第7章 引き籠り、革命する!

第92話

 

 

 

 アルヴィオス最大の貿易港を有する首都ロンディウム。

 西側に海を臨み、扇形に広がった都市は活気があり、国の中心であることも頷けた。網のように街中を張り巡らされた水路は荷物の運搬に適しており、あちこちにゴンドラが行き来している。

 都の中心には、古めかしい威厳を保つロンディウム城がそびえていた。その周りには貴族の邸宅が立ち並んでいる。中心部に住めるのは、貴族か上層の市民のみらしい。貧困層は街の外側でスラムを築いて暮らしていた。


「ねえ、ルイーゼ。すごいね!」


 これまで訪れた街とは違う空気に触れて、エミールは楽しそうだ。引き籠りだった頃であれば、エミールは今頃何度も失神しているだろう。


「ヴェネツィアっぽいですわね」

「ん? なにそれ、どこ?」

「わたくしが元いた世界の都市ですわ。とにかく、情緒があると言いたいのです」

「そ、そうなの? ルイーゼは、いろんなこと知ってるからね。またいろいろ聞かせてほしい、かな?」


 他愛もない会話なのに、エミールは満面の笑みでルイーゼを覗き込んだ。まじまじと見られると、気恥ずかしい。ルイーゼは居た堪れなくなって、つい視線を逸らした。


「なんでも、遠慮なく言いつけておくれ」


 ヴィクトリアが気さくに笑う。

 領地と都、両方に邸宅を持つ貴族は多い。ルイーゼたちは首都に構えられたストラス伯爵の邸宅の客間に通されていた。


 結局、ルイーゼは人魚の宝珠マーメイドロワイヤルの使い方がわからない。

 いろいろ試してみた。

 ギルバートから聞いた話だと、相手の感情を「色」として読み取れるらしい。折りにつけて人の顔を覗き込んだり、手に触れてみたりもしている。けれども、イマイチ変化はなかった。

 さりげなく、エミールの肩に触れてみるが、効果はない。ルイーゼは落胆した。


「我が断崖絶壁にも触れてみるか?」

「まだそのネタを引きずるのですか」


 セザールがドンッと胸を張るので、ルイーゼは冷ややかな視線を送った。確かに胸はないが、今日は男装のせいか、立派な胸筋が強調されている。


「やはり、男性の胸はこうでなくては。女装趣味のオッサンということを除けば完璧ですわね、セザール様」

「当然だ」


 とりあえず、お言葉に甘えてペチペチとタッチング。カゾーランほどではないが、なかなか良い胸筋である。硬くて厚みが丁度いい。


「…………」


 その様子を見て、エミールが慌てて自分の胸を触って確認している。だが、悲しそうな顔で俯いてしまった。


「エミール様は、そのままでいいのですわよ」

「ほ、ほんと? さ、触る!?」


 元引き籠りになど、期待していない。そういう意味で言ったつもりなのだが、エミールは餌を与えた子犬みたいな勢いでルイーゼの前に迫ってくる。


「え、えーっと……?」

「僕の……断崖絶壁……!」

「……というか、皆様、断崖絶壁の意味わかって使っていますか!? わたくしのコンプレックスを抉らないでくださいませ!?」


 ルイーゼは、どうしたらいいのか戸惑って、エミールから視線を逸らす。王子から、いきなり胸を触ってくれと迫られるシチュエーションなど、想定以外だ。いや、四十路のオッサンの胸は遠慮なく触ったので、文句は言えないのだが。


「そうだ、ルイーゼ」


 困っていると、後ろから声がする。

 振り返る間もなくルイーゼの華奢な身体が、逞しい腕に抱き竦められてしまった。見ると、ギルバートが無意味に真剣な眼差しでルイーゼを腕に収めている。


「ちょ……!? ギルバート殿下、いきなり背後から抱き締めるなど、痴漢行為ですわよ! 慰謝料を請求しますわ!」

「いしゃりょう? 勘違いするんじゃあない。試しているだけだ」


 ギルバートは真面目に答えて、眉間にしわを寄せる。だが、しばらくすると、案外あっさりとルイーゼを解放した。


「俺の方で宝珠が使えないか試したんだが」

「はあ……」


 ルイーゼ自身が宝珠を扱うことは、現状出来ていない。

 もしかすると、ルイーゼは器の役割を担っているだけで、他の人間なら宝珠を扱えるのかもしれない。そう考えたのだろう。


「だからと言って、街中で白昼堂々引っ付かないでくださいませっ! 変態王子!」

「誰に向かって変態だって?」

「あなた以外にいませんわ。裸エプロンが趣味だなんて、誰がどう見ても変態ですわ」

「今は服を着ているから問題ないじゃあないか。脱いで欲しいのか?」

「結構ですわ!」


 ギルバートはサラッと突っ込みをかわして、難しい顔で黙ってしまった。

 どうやら、宝珠が使えないか試したは良いが、上手くいかなかったらしい。これは彼にとって、望ましくない結果だろう。

 どうするつもりなのだろう。宝珠が使えなければ、リチャード・アルヴィオスの転生を止めることは出来ない。


「宝珠が使えないのは問題ですわね……」

「荒業はあるんだがな。いや、むしろ正攻法か」


 転生を止めなくても済む方法はある。

 放っておけば、リチャード・アルヴィオスの魂は王家の血筋に転生し続ける。

 逆に言えば、それは特定の血筋にしか転生しないことを意味する。


「現王家の血筋を絶やせば良い」


 そうすれば、リチャード・アルヴィオスは転生先を失う。

 転生が止まらなくても、王家以外の人間に転生するはずだ。そうなれば、彼の独裁政治を回避出来る。


「俺は、それでも良いと思っているがな。むしろ、絶やすべきなんだよ。こんな血筋は」


 ギルバートは不敵に笑って肩を竦める。驚くほどアッサリとした言い草に、ルイーゼは息を呑んでしまう。

 以前にも、似たようなことを言っていた気がする。覚悟が決まった人間の言葉だ。

 自分の命を賭す覚悟。


 ギルバートを見ていると、妙な既視感に苛まれて、ルイーゼは目の前が一瞬暗くなってしまう。


 ――馬鹿な真似を……! それなら、俺が――――


 あら? 今、なにが?


 ルイーゼはハッと意識を取り戻す。

 一瞬、夢でも見ていたかのような感覚に陥っていた。今のは、なんだったのだろう。幻聴のようにおぼろげで、しかし、はっきりとしたリアルな感覚だ。

 よくわからない。頭痛はないが、ルイーゼは軽く頭を押さえた。


「ルイーゼ、大丈夫?」


 表情が硬かったのか、エミールが心配している。

 ルイーゼは笑い返そうと試みた。

 しかし、その途端、エミールが「きゃっ」と女々しい声をあげて後ろにさがってしまう。


「エミール。好きなものあったら、なんでも言っておくれよ?」


 ヴィクトリアがエミールを後ろから捕まえて抱き締めてしまう。いつものことだが、あまりベタベタしないでもらいたい。

 ルイーゼは背後から忍び寄っていたギルバートの気配を察知して、木刀で腹部に一発叩き込んでおく。

 ギルバートは蹲りながら「おい。最近、俺の扱い酷いんじゃあないのか!?」と文句を言っていた。


「張り合うようにベタベタするのは、辞めてくださいませ!」


 事情はわからないが、この二人に関して言えば、張り合っているとしか思えない。なかなか素直ではないツンデレっぽさがあるが、こちらとしては迷惑なだけだ。

 ルイーゼはエミールの腕を掴んでヴィクトリアから引き離そうと試みる。


「エミール様を放してくださいませ! あなたのような悪い虫をつけるわけにはいきません。教育に悪いですわ!」

「なに言ってるんだい。別に良いだろう? あたしは、エミールと仲良くしてるだけだよ」

「う、ぁ……ルイーゼ、ヴィクトリア。い、痛いよぉ!」


 二人で引っ張り合う形になって、エミールが泣きそうな声をあげる。けれども、ルイーゼはエミールを引く手を緩めなかった。


「あれ……? え?」


 突然、エミールがよくわからない声をあげる。

 彼は数度瞬きしたあとで、まじまじとヴィクトリアを見つめはじめた。

 そして、口を開く。


「ヴィクトリアは……やっぱり、ギルバート王子が好きだったんだね!」


 唐突にそんなことを言うものだから、周囲の空気が固まる。


「は、はあ!?」


 ヴィクトリアが慄いて、顔を真っ赤に染めていた。

 急に力を抜いたせいで、エミールの身体は勢いよくルイーゼの方に引っ張られてしまう。ルイーゼはバランスをとりながら、エミールの身体を上手に受け止めた。


 ギルバートが複雑な表情を浮かべて、呆然としている。突然過ぎて、なんと反応すればいいのかわからないようだ。

 ジャンに至っては、「よろしゅうございます、お嬢さま! わけがわからないときは、是非、ジャンをご利用ください!」と言いながら、鞭を差し出している。


「な、なに言ってるんだい……ど、どうして、そんなっ! はあ!?」


 明らかに動揺した様子で、ヴィクトリアが真っ赤になった顔を隠している。わかりやすい。わかりやすすぎる。

 以前、浴場でヴィクトリアは、なんらかの理由でギルバートへ好意を寄せないようにしていると話していたが……その話を、エミールは知らないはずだ。


「ヴィーのことは置いておくとして。お姫様は――見えているのか?」


 必死で否定の言葉を口にし続けるヴィクトリアを無視して、ギルバートがエミールに問う。

 エミールは首を傾げて、難しそうな顔をしていた。


「み、見えるというか……よく、わからない。でも、たぶん、ヴィクトリアはギルバート王子のことが本当に好きなんだなって、わかって、その、僕もルイーゼが、す、好きだから、一緒で嬉しいなって思ったよ! もっと、ヴィクトリアと話しがしてみたくなった」


 サラサラッと地雷を踏み抜かれて、ヴィクトリアが五体投地状態になっている。ルイーゼも恥ずかしくなって、エミールの口を糸で縫いつけたくなってしまった。巻き添え事故だ。

 だが、口にしていないはずの感情を、何故、エミールが知ることが出来たのだろう。


「まさか、ねえ?」


 ルイーゼはエミールと繋いだままの手を見下ろした。ギルバートも同じ考えのようだ。

 エミール一人だけが、よくわからないままサファイアの目を瞬かせていた。


 エミールの両親はアンリ国王とセシリア王妃。

 セシリア王妃はロレリア侯爵家に転生し続ける超ベテラン転生者であった。

 そして、宝珠の能力を、より強く引き出せることが出来るのは転生者の血筋で――つまり、セシリア王妃の子供であるエミールは、宝珠の能力を引き出す素質がある。


 もしかして、エミール様って、チート予備軍だったのですか!?

 

 

 

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