余話

或る人形の箱庭 前編

 

 

 

 まるで箱詰めじゃあないか。


 わざとらしく皮肉めいた表情を浮かべてやるが、目の前に座る教育係は気がつきもしない。そもそも、興味がないのだろうと思う。

 アルヴィオスの王位継承権を持った第一王子。それがギルバートの肩書のはずだ。いずれは、アルヴィオスの国王となり、国を治める存在。


 もう少し、丁重に扱われたって、良いと思うんだがなぁ。

 ギルバートは幼心に思いながら、羽ペンをクルクルと指で回した。流石に集中していないことがバレたのか、教育係の夫人が無表情に近い視線で睨んでくる。


 薄暗くて狭い牢獄のような部屋には、机と椅子がポツンと置いてあるだけだ。小さな鉄格子の窓から差し込む光に、空中を舞う埃がキラキラと輝いていた。

 教育のときは、いつもこの部屋に入る。

 一番上までボタンを留めたシャツと、ピシッと整えられた詰襟の上着が窮屈で居心地悪い。ときどき、息が出来なくなるのではないかという錯覚に陥ることもあった。


 毎日欠かさず行われる、国王になるための教育。帝王学の基礎や歴史、一般教養……しかし、どれも違和感しかない。

 教育内容はどれも一方的で、詰め込まれている印象だ。ギルバートの意見は一切求められない。考えることも許されない。いや、考えさせないようにしている。


 これは教育ではない。

 いわゆる、洗脳なのだろうと思う。


 何故か、周囲が自分のことを人形として扱っていることが、十歳の身でありながら理解出来ていた。

 こういうとき、自分が愚鈍な人間であれば良かったと思う。ただ現状を受け入れて、流される種類の人間だったら、楽だったのではないか。


「それでは、今日は終わりです。ギルバート殿下」

「はい、ありがとうございます」


 呪文のようにいつもの台詞を吐きながら、ギルバートは表面的な笑みをはりつけた。自分のことを人形だと思い込み、余計なことは考えないようにする。

 けれども、気がついたら視線が逸れてしまう。

 知らず知らずのうちに、小さな窓から差し込む光を眺めながら、ギルバートはニコニコと子供らしい笑みを装うのだった。




 普段、ギルバートが生活するのは自室として与えられた寝室と、牢獄のような勉強部屋。食卓はいつも独りで、無駄に長くて広いテーブルの隅でポツンと摂った。あとは剣術の稽古ために庭に出るくらいか。ほとんど限られた狭い世界で過ごしていた。

 まるで、引き籠りだ。

 式典や催事のときだけは、王族として人前に出ることを要求される。

 外は城の世界に比べると広くて、空気が気持ちいい。しかし、多くの民衆や貴族の視線に晒されるのは、やはり圧迫感があり、狭い部屋の中とあまり変わらないのではないかと思われた。


「まあ、ギルバート様……早くお召物を着てください」


 世話係のハンナが優しく笑う。

 人形みたいな無表情を一貫する使用人が多いが、彼女だけは母親のように接してくれた。

 と言っても、ハンナは奴隷階級らしい。城にいる奴隷たちの多くは給仕などの仕事には就かない。王族や貴族の目の届かない裏の雑用をしている。

 けれども、ハンナはギルバートが物心ついた頃から、世話係をしている。前に理由を聞くと「お気に召さないのでしたら、他の者と交代します」と言われたので、それ以上は触れないようにしていた。

 アルヴィオス人に多い漆黒の髪が艶めかしくて綺麗な女性だ。凛とした切れ長の目が意志の強さを示していて、とても魅力的だと感じる。

 胡散臭い大人のことは好かないが、ハンナだけは嫌いではなかった。歳が近ければ、恋にでも落ちていたかもしれないと思う程度に気に入っている。

 王妃である本当の母親よりも、ずっと近い存在のように感じていた。


「着せてくれよ」

「もう……また甘えていらっしゃるのですね」


 年相応の扱いを受けることなく育ったギルバートの要求に、ハンナは常に甘かった。いつものように優しく笑いながら、ギルバートが脱ぎ捨ててしまった衣服を着せてくれる。


「脱げば、いつでも着せてくれるからな」

「赤ん坊のようなことを……」

「窮屈で仕方ないんだ」


 シャツのボタンを上まで留めると、息が出来なくなりそうだ。束縛されている気がする。狭い檻の中で鎖に繋がれて一生を過ごすと思うと、服の締めつけすらも厭わしかった。


「ありがとう、ハンナ」


 詰襟の上着を羽織りながら言うと、ハンナは少し困ったように目を伏せる。


「いけませんわ、ギルバート様。私を名前で呼んではいけないと、いつも言っております。お父上に罰せられますよ」

「罰せられるなんて大袈裟だな。少し嫌味を言われて、勉強時間が伸びるだけじゃあないか」


 世話係をしているが、奴隷のハンナを人間のように扱うのは法度らしい。よくわからない父親の教育方針に、ギルバートはささやかながら抗っていた。


 今日はアルヴィオスの建国祭だ。

 祖王リチャード・アルヴィオスが造った国家。伝説の大海賊エドワード・ロジャーズを屠り、国宝である火竜の宝珠を手に入れたこの日を、建国日と定めている。

 ギルバートとしては、海賊同士が仲間割れして争った挙句に、胡散臭い石ころを手に入れた日だとしか思わないが。




 式典の際、ギルバートは人形のような笑顔を浮かべていた。

 王族として並んだ父も母も、ギルバートのことを見ようともしない。だから、ギルバートも視線を向けることはなかった。

 たくさんの群衆に向かって演説する国王の言葉は、あまり耳に入らなかった。スルスルと右から左へ抜けていく。城前の広場に集まった多くの市民に圧迫される気がして、吐きそうだった。

 物見櫓から、貴族たちも演説を聞いている。彼らは広場に集まった市民たちのことを、まるで家畜のように見下ろしていた。太った豚が痩せた家畜を見て笑っている姿は、とても面白い。


 ふと、貴族が座る席の中で、目に留まる姿があった。

 こちらを、見ている?

 仰々しい演説を披露する国王を素通りして、ギルバートに向けられた視線があることに気がつく。櫓にかかった紋章は盾持つ乙女。確か、ストラス伯爵のものだ。


 大人たちと一緒にチョコンと座っていたのは、ギルバートと同じくらいの年頃の少女だった。

 艶やかな黒い前髪の一房が赤く染められているのが特徴的だ。だが、それ以上に凛とした切れ長の目から、なんとなく視線が外せない。


 睨まれている?

 なんとなく、そう感じた。


 よくわからないが、少女は瞬きもせずに、じっとギルバートを見つめていた。怒っているというよりも、必死で睨みつけているようだ。

 わけがわからなくて、ギルバートはつい少女から視線を外してしまう。


 なんだ、あれは。

 一応、ギルバートは王位継承権を持つ。いずれは妃を選ばなければならない。縁談を望む令嬢や、外国の姫は多いようだ。

 その一人か? それにしたって、もっと優しく見つめてくれたって良いじゃあないか。

 ギルバートは居心地悪く思いながら、早く退屈な公務が終わらないか願うばかりだった。



 式典のあとは夜会だ。市民向けの行事は終わりで、あとは貴族たちの時間となる。

 一般市民を締め出した華やかな城で繰り広げられるのは、雅と打算の渦巻く社交界。絢爛豪華な広間に通された貴族たちは、自分たちの装いを自慢して踊る。そして、より高い地位や儲け話を求めて、利害の一致という名の交流を行うのだ。

 この夜会が終われば、窮屈な公務から解放される。

 しかし、再び窮屈な生活がはじまる。

 どちらにしても、喜ばしくはない。退屈な作業には変わりなかった。


「ギルバート様、とてもお上手でしたわ」


 未来の妃候補と思われる令嬢とのダンスも三人目が終わった。名前も顔も覚えてはいるが、イマイチ興味が湧かない令嬢の相手は、あまり面白いものとは言えなかった。

 適当な挨拶をして、ギルバートは令嬢に別れを告げる。待っていれば、大臣が次の相手を見繕って連れてくるだろう。


「あ……」


 退屈に思いながらぼんやりしていると、見覚えのある姿を見つけた。

 前髪の一房だけを赤く染めた令嬢。式典の最中、ギルバートのことを睨みつけていた。その令嬢が目立たない隅の壁から、またギルバートのことを見ていた。

 ギルバートと目が合うと、令嬢は明らかに動揺した表情を見せる。

 見つかってしまった。そう言いたげだ。睨みつける視線は厳しいものだが、立ち振る舞いがぎこちない。明らかに、夜会慣れしていない様子だった。


「俺に、なにかついていますか?」


 ギルバートは興味本位で令嬢に近づいた。

 社交界用の愛想笑いで話しかけると、令嬢は動揺して口を震わせていた。


「べ、別に……なにもついて、いませんわ!」


 喋り方が滑らかではない。とてもぎこちなくて、言い方も乱暴だった。城に呼ばれる令嬢とは思えない不躾さに、ギルバートは苦笑いを浮かべる。

 けれども、なんだか面白い。


「ギルバートと申します。よろしかったら、お名前を教えてくれませんか?」


 好奇心だ。ストラス家の当主の名前は覚えていたが、令嬢の名前は知らなかった。

 そもそも、ストラス伯爵は独身だったと記憶しているが……いつの間にか、養女でもとったのだろうか。それとも、庶子かなにかか。


 疑問に思いながらも、ギルバートはアルヴィオスの儀礼に則って膝を折り、その場に深く頭を下げる。床に額をつける姿勢をとって、相手の令嬢が頭を踏むのを待った。


「……ヴィ……ヴィクトリア・ストラスです、わ」


 ギルバートの頭の上に足を乗せながら、令嬢はヴィクトリアと名乗った。


「ヴィクトリア嬢か。よかったら、お話しでもどうですか?」


 こちらから誰かを会話に誘ったことなどない。ましてや、こんな不躾でよくわからない令嬢の相手など、本来はするものではないだろう。

 気まぐれのようなものだ。ギルバートは愛想笑いのまま、ヴィクトリアに手を差し出した。ヴィクトリアは何故だか恥ずかしそうに顔を赤らめたが、やがて、コクリと頷く。

 会場の真ん中の方で、令嬢を連れた大臣の姿を見つけた。恐らく、あれが次のダンスのお相手だろう。

 けれども、ギルバートは悪戯っぽく笑うと、ヴィクトリアの手を引いた。そして、人気の少ないバルコニーの方へと連れていく。


「ちょっと……」

「見つかったときは、吐きそうになっていた俺を介抱したことにでもしてくれよ?」


 大雑把な申し合わせをしながら、ギルバートはバルコニーの手すりに身を委ねる。ヴィクトリアは戸惑っていたが、首を縦に振った。


「で、なんで俺を見ていたんだ?」


 社交的な仮面を捨てて、ギルバートはニヤリとした笑みを浮かべる。

 この令嬢に対しては、畏まった喋り方をする必要がないと判断したのだ。彼女は明らかに夜会慣れしていない。粗悪な方が馴染めるのではないかと考えた。

 その考えは当たっていたようで、ヴィクトリアは少しだけ肩の力を抜いていく。


「そ、そんなに、殿下のことを見つめて、しまって、いましたか?」

「ああ、そうだな。物凄くおっかない顔だったぞ?」


 指摘されて、ヴィクトリアは頬を赤く染めて俯いてしまった。どうやら、本人に自覚はなかったらしい。


「つい……緊張して」

「緊張?」


 式典のときから睨まれていたと思うが……緊張して目つきが怖くなるのは理解出来る。実際、彼女の様子を見ていると、だいぶ緊張しているのだろうと、すぐにわかった。


「だからって、俺を見ていた理由にはならないと思うが」

「それは……つい、意識して」


 ヴィクトリアは理由を語りたがらなかった。


「ギ、ギルバート殿下」


 まだ緊張した様子で、ヴィクトリアはギルバートの名前を呼ぶ。ギルバートは首を傾げて、続きを促した。


「殿下は、外の世界を……知りたいとは思いませんか?」


 緊張してガチガチの令嬢から、そんな甘美な言葉が聞けるとは、思っていなかった。




 夜の海風の冷たさが気持ちいい。

 アルヴィオス最大の貿易港を有する首都ロンディウムの夜は肌寒い。漆黒の海から吹きつける風が、夜と同じ色の髪を揺らした。

 どういうわけか、ヴィクトリアは城の抜け道とやらを知っていた。半信半疑でついて行くと、そこにはギルバートの知らない世界が広がっていた。


 城からも星は見えたが、箱のような庭に区切られた空は狭い。外で見る星空は視界に収まり切らないほど広く、首がすぐに痛くなった。

 こんなに広い場所へ来たのは初めてだ。

 海は暗いが、何処までも続く水面が広々とした気分にさせてくれる。箱庭のような城に閉じ込められた日常が嘘みたいに、世界は広いのだと実感した。

 なにもない港の広場で延々と星空を見上げているギルバートの隣で、ヴィクトリアは黙って座っている。

 二人とも、申し訳程度に黒い外套を羽織っているが、一目で上流階級とわかる出で立ちだ。あまり長居は出来ないだろう。


「で。どうして、こんなところに連れてきたんだ? 俺を見ていた目的は?」


 ギルバートは子供らしからぬ笑みを浮かべて、隣のヴィクトリアを覗いた。ヴィクトリアはさっと視線を逸らしてしまうが、ギルバートはそれを許さないように、彼女の前に立つ。

 切れ長の目が控えめにギルバートを見上げた。その視線は迷いがあるようで、儚く揺れ動いている。

 こんなときに相応しくないが、綺麗だと感じてしまう。

 人形みたいな使用人や、仮面を被った貴族の連中しか見たことがないせいだろうか。

 こんな風に人間らしい表情を見る機会に、ギルバートは恵まれなかった。


「……殿下に、外の世界を教えたくて……」


 ぎこちない言葉で、やっとそれだけ呟いた。


「それは、どうしてだ?」


 顔をグッと近づけて、ギルバートはヴィクトリアを覗き込んだ。間近で驚いたように目が見開かれる。そんなヴィクトリアの表情を、ギルバートは観察して楽しんだ。

 ヴィクトリアは他者との会話に慣れていないのだと感じる。だからこそ、こんな風に顔を近づけて心理的に追い詰めてみようと思った。焦らせれば、秘めた本音を吐き出すかもしれない。


 そんなギルバートも、実のところ、他者との会話には慣れていない。普段、会話する人間は限られているし、公務のときは、作業のように交流をこなしているだけだ。

 若い頃から才があったと称される父王に似たのか。それとも、そんな父王に取り入って妃となった母に似たのか。物心ついた頃から、ギルバートは要領よく、狡賢い類の子供だったと思う。

 どちらにせよ、傀儡を望まれる王子には、必要のない資質だ。


「教えてくれないと、キスするぞ?」


 ヴィクトリアの顔を両手で掴んで、ギルバートは笑顔を作った。明らかに目の前の令嬢が怯えているのがわかる。親指で小さな唇を撫でると、ヴィクトリアは肩を震わせた。

 それでも、彼女はなにも言わない。頑なに目的を告げず、怯えた目でギルバートを見ていた。

 ギルバートは脅しというよりも、戯れのつもりで、徐々に顔を近づけていく。そろそろ白状するかと思われる頃合いで目をじっと見てやると、ヴィクトリアは恥ずかしそうに顔を赤くしてしまう。

 頑なに口を閉ざしている理由がわからない。


「言えば放してやる」

「それは……その……」


 ヴィクトリアは迫りくるギルバートの胸元を押して遠ざけようとしてくる。令嬢にしては、なかなか力強い。けれども、ギルバートだって毎日剣の稽古はしている。構わず力で押し切った。

 嘘でも、なんでも言えば解放してやるつもりだった。だが、あまりにも黙っているものだから、痺れが切れてしまったのだ。


「変な奴」


 ギルバートはそう言って、ヴィクトリアの額に軽く口づける。ヴィクトリアはそれだけでも、顔を真っ赤にしてしまった。

 相手がこんな風に緊張していると、逆に落ち着いていられる。ギルバートは悪戯を成功させた気分になって、声を上げて笑う。


「あまり……からかわないで、ください……」

「言わないからだろう? まさか、キスして欲しかったのか?」


 そう返すと、ヴィクトリアはなにか言いたそうに口を開く。だが、首を横に振って俯いてしまう。


 ぎこちない喋り方といい、怪しい匂いしかしない。隠し事だらけであることがわかった。わかりやすすぎる。

 だが、ギルバートの周りにはいない人種だ。周囲の人間は人形のように、自分の感情や思惑を隠すことに長けていた。

 物珍しい令嬢の手を、ギルバートは軽く握りしめる。


「ヴィクトリア。また城から連れ出してくれるか?」


 そう問うと、ヴィクトリアは意外そうにギルバートを見上げた。


「俺に外の世界を教えたいんだろう?」


 もう既に抜け道の場所を覚えたので、ヴィクトリアの助けは必要ない。気の向いたときに、教えられた抜け道を使って、城下へ抜け出すことが出来る。

 だが、一人で抜け出すのも味気ないし、案内がいなければ道に迷うかもしれない。幸い、ヴィクトリアは令嬢なのに街の裏道にも詳しいようだった。


 それに、もう少し、この令嬢と関わってみたい。

 蓋を開ければ周囲と同じつまらない人間なのかもしれない。だが、その蓋を開ける過程くらいは楽しめそうだと思う。

 退屈な箱庭の生活を変える存在に、ギルバートは少なからず興味を抱いているのだ。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る