第85話

 

 

 

 ロンディウムへの旅を中断して、農民たちの村へと寄り道することになった。


「それじゃあ、アーガイル卿は俺たちでなんとかしよう」


 などと言うものだから、ルイーゼは驚いた。

 ギルバートは急いでいると思っていたが、意外にも提案したのは彼だ。ヴィクトリアにも異論はなさそうだった。

 大喜びする農民たちを余所に、ルイーゼはギルバートを問いただす。


「どういうことですか。先を急がなくてもいいのですか?」


 ギルバートはルイーゼの質問を予測していたかのように笑い、片目を瞑って人差し指を立てた。

 相変わらず、無意味な色香があって様になっている。一瞬、露出系の変態であることを忘れそうになってしまった。


「アーガイル候は宮廷での権力者だ。宰相だった父親の地盤を継いで、若くして権力を振るっている」


 それがどうしたと言うのだろう。ルイーゼが首を傾げると、ギルバートはこう付け加えた。相変わらず、妙に顔の距離が近い。


「彼は都でも幅を利かせている。『味方』にしておいて、損はない」

「なるほど」


 理解した。つまり、アーガイル侯爵を味方、もとい、手懐けておけば、ギルバートたちが楽に動けるようになるということか。

 ギルバートは今のところ、身分を隠しながら内密に事を進めている。ヴィクトリアも、そこまで宮廷での地位を築いているわけでもないようだ。

 そうとなれば、アーガイル侯爵に接触しておいても悪くない。脅してでも手懐ける、いや、話し合いをしておこうということだ。


「どのようになさるおつもりですか?」


 ルイーゼが問うと、ギルバートが腕を組む。

 彼は適当な村人を呼び止めた。


「アーガイル候は女を要求していると言ったな」


 いかにも上流階級らしい態度で聞いたせいか、村人は委縮して頭をペコペコと下げた。

 フランセールでも貴族は敬われるが、これでは、恐怖の対象のようだ。それほど、この国には古い支配体制が根付いているということだろう。


「へ、へい。村の美女を集めろと……うちの娘もお屋敷に呼ばれて、帰ってこなくて……」

「ご自分の娘を差し出したのですか」


 ルイーゼが何気なく聞くと、村人は頭を深く下げながら、涙ながらに訴える。


「仕方ないんです。さもなければ、村の税率があがっちまう」


 なるほど。差し出さなければ、村全体の不利益になるわけか。軽い会話しかしていないが、彼も苦渋の決断をしたことがうかがえた。


「なかなかの下衆じゃあないか」


 ギルバートがルイーゼの言葉を代弁するように顎を撫でる。

 ここで、ルイーゼの頭に疑問が浮かんだ。


「見たところ、この国の貴族は素行が悪い、いえ、好き勝手しているようですが、ギルバート殿下は他国に遊学されていたのですか?」


 王侯の公子が外国で学ぶことは珍しくない。

 ギルバートの考え方は、大陸寄りである。こんな旧体制の国の王子としてぬくぬくと育てられた人間の思想ではないと思ったのだ。

 問いに対して、ギルバートは一瞬、動きを止めた。彼は気まずそうに漆黒の髪を掻き上げる。


「いや……今回のように、使節として遣われることがあるだけだ」


 含みのある言い方だと思った。確かに、使節として外交を担っているのなら、外国の思想に触れる機会も多いだろう。相手の土地柄や文化を理解していないと、円滑な外交は出来ない。特に、アルヴィオスは独特な島国だ。大陸との関わりがなくなると、困るはずである。

 だが、それだけか。隠しごとをされた気がして、ルイーゼは眉を寄せた。


「とにかく、だ」


 ギルバートは、その話題は終わりと言わんばかりに手を叩いた。途中で区切られて気分は良くなかったが、ルイーゼは促しに応じて口を噤んだ。


「良い考えがある」


 獲物を見つけた肉食獣のように野生的で、妙な色気のある顔でギルバートが笑う。




 † † † † † † †




 ノルマンドを出港して数日。

 船は予定していた航路を通り、順調にアルヴィオスの首都ロンディウムへと進んでいた。


「殿下、大丈夫かしら」


 ユーグは悩ましげに頬杖をついた。

 ギルバートの身代わりとして船に乗せられたが、特になにもしていない。ただ軟禁されたように、船室で本を読んだり、鍛錬したりしている。

 緩やかな赤毛は漆黒に染め、三つ編みにしてあった。大変不服だが、こうしてみると確かにギルバートに似たような風貌であると感じる。遠くからなら、騙すことが出来るだろう。


 アルビンという男は、ギルバートたちの目的を語らない。ユーグのことを利用しようとしていることも確かだ。

 しかし、単純に利用されてやるつもりはない。

 ギルバートと行動を共にしているルイーゼと、それを追ったエミールを連れ戻すのが、ユーグの目的だ。不覚にも後れを取って、エミールと一緒に船に乗り込めなかったことが悔やまれる。

 ルイーゼは強いし、セザールが一緒なので多少安心だが……それでも、エミールが目の届かないところにいるのは不安である。事務方志望ではあるが、一応、ユーグはエミールの専属騎士なのだ。


「なにかしら」


 船室の扉がノックされる。入るように返事をすると、漆黒を纏った従者が現れた。


「退屈でしょう。お茶をお持ちしましたよ」


 長い前髪と眼帯で隠されたアルビンの顔は、あまり見えない。だが、やはり、若い男のように見える。ユーグと同じくらいか、少し上。剣は携帯していないが、代わりに、従者らしくティーセットの乗ったカートを押していた。

 アルビンが黙って紅茶を用意するのを、ユーグは訝しげに睨んだ。


「そろそろ、目的を教えてくれてもいいんじゃないかしら?」


 船は二、三日の間に、アルヴィオスの首都ロンディウムに到着するらしい。なにも知らないままでは、困る。


「なにもしなくても、大丈夫ですよ」


 アルビンは慣れた手つきで紅茶をカップに注ぐ。芳醇で甘みのあるアールグレイの香りが鼻腔をくすぐった。そういえば、アルヴィオス人はフランセールよりも紅茶を好む人間が多いらしい。

 高そうなティーカップに入った紅茶を受け取るが、ユーグは表情を緩めなかった。カップに口を付けると、熱い紅茶の香りと、甘みのある味わいが口に広がる。

 座った状態のユーグを見下ろす視線が不気味に感じた。表情があるようで、感情が感じられない。亡霊のような視線だと思った。

 しかし、一方で違和感を覚える。

 この男、――。


「あなたが深く知る必要はありませんよ」


 念を押すように、アルビンが囁いた。


「私は、ギルバート殿下とは違う目的で動いていますから」

「違う……目的……?」


 どういうことだ。ユーグは問いただそうと、腰を浮かした。だが、その視界が歪むように傾く。

 薬を盛られていたのだと気づいたときには、遅い。急激な眠気に耐えられず、ユーグは膝をついて蹲った。


「いったい、なにを……」


 気を失ってはいけない。ユーグは、とっさに傍らに置いていた剣を手にする。刃を少しだけ鞘から抜き、左手で握りしめた。激痛が走ったことで、なんとか意識が保たれた。

 その様子を見て、アルビンは興味深そうに腕を組む。

 相手は剣を持っていない。ユーグは右手で素早く剣を抜き、低い位置から突きを放った。


「なかなか。流石はフランセール最強の騎士の子ですね」


 感心したような、それでいて、あまり興味がないような声音だ。

 ユーグが突き出した刃をあっさり避けると、アルビンは薄く笑ったような気がした。まるで、赤子の相手をするかのようだ。彼はユーグの剣を足で踏みつけて落とし、黒く染められた髪を容赦なく掴む。


「並み以上天才未満と言ったところでしょうか。ご子息がこれでは、伯爵は安心しないでしょうね」


 意味もなく煽る言葉を発して、アルビンはユーグの頭を壁に叩きつけた。脳天が揺れる感覚と薬の効果もあり、ユーグの視界は再び歪んだ。


「な、にを……」

「あなたは、なにもしなくて大丈夫です」


 声が、地獄の底から響く歌のように聞こえた。


「存分に利用させて頂きましょう」


 自らの血がベッタリとついた左手を伸ばす。しかし、その手は漆黒の従者には届かず、空振りしてしまった。

 

 

 

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