或る人形の箱庭 後編
あの日以来、抜け道を使ってギルバートは城下を出歩くようになった。
庶民が着るようなシャツとズボンを用意して、主に夜の街を見て回る。
ヴィクトリアはあまり喋らず、ギルバートの質問に対して答える程度だ。それでも、だいぶ慣れてきたようである。
お互いのことも、「ヴィー」と「ギル」と呼ぶことにした。夜間とはいえ、誰かが話を聞いているかもしれない。略称なら、多少は誤魔化せる。
「それで? 昼間の市場の様子は、どうなんだ。ヴィー?」
夜しか出歩けないため、ヴィクトリアに質問するのは日中の様子が多かった。
ヴィクトリアは、相変わらずなにかを隠していつも黙っているが、自分が知っていることに関しては比較的よく喋る。
「いろんなものを置いています。人も、多くて……活気があります、わ」
不自然な口調で、ヴィクトリアはポツポツ話す。
ギルバートは頷きながら「商品はなにがある?」と問い、ヴィクトリアが「異国の織物や食べ物、武器や農具……なんでも手に入ります」と答える。
教育係から伝え聞いた話と、だいたい同じだ。しかし、事細かに聞き出して行くと、その印象は変わってくる。
やはり、地方に比べると物価が高い。リバプルの市場の方が、もっと安値で同じものが買えるようだ。しかし、食料品は内陸部に比べると輸送費がかからないので、安くて新鮮など、普段利用していなければわからない情報も聞けた。
なるほど。
ギルバートは質問しながら、思案する。食料は輸送費のせいで高くなるらしいが、その他の品は輸送しないのに高い。
単純に、ロンディウムに出入りする上流階級が多いからだと思われる。商売相手が金を持っていれば、自然と値は上がるものだ。
だが、全ての店を上流階級の人間が利用するわけではない。客層を分けた店の並びを操作出来れば、一部商品の値を下げることも可能だろうか。逆に、上流階級向けの商品は、今より値を吊り上げて売れる。そうなったら、更に多くの税収も期待出来るのではないか……。
「そんなことまで、考えてるのです、か?」
思いついたことをポンポン口に出すと、ヴィクトリアが感心したように腕を組んでいた。
城では、こんな風に持論を語ることなどない。つい楽しくなってしまい、笑みまで浮かんでいた。意識せずに笑うことなど、普段はないので不思議だった。
「まあ、考えたところで、俺には関係ないからな。都合のいい人形だよ」
どうせ、傀儡だ。自分の考えなど、求められていない。
ギルバートは皮肉を込めて、唇の端を吊り上げた。そろそろ月が高く上がっている。城に戻る頃合いだろう。
だが、踵を返すギルバートを睨んで、ヴィクトリアが歩みを止めた。振り返ると、出会ったときと同じような形相で、こちらを睨んでいる。
なんとなく、この表情の意味が今ならわかる。
これは睨みつけているのではない。なにかを言いたいときの顔だ。ヴィクトリアは上がり症で、緊張すると、こんな顔になってしまうらしい。
「……ごめん……」
穴があくほどギルバートの顔を睨みつけたあとで、ヴィクトリアはそう呟く。
存外、呆気ない言葉が飛び出して、ギルバートは拍子抜けしてしまう。けれども、一方のヴィクトリアは表情をどんどん崩して、凛とした目に弱々しい涙を溜めていった。
「あたしは……ギルを……ギルバート殿下を利用しています」
ヴィクトリアが、初めて自分の目的を語った。ギルバートは驚きながらも、黙って続きを待つ。
「アルヴィオス王家には、亡霊が巣食っている」
ヴィクトリアは涙を拭いて、強い口調で言った。声が震えているが、そこには決意のようなものが読み取れる。
彼女が語ることは理解し難いものだった。
魂の転生を操作出来る宝珠があるとか、祖王リチャード・アルヴィオスが転生し続けているとか……馬鹿みたいな建国史の続きか、お伽噺のようだ。
しかし、その話を前提にした場合、辻褄が合う点もいくつか存在した。
王位継承権を持っているはずのギルバートの処遇と、今の王家の在り方。
ギルバートを傀儡の王に仕立てたいのであれば、今の父王もそうであってもおかしくない。だが、それはない。明らかに、ギルバートは生まれたときから都合の良い駒扱いだった。
父王がそのようにさせているのだ。
ヴィクトリアの話と照らし合わせると、父王ウィリアム二世はリチャード・アルヴィオスの生まれ変わりだ。
ギルバートは違う。前世の記憶など存在しない。
つまり、ギルバートは今の国王が崩御し、次の生まれ変わった王が育つまでの中継ぎ。良い時期になれば、用済みになる存在だ。
考えてみれば、アルヴィオス王家には一定の周期で長期間政治に君臨する王が現れる。そして、政の傾向はだいたい一貫していた。めまぐるしく変化する外国とは違う。
ギルバートは本当の意味での人形だ。
使い捨ての人形。
「それで、人形になにを期待しているんだ? 話を聞く限り、なんの価値もないと思うんだがなぁ?」
利用するということは、目的がなくてはならない。
皮肉を込めて問うと、ヴィクトリアが強い視線でギルバートの目の前に迫ってくる。
光が宿る切れ長の目は、単純に綺麗だと感じた。こんな風に意思をぶつける存在など、ギルバートの周りにはいない。
「宝珠を扱うには、才が必要なんです。転生者の血を引く人間が、一番力を引き出すことが出来る、のです、わ……今はアルヴィオスにないけれど、
つまり、転生者の子供であるギルバートなら、宝珠とやらを使うことが出来るということか。
そして、自分の父親を滅ぼせと。
「なるほど。王家の人形を辞めて、お前たちの人形になれと?」
ギルバートは冷ややかな視線を向けた。すると、ヴィクトリアは怯んだように口を噤んだが、縋るように拳を握り締める。
「あたしには……救いたい人がいるんです……」
ギルバートが求める答えではない。しかし、耳を傾けることにした。
「父さまは、あたしを止めてくれます、わ。こんなこと、する必要がないって……でも、あたしは……どうしても、あたしは母さまを助けたい!」
ヴィクトリアは気持ちが昂ったのか、ギルバートの手を掴む。だが、すぐに遠慮したように放して距離をとった。
ギルバートはそんな彼女の手を逆に捕まえるように握る。
「それは、俺になんの利益もない話じゃあないか?」
全てヴィクトリアの都合だ。目的はわかったが、理由もわからない。ギルバートには、なんの得もない話だった。
現国王を追い落とした場合、王位はギルバートに回ってくる。だが、ヴィクトリアの後ろには、必ず大人――貴族たちがいるはずだ。その場合、あっさりとギルバートに王位を渡すだろうか。最終的に対立することになるかもしれない。
それに、最近のアルヴィオスでは反乱が多い。地方の小規模なものばかりだが、現王家の体制に不満を抱く民衆は少なからずいる。
つまり、ギルバートはただ都合よく利用されるだけなのだ。父王を打倒したところで、その先の保証はなにもない。安泰とは言えないだろう。
なんの利益もない。そんな話に乗れと言うヴィクトリアの馬鹿正直な告白は、えらく無謀なものだった。
子供だからと舐められているのか……違うと、ギルバートは分析する。
彼女が話した王家の秘密を知る人間が多いとは思えない。王家の歴史に関わった、ほんの一部の人間しか知らない事実だろう。そして、それを知って現国王を打倒する動きがあるのも、理解出来る。
ヴィクトリアの後ろには大人がいるはずだ。だが、その大人が、こんな頭の悪い方法でギルバートに接触してくるとは考えにくい。
今回の件はヴィクトリアの独断かもしれない。いや、事故のようなものか? 元々、彼女はギルバートを睨んでいただけ。話しかけたのは、こちらの方だった。ヴィクトリアは、今まで目的を話すことすら躊躇っていたのだ。
不器用な謀叛人を捕まえてしまったものだ。
このまま、ヴィクトリアを捕えて父王に突き出すのも悪くない。功績を認めさせ、今の待遇を変える糸口にする手もある。
ヴィクトリアはギルバートを利用したいと言っているが、逆にこちらがカードを握っている状態でもあった。
「俺の人生をやるみたいなモンだな……なにか利益がないと、受けられない」
ギルバートはそう言って、片方の口角を吊り上げた。出来るだけ、意地の悪い顔を作る。
「代わりにヴィーをくれるんなら、俺は『使える人形』になってやるよ」
「え?」
ヴィクトリアが驚くのを確認して、ギルバートは素早く顔を近づける。そして、逃がす間もなく軽く唇を重ねた。
額に口づけたときには大した感情はなかったが、今この瞬間、自分の心臓が大きく脈打つのがわかる。
さも慣れているかのように振舞ってみたが、初めての体験なので、次にどうすればいいのかも、よくわからない。とりあえず、平気そうな顔を浮かべることだけに努めた。
「な……ちょ……!」
顔を離すと、ヴィクトリアが切れ長の目を真ん丸に見開いていた。何度も瞬きしながら、ギルバートの顔を見ている。
けれども、次の瞬間、彼女は白い顔を真っ赤に染めて奥歯をギリギリと噛んだ。
ギルバートの顔に横殴りの衝撃が走る。
「ふっざけんじゃないよ! このクソ王子!」
今までの、なにも喋らない令嬢と同一人物とは思えないくらい荒っぽくて大きな声に、ギルバートは面食らった。殴られた頬を押さえると、ジンと痛みが広がる。平手打ちどころか、拳が飛んできたのは驚愕だった。
「な、な、なにしてくれるんだいっ。あたしの初めて……」
ヴィクトリアは目尻に涙を浮かべて、頭を抱えた。
どうやら、これが本来の彼女らしい。とても伯爵家の令嬢とは思えない粗悪な態度だった。
「俺だって初めてだから、お互い様だ」
そんなヴィクトリアを見ていると、逆に冷静になれる。ギルバートは無駄に胸を張って、言い放ってみた。
「はあ!? うるさい、バカ! 離れろ、クソ王子!」
「なんか、そっちの方が自然で良いな」
慌てふためきながら怒るヴィクトリアを眺めて、ギルバートは笑ってしまう。作り笑いではない。本当に自然と、気がついたら笑っていた。
ヴィクトリアは自分が王子を殴ってしまったことに今更気がついたのか、今度は気まずそうに目を泳がせはじめる。
気が短く、すぐに手が出る性分なのだろう。その様がおかしくて、ギルバートはますます声をあげて笑った。
「やっぱり、気に入った。ヴィーは俺の第一夫人だ」
「だから、なんで!」
慌てふためくヴィクトリアの近くに、ギルバートは顔を寄せた。もう一度キスしてしまいそうな至近距離での静止に、ヴィクトリアは目を見開いて硬直してしまう。顔が赤いのは、怒っているからだろうか。
「俺は正当な対価を求めているだけだよ。自分の人生をやらなきゃならないんだ。代わりを貰っても、文句はないんじゃあないのか?」
再び、ヴィクトリアが口を噤む。
なにも言わないよう、猫を被っているわけではない。ギルバートの言葉に対して、返すことが出来ないようだ。
彼女はしばらくギルバートを見つめていたが、やがて、唇を噛みしめた。
そして、黙ったまま、言葉の意味を呑み込むように首を縦に振る。
その日、ギルバートはヴィクトリアと別れたあと、こっそりと自室に戻る。
暗い闇に沈んだ狭い部屋の中に、蒼い月明かりが射していた。冷たくて寒い。壁が四方から迫って来そうな恐怖さえ感じる。
先ほどまで触れていた外の夜風が恋しくなって、小さな窓を開けた。けれども、流れ込む風はわざすかで、少しも解放感はない。
狭い。
自分の世界は、なんと狭いのだろう。
思わず、上まで留めていた詰襟の上着についたボタンを外して脱ぎ捨てる。窮屈なシャツも、ゴミのように放り投げた。
纏わりつくものが鬱陶しくて、なにもかも捨てたくなってしまう。
だが、ギルバートは服を脱ぎてる手を止めた。
――あたしには……救いたい人がいるんです……。
黒い前髪を掻きあげて、部屋の隅に置かれた姿見の前に立つ。
ずっと狭い部屋で暮らしているせいか、身体は細くて頼りない。毎日稽古をしているため筋肉はいついているが、細い身体ではバランスが悪く感じる。鏡に映る藍色の瞳には表情がなく、生気が失せているとさえ思えた。
死んだ魚みたいな自分の顔に手を伸ばし、鏡越しに触れる。氷が刺すような感覚が掌に伝わって、身体をいっそう冷やしていく。
ギルバートはそんな自分の姿を映す鏡を掴み、思い切り床に叩きつけた。大きな音がして、立派な鏡が細かく砕けてしまう。床に散らばった破片が、蒼白い月明かりを反射して輝く。
部屋の外で慌ただしい足音が聞こえる。ハンナだろうか。今の音を聞いて、駆けつけているのだろう。
しかし、ギルバートは躊躇なく身を屈めると、足元に落ちた破片の一つを手に取った。
ちょうど手に収まるナイフのような破片を持ち上げ、そのまま左手首に当てる。
どうせ、誰かの人形であるなら、使える人形になるべきだ。
鏡の欠片には、清々しい笑みが映っていた。
突然倒れてきた鏡によって大怪我をしたギルバートを、王妃が見舞った。
父は勿論、母がこの部屋を訪れたのは、覚えている限りだと今日が初めてだ。
ベッドに横たわった息子を見つめる母親の表情は、思った以上に冷たかった。普段から無関心な親だと思っていたが、ここまで来ると笑ってしまう。後ろで暗い顔をしているハンナの方が、ずっと親らしい気がする。
目論見通り、見舞いに来ただけでも充分か。父親の方が来てくれると、更に良かったが。
ギルバートは大して気にせず、ベッドから身体を起こした。
「そのままでいいわ。あなたの身体に大事があっては、いけませんから」
「俺がいなくても、また子を産めばいいではありませんか」
普段はこんな風に答えたりはしない。いつもと違う王子の様子に、母は眉を顰めていた。
予想通りの反応に、ギルバートは唇の端を吊り上げる。子供にしては狡猾で、艶っぽい怪しさのある笑い方だ。
「こうでもしないと、秘密の話は出来ませんから」
ギルバートは部屋の隅に立っていたハンナに目配せする。ハンナは切れ長の目に不安の色を浮かべたが、すぐに意図を察して退室した。
母親と二人きりになったところで、ギルバートは本題を切り出す。
「アルヴィオス王家の亡霊について、お話しがあります」
そう言った瞬間、母の表情が固まった。
やはり、ヴィクトリアの話は本当だったと、ギルバートは確信する。
「……誰に聞いたのですか」
「やはり、真実でしたか」
ギルバートは子供らしからぬ狡猾な笑みで母親を見据えた。だが、もはや親に対する子供の言葉を発しようとは思っていない。純粋な「取引」として、会話を進めていく。
「まずは父上にお目通りを」
「……それは出来ません。用件は、私が聞きますわ。陛下に話すかどうかは、こちらが判断します」
母の方も、これが取引であることを理解しているようだ。呑み込みが良くて助かった。
「では、ここで。王家の秘密は守ります。誰にも言わないし、公表するつもりもない。俺だって、王族ですから。ただ……少々、要求を呑んで欲しいのです」
ギルバートはベッドから降りて、母親の前で人差し指を立てる。
「一つ、俺の自由を認めてください。勝手に城の外へ出る真似はしませんが、せめて、城の中くらいは歩かせてもらっても、いいはずだ。
次いで、二本目の指を立てた。
「もう一つ、俺だって王家に貢献したいのです。円卓会議への参加を許可して頂きたい。見学でも構いませんよ」
円卓会議は国王と重鎮たちが開く会議のことだ。アルヴィオスの政治について話し合い、決定していく。実際は形ばかりの話し合いで、ほとんど国王の意向で物事が決定している状況だが。
この会議に参加する意味は、政治を担うということだ。歴代の王子も、才があれば――リチャード・アルヴィオスの転生者たちは参加が許されてきた。
経緯は誤魔化しているが、ギルバートも王家の秘密を知った王族だ。それなりの利用価値があるのだと示唆して、相手の出方をうかがった。
どうせ、誰かの人形になるのなら、使える人形になろう。
ギルバートが王家の中枢に近づけば、ヴィクトリアたちの目的は達成に向かうはずだ。
救いたい人がいる。そう言って泣いたヴィクトリアの顔を思い出しながら、ギルバートは狡猾に笑う。彼女の「人形」としての自分を演じた。
生まれたときから、人形のように育てられた。
誰かの都合の良いように生きて、都合が悪くなれば死ぬ将来。それが元々のギルバートの役割であり、用意された道である。最初から、結果はなにも違わない。ただ、その過程を自分で選んだに過ぎない。
束縛された箱庭の生活に嫌気が差していたというのに、不思議なものだ。結局は、自分のために生きようとは思えない。
それでもいい。いや、それがいい。
自然な思考の流れで、ギルバートは用意された道を選んだ。
ただ、自分で道を拓くことが怖いのかもしれない。
そんな考えが頭に浮かぶが、すぐに消えていく。
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