが出来た」

 

 

 

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