第84話
一行は馬車に乗り込み、ロンディウムへの道のりを進んだ。
馬旅と違ってのんびりしたもので、ルイーゼとしては旅行気分だった。こんな風に悠長に移動するのは、領地と王都を往復するときくらいだ。
「ねえ、すごいね」
荷馬車の外を見て、エミールがはしゃいでいる。
エミールはタマの世話もあるし、なにより、ヴィクトリアと同じ馬車に乗せたくなかった。仕方なく、ルイーゼはエミールと一緒に荷馬車で移動していた。エミールは最初、居心地の悪さに馬車酔いしていたが、すぐに慣れたようだ。いつもながら、順応が思ったより早い。
「ルイーゼ、見て!」
「あら」
エミールに促されるまま荷馬車の外を眺めて、ルイーゼは思わず声を上げた。
道の周りに広がっているのは、静かな森のはずだ。だが、立ち並ぶ木々の間を縫うように、大きな水音が聞こえていた。森の向こう側が断崖絶壁になっているようだ。
木々の隙間から見えたのは大きな滝であった。
日本にいた頃の前世、テレビで見たギアナ高地のような立派な滝である。霧立った崖から落ちる水が塊となり、数百メートル下の湖へと降り注いでいる。
見事な眺めだ。七回の前世を経験したルイーゼでさえ、そう思うのだから、エミールには尚更だろう。見ると、高揚して白い頬が熟れた桃のように染まっていた。
ロンディウムまで、あと二日程度だとギルバートが言っていた。
都に入る前に、宝珠を研究するギルバートの知り合いを訪ねるらしい。そこで宝珠が取り出せたなら、ルイーゼたちはフランセールへ帰ることになる。
取り出せない場合は……どうなるのだろう。このまま、アルヴィオス王家の問題に首を突っ込み続けるのだろうか。
そもそも、宝珠をこのまま使用することが出来なかった場合、ギルバートはどうするつもりなのだろう。
ギルバートたちの計画は国王として転生し続けるリチャード・アルヴィオスを引き摺り下ろすことだ。そのためには、人魚の宝珠の力が不可欠である。
外で馬に乗っているギルバートを眺めた。
長い黒髪を三つ編みにして揺らす王子は、のんきに滝を眺めながら馬車のヴィクトリアに話しかけている。ヴィクトリアはやはり不機嫌そうにギルバートを睨み、馬車の中から小石のようなものを投げつけていた。
やがて、ギルバートはルイーゼの視線に気づいたのか、こちらを振り返って笑う。
「シルフの滝だ。真夜中に妖精が舞うと言われている」
ご丁寧に、滝についての解説をしてくれた。
アルヴィオス王国では、妖精にまつわる地名や伝説が多いそうだ。一種の信仰のようなものらしい。こちらでは、大陸とは違う価値観や宗教が根付いている。
「ル、ルイーゼ。妖精だってさ……わ、悪いことしないよね?」
エミールは妖精というワードを聞いて、すぐに怯えた色を浮かべた。そういえば、彼は引き籠っていたときに妖精を信じて怖がっていたか。妖精など可愛いもので、怖がる要素なんてないと思うのだが。
「大丈夫ですわ。エミール様の隣には、わたくしがいますもの」
「そ、そうだよね。ルイーゼは首狩り騎士だもんね! つ、強いもんね……怖く、ない……よね」
「今度はわたくしを怖がっています!?」
エミールは涙目になりながら、身を震わせている。トラウマは克服したと言っているが、ふとした瞬間に蘇るらしい。エミールは「そんなこと、ないよ!」と言いながら、ガタガタ奥歯を鳴らしていた。
「殿下、よろしゅうございますよ! 気分転換に、ジャンは如何でございますか?」
怖がるエミールの前に、ジャンがササッと歩み出た。
「え、う、うん……叩けば、怖くない?」
「勿論でございます、殿下! ジャンが気持ちよくなります!」
完全にエミールの利益よりも自分の欲望を満たそうとしている気がする。ルイーゼは突っ込みを入れてやろうと、口を開いた。が、すぐに噤むことになる。
「なんだ、あれは」
馬車の御者が声を上げた。緩やかな動きで馬車が止まる。
なにか変だ。木々の間に、複数人の気配も感じた。
「エミール様。念のために、わたくしから離れないでくださいませ」
ルイーゼはこっそりと、エミールに耳打ちした。
進路を見ると、道の真ん中にボロ布のようなものが落ちていた。いや、ボロ布ではない。ボロボロの服を纏った人間なのだと気づいて、馬に乗っていたセザールが地面に降りた。
因みに、今日は鮮やかなコバルトブルーのドレスを着ている。サラリとこぼれるシルバーブロンドが顔にかかる様が、しっとりと色っぽい。四十路のオッサンであることを、時々忘れそうになってしまう。
「おい、邪魔だ」
セザールは面倒くさそうに言って、ボロ布、ではなく、道に蹲った人間を持ち上げた。
少年のようだ。泥だらけの顔でセザールを見上げている。
「た、助けてください……」
少年は縋るような視線で言うと、細い手足でセザールのドレスを掴む。
「話してみろ」
セザールも流石に、縋る少年を無下にするほど無情ではない。眉を寄せて、少年に続きを話すよう促した。
「あの……」
少年は言い淀んで黙ってしまう。
だが、次の瞬間、ルイーゼは明らかな異変に気づいた。セザールも感じ取ったようで、少年を素早く手放した。
「やっちまえ!」
木々の間から声が聞こえた。一斉に茂みの中から、農民のような身なりの男たちが飛び出す。少年も懐から取り出した銀に光る短剣をセザールに向けていた。
あっという間に、馬車が囲まれてしまう。
山賊といったところか。
「なるほど、こういう手口か」
だいたい読めていた。そう言いたげに、セザールが息をつく。
ルイーゼはエミールを自分の後ろに隠して、木刀と脇差のプチ・エクスカリバーちゃんを握りしめた。
「痛い目に遭いたくなかったら、金目のものと女を差出しな!」
要求は金品らしい。あと、女をご所望のようだ。奴隷制が認められている国だ。高値で売ろうという魂胆だろう。
「はあ? なにを言って――」
「わたくしを要求するなど……二十回ほど生まれ変わって出直していらっしゃい」
抵抗しようとするギルバートを遮って、ルイーゼは荷馬車から飛び降りた。エミールが不安そうな顔をしているが、心配させないように、ルイーゼはドンッと胸を張る。
「我が美貌が望みであるのなら、仕方あるまい……」
セザールも、わけがわからないことを言いながら、刃がついていない剣を抜く。
「なんだい? あたしを呼んだのかい?」
ヴィクトリアが不敵な笑みを浮かべながら、馬車から降りてきた。
ドレスを纏った令嬢二人とオッサンが、山賊たちの方へと歩いていく。
「おお、すげぇ美人!」
山賊の一人が声を上げて、ルイーゼに手を伸ばす。
しかし、ルイーゼは木刀を思いっ切り振って、山賊の脛に叩き込んだ。山賊は言葉にならない声を発しながら、蹲ってしまう。それを見て、他の山賊たちが狼狽えた。
数は、ざっと十五人ほどか。武器は農具と短剣ばかりで、実戦経験が豊富な人間はいないようだ。寄せ集めという印象が拭えない。
ルイーゼは禍々しい笑みを浮かべながら、木刀を構えた。これは、楽勝だ。
「我が道を邪魔したことを悔いるがいい」
セザールは既に剣を振って、何人か倒していた。刃がない剣で戦う様は、さながら鉄パイプを振り回すヤンキーだろう。流石は荊棘騎士。一気に複数人を相手にしても、問題ないようだ。
女性を要求されたのに、何故、前に出てしまったのかは謎だが。
「なんだい、来いよ?」
ヴィクトリアは威勢のいい声をあげて、山賊たちに手招きしていた。手にはなにも持っていない。
侮った山賊が近づくと、ヴィクトリアはしなやかな動きで攻撃をかわした。そして、腕を掴んで捻るように、男を投げ飛ばしてしまう。
日本の合気道に近い動きだ。ヴィクトリアは体術を得意としているらしい。
「さて、どなたがお相手してくださるのかしら?」
ルイーゼはニッコリと笑って、木刀でブンブン風を斬った。笑顔を貼り付けているが、勿論、殺気を放っている。海賊や騎士の前世でこの笑みを浮かべると、大抵の者は恐れ戦いて逃げ出そうとした。
目の前の山賊たちも例に漏れず、危険を感じ取ったのか、涙目で後すさっている。
「ひ、ひぃ……! 化け物だ!」
「あら、化け物だなんて。わたくし、品行方正、才色兼備でいたいけな深窓の令嬢ですのに……ルイーゼ、傷ついちゃう。激キャピぷりぷり丸ですわ!」
逃げる男の背に、容赦なく木刀の一撃を浴びせる。男は「ぐぇっ」と低い声を上げて地面に倒れ、痛みでのた打ち回った。
「ゆ、許してくれ……! 俺たちが悪かった!」
山賊の一人が腰を抜かして涙目で訴える。他の者にも、戦意はないようだ。
ルイーゼは息をつき、木刀を腰におさめた。ヴィクトリアも同じように、掴んでいた山賊の胸倉を離してやっていた。セザールは、既に倒した男たちの山に足をかけて、涼しい顔で葉巻を吹かしている。
「お前ら……」
ギルバートが呆れた顔で三人を見ていた。
荷馬車の中では、エミールがタマの檻から離れて安心した表情を浮かべている。もしかすると、助太刀して檻を解放するつもりだったのかもしれない。ライオンがかっこよく戦う姿を見たかった。非常に残念だ。
「あ、あんたら、何者だ!?」
山賊の一人が口を開く。
「それは、こちらのセリフですわ。まずは、ご自分から名乗りなさいな」
ルイーゼは山賊の眉間に木刀を突きつけながら、可愛く唇を尖らせた。すると、山賊は世にも恐ろしい魔王を見るような目で、声を張り上げる。
「お、俺らは、この近くの村の者もんで……!」
曰く、近隣の農村で農業を営んでいる男衆らしい。
けれども、領主の取り立てが厳しく、税を納められないのだとか。しかも、村の女まで要求されて首が回らなくなり、通りかかった馬車を襲ったらしい。運悪く、初犯に選んだのがルイーゼたちだったようだ。
領主が横暴を働いて、無理な税を要求する。フランセールでこのような事態が報告されれば、即刻調査が入り、処罰されるだろう。
これも、転生を繰り返すリチャード・アルヴィオスが旧式の政治体制を敷き続けている結果なのかもしれない。
「この辺りの領主……アーガイル侯か?」
山賊、もとい、農民たちの言葉を聞いて、ギルバートが呟く。予想は当たっていたようで、農民たちが頷いた。
「そうか」
ギルバートは納得したように、笑みをしたためた。なにか考えがあるのだろうか。
彼は楽しげな表情で、ルイーゼを眺めていた。
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